ギュスターヴ・ランソン
「ギ・ド・モーパッサン」
Gustave Lanson, « Guy de Maupassant », 1951
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 ギュスターヴ・ランソン (Gustave Lanson, 1857-1934) による『フランス文学史』 Histoire de la littérature française(初版1894年) 中、ギ・ド・モーパッサンに関する部分を訳出する。
ランソンは高校教師を勤めた後、1904年よりソルボンヌ大学で文学を講じる。1919年より27年まではエコール・ノルマルの校長 を勤めた。大学における近代的な文学教育を基礎づけたことで知られ、その実証主義的な研究手法は、20世紀半ばまで学術的文学研究の基本であった。『フランス文学史』は教科書として長く読まれたものである。生前、著者は何度も改訂を行っている。
翻訳の原本は、ポール・テュフロ (Paul Tuffrau, 1887-1973) による戦後の改訂版であり、テュフロの手が加えられている可能性があるが、この版が戦後に広く読まれたものであることを考慮して、それを基にここに訳出した。
日本におけるモーパッサン紹介においても、長期にわたって、ランソンの『文学史』の記述が大きな影響をもっていたものと推定される。全体として見ればランソンの判断は好意的なものと捉えられるだろうが、モーパッサンの思想の浅薄さ、哲学の欠如等の指摘は、この作家のレアリスム文学の評価に一定の限界を設けている。ある意味では、70年代以降の専門家によるモーパッサン再評価は、かようなランソン流の判断への抗議から生まれたと言えるかもしれない。
60年代に学界を席巻したヌーヴェル・クリティックの流行以後、ランソンの手法は過去のものとされ、『文学史』も読まれなくなって既に久しい。21世紀初頭の今、改めてランソンの記述を読み直すことにどれほどの意義があるのかは定かではないが、今一度新鮮な目で彼の記述を読み返すことは、「文学史」を再考する上で一つの手掛かりになるかもしれない、とそんな風に考えてもみる次第である。
なお、ランソン、テュフロ、『フランス文学史』、全3巻、有永弘人、新庄嘉章、鈴木力衛、村上菊一郎訳、中央公論社、1954年(初版)の既訳が存在する。
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感受性の抑制、事物の厳格な研究は、ギ・ド・モーパッサンにとってはなんら苦労のないものであった。従って彼の内に、フロベールについで、芸術的レアリスムの最も純粋な表出をこそ求めるべきである。同時代の自然主義者の中に彼を分類するのが一般的であるとしてもである。繊細というよりも壮健な才能、共感の表出への欲求も知的な不安もなく、モーパッサンには、現実を歪めさせることになるような情愛も思想もなかった。彼の心は幻想を求めることなく、彼の精神は証明を探し求めもしなかった。フロベールは彼に事物のオリジナルで個別的な性質を追及することを教え、その性質を引き出す表現を選ぶことを学ばせた。ひとたび師の望むままに教育を受けると、モーパッサンは短編小説、長編小説を書き始めたが、それらは観察の正確さと文体の力強い単純さにおいて瞠目に値するものであった。
それらすべてにおいて、深い哲学は存在しない。モーパッサンは周囲の環境から、事象は絶えず流動するのだという教義をつかみとった。その教義は彼に哲学的思索を免除し、彼はそこまでにしておいたのである。彼の見る人間は十分に醜く、凡庸で、欲望において粗暴、エゴイスムにおいて要求が多く、気質や条件次第で力強かったりずる賢かったりするが、力によってであれ悪だくみによってであれ、快楽と幸福を追い求めている。物理的な満足と、物質的な財産が、ほとんどいつでもこの探求の目標である。要するに、テーヌの言う陰険で淫らなゴリラ(1)、我々のフランスにおいて中間層ないし庶民階級が服を着させているようなゴリラである。このような人間観において、体系的なものは何もなく、またどんな先入見も存在しない。モーパッサンは自分自身を観察し、自分自身の、充足や快楽への、身体的で敏感な自己の存在の積極的表明への渇望において、判断を下したのである。彼は多くの個人、農民やブルジョアを眺めたが、それ以上の何物をも見出すことがなかったのだ。
彼の性格が発展する中で、過剰な哲学は存在しないが、心理学が先験的に排除されるのでもなかった。身体についてと同時に、精神や魂についても彼は語った。事象の原因について意見を述べることはなく、「概念」「欲望」「情愛」「意志」といった言葉で示された事物の領域について皆が理解しあえば、彼には十分だったのである。彼は気質に、そのまさにあるべき位置だけを与えるだろう。
だが彼には繊細な心理研究への興味はまるでなく、恐らくは適性も欠いていた。少なくとも生涯の前半においてはそうである。後半期には、成功によって導かれたより上流の社会関係、成熟への到達、病のゆっくりとした悪化に対する漠然とした不安が、こうした領域への関心を育てたようである。『ベラミ』(1885)『ピエールとジャン』(1888)そしてとりわけ『死の如く強し』(1889)、この最後の作品でモーパッサンは一つの心の中の二重の愛がもたらす荒廃を描いているのだが、それらが漸次増大するその関心を証拠立てている。だが彼は純粋な心理小説まで進むことはない。彼の方法は綜合的なものであり、生活の外観、動きや好意によって、意識の内密な仕組みや力を表現するのである。そこから、彼の心理学は、どれほど正確なものであれ、幾らか簡明で要約的なものに留まるという結果になる。その反面、抽象的なもの、論理でしかないものは何もない。すべては堅固で現実的なのである。
モーパッサンの作品は、順次彼が実見することになったあらゆる場、あらゆるタイプの人間を我々に提示している。ノルマンディーの農民、ノルマンディーやパリの小ブルジョア、地主や役人、彼は粗暴な人物のタイプを、力強い簡潔さで描いてみせ、そこには残忍さはないが、共感もまた不在で、しばしば一種の凝縮した軽蔑を伴っており、それが彼の物語に苦いアイロニーの調子を与えている。この嘲弄は特に初期の作品(『脂肪の塊』)に顕著であるが、それらの作品は時期的に我々の敗北(2)の時期に近く、当時はペシミスムや、社会の卑劣さや偽善の告発が、若い作家達の間で不可欠だったのである。だがこのいささか厳しい喜劇的な色調は、彼の事物観、人生経験が拡張するにつれて薄まっていった。彼はしばしば、以前に残酷な調子で扱ったテーマを再び取り上げ、共感の様式の上に移し替えたのだった。彼を蝕んだ病が、今や人間的悲惨のあらゆる形態に対して彼を共感させる。そして彼が自ら狂気へと陥っていくのを感じる時がやって来た。その時、彼は「魂の流す血でもって(3)」(ルメートル)恐怖についてのあれらの奇怪な小説を書き、そこで精神科医が賞讃するほどの正確さでもって、神経組織の漸進的変調の生み出す幻覚を記述したのであった。
もし、複雑で込み入った現実から特徴を引き出すことのできる、モーパッサンの大胆な単純化を理解したいのであれば、何より『女の一生』を取り上げるべきであろう。ある女性の哀れな生涯、短い喜びと無数の失望、凡庸でありきたりな惨めさに深く傷つけられる生涯。執拗で根絶できない希望は、夫に騙され、息子に騙されても、痛ましい無垢さでもって孫の上へと移ってゆくが、この孫は恐らくは幻滅の最後の教訓を彼女にもたらす定めにある。その前に死がやって来るのでないならば。この人生は、細部においては実に個別的でありながら、余りに真実であり、その構成と性質において余りに平均的な真実から成っているので、一般的な価値を持つに至るのである。彼女の悲しみに、無数の人々の悲しみが付け加わる。それら無数の悲しみを、我々はこの唯一の事例の向こうに窺い見るのであり、作品の悲痛な力強さは、それ故に無限に膨らむのである。
ギュスターヴ・ランソン、『フランス文学史』(ポール・テュフロによる改訂版)、アシェット社、1951年、1090-1092頁。
Gustave Lanson, Histoire de la littérature française, remaniée et complétée pour la période 1850-1950 par Paul Tuffrau, Hachette, 1951, p. 1090-1092.
訳注
(1) イポリット・テーヌは『現代フランスの根源』第4巻「革命:革命政府」(1884) 第7章末尾において、革命時代に表出した人間の嗜虐性を「飼いならされたと信じられていたが、人間の内にいつまでも残り続ける残忍で淫らなゴリラ」 « le gorille féroce et lubrique que l’on croyait dompté, mais qui subsiste indéfiniment dans l'homme » と呼んだ。Hippolyte Taine, Les Origines de la France contemporaine, t. IV, La Révolution : le gouvernement révolutionnaire (1884).ランソンの原文は « le gorille méchant ou polisson ».
(2) 1870年、普仏戦争の敗北を指す。「脂肪の塊」は、対独報復の思潮を批判する目的を持った自然主義文学青年達の共作短編集『メダンの夕べ』(1880)に発表された。
(3) « C’est donc avec le sang de son âme qu'il écrivait, lui, ses lamentables variations sur des lieux communs tristes. » Jules Lemaître, « Guy de Maupassant », dans Les Contemporains, sixième série, Lecère, Oudin et Cie, 1896, p. 354.「つまり彼は自分の魂の流す血でもって書いたのである。彼は、悲しい紋切り型についての痛ましい変奏を」ジュール・ルメートル、「ギ・ド・モーパッサン」、『同時代人』 第6集(1896)所収。