モーパッサン
『私生活のギュスターヴ・フロベール』

Gustave Flaubert dans sa vie intime, le 1er janvier 1881



(*翻訳者 足立 和彦)

ギュスターヴ・フロベール 解説 1881年1月1日、雑誌『新評論』 La Nouvelle Revue に掲載された評論(pp. 142-147.)。
 モーパッサンは以前に詩篇「田舎のヴィーナス」に関して、ジュリエット・アダンの編集する『新評論』に掲載を拒否されたことがあったが、本記事を皮切りに新たに関係を持つことになる。『新評論』には前号より、フロベールの遺作『ブヴァールとペキュシェ』の連載が開始されていた。
 本記事は「一年前の思い出」(1880年8月23日)、「書簡に見るギュスターヴ・フロベール」(9月6日)に続いて、フロベール追悼の意を込めて書かれたものであり、末尾に哀惜の念が洩らされている。
 ここでもモーパッサンは、常に「芸術家」であった人物としてフロベールの姿を描き、とくに彼の「絶対の文体」の思想について語っている。師の教えを再確認する弟子の姿が窺えるようである。
 後半部には「書簡に見るギュスターヴ・フロベール」に引き続いて、レオニー・ブレンヌに宛てたフロベールの書簡が引用されている。モーパッサンは80年末、フロベールの遺稿整理のために姪カロリーヌのもとを訪れており、その際に目にしたものと思われる。ブレンヌ夫人とはモーパッサン自身も親交をもっていた。
 なお、フロベールの遺作の刊行時には、モーパッサンは新たに書評「ブヴァールとペキュシェ」を執筆することになる。

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 一人の人物が有名になるや否や、彼の人生はあらゆる社交界向けの新聞によって、探られ、語られ、注釈をつけられる。そして公衆は、彼の食事の時間、家具の形、個人的な趣味、それに毎日の習慣などを知ることに特別の喜びを感じるようである。そもそも有名人たる者は自分からこうした期待に応えたがるもので、公衆の期待こそが彼らの栄光を増大させるのである。彼らはリポーターたちに自宅のドアを開けてやり、世界に向けて心の底まで開いてみせる。
 これとは反対に、ギュスターヴ・フロベールは、特別な羞恥心で自分の私生活を隠しつづけた。彼は決して肖像画を描かせたりしなかったし、内輪の集まり以外の場所では、誰も彼に近づくことができなかった。ただ友人たちだけに、「人としての心」を開いたのである。だが、この人としての心には文芸への愛があまりに長くにわたって注がれ続け、その愛はあまりに情熱的で溢れるほどだったので、人間がそのために生き、涙を流し、希望を抱き、仕事をするような他の一切の感情は、少しずつその中に溺れ、飲み込まれてしまったのだった。
 「文体とは人間そのものである(1)」とビュフォン(2)は言った。フロベールとは文体であった。あまりにもそうであったので、しばしば、文の形こそが彼の思考の形を決定するほどだった。彼にあっては、すべては知的なものであった。自分にとって文学的とは見えないものの一切を彼は好まなかったし、好むことができなかった。彼の趣味、欲望、夢の後ろにはたった一つのものしか見つからなかったが、それが文学だった。彼はただそれだけを考え、それについてしか話すことができなかった。彼が出会う人物は、その人物の内に小説の登場人物を垣間見ることができた時のみ、確実に彼に気に入られることができたのだ。
 会話や議論で興奮し、腕を振り上げ、情熱のこもった声で朗誦する時には、彼の物の見方、判断の仕方が、もっぱら一種の芸術的「基準」に依拠していることがはっきりと感じられた。彼のあらゆる意見はその基準によって計られたものだった。
 「異人たる我々は」と、彼はよく言っていた。「我々は存在するべきではない。ただ我々の作品のみが存在するのだ。」そうして、しばしば彼はラ・ブリュイエール(3)を引き合いに出したが、その生涯や習慣がほとんど我々に知られていないということが、文学者のあるべき姿にふさわしいものだったのである。フロベールが残したいと望んだのは書物であって、思い出ではなかった。
 そのうえ、文体について彼が抱いていた概念は、作家について抱いている概念に呼応するものだった。彼は、著者の人となりは書物の独創性の内に消滅せねばならず、書物の独創性は、文体の奇抜さの結果であってはならないと考えていた。
 それというのも、彼は「文体」を、一つ一つが一人一人の作家に固有のもの、その中にどんな思考でも流し込めるような「個別の鋳型」の集まりのようなものとしては考えていなかったのである。彼は「唯一の文体」の存在を、つまり一つの事物をその色合いとその強度の内に表現する唯一の仕方が存在すると信じていた。
 彼にとって、形式とは作品そのもののことであった。生物において血が、種族や家系にしたがって、肉体を生かし、その輪郭、その外見を決定するように、作品の内容が、唯一にして正確な表現、拍子、リズム、形式の「仕上がり」全体をもたらすのである。
 内容無しに形式が存在しうるということや、形式無しに内容が存在するということは、彼には理解できなかった。
 したがって、文体はいわば非人称的なものとなるだろう。そしてその性質は、ただ思考の性質とヴィジョンの力強さのみに由来することとなるだろう。
 彼の人柄においてもっとも偉大なる点は、まさしく文学者であったこと、文学者でしかなかったことである。その思考、その行動、人生のあらゆる状況において、彼は文学者だったのである。
 それゆえにパリのルポルタージュは、収穫のすべてが芸術家に属するこの畑では、たいしたものを拾い集めることができはしなかった。
 とはいえ、その人自身が姿を現すことも時にはあった。その姿を探してみよう。
 フロベールは、仕事道具を手にしていない時に自分自身と向き合うことを嫌っていた。それに、どんな移動も、手をつけている作品のことを考える妨げになるというので、友人が家の戸口まで送ってくれると約束しない限り、町中で夕食をとることを承知しないのだった。
 自宅では書斎でも食卓でも、さらに他人の家のテーブルにあってさえ、彼は常に芸術家であり、哲学者であった。しかしながら、夜中に帰宅する途上においては、彼はしばしば、本来の性質に基づく真実の姿で現れたのである。
 食事に活気づけられ、夜の涼しさに幸福感に満たされ、帽子をあみだにかぶり、連れ合いの腕に手を乗せると、通行人にぶつからないように人気のない通りを選びながら、彼は進んで、自分のことや自分の人生における内密な出来事について話し、彼という人の秘密の一面を垣間見させた。そして、歩いたせいでいくらか息切れしてくると、門の前で足を止め、昔の出来事を語り、思い出に浸るのだった。
 眠りについたパリの静寂の中に、彼の大きな声は響き渡った。しばしば、この声の騒がしさに、二人の警官が影のように静かに近寄って来ては、白チョッキを着てステッキで敷石を叩きながら、そんなにも大きな声を上げているこの大男に素早い一瞥を投げた後、音も立てずに去って行ったものだった。そんな時、この天才作家、この非凡な小説家の内には、子どものような純真さが見られるのだったが、それはしばしば天真爛漫の無邪気さともいうべきものだった。彼の観察力は、書物の中では大変に鋭く容赦のないものであるが、それが人生の日常的な実際の場においては鈍ってしまうようだった。人には疑い深いと思われていたが、反対に信じやすさに溢れていたのである。それはもちろん宗教的な信仰ではなく、あらゆる希望、甘美で慰めとなるあらゆる感情に対する、とても人間的なあの自己放棄のことである。
 この世の残酷なあれこれに見舞われるたびに人が傷つくように、彼もしばしば傷つけられ、いつも心の内に悲しみを蓄えていた。影響を受けやすい性質が強靭な理性と争うので、たえず一種の意識せざる陽気さと、暗い憂鬱とを行ったり来たりするのであった。
 友人に手紙を書くと、ほとんどいつでも、この終わりのない幻滅の生々しい苦しみの存在を、言葉が指し示すのだった。「一切のものの永遠の惨めさ(4)」を抵抗もせず無感動なままに確認し、あらゆる避けがたい災難、連続する悲しみ、我々が従わざるをえない忌わしい運命を従順に受け入れるのではなく、日々、彼はそれらに死ぬほどの苦しみを味わったのだ。彼の見事な小説『感情教育』は、人間の悲惨さについての「調書」であるかのようだが、そこには深く強い苦味が満ちているのである。
 だがとりわけ、彼が女性たち、幼友だちの女性たちと交わした書簡の中にこそ、絶えず悲嘆に暮れるこの調子、痛ましい心の震えが見出だされる。
 女性たちに対して彼は優しい父性的な友情を抱き、高尚な事柄は理解できないが、我々の人生に絶えず湧き起るささやかな内密の苦悩を打ち明けることのできるような、そんな大きな子どものように彼女たちを扱っていた。
 離れている時には、彼女たちを厳しく批判し、「女性は<公正さ>にとっての悲痛の種だ(5)」というプルードンの言葉を繰り返していた。だが側にいる時には、彼女たちの慰めるような魅力の影響を受け、彼女たちの繊細さ、優しさ、幻想に溢れる魅惑を愛していた。そして、しばしば女性の恋愛に対する永遠の関心に苛立ちながらも、彼女たちの周囲に見られるあの種の情熱の空気が、意に反して彼の中に侵入し、彼の力を奪うのだった。
 以下が彼の書簡の一部であるが、そこにはこの憂鬱と、女性の友情が彼にもたらしたこの種の感傷的な心の動きが現れている。

 なんですって? 私があなたに「痛ましい手紙」を書いたというんですか、可哀相な愛しい友だちのあなたに? あなたは、私が率直に打ち明ける相手にふさわしいのではないでしょうか? 私はあなたに心を開いて、自分について真実だと思っていることを思い切って打ち明けたのです。もしもあなたをそんなにも悲しませると知っていたら、私は黙っていたでしょうに(6)

 後の部分には次のように書かれている。

 可哀相な友だち、あなたが病気で、うっ血が美しいお顔を損ねていると聞きました。それでも私は理想主義者としてそのお顔にキスしましょう。あなたが耐えず苦しんでおられるということが、私をうんざりさせ、憂鬱にし、悲しませます。心の持ちようが大事なのだと私は確信しています。あなたはあまりにも悲しみに暮れ、孤独でいらっしゃる。あなたは十分に愛されていない。けれど、この世においては良きものなど何もないのです。命とはまったくなんと忌わしい発明でしょう。私たちは皆砂漠にいて、誰も相手を理解していないのです(7)

 またさらに。

 あなたの友達は相変わらず不機嫌なままです。理由ですか? 友が皆死んだこと、公衆の愚かさ、五十代という年齢、孤独といくらかの心配事。それらがきっと理由なのでしょう。読むものはとても難解なものです。雨が降っているのを見ながら犬と会話します。そして明くる日もまた同じこと、その翌日も同じなのです(8)

 私の内面の最近の様子をお知りになりたいなら、使用人のエミールに息子ができたことをお知りになってください。妻がその贈り物を告げた時の彼の喜びようは見ものでした。以前なら、私はそれが理解できなかったでしょう。今ではすっかり変わりました。私は生まれついて持っていた多くの美徳や悪徳を思う存分に表に出すことがなかった。そのことを後悔しています(9)

 ローマであなたは幸せですか? なんという国でしょう! もうほとんど忘れてしまいました。ああ! もしそこで一年を過ごすとしたら、どれほど新たな力を得られるでしょう。忘れずにできる限りローマの田舎を散歩して、オスティアまで行ってください(10)

 おお、ローマの女であるあなたは感じませんか、あなたが壁に沿ってさ迷う時、執政官たちの魂があなたに接吻したいと望んでいるのを? 彼らはあなたの内に彼らの種族の娘を認めているのです。あなたという人は、貴族の外衣を身につけ、裸足に緋色のリボンのついたサンダルを履き、額にはバクトリアのあらゆる宝石をつけるために作られたのです……(11)

 いつ戻ってくるのですか? それこそ私があなたのお手紙の内に探したことでした。けれどあなたは帰国についてはお話しにならない。きっと復活祭の後なのでしょうね? 私はあなたが恋しいけれど、良い天候を利用し、何も見逃してはいけませんよ! 失敗した旅行は尽きぬ後悔を残すことになるし、急いで見ると、よく見ることはできないものです(12)

 それでは、どうぞお元気で。楽しんでください。目を一杯に開いて、そしてあなたの古い友人のことを思ってください。
G.F.
 文学にもかかわらずにあなたを愛しています。
 我々はなんと哀れな労働者なのでしょう! つまらないブルジョアにも無償で与えられるものが、どうして我々には拒まれるのでしょう。 彼らには心がある! でも我々には、人生において決して! 私はといえば、もう一度繰り返しますが、理解されない魂、最後のグリゼット、吟遊詩人という古い種族の唯一の生き残りなのです! ――でもあなたはお信じにならないでしょうね (13)

 そして他の手紙では至る所で、次のような言葉に出会う。

 私に関して、親しい友だち、あなたは私に何と言ってほしいのですか? 私はデカダンスの男であって、キリスト教徒でもストア学派でもなく、人生における争い事にはまったく向いていないのです……(14)

 どうして私は無頓着で、エゴイストで、軽薄ではないのでしょう! そうであれは人生の重荷ももっと楽だったでしょうに(15)

 そして行ごとに彼の「愚かさに対する憎しみ」が顔を出す。彼は読んだばかりの行を引用し、憤慨し、激怒する。あるいはごく稀には喜ぶこともあった。

 『ファウストの劫罰』が三度演奏されました。我が友ベルリオーズの生前にはまったく成功を得られなかった作品ですが、今では公衆、「人々」と呼ばれる永遠不滅の愚か者が認め、賞賛し、これは天才だと叫んでいるのです。次の機会にはブルジョアは一層厚かましいことでしょう(16)

 もしもフロベールの書簡の全体が公刊されたら、そこには素晴らしいページが見つかることだろう。その中にはとくに、高名な友人テーヌに宛てた二通の哲学的書簡があるが、それは彼の全作品の中でもとくに優れたものであるだろう。
 だが、いずれは作られることになるだろう蓄音機を使って、記録し、保存することができなければならなかったのは、彼の会話だったのである。そこでは、巧みな技芸がとめどなく溢れ、人間についての優れた認識が、無尽蔵の知識と不思議な形で混じり合っていて、彼の思考の特別な独自性によって、あらゆるものについての驚くほど正確な洞察が印象深い格言に仕立て上げられ、見たり聞いたりした一つの行動、一つの文、一つの身振りから、人類全体の関心を惹きつける無限の結論が引き出されたのである。
 死の床に横たわって動くことなく、目を閉じ、思考を破壊された彼に再会した時、我々を苦しめる引き裂くような痛みを越えて、自然に対する猛り狂った反抗の念、今まで以上に恐ろしいものと思われるこの消滅を前にしての新たな驚きが、我々の心に湧き起ってきたのだった。そして我々は、哲学者ショーペンハウアーのとても意義深い二つの言葉の持つ恐るべき真実を理解したのである。
 「人間とは一個のメダルであって、その片面に彫られている言葉は「無以下」であり、裏側には「全の中の全」とある。」
 「一人の人間が死ぬたびに、消滅するのは一個の世界、その者の頭の中にあった世界である。その頭脳が知的であればあるほど、その世界ははっきりとしていて明確で、価値が高く、広大である。その消滅はそれだけに一層恐ろしいものとなるのである(17)。」


『新評論』誌、1881年1月1日付




訳注
(1) « Le style est l'homme même. » 「文は人なり。」1753年8月25日、ビュフォンのアカデミー入会の演説「文体論」« Discours sur le style » の中の一文。
(2) Georges-Louis Leclerc, comte de Buffon (1707-1788). 博物学者、啓蒙思想家。1749年より大著『博物誌』Histoire naturelle universelle を刊行した。
(3) Jean de La Bruyère (1645-1696). モラリスト。匿名で刊行された『カラクテール(人さまざま)』Les Caractères ou les Mœurs de ce siècle (1688) で風俗や人物を鋭く批評した。文体に価値を置いていたことでも知られる。
(4) « l'éternelle misère de tout » : 『感情教育』(1869)、第三部第一章の中の言葉。
(5) « La femme est la désolation du justice. » : プルードン『革命と教会における正義について』(1858)、第11部「恋愛と結婚 続」の中の言葉。Pierre Joseph Proudhon, De la justice dans la révolution et dans l'Église, « Onzième étude. Amour et mariage. Suite », Chapitre premier, XIII. (Œuvres complètes de P. J. Proudhon, tome, XXIV, Bruxelles, A. Lacroix, Verboeckhoven, 1869, p. 158.)
(6) レオニー・ブレンヌ宛、1878年12月30日付。
(7) 同前。
(8) レオニー・ブレンヌ宛、1872年11月末。
(9) レオニー・ブレンヌ宛、1876年7月8日付。
(10) レオニー・ブレンヌ宛、1877年2月15日付。
(11) レオニー・ブレンヌ宛、1877年3月3日付。
(12) レオニー・ブレンヌ宛、1877年2月15日付(前出)。
(13) 同前。
(14) レオニー・ブレンヌ宛、1875年10月2日付。
(15) 同前。
(16) レオニー・ブレンヌ宛、1877年3月3日付(前出)。
(17) ショーペンハウアーの二つの引用は、『ノイエ・パラリポメナ』第9章「死によってわたしたちの真の存在は滅ぼされるものではないという説」中に見られる(翻訳は『自殺について』、石井立訳、角川ソフィア文庫、2012年、p. 20 および p. 18.)。ただし、モーパッサンの拠った典拠は未詳。




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