カテュール・マンデス
「ギィ・ド・モーパッサン」

Catulle Mendès, « Guy de Maupassant », le 8 mars 1893



「ギィ・ド・モーパッサン」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 解説 1893年3月6日、コメディー・フランセーズでモーパッサンの戯曲『家庭の平和』が上演されたのに合わせて、8日、日刊紙『エコー・ド・パリ』は、別冊付録でモーパッサンの特集を組み、多数の作家がモーパッサンについてコメントを寄せた。以下にカテュール・マンデスの回答を訳出する。
 カテュール・マンデス(1841-1909)は詩人、小説家、劇作家。ボルドーに生まれ、トゥールーズで幼少期を過ごす。1860年に『ルヴュ・ファンテジスト』を創刊。63年最初の詩集『フィロメラ』刊行。若い詩人たちと交流し、1866年に第一次『現代高踏派詩集』を刊行し、高踏派の中心人物のひとりとなる。66年にテオフィル・ゴーティエの娘ジュディットと結婚(後に離婚)。1875年末から77年にかけて『文芸共和国』誌を刊行。1884年から『民衆生活(ラ・ヴィ・ポピュレール)』誌の編集に携わっている。
カテュール・マンデス  詩作の他に、多くの小説・戯曲を残した。小説に『敵対する母親たち』(1880) 『童貞王』(1881)など、戯曲に、ゴーティエ原作の『キャプテン・フラカス』(1878)や『女王フィアメット』(1889)等。オペラ『グゥエンドリン』(1886、エマニュエル・シャブリエが音楽)、『イゾリーヌ』(1888、アンドレ・メサジェが音楽)でも成功を博した。リヒャルト・ワーグナーのフランス紹介を最も早くに行ったことでも知られ、ワーグナーの評伝(1886)がある。

 モーパッサンはフロベールの仲介で『文芸共和国』に詩篇を掲載し、この際にマンデスと知り合った。1876年と推定される書簡第58信では、マンデスによるフリー・メイソンへの入会の誘いを断っている。
 80年代に『民衆生活』はモーパッサンの中短編を多数再録しており、この頃にマンデスとの交流が深まった。小説「遺産」(1884)にはマンデスへの献辞が見られる。マンデスが編集を務めていた『エコー・ド・パリ』にも晩年の小説が掲載された。


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ギィ・ド・モーパッサン


 何よりもまずギィ・ド・モーパッサンの内で賞賛すべきと私に思われるのは、能力と意図とのあいだの完璧な均衡である。知性の稀なる叡智によって後者を前者にまで還元したにせよ、あるいは、制作の前に長い時間をかけて努力することによって前者を後者にまで高めたにせよ、両者は同じレベルに達し、一致し、正確に互いに適合し合っている。それゆえに創造の営みは豊穣かつ平穏に続けられ、絶頂も失墜もなく、そして実現された作品においては、あの秩序、あの裏のないユーモア、あの満足があり、それは辛辣だったり心を乱させたりするような主題と結びつく時にも、我々に静謐さを伝えるのである。――カテュール・マンデス


カテュール・マンデス「ギィ・ド・モーパッサン」、『エコー・ド・パリ』、1893年3月8日 付録モーパッサン特集
Catulle Mendès, « Guy de Maupassant », L'Écho de Paris, supplément « Guy de Maupassant », 8 mars 1893.

(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)


(*翻訳者 足立和彦)

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