モーパッサン
「書簡に見るジョルジュ・サンド」
« George Sand d'après ses lettres », le 13 mai 1882
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1882年5月13日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載されたジョルジュ・サンド書簡集(カルマン‐レヴィ書店、1882年)の書評。
生涯、自由と独立を求めた女性作家の生き方を賞賛を込めて語った後、しかし彼女は芸術家としての意識に欠けた、とモーパッサンは述べる。そしてその理由を、「女性」であることに求めるのである。
社会進出する女性への批判、ないし揶揄は「現代のリューシストラテー」 « La Lysistrata moderne »(80年12月30日、ゴーロワ)にはっきりと述べられている。自立する女性への、男性の側からの興味と反感は、一人モーパッサンに限らない、19世紀末のフランスに広く見られた言説である。「男性は、女性を判断する際には決して正当ではない」という言葉が、作者自身から語られているのは興味深い。
だがジョルジュ・サンドのような優れた人物の存在は、モーパッサンの女性観に修正をもたらしたと考えることも、不可能ではない。90年の小説『我等の心』Notre cœur に描かれる現代女性の姿は、その最も顕著な現れであろう。ある研究者は、モーパッサンの描く女性の変化を辿り、これを「女の復讐」と呼んだのであった。
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ジョルジュ・サンドは生涯を通じて偏見と戦わねばならなかった。彼女の書簡の中で、最も親しかった友人達を相手にも、彼女が絶えず戦っていた跡を追うのは興味深い。友人達は、この女性の自由な様子、精神や風俗のまったくの独立ぶりに慣れることができなかったのである。彼女の内では、自然は誤りを犯した。
陰口好きの門番のお上とも言うべき社会が、社交界の人々、あの「偽善者」達が、この反抗する女性に対して、彼女の横柄な態度や、世論に対する深い軽蔑を咎めたということは、よく理解されよう。興味深いのは、知的な男性達もが、その種の狭隘さ、聖人のような誠実さ故の発作を見せた点にある。
男性は、女性を判断する際には決して正当ではない。いつでも、女性を男にあてがわれた一種の所有物だと考え、支配し、教化し、思いのままに閉じ込める、絶対的な権利を保持するのである。そして、自立した女性は、社会主義者が国王を憤慨させるように、男を怒らせる。
「世論とは」とジョルジュ・サンドは述べている。「一方は、醜く、冷淡で、卑しい女達の見せる不寛容、他方は、男達のからかいに満ちた、侮辱的な検閲。男達は、信心深い女性をもう求めないし、聡明な女性もまだ望まずに、いつでも忠実な女性を求めている。さて、女が同時に哲学者であり、貞淑でもあることは簡単ではない……
世論、それは魂も美徳も持たない者達の立てる規則……私が敬意を払う意見は、友人達の意見。」
母親に宛てた大変に美しい手紙の中で、彼女は述べている。「愛しいお母様、あなたは、大仰な規則を掲げる人達の、不寛容と偽りの美徳に苦しんでいらっしゃる……」
そして別の箇所。「我が反社会的な精神と、多くの人間が尊敬するものへの我が軽蔑。」
そして実際のところ、この女性の書簡全体の中には、一連の哲学的格言が見られるのであり、それは、驚くべき幅広さ、歪めようのない真実、穏やかな静謐さを備えているので、一冊の「社会的人間関係の手引き」を編むこともできるだろう。
間違いなく、彼女以上に、自由への活き活きとした感情、他者の資質への深い敬意、友人達の気質の持つ欠点、むしろ相違に対する寛容さを持つ者は多くはない。稀なる、愛想のよい知恵をもとに、彼女は友情、仲間意識についての原則を打ち立てている。彼女は言う。
「どんなものであれ、私はあらゆる性格を受け入れる。何故なら、その気質を作り変え、神経質の組織に多血質を、胆汁質に粘着質の組織を支配させるというようなことは、人間の権利に属さないと私は考えるからだ。生活習慣における我々の存在様式は、本質的に、我々の身体組織に由来するものと思うし、私と似ているから、異なっているからと誰かを咎めたりはしない。私が関心を抱くのは、思想や、真剣な感情の奥底である……
ああ! この世では、お互いに苦しめあい、欠点を辛辣に非難し、主人の身の丈に合わない一切を慈悲もなく断罪するとは、どんな怒りに我々は捕らわれているのだろうか?……」
そして絶えず姿を見せるのは、独立への抵抗しがたい欲求である。「通りに一人でいて、自分に言い聞かせること。四時に、あるいは七時に夕食を摂ろう、自分の快楽に従って。リュクサンブールを通ってチュイルリーへ行こう、シャン・ゼリゼを通る代わりに。もしそれが自分の気まぐれに適うなら……」
さて、道徳を説くプリュドム達の数えられない大群は、隠された過ち、聖水が清める罪を喜んで許す。だが一人の女性、ただの一女性が、彼等に向かってあえて告げるのである。「四時に、あるいは七時に夕食を摂ろう、自分の快楽に従って」と。彼等は叫ぶだろう。「なんということ! なんとおかしな女性なことか!」
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このような性質であれば、夫婦生活がやがて耐えられないものになったのも驚きではない。彼女の夫は、恐らくは、あらゆる男性の持つ支配本能を備えていただろう。彼女の側では、あらゆる強者の持つ反抗の本能があり、一緒に暮らすことは不可能となった。それまでは幾らか無頓着であった彼女は、デュドゥヴァン男爵と別れることを思ってもみなかったようだが、ある日、引き出しに彼の遺書を見つけ、死後開封と定められていたのだった。女性だったので、彼女は直ちにそれを開き、そこに彼女に対する疑いない非難を読んだ。決断は一瞬で下された。二人は友好的に別れ、彼女は三千フランの年金を持って、パリへとやって来た。
三千フラン、それはとても少なかった。彼女は自分の収入を増やす手段を思い巡らし、その時、執筆という考えが浮かんだ。「船出しよう」と彼女は記す。「文学という嵐の海へ。生きなければ。」
ここに、この注目すべき作家についてなされるべき、興味深い考察がある。それは、この作家は、全て偉大な芸術家がそうであるようには、自分の思考、ヴィジョン、感情、夢を翻訳したいという差し迫った欲求に、幼少時から駆られるということがなかった、ということだ。彼女には決して、あの芸術の震え、見出された主題、描かれるべき情景への感動、創造の陶酔、生産の幸福が見られない。書き留められたページへの深い喜び、仕事の最中の酩酊状態ではいつでもそれは完璧と思えるのだが、それも、彼女の血管に火を点し、頭を幾らか狂わせるようなことはなかった。いつでも必要な金銭のことばかりを考え、それも巨額の利益は望まず、慎ましい報酬で十分だった――楽に生活できるだけの。思想の産卵というこの立派な職業を、家具職人がテーブルを作るように、獲得する金のことを常に念頭に置きながらこなしたのである。そしてそこに、自立への大きな欲求と向かい合わせになった、主婦としてのたくましい本能、大変顕著な「ポトフ」的側面が見られるのである。
彼女は、普通の意味で「善き母さん」である。つまり、彼女は、この解放された、大変に優れた女性の内に人が望むような偉大さを持たなかった。
書簡の中の二十ばかりの箇所で、彼女は述べている。「つまり、私は何らかの利益によって、財産を増やすことだけを考えている。有名になりたいという野心は少しもないから、そうなることもないだろう……」――そして、少し後に。「それに、奇妙なことじゃないですか、文学が情熱になるのです……けれども、もしも栄光への愛が私を捕らえているとお思いなら、それは間違いです。私はただ幾らかお金を稼ぎたいだけです。」 「少なくとも私は、文学に対してまったくの余所者であって、それを生活の糧として扱えるだけ幸福なのです。」
つまり、ただ必要だけが彼女を芸術家にしたのであり、才能の自然な開花ではなかった。才能とは、その謎めいた種子が存在の内に投げ込まれれば、あらゆる障害を越えて、姿を現し、大きくなるものなのだが。
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だが、恐らくはただ性別の内に、芸術それ自身に対する、この無関心の理由を探さねばならないだろう。あらゆる情熱の中で、「芸術」のための「芸術」への愛は、間違いなく、最も私心のないものだ。金銭を得たいというまことに道理に適った欲望、名声を得たいという自然な欲求とは別に、芸術家は自分が生み出したものを、熱烈に愛するし、愛さなければならない。創作の時には、金も栄誉も思わず、自分の作品の素晴らしさを思うのである。自らの独創に震え、興奮し、自分自身の外に出たかのように、美を生み出す一種の機械となり、そして、ただそれが「良い」ものであると信じるが故に、自分の作品を愛するのだ。
そこで、次の点に注意する必要がある。すなわち、ジョルジュ・サンドは書簡の中で、金銭に関する考えを、栄誉のそれとはしばしば対立させるが、「芸術」と対立させることは決してないのである。
加えて、あらゆる女性において常に確認されることであるのだが、彼女達は、直接に自分の関心を惹かないどんな感情も、頑ななまでに受け入れない。 彼女達は、ある物やある概念に対し、公平な判定者となることができない。自分達の傾向、愛情、共感や反感から逃れて、何であれ、完全な無私の態度で評価することができない。ある物は彼女達の気に入るか、入らないか、誘惑するか、反感を買うか、どちらかである。絶えず、自身の個性が打ち勝ちがたく抵抗し、自分自身の外に出て、自分の性質に衝撃を与えるもの、自分の個性、信仰、内密な感情に何も訴えては来ないものを、美しいと宣言することは決してありえない。
「彼方」は、彼女達には縁がない。一言で言えば、女性は情熱的であり、無意識的であるが絶えず情熱的であり、自分達の内に閉ざされ、そうであるように宣告を受けている。
そういう訳で、ジョルジュ・サンドの百四十通の書簡の中に、個人的な事柄に関わらないものは、決して一行も見出せない。純粋な概念への飛翔もなければ、彼女や、友人達に関係のない考察もない。一分たりとも、自分自身の外に出て、先入見なく、個人的感情もなく、眺め、夢想し、思考し、話すだけの一個の精神となることはない。 自分であることをやめ、自分の「書く」ものになり、夢に見た人物達の中に生き直すという、奇妙で、力強いあの感覚も、彼女は抱いたことがないようである。そして、一日の労働の後、すっかり疲れた時に、彼女は友人達に向かい、ほとんど嘆かんばかりである。「そのためには、私は魂を持つ日を、オセロになる日を待つでしょう。今日の私は犬……心にある、力ある全てを、ウェイヌ紙の上に置いたのです。私の魂は印刷機の下、私の能力は職工長の手の中。忌まわしい職業! 私がそれに勤しむ日には、夜には何も残っていない。」
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情熱は絶えず女性である彼女を占拠し、時には奇妙なことを叫ばせる。「本当に、ルイ・フィリップ王は人類の敵ですわ」と彼女は言う。イヴトーの王も同様ではなかったろうか? 彼女は息子に書いている。「けれども、お前が大きくなるにつれて、貴族との付き合いの結果について、よく考えるようになるだろうさ。」彼女はダグー伯爵夫人(ダニエル・スターン)に宛てて書く。「実際、あなたが伯爵夫人であるのを私が忘れるには、あなたは大変お強くなければいけませんわ。」以上、矮小さと偏見とを持った女性の姿である。
それから、突然に、友人の一人が結婚すると、「あなたは結婚なさるのね、親しいお友達。善も悪も、「それ自身」で存在するのではありませんし、幸福は、不幸のように、それについて抱く概念の内にあるのですから、あなたが満足だとお感じなら、あなたは満足なさっているのです。」
これが、幅広く、自由な精神である。
彼女は別の友人に宛てて書く。「結婚とは、あらゆる種類の結合と幸福とに、あまりに反する状態なので、私は正当な理由があって、それを恐れています。」
サン・シモン主義者だった、また別の友人に宛てて。「いつか、あなたはもうどんな宗派も、どんな政党も、どんな社会体制もお信じにならなくなるでしょう。」
けれども、独立へのこの熱狂は長くは続かず、彼女が打ち負かされ、知性の自由の欲求と、女性としての信仰の欲求の間に悩むのが、いつも感じられるのである。それは何かに、誰かに対する信仰であり、宗教であったり、革命であったりする。
そして、あらゆる偉大な精神と同様に、彼女が、エゴイスム、狭隘さ、不寛容、人間の永遠の愚かさに、勇気を挫かれ、うんざりし、反発し、傷つけられるのがいつでも見える。「ねえ、あなた」と彼女はしばしば告げている。「人類は私の敵なのです」と。
『ゴーロワ』紙、1882年5月13日付