ジャン・モレアス
「象徴主義」
Jean Moréas « Le Symbolisme », le 18 septembre 1886
(*翻訳者 足立 和彦)

ジャン・モレアス (Jean Moréas, 1856-1910) はギリシア出身の詩人。1875年よりフランスに滞在、イドロパットと名乗る文学青年たちと交流し、1884年に最初の詩集『流砂』を発表。86年には詩集『カンティレーナ』を公刊している。これらの作品にはヴェルレーヌの影響が窺われる。

モレアスによれば、新しい文学運動はつねに前世代のそれに対する反動として現れる。したがってそれは「退廃」などではなく、芸術表現の「ルネサンス(再生)」に他ならない。1830年代に栄えたロマン主義の後に登場したパルナシアン(高踏派)は、不十分な改革ゆえにロマン主義を再生させるには到らず、自然主義に駆逐された。しかし自然主義には反抗の価値しかなく、「思慮分別に欠け」ている。したがって現在の新しい文学運動こそがフランス文学の「再生」をもたらすものとなる、というのがモレアスの文学史観である。
次にモレアスは象徴主義芸術を語るが、その言葉は文字通りに「象徴」を説明するものとなっている。「客観的描写」に反対し、象徴主義詩は「〈概念〉に感覚的な形態をまとわせる」。形態は「秘教的な類似性」によって「根源的な〈概念〉」の表現に奉仕するという。その「総合」を表現するためには「複雑な文体」が必要であるとして、モレアスは自分たちの詩が難解だという批判に答えるとともに、「リズム」の重要性を主張している。
後半は「幕間劇」として、象徴主義詩の誹謗者と、テオドール・ド・バンヴィル (Théodore de Banville, (1823-91) との想像上の対話で構成されている。バンヴィルは高踏派を代表する詩人。1872年発表の詩の教則本『フランス詩綱要』のなかでは、ボワローが代表する古典派の韻律規則を批判し、ロマン主義の改革を称揚していた。韻律における破格の使用はすでに文壇の重鎮バンヴィルも認めるところだとして、モレアスは自分たちの詩的改革を正当化している。
言い換えると、ここでモレアスは高踏派を批判するというよりも、パルナシアンの改革を引き継ぐ者として自分たちを規定しているように見える。必ずしも象徴主義を高踏派に対する反抗と位置づけているわけではないことには注意が必要だろう。
評論の最後では、象徴主義小説について述べられ、その基本的性格は「主観的変形」にあると論じられている。
なお、この記事発表の直後の10月1日、モレアスはポール・アダン、ギュスターヴ・カーンとともに雑誌『サンボリスト』を創刊する。雑誌は4号まで刊行された。さらにポール・アダンと共著で象徴主義小説『グベール家の令嬢たち パリ風俗』(1886) を発表している。
1889年にはレオン・ヴァニエ書店より『象徴主義の最初の戦闘』Les Premières Armes du Symbolisme を刊行。モレアスからヴァニエへの書簡、ブルドの記事、モレアスの「デカダンたち」、「象徴主義」の2編、アナトール・フランスの評論「声明の吟味」(『タン』紙、1886年9月26日)、およびそれに対する反論「ジャン・モレアスからアナトール・フランスへの手紙」(『サンボリスト』、10月7日)がまとめられている。
モレアスは1891年には詩集『情熱的巡礼』を発表するが、そこでは象徴主義からの離脱の傾向が認められるという。
本評論において、モレアスは必ずしも革新的な事柄を述べているわけではない。新しい流派は既存の流派に対する反抗から生まれるという主張は、60~70年代にエミール・ゾラが自然主義を唱道する際に用いた論法の引き写しである。「象徴主義」の実態についての説明も、抽象的かつ一般的な議論に留まっていると言えるだろう。
だがそれでも、この記事の発表以降、象徴主義の呼称は広く普及し、世紀末の(文学に留まらない)芸術運動を指す呼び名として定着し、現在に到っている。その功績がモレアスにあることは疑う余地がないだろう。
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ある文学宣言
ある文学宣言
2年ほど前より、パリのジャーナリズムは「デカダン」と呼ばれる詩人や小説家の一派に関心を抱いてきた。『ミランダ家での茶会』(『自分』の著者ポール・アダン氏(1)との共著)の著者にして、『流砂』や『カンティレーナ』の詩人でもあるジャン・モレアス氏は、この文芸の改革者たちのなかで最も著名な一人である。その彼が、我々の求めに応じて「付録」の読者のために、新しい芸術表現の根本的原則を表明してくれた次第である。
象徴主義
あらゆる芸術と同様に、文学も進化する。その進化は循環的であり、厳密に定められたように回帰してくるのだが、時の流れと場の変動によって様々な変更がもたらされるために、その回帰は複雑なものとなる。芸術の進化の新しい段階のそれぞれが、老化による衰退、直前に栄えた流派の避けがたい終焉に正確に対応しているということを、わざわざ指摘するまでもないだろう。二つの事例を示せば十分である。ロンサール(2)は、マロ(3)の最後の模倣者たちの無能さを打ち倒したのであり、ロマン主義は、カジミール・ドラヴィーニュ(4)やエティエンヌ・ド・ジュイ(5)によって十分には守られていなかった古典派の残骸の上に、自分たちの旗を打ち立てたのだ。それというのも、あらゆる芸術表現は貧しく衰え、力尽きる宿命を持っているのである。それゆえ、コピーからコピーへと模倣を繰り返すうちに、生気と新鮮さに溢れていたものが干からびて縮まってしまう。新しく自発的であったものが、月並みな紋切型に堕してしまうのだ。
かくしてロマン主義は、ありとあらゆる反抗の騒々しい早鐘を打ち鳴らし、戦闘と栄光の日々を過ごした後には、力と優美さを失い、英雄的な勇敢さを捨て去ってしまった。おとなしく従うようになり、疑い深いと同時に分別臭くなった。パルナシアンたち(6)の立派ではあるがけち臭い試みのさなかにロマン主義が期待した再生は偽りのもので、最後には幼少時代に失墜した君主さながら自然主義によって退位させられたが、自然主義に対して人が真面目に認めるのは、当時流行していた何人かの味気ない小説家に対する抗議の価値だけであり、それは正当ではあっても思慮分別に欠けたものだった。
したがって新しい芸術表現が待たれていたのであり、それは必要で、不可避だったのだ。その表現は長らく卵のなかで温められていた後、今、ふ化したばかりなのである。ジャーナリズムで陽気に騒ぐ者の罪のない冗談、重々しい批評家の抱く不安、付和雷同の無気力さに浸っていて驚かされた公衆の不機嫌はすべて、日々一層、フランス文芸における現今の進化の持つ生命力を明らかにするばかりである。この進化について、あわてふためいた鑑定家たちが信じがたいほど相反する言葉を選んで、デカダンス(7)だと述べたてた。しかしながら退廃期の文学は本質的に頑固で、冗漫で、小心翼々としていて卑屈であると気づくべきだろう。たとえばヴォルテールの悲劇のすべては、デカダンスの老いた染みに覆われている。それに新しい流派に対して何を批判することができるだろう、何を批判するというのだろうか? 荘重さの乱用、隠喩の奇抜さ、新しい語彙、あるいはハーモニーが色彩やラインと組み合わされている。それはまさしくルネサンスの特徴である。
我々はすでに、芸術における創造的精神の現在の傾向を指し示すことができる、唯一道理にかなった呼び名として象徴主義の語を提示したのだった(8)。この名称は維持されうるだろう。
本記事の冒頭において、芸術の進化は循環的な性格を持ち、その性格は対立によって極端に複雑なものとなると述べた。したがって、新しい流派の正確な血統を辿るためには、アルフレッド・ド・ヴィニー(9)の幾つかの詩篇、シェークスピア、神秘主義者たち、さらに遠くまで遡る必要があるだろう。この問題について一冊の研究書が必要だろう。言ってみれば、シャルル・ボードレール(10)は現在の運動の真の先駆者に他ならないだろうし、ステファヌ・マラルメ氏(11)はその運動に神秘と筆舌に尽くしがたいものについての感覚を与えただろうし、ポール・ヴェルレーヌ氏(12)は自らの名誉をかけて詩句に対する冷酷な束縛を打ち破ったであろう。もっともその束縛をテオドール・ド・バンヴィル氏(13)の名高い指先がすでに和らげていたのだった。しかしながら〈至高の恍惚〉はまだ完遂されていない。粘り強く執拗な労働が、新人の到来を待望しているのである。
***
教訓、美文、偽りの感性、客観的描写に敵対して、象徴主義詩は〈概念〉に感覚的な形態をまとわせるが、その形態そのものが目的ではなく、形態はただ〈概念〉を表現することに奉仕するのであり、従属的なものに留まる。〈概念〉の側では、外的な類似性という豪華な長衣を欠いた姿を見せることは決してありえない。それというのも象徴主義芸術の本質的性格は、決して〈概念〉のそれ自体への集中には到らないという点に存するのである。したがってこの芸術においては、自然の情景、人間の行為、つまりあらゆる具体的な現象それ自体が表れることはないだろう。そこにあるのは感覚的外観であり、それらは根源的な〈概念〉との秘教的な類似性を表現するように定められているのである。
このような美学に対して読者から脈略なく投げつけられた難解だという非難には、人を驚かすようなものは何もない。だが、それに対してどうすることができようか? ピンダロスの『ピュティア』、シェークスピアの『ハムレット』、ダンテの『新生』、ゲーテの『ファウスト』第二部、フロベールの『聖アントワーヌの誘惑』(14)も、曖昧さを非難されたのではないだろうか?
その総合を正確に言語化するために、象徴主義には原型となる複雑な文体が必要である。汚染されていない言葉、波のようにうねって消えていく総合文と交互に現れるしっかり支えられた総合文、意味深い冗語法、神秘的な省略法、中断された破格構文、大胆で多様な形のあらゆる過剰。つまりは創始され、現代化された良き言語である。それは、ヴォージュラ(15)たちやボワロー=デプレオー(16)たち以前の良き、華麗なる、生き生きとしたフランス語であり、フランソワ・ラブレー(17)とフィリップ・ド・コミーヌ(18)、ヴィヨン(19)、リュトブフ(20)ら、トラキアのテッポウウオが湾曲する矢を放つように、自由気ままに鋭い言葉を投げつけた多くの作家たちの言語である。
「リズム」。それは生彩を与えられた古代の韻律法。博識をもって秩序立てられた無秩序。難解で流れるような韻の傍らにある、黄金と青銅の盾のように槌で鍛えられた夜明けの韻。終わりが多様であり可動的な十二音節。七、九、十一、十三といった幾つかの奇数脚の使用。それらの数は、それらが総数となるような様々なリズムの組み合わせの中に解消されている。
***
ここで、私は諸君に私のささやかな幕間劇にお立合いいただくようにお許し願いたい。この劇は貴重な書物『フランス詩綱要(21)』から引き出されたものである。この書においてテオドール・ド・バンヴィル氏は、クラロスの神(22)さながらに無慈悲にも、多くのミダスの頭に怪物じみたロバの耳を生やさせたのである(23)。
ご注意を!
劇中で話す人物は:
象徴派の誹謗者
テオドール・ド・バンヴィル氏
エラト(24)
第一場
誹謗者 おお! このデカダンたちよ! なんと大げさなこと! 訳の分からない言葉!
人が得意になるもってまわった文体は
良き性質や真実から外れているのです(25)
と述べた我らが偉大なるモリエールはなんと正しかったことか。
テオドール・ド・バンヴィル 我らが偉大なるモリエールはそこで出来の悪い詩句をひねっており、それ自体が能う限り良き性質から外れているのです。そもそもどのような良き性質か? どのような真実か? はっきりとした無秩序、明々白々たる錯乱、情熱的な誇張は叙情詩の真実そのものなのです。文飾や色彩の過剰に陥ったとしても罪は大きくはなく、それによって我々の文学が滅びるのでもありません。第一帝政時代のような最悪の日々に文学が決定的に死に絶えるとしても、文学を殺すのは誇張や装飾過剰ではなく、凡庸さなのです。趣味、自然さは良きものですが、間違いなく人が思うほど詩にとって有用ではありません。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』は端から端までマスカリーユ侯爵(26)と同じくらい気取った文体で書かれています。デュシス(27)の文体は最良かつ最も自然な単純さで際立っています。
誹謗者 だが区切りは、区切りはどうなのです! 区切りの規則は破られてしまった!!
テオドール・ド・バンヴィル 1844年に発表された優れた韻律論のなかで、ウィレルム・テナン氏(28)は、アレクサンドランの詩句は、第一音節の後に区切りを持つ詩句から始まり、十一音節の後に区切りを持つ詩句に到るまで、十二通りの異なる組み合わせを許容するということを論証しています。それはつまり、現実には、アレクサンドランのどの音節の後にも区切りは置かれうるということです。同様に彼は、六、七、八、九、十音節の詩句も、色々な位置に置かれる変動的な区切りを容認すると論じています。さらに進んで、完全な自由を要求し、これらの複雑な問題においてはただ耳だけが決定できるのだとあえて言いましょう。いつでも人が命を落とすのは、大胆過ぎたからではなく、十分に大胆ではなかったからなのです。
誹謗者 なんということ! 韻の交替の規則を守らないとは! あなたはご存じですか、デカダンたちはあえて母音衝突を行うのですよ! 母音衝突さえも!!
テオドール・ド・バンヴィル 母音衝突、詩句のなかで音節をなす二重母音、その他すべての禁じられていること、そしてとりわけ男性韻と女性韻の任意の使用は、常に変化に富み、予想外で、尽きることのない繊細な効果をもたらす無数の手段を天才的な詩人に提供していたのです。ですがこの複雑で学問的な詩句を用いるには、天才と音楽的な耳が必要だったのに対し、定められた規則があれば、最も凡庸な作家であってもそれを忠実に守っていさえすれば、ああ!、まずまずの詩句を作ることができるのです! 詩を規制することによって得るものがあったのは誰でしょうか? 凡庸な詩人たちです。彼らだけなのです!
誹謗者 それでもロマン主義の革命は……。
テオドール・ド・バンヴィル ロマン主義は不完全な革命でした。手を血で染めて勝利したヘラクレスたるヴィクトル・ユゴー(29)が、完全に革命家ではなく、炎の矢で絶滅させる任を負っていた怪物の一部を生き残らせたことは、なんと残念なことでしょう!
誹謗者 改革というものはいかれたものです! ヴィクトル・ユゴーを模倣すること、そこにフランス詩の救済はあるというのに!
テオドール・ド・バンヴィル ユゴーが詩句を解放した時、彼の例に教わることで後続の世代の詩人たちは、自由であること、そして自分自身にしか従わないことを望むだろうと、人々は信じたことでしょう。ところが我々のうちにあっては従属願望があまりに強いので、新しい詩人たちは我勝ちにと、ユゴーにおいて最も普通の形式、組み合わせ、区切れを写し、模倣し、新しいものを見つけようとはしなかったのです。そういうわけで軛におあつらえ向きの我々は、ある奴隷状態から別の奴隷状態に陥ったわけで、「古典派の紋切型」の後には「ロマン主義の紋切型」があったという次第です。区切りの紋切型、文の紋切型、韻の紋切型です。そして紋切型、すなわち慢性状態に到った決まり文句は、詩においてであれ他の何においてであれ、それは〈死〉なのです。反対に、生きようとしようではありませんか! 生きるとは空の空気を吸うことであり、隣人の吐いた息を吸うのではありません。その隣人が神であったとしても!
第二場
エラト(目に見えない) あなたの『フランス詩綱要』は見事な書物です、バンヴィル先生。ですが若い詩人たちは血気盛んに、ニコラ・ボワローによって育てられた怪物と戦っています。戦場であなたの名が呼ばれています。それなのにあなたは沈黙している、バンヴィル先生!
テオドール・ド・バンヴィル(夢見心地に) しまった! 私は年長者として、抒情詩人としての義務に背いてしまったのだろうか!
(『流刑者たち』の著者は哀れなため息を漏らし、幕間劇は閉じられる。)
***
散文――長編小説、中編小説、短編小説、幻想小説――もまた、詩と同様の方向へと進化する。表面上は雑多な要素がその進化に貢献している。スタンダールは半透明の心理学を、バルザックは目を大きく見開いた視界を、フロベールはゆったりと渦を巻くような文章のリズムをもたらした。エドモン・ド・ゴンクール氏は現代風に暗示的な印象主義をもたらした。象徴主義小説の構想は多様な形態を取る。ある時には、唯一の人物が、彼固有の幻覚や彼の気質によって歪められた場のなかで生きている。この変形のなかに唯一の現実が潜んでいるのだ。機械的な動作をし、影になったシルエットを持つ者たちが、この唯一の人物の周囲を動き回る。彼らは彼にとって感覚と推測をもたらすきっかけでしかない。彼自身も悲劇的、あるいは滑稽な仮面だが、合理的ではあるものの完全な人間性を備えている。――時には、周囲の表象の全体によって表面的に影響を受けた群衆が、衝突と停滞を繰り返しながら未完成に留まる行為へと向かってゆく。時折、個人の意思が表明される。その意志は互いに引きつけ合い、寄り集まり、一般化して一つの目的へと到るが、その目的は到達される場合もされない場合も、それらの意志を分散させ、原初の要素へ還元する。――時には呼び出された神話的幻想が、古代のデモゴルゴン(30)からベリアル(31)まで、カベイロス(32)からニグロマン(33)までが、キャリバン(34)の岩の上やティターニア(35)の森を通って、バルビトス(36)やオクトコルド(37)がミクソリディア旋法(38)で奏でられるなか、豪華に飾り立てられて姿を現す。
こうして、自然主義の子どもじみた方法を軽視し、――ゾラ氏は作家としての見事な本能によって救われている――、象徴主義=印象主義小説は、主観的変形による作品を築き上げる。それは以下の公理に支えられている。すなわち、芸術は対象の内に、極端に簡潔な出発点しか求めはしないのである。
ジャン・モレアス
『フィガロ』紙、文芸付録、1886年9月18日
Le Figaro, supplément littéraire, 18 septembre 1886.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
『フィガロ』紙、文芸付録、1886年9月18日
Le Figaro, supplément littéraire, 18 septembre 1886.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
訳注
(1) Paul Adam (1862-1920):小説家。自然主義(『柔らかな肉体』(1885))と象徴主義(『ミランダ家での茶会』(1886))のあいだでためらった後、歴史や社会に関心を示すようになった。『自分』(1886)、『赤いドレス』(1891)、『群衆の神秘』(1895)、『力』四部作 (1899-1903)。
(2) Pierre de Ronsard (1524-1585):詩人。プレイヤッド派の指導者としてフランス詩の改革に貢献した。『オード四部集』(1550)、『恋愛詩集』(1552) や、フランス建国叙事詩『フランシヤッド』(1572) など。
(3) Clément Marot (1496-1544):詩人。プロテスタンティズムに傾倒し、迫害を受けながら詩作を行った。『クレマンの青春』(1532)、『地獄』(1542) など。
(4) Jean-François Casimir Delavigne (1793-1843):詩人・劇作家。ロマン派の先駆けに位置する。ワーテルローの敗北後に発表した詩篇『メッセニアの女たち』(1815) で成功を収めた。戯曲に『シチリアの晩鐘』(1819)、『俳優たち』(1820)、『マリーノ・ファリエロ』(1829) など。
(5) Joseph Étienne, dit Étienne de Jouy (1764-1846):劇作家。スポンティーニ『ヴェスタの巫女』(1807) や、ロッシーニ『ウィリアム・テル』(1829) の台本作者として知られる。
(6) Parnassiens:パルナス派、高踏派。ルメール書店刊行の『現代高踏詩集』に集った詩人たちを指す。ルコント・ド・リール (1818-1894)、テオドール・ド・バンヴィル (1823-1891)、シュリ・プリュドム (1839-1907)、カテュール・マンデス (1841-1909)、フランソワ・コペ (1842-1908)、ジョゼ=マリア・ド・エレディア (1842-1905) など。
(7) Décadence:デカダンスは「退廃」を意味する語。19世紀後半の一連の作家がデカダン派と呼ばれるようになる。退廃的、虚無的、病的な唯美主義を特徴とする。一般にその祖はボードレールとされ、ユイスマンス『さかしま』(1884) が、デカダンスの傾向を顕著に示すものと考えられている。
(8) 『19世紀』紙、1885年8月11日の記事「デカダンたち」のなかで、モレアスはポール・ブルドの批判に返答する形で「デカダン」を退け、「象徴主義」の呼び名を提唱した。
(9) Alfred de Vigny (1797-1863):詩人・小説家。ロマン主義を代表する作家の一人。孤独感と厭世観を湛えた作風で知られる。『古今詩集』(1826)、歴史小説『サン=マール』(1826)、『軍隊の屈従と偉大』(1835)、戯曲『チャッタートン』(1835) など。
(10) Charles Baudelaire (1821-1867):詩人、批評家。詩集『悪の華』(1857) で近代人の孤独・苦悩を歌い、近代詩に革新をもたらす。後の象徴主義に大きな影響を与えた。ほかに散文詩集『パリの憂鬱』(1869) などがある。
(11) Stéphane Mallarmé (1842-1898):詩人。ポーやボードレールの影響のもとに独自の手法を追求し、象徴主義の指導者的位置にあった。詩篇に『エロディアード』(1871)、『半獣神の午後』(1876)、『賽の一振り』(1897) など。散文集に『ディヴァガシオン』(1897) がある。
(12) Paul Verlaine (1844-1896):詩人。高踏派との交流のなかで詩作を行い、『サチュルニアン詩集』(1866)、『艶なる宴』(1869) などを発表。年下の詩人ランボーを発見、交流を深めた。象徴主義を代表する詩人として晩年名声が高まった。
(13) Théodore de Banville (1823-91):詩人。詩集『人像柱』(1842) や『綱渡りのオード』(1857)、『流刑者たち』(1867) などで名声を確立。高踏派を代表する一人となる。
(14) ギュスターヴ・フロベールの『聖アントワーヌの誘惑』は1874年に刊行された。聖アントワーヌの前に異教の神々が次々に訪れる。象徴派の芸術家に愛好され、オディロン・ルドンはこの作品を題材にリトグラフを制作している。
(15) Claude Favre, baron de Pérouges, seigneur de Vaugelas (1585-1650):文法家。ラテン語規範の文法を離れ、上流社会で話されるフランス語を観察、記述した。主著『フランス語覚え書き』(1647) は長らく規範として尊ばれた。
(16) Nicolas Boileau-Despréaux (1636-1711):詩人・批評家。古典主義文学理論の確立者として知られる。『諷刺詩集』(1666-1716)、『詩法』(1674) など。
(17) François Rabelais (1483頃-1553):作家。『パンタグリュエル』(1532)、『ガルガンチュア』(1534) 等の小説において、古典に基づく該博な知識と言葉遊び、造語、スカトロジーとを混ぜ合わせた一大世界を創造、その作品はユマニスム文学最大の成果と言える。
(18) Philippe de Commines (1447-1511):フランドル出身の政治家・歴史家・記録文学者。ルイ11世、シャルル8世時代の記録を残す。
(19) François Villon (1431頃-1463以降):詩人。殺人・窃盗などを犯し、入獄と放浪の生涯を送った。『遺言詩集』(1461-62) など。
(20) Rutebeuf:13世紀後半の詩人。詩人・劇作家。多様な作品を物語詩dit の形で残す。『テオフィルの奇跡劇』などで知られる。
(21) Le Petit Traité de poésie française (1872):バンヴィルによる詩論。古典派を批判し、ユゴーが代表するロマン主義の詩法を高く評価し、特に韻の重要性を説いている。
(22) 古代ギリシアの聖域クラロスにはアポロンの神託所があった。
(23) ギリシア神話においてフリュギア王ミダスは、パンの笛とアポロンの竪琴の勝負についてパンに軍配を上げたため、アポロンによって耳をロバの耳にされてしまう。『フランス詩綱要』において詩法を説いたバンヴィルをアポロンになぞらえた表現。
(24) Erato:ギリシア神話におけるムーサの一人。独吟叙情詩を司り、竪琴を持った姿で表される。
(25) モリエール『人間ぎらい』、第1幕第2場、アルセストの台詞。
(26) le marquis de Mascarille:モリエール『才女気取り』(1659) の登場人物。下男だが貴族の振りをする。
(27) Jean-François Ducis (1733-1816):劇詩人。古典悲劇の諸規則に合致するようにシェークスピアの翻案を試みた。
(28) Wilhelm Ténint (1817-1879):ロマン派詩人。1844年に『現代流派の韻律法』を出版し、ロマン派の詩法を擁護した。
(29) Victor Hugo (1802-1885):詩人、劇作家、小説家。戯曲『クロムウェル』(1827) や『エルナニ』(1830)、『東方詩集』(1829) などによってロマン主義を主導した。第二帝政期には国外に亡命、小説『レ・ミゼラブル』(1862)を発表した。
(30) Démogorgôn:神または悪魔とされる神話的存在。ボッカチオ『異教の神々の系譜』で描かれて以降、ラブレー『第三の書』、『第四の書』やミルトン『失楽園』などに言及が見られる。
(31) Bélial:ユダヤ教、キリスト教における悪魔の名前。
(32) Cabires:古代ギリシアの豊穣の神々。モレアスはKabiresと綴っている。
(33) Nécromans:降霊術師。死者の霊との交流によって未来を占う。モレアスはNigromansと綴っている。
(34) Caliban:シェークスピア『テンペスト』の登場人物。魔女シコラクスの息子。
(35) Titania:シェークスピア『夏の夜の夢』に登場する妖精。オーベロンの妻。
(36) barbitons:竪琴に似た古代の楽器。
(37) octocordes:8弦からなる楽器。
(38) modes mixolydiens:古代ギリシアのソから始める旋法。