モーパッサン
「悲しい閑談」
« Causerie triste », le 25 février 1884
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1884年2月25日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載された記事。
カーニヴァル(謝肉祭)という時事的な題材を取りあげながら、悲観主義的な人生観を披歴した一文。6月に書かれるユイスマンス『さかしま』書評記事「彼方へ」とも通じるものがある一方、文中の「生きることは死ぬことなのだ」という文句は、翌1885年に刊行される『ベラミ』中の登場人物ノルベール・ド・ヴァレンヌを想起させる。短編小説や『女の一生』で成功を勝ち得たモーパッサンであるが、一方で病による体の不調を常に抱えており、悲観的な思想は年を追うごとに色濃く表に出てくることになるのである。
我々は一刻一刻と死に向かっているのだが、多くの人々はそこから目をそらし「幻想」l'illusionを追いかけている、という言葉は、パスカルの思想に接近している。ただし、モーパッサンにあっては、「神」もまた「幻想」の一つに過ぎない。
なお末尾にフロベールのサンド宛書簡からの引用が見られるが、当時モーパッサンは『サンド宛書簡集』Lettres à George Sand, Charpentier, 1884 の編纂に関わっていた。間接的な宣伝の意図が込められているのかもしれない。
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謝肉祭の日々がやって来た。人間の中にある動物が、集団で、群れとなって浮かれ騒ぎ、動物的な愚かさを露わにする日々である。
パリは謝肉祭の何たるかを分かっていない。いくつかの仮面が足早に通り過ぎるだけだ。恥ずかしそうに、群衆に軽蔑されながら。群衆は足取りもゆっくりで重々しく、休みだから出て来たというだけである。
ニースにこそ、文明化した野獣のこの祭りを見に行かなければならない! そこでは男も女も、民衆も上流人士も混ざりあい、針金でできた仮面をかぶり、顔に石膏をぶつけあうことに狂ったような快楽を見出だしている。激しい狂乱に扇動されたあの者達は、身振り手振りを交え、叫び、ぶつかりあい、紙吹雪や埃や砂利を投げつけあう。これらの人間のそれぞれの内で、一頭の獣が解き放たれたようだ。獣、あの忌まわしい獣人が、ひとたび放たれ口輪を外されると、姿を現し、吠え立て、酔っ払い、殴りあい、ぶつかり、荒らし、または殺しはじめる。恐ろしい獣が、戦争においては火をつけ、盗み、殺戮し、革命ならばギロチンにかけ、公の祭日には飛び跳ね、汗を流すのであり、その喜びの最中にも残忍さにおいてもおぞましい。
あの人々は、石膏で過ぎ行く人の目をくらませることにどんな馬鹿げた幸福を見出だすのか? ひじをぶつけあい、隣人を突き飛ばし、動き回り走り回り、叫び声をあげ、それだけ疲労しても何の成果もなく、無駄で乱暴なこうした運動の後になんの褒賞もないのに、どんな喜びがあるというのか?
顔にごみを投げつけあうためだけに寄り集まっているというのなら、どんな快楽を感じているというのだろうか? どんな楽しみもありはしないのに、どうしてこの群衆は喜びに熱狂しているのだろうか?
ずっと前からこの日のことを話題にし、それが過ぎると懐かしむのは何故なのか? ただ単に、その日には獣を解き放ったからなのだ! 慣習、礼儀、文明、法律の鎖が年がら年中縛りつけている犬に対するように、その獣に自由を与えてやるのだ!
獣人が自由になる! それが野獣の本性のままに自らを解き放って楽しむのだ。
個別の人間たちを恨んでもしかたはない。恨むべきは人間という種そのものなのである!
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しかしながら、それが快楽であり、それが幸福なのだ! 何日かの間、あの者たちは幸福なのだ。そう、それが幸福なのである! 多くの者にはそれ以上のものは必要ない。
快楽や幸福というこうした概念は、我々の内に執拗に生き生きとありつづけ、惨めな現実にもかかわらずそれを取り去ってしまうことはできない。
二十歳の時には人は幸福だ。何故なら力、血気、すぐ近くにありそうで決して到達できない甘美な出来事への不確かな希望があれば、ただ生きる喜びで打ち震える魂を花開かせるのに十分だからである。
だが後になって、目にし、理解し、知ってしまった時には! 白髪が現れ、三十代からは日々少しずつ力強さを、少しずつ自信を、少しずつ健康を失っていくのに、どうして幸福の可能性に対する信頼を維持できるだろうか?
古い家屋から年々歳々瓦や石が落ち、ひび割れが家の正面に皺を刻み、ずっと前から苔が新鮮さを失わせていくように、死は、不可避の死は絶えず我々の後を付いてきて、我々を破壊している。月を追うごとに、死は我々から、決して戻ることのない肌の瑞々しさ、二度と生えない歯、もう生えることのない髪の毛を奪ってゆく。死は我々の顔を歪め、十年のうちに、見分けのつかないまったく別の存在に我々を変えてしまう。我々が進むほど、死は我々を追いやり、弱らせ、酷使し、荒廃させるのである。
一瞬一瞬、死は我々を砕いている。我々の身体のこのゆっくりとした解体が始まって以降、毎日、毎時、毎分、我々は少しずつ死んでいく。息をし、眠り、飲み食いし、歩き、仕事に赴く。我々のすることはすべて、つまりは生きることは死ぬことなのだ! だがありがたいことに我々はそのことをほとんど思ってもみない! 我々はいつでも間近の幸福を期待し、謝肉祭で踊るのだ。哀れな存在ではないか!
***
どうしてそんな幸福を我々は夢見るのだろうか、夢見ることを知っている我々は? そんな風にして絶えず、我々の方へ走り寄って来る死以外の何を待っているのだろうか? どんな夢がかくも我々をあやし、かくも我々を騙すのか? それというのも、人類全体がいつも不確かななにか良いものを期待しているのである!
多くの者にとって、それは愛だ! いくつかの接吻、興奮に溢れた夜、長い見つめ合い、それから涙、つらい悲しみ、そして忘却、以上! 後には死である。
別の者にとっては、それは財産、生活の豪奢、人生の優美さ、痛風をもたらす上品な料理、数年で人を駄目にする祝宴、贅沢な家具と召使の敬意である。それは徒歩の代わりにランドー型馬車に乗って死へ向かって駆けることである。
また別の者にとって、それは権力、支配しているという傲慢な心、民衆の生活を変えるような書類にサインする権利であろうか? そこでどんな個人的なものが得られるというのか? どんな甘美なものが? どんな良いものが? また別の者にとって、幸福とは、事件もなく、動揺もなく、子供たちに囲まれた、質朴で誠実で実直な暮らしである。大通りのように平坦で、海のように何もなく、砂漠のように単調な人生。何も待たず、予想外のものは何も夢に見ず、特別なもの、驚くべきものは何も望まない、そんなことが、生き生きと脈動する精神を持つ者に可能であろうか? 背後に潜む死と未知なるものへの恐怖は、また別の者たちを修道院の奥での悔悛へと投げ込む。彼らはすべてを断念する。人生が、我々の哀れな人生がそれでもまだ我々に与えうる心地よいものを、神秘的な懲罰への不安と、永遠の褒賞への希望とから断念するのである。
これらエゴイスティックな臆病者たちは何を得られるというのだろうか?
我々の期待が何であれ、それはいつでも我々を欺く。ただ死だけが確実なのだ! 宿命的で全能なる死を私は信じる!
だが人々は謝肉祭で踊り、顔に石膏を投げつけあうのだ!
***
そして、地球も死んだ時には、我々の夢の、希望の、労働の、狂気の、動揺の、努力のうちの何物も残らないだろう! 何も、ただの思い出さえも!
すると、きっと火星か金星にでも住む詩人が、我々の破壊された地球について、エドモン・アロクール氏が月について言ったようなことを言うのだろう。
それから温かく、風の吹く黄金の時代。
月は生きた囁きの声に満ち溢れた。
底なしの海があり、無数の川があった。
動物の群れ、都市、涙に、陽気な叫び声、
月には愛があった。芸術、法律、神々があった……
それから月はゆっくりと影の中に帰って行った。
以来、若く熱かった口づけを感じさせるものはもう何もない。
老いた地球は、まだ天上に月の姿を探している。
全てはむき出しだ。だが夜には、はかない星が空をよぎる。
そして音もなくさ迷うその姿を見て、人は言うだろう。
亡くなった子供の魂が夜になると戻って来て、
母親が眠っている姿を眺めるのだと(1)。
***
いったい何が人間を支えているのか? 何が人をして人生を愛させ、笑わせ、楽しませ、幸福にならせるのか? それは幻想である。それが我々を包み、あやし、絶えず騙し、魅了する! それが我々に美しく見させ、薔薇色に見させ、それが太陽の光とともに我々の上に落ちて来るし、月の淡い光の中で我々の周囲を漂う! それが魅力的な川とともに我々の前を流れ、草とともに生え、花とともに咲き、ワインの中で発酵し、我々を酔わせ、誘惑し、狂乱させる。それが我々の忌まわしい永遠の悲惨さを我々の目から隠し、物の形を変え、常に存在する不幸を目にしていながら、絶えず逃げ行く幸福を我々に見させるのである。
それがなければ我々はどうなっているのか? どのようになることだろうか? それは永遠の希望、永遠の陽気さ、永遠の期待と呼ばれる。それは「詩」と呼ばれ、「信仰」と呼ばれ、「神」と呼ばれる! それのお蔭で母親は死んだ子供のことで慰められる。それのお蔭で老人もまだ笑うことができる! 白髪をして、もう決して黒髪を持つことがないのに笑っているとは、奇妙なことではないだろうか。
何人かの者は、この幻想、偉大なる嘘つきを失ってしまう。そして突然に人生を目にするのだ。本当の、色褪せた、裸の人生を。その者たちは自殺する。橋の上から川へと身投げしたり、マッチのリンやヒ素の白い粉を飲んだり、口に拳銃の銃身を突っ込んだりするのだ。
「嘘つき」のヴェールが一瞬持ち上がるだけで十分だ。裏切られた愛、地に堕ちた希望があれば十分だ。彼らは理解してしまう。ただちにけりをつけるほうがいいだろう。
別の者たちもまた、幸福な明日への静かな信頼が自分から遠のいていくのを感じる。死が彼らを恐れさせ、疑いが彼らを怯えさせる。そうした者たちは精神を惑わす酒を飲んだり、阿片を口にしたりする!
男も女も何千もの者が、毎日、モルヒネの入った液体を我が身に注射する。それが一瞬だけ、あの慰めとなる幻想を取り戻させてくれ、少しの間、今ではすっかり醒めてしまった普遍の美しい夢の内に眠らせてくれるのだ。
***
だが人々はもうそれを永遠に失ってしまい、もう見出だすことはできない。ギュスターヴ・フロベールは書簡の中で、途切れることのない大きな叫び声、幻想が破壊された涙ぐましい大きな叫び声をあげている。
「私は「幸福の可能性」を信じません。信じるのはただ平安だけです(2)」ここにはまだ否定しかない。ページをめくってみよう。
「私が書物を手にせず、一冊の本を書こうとも夢見なくなるや、叫びだしたいような憂鬱に襲われます。結局、人生というものは、それが隠されている時にしか耐えられるものとは思われません(3)」
「私は老人のように幼年時代の思い出に溺れていました……。もう人生には、黒く汚すための紙の束しか期待できません。無限の孤独の中を進みながら、どこへ行くのかも分かっていないような気がします。私は同時に砂漠であり、旅人であり、駱駝なのです(4)」
そしてまた別の箇所。――「苦痛に向いているのと同じようには、私は喜びに向いてはいないのです!(5)」
だがこうした者たち、悲しむ偉人たちがこの世を通り過ぎ、人間たちに絶望的なうめき声を投げつけると、他の者たち、群衆、謝肉祭で踊り、顔に石膏を投げあうのを好む者たちは、喜びの最中に振り返って、驚き、困惑する。彼らは機嫌を悪くし、哀れなる者に対して怒りをぶつける。――「こんな風に嘆くなんてこいつはいったいどうしたんだ? 我々を放っておいてはくれないのか?」
そして彼らは宣言するのである。「こいつは病人だ!」
『ゴーロワ』紙、1884年2月25日付
訳注
(1) Edmond Haraucourt, « Clair de lune », dans L'Âme nue, Charpenter, 1885, p. 26.(エドモン・アロクール、「月光」、『裸の魂』、シャルパンティエ書店、1885年所収。ただしモーパッサンがどこで読んだかは定かではない。)
(2) 1872年10月28日、ジョルジュ・サンド宛。
(3) 1873年7月20日、ジョルジュ・サンド宛。
(4) 1875年3月27日、ジョルジュ・サンド宛。
(5) 1875年5月10日、ジョルジュ・サンド宛。