『昔がたり』について

Sur Histoire du vieux temps



モーパッサン『昔がたり』  ギ・ド・モーパッサンによる一幕韻文劇。1874年、ゲテ座の懸賞に応募を考えて執筆、同時にフロベールに頼んで、オデオン座への上演を企図するが、いずれも不首尾に終わる。
 その後、79年2月19日に、フランス第三劇場(デジャゼ座)において上演される。伯爵をルロワール、侯爵夫人をドードワール夫人が演じ、劇評では好意的に迎えられた。
 3月、出版社トレスから、小冊子にて出版。600部刷られた内、市場に出たのは数百部という。事実上、世に出たモーパッサン最初の作品である。
 翌年出版の『詩集』(Des vers)巻末にも収録される。
 1899年3月2日、コメディー・フランセーズにおいて上演されるが、すでにモーパッサンの姿はなかった。
 以下に、初版に付された献辞の翻訳を掲載する。


  カロリーヌ・コマンヴィル夫人に

     奥様
 人がごく単純に「対話」と呼ぶであろうこの小品を、まだあなたお一人しかご存知ではなかった頃に、私はあなたにお見せしたのでした。公衆の面前で上演され、数人の友人たちからの賞賛を得た今日、あなたにこの作品を捧げることをお許しください。
 これは私の最初の劇作品ですが、すべてあなたに属するものです。それというのも、幼友だちであったあなたは、その後も魅惑的であると同時に真面目な友人でありました。そして、私たちを一層結びつけるべく、共通の愛情が、私が大変に敬愛するあなたの伯父上の愛情のことですが、いわば私たちを同じ家族の者同士にしてくれたのです。
 奥様、どうかこのささやかな詩句による尊敬の念を、真摯なる友人、古くからの仲間の、誠実で、敬意に溢れ、友愛に満ちた思いの証としてお受け取りください。
ギ・ド・モーパッサン
パリ、1879年2月23日


 文中の「伯父」はギュスターヴ・フロベールである。彼が我が娘のように愛していたカロリーヌとモーパッサンは親しい仲にあり、後にフロベールの遺稿の整理をモーパッサンは任せられることになった。


*****

 親しい友人である、老いた伯爵と侯爵夫人の対話から成る本作品は、小品ではあるが、文学修行時代のモーパッサンを知る上では興味深いものであろう。
 『詩集』所収の多くの詩篇や『リュヌ伯爵夫人の裏切り』同様、ここでもテーマは男女の恋愛であり、その眼目は男女による恋愛観の相違にある。男性の側は、女性は浮気なものと断定する一方、女性の側からすれば、女の心情を理解しない粗野な男性の側にこそ不和の原因がある。男女による恋愛観の違いは、後年の短編群においても頻繁に描かれ、重要なモチーフを形成する。
 前半の巧みな掛け合いに比して、後半における伯爵の回顧譚、そして結末の展開は感傷的であり、また創意に欠けるもののように見受けられる。だがここで、題に留意しておきたい。
 従来どうり『昔がたり』と訳した原題、Histoire du vieux temps は「古き時代の物語」 を意味する。二人の老人にとって、かつての青春時代は文字通り「古き時代」であるが、同時に二人が青春時代を生きたのは十八世紀末から十九世紀始めであり、二人はアンシャン・レジーム下において優雅を極めた貴族社会の代表である。
 その意味では、彼らの存在、そしてこの劇全体が「古き時代の物語」でもあるだろう。二人の老貴族が語る純真で、雅びな恋愛とは、ブルジョアの台頭した十九世紀において、既に失われてしまった過去の時代の象徴でもある。本作品に溢れるノスタルジーの念も、したがって個人的であると同時に、時代的・歴史的なものであるという二重性を帯びる。
 後に、とりわけ時評文の中で、モーパッサンはブルジョア社会の退廃を語り、十八世紀までの貴族社会にあった、真の社交性や文化のありようを追憶を込めて語るが、本作品にその構図を重ねあわせてみることも不可能ではない。ここではまだ、現代社会への諷刺という視線は鮮明ではないが、繊細な趣味と感傷によって、いたずらに上流社交界に迎合しようとしたところにばかり、作者の意図を読み取るのは適切ではないだろう。
 一方でたしかに、初演の際、周囲の自然主義文学者たちは、この作品を好意的には受け止めなかった。「私が十分に自然主義的でないので、「彼(ゾラ)の一派」は私から離れて行きます。「成功」の後、彼等の内の誰も、握手しに来てもくれませんでした」 (フロベール宛、1879年2月26日)。韻文によって貴族の感傷的なやりとりを綴る本作品が、自然主義の理念に適合しないのは明白であろう。逆に言えば、彼の側にこそ、自然主義との間に距離を置こうという意識がはっきりと存在した。
 七十年代、もっぱら詩と劇に力を注いだ若きモーパッサン。フロベールの教えを受け、自らの独創性を鮮明に打ちたてようという努力は、『詩集』においてある程度まで結実するに至るが、しかしそれさえも、十全と言えるものであったかどうかは疑わしい。
 『昔がたり』もまた同様に、二十代におけるモーパッサンの苦心の跡をありありと語っている。








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