アルフォンス・ドーデ
「ギィ・ド・モーパッサン」
Alphonse Daudet, « Guy de Maupassant », le 8 mars 1893
(*翻訳者 足立 和彦)

アルフォンス・ドーデ(1840-1897)は作家。南フランスにニームに生まれる。家業が破産したため、田舎町アレのコレージュの代用教員を務めた。1857年、兄エルネストを頼ってパリに上京、ボヘミアンの生活を送る。1858年詩集『恋する女たち』出版。1860年から65年まで、シャルル・ド・モルニー(ナポレオン三世の異母弟、62年に公爵)の秘書を務めた。
プロヴァンス地方を舞台とした短編集『風車小屋だより』(1869)、普仏戦争を描いた『月曜物語』(1873) などの短編が今日も広く読まれている。自伝的小説『プチ・ショーズ』(1868)、南仏人を滑稽に描く『タラスコンのタルタラン』 (1872) の他、当時の風俗を捉えた長編小説を多数執筆した。『若いフロモンと兄リスレル』(1874)、『ジャック』(1876)、『ナバブ』(1877)、『亡命の諸王』(1879)、『ニュマ・ルメスタン』(1881)、『福音伝道師』(1883)、『サフォー』(1884)、『不滅の人』(1888)、『小教区』(1895)、『大黒柱』(1898) など。回想録に『パリの三十年』(1887) がある。
モーパッサンは、フロベールの仲介で1875年頃にドーデと知り合いになった。ドーデの言葉にあるように、モーパッサンは1876年3月10日の『ビュルタン・フランセ』に短編「ボートに乗って」(「水の上」の初稿)を掲載しており、これはドーデの仲介によるものだったと思われる。3月11日の書簡には、ドーデ、フロベール、トゥルゲーネフのもとで学ぶ自分の姿を描いたデッサンが見られる。
しかし、78年3月21日の母親宛ての書簡では「目下、コぺとは最良の関係にあります。ドーデとの間は常に冷えており、ゾラとは友愛に満ちた関係です」と述べられている。79年2月26日のフロベール宛ての書簡では、戯曲『昔がたり』についてのドーデの評価が「不実」だと述べており、両者の関係はあまり友好的でなかったように窺える。80年代にも、モーパッサンがドーデについて記事を書くことはなかった。
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ギィ・ド・モーパッサン
ギィ・ド・モーパッサン
診断とはなんと結構なものだろうか!
一年か、恐らくは二年の間、私はギュスターヴ・フロベール宅の毎日曜の午前の集いでモーパッサンに会っていた。フロベールは彼を可愛がり、彼が言葉を発する度に振り返っては、お爺ちゃんのような視線と優しい笑みを見せるのだった。これも同じ時期に、まだ無名だったモーパッサンは頻繁に、私の以前の住まいの不揃いだが立派な階段を四階まであがってきたものだった。それはラモワニョン荘のことで、そこに彼の親戚の一人、引退した砲兵隊の大佐が住んでいたのである。毎回、彼は短編や所感など、百五十から二百行の文章を持参しては、「どこかに載せてほしい」と頼んできたもので、私が思うに、彼はそれについてフロベールに話してはいなかっただろう。そうした短編のうちの一つか二つかは『ビュルタン・フランセ』に発表されたはずだが、どんな筆名を使っていたかは知らない。題名? 主題? そうしたことはもう私には遠い昔の話だ。だが確かなことは、大家たる作家のそれらの最初の頁にも、彼のおしゃべり、顔立ち、身振り、物腰の中にも、何も、まったく何も、我々の中に靄に覆われて、見事な個性を備えた、力強い人間機械たるモーパッサンがそこにいるということを私に告げてはいなかった。彼の目だけが時折、私を不安にさせた。視線が定かではなく、閉ざされ、捉えがたく、考えを表に出さない目、陰のあるめのうのような目は、光を吸収し、反射することがないのだった。その点を除けば、とても普通の顔つきだった。そして首のがっしりした、濃いシードルのように晴れやかな顔色をしたこのノルマンディー出身の青年が、他の多くの者たちのように、彼の天職についての本当のところを相談してきたなら、私はためらうことなく「書くのをやめたまえ」と答えたことだろう。
診断とはなんと結構なものだろうか!――アルフォンス・ドーデ
アルフォンス・ドーデ「ギィ・ド・モーパッサン」、『エコー・ド・パリ』、1893年3月8日 付録モーパッサン特集
Alphonse Daudet, « Guy de Maupassant », L'Écho de Paris, supplément « Guy de Maupassant », 8 mars 1893.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
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Alphonse Daudet, « Guy de Maupassant », L'Écho de Paris, supplément « Guy de Maupassant », 8 mars 1893.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
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