「畜生!」
« Zut ! », le 5 juillet 1881
(*翻訳者 足立 和彦)

6月29日の『ゴーロワ』紙に寄せた「トランペットの音」と題する記事のなかで、リシュパンはイタリアによる侮辱に対し、フランス人が憤慨することを求めた。モーパッサンは、人々が愛国心に駆られて抗議の声をあげているのではないかと町を歩いてみたが、誰もそんなことは考えていなかったとし、人々の落ち着いた反応を称えている。
背景にあるのはチュニジアを巡るフランスとイタリアの対立である。1881年5月12日にフランスとチュニジア総督との間に結ばれたバルドー条約によって、チュニジアの保護国化が始まったのに対し、イタリアから抗議の声があがっていた。モーパッサンは4月10日の記事「戦争」において、フランスの植民地進出を批判していたが、ここで改めて反戦の立場を主張している。
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畜生!
畜生!
「ジョゼフ!」
「旦那様?」
「槍と盾を持って参れ!」
「なんとおっしゃる?」
「私の槍と盾を持ってこい」
「でも旦那様……」
「急ぐのだ、愚か者め。そして従者に、軍馬に鞍を置くように言うのだ。彼方、イタリアで人々が我々を侮辱しているらしい。おのれ! この私が槍で舌をあごに打ちつけてくれるわ、やかましい貧民どもめ。
***
恐らくは先日、この新聞紙上で時評文執筆家の戦争への呼びかけ(1)を読んだ後、平和なブルジョア市民の多くが「使用人」相手に以上のような言葉を交わしたのだろう。
この呼びかけは響きよく、高邁なものだった。それはよくとどろき渡ったので、人々の眠っていた勇気を揺り動かしたに違いない。私自身、最初の瞬間には槍と盾を要求しかけたのだった。私は考えた。「ああ! 向こうで我々は侮辱されている。ああ! 人々は叫んでいるのだ、フランスを倒せと! 結構だとも! 隣人たちよ、どうなるか見てみようじゃないか!」
そして私は起き上がった。
開いた窓からは、見事な日の光が入ってきていた。澄みきった空に鳥の歌声が聞こえていた。住居の前を流れる川のさざめきが、田園のぼんやりとした物音と一緒に私のベッドまで届いてきていた。
私の部屋では、すべての書物が棚に収まっていた。大きな机の上では、書き始めた小説が、昨晩書き残した空白の残る頁で止まっている(2)……。そこで私はまた考えた。「だが……、実際のところ、向こうではそんなに我々のことを侮辱しているのだろうか?」私はまだ少し眠かった。そこで再び布団に潜り込み、目を閉じたまま考えた。「いや、この私は侮辱されているようには感じない。」英雄的な考えや、昔日のあらゆる偉大な感情、それに愛国心でもって自分を奮い立たせてはみた。――私はもう一度眠りに落ちていた。
***
服を着た後、もう一度じっくり考えてみた。
「恐らく、私は自然界における怪物、情け知らず、ろくでなしなのだろう。他の人の意見を聞いてみる必要がありそうだ」
ちょうどよく、川岸で、多くの人と同じように見え、顔つきもろくでなしではないらしい一人の紳士が、のんびりと釣りをしていた。私は近づいていって、礼儀正しく挨拶した。
「すみません、お邪魔でしょうか」
彼は答えた。
「構いませんよ、あなた」
そこで勇気づけられて、私は尋ねた。
「あなたは侮辱されたと感じていますか?」
彼は驚いて聞き返した。
「誰にです?」
そこで、私は英雄的に聞こえるように大声を出して、彼に向かって叫んだ。
「イタリア人たちにですよ、まったく!」
彼は静かに答えた。
「あなたはどうかしているのですか? 私はイタリア人のことなど気にしませんよ。」そこで私は理由を積み上げ、好戦的な言葉を次々と繰り出し、効果をあげようと工夫しながら、彼が奮い立たないかと見張っていた。確かに、彼は奮い立ったようだった。目に火が点り、手の内で釣り竿が揺れていた。そして突然、私のほうに振り向いたが、その顔は燃え立ち、唇は震えていた。私は考えた。「ほら、やっぱり!」 ああ! まったくその通り! いきり立った彼は私の鼻先でわめいた。
「あなたの戯言から、私を放っておいてくれませんかね? 魚がかかっているのが見えないのか、このいまいましいおしゃべりが!」
引き下がるよりなかったので、私はそうした。
だが考えに取り憑かれたまま、日中、私は列車に乗ってパリへ出た。大通りで向こうから一人の友人がやって来た。それはまさしく人が気難し屋と呼ぶ人物だった。私は彼に尋ねた。
「やあやあ! 君は戦争へ行く準備をしているのかい?」
彼は驚いて答えた。
「どの戦争の話をしているんだい?」
私は驚いて憤慨する振りをしてみせた。
「だって、イタリアとの戦争だよ。向こうでは毎日、我々のことを侮辱しているんだぜ」
彼は答えた。
「僕にはイタリアはほとんどどうでもいいね。叫びたいだけ叫んだら、おとなしくなるだろうさ。滑稽なほら吹きというところだよ」
私は彼と別れた。
少し進んだところで、かつてのコミューンのメンバーの一人(3)に行き当たった。実のところ、彼の鋭い精神は大いに気に入っている。それに彼には作家としての見事な才能があり、立派な大家だ。彼は自分の大義のために気のふれたように戦った。思考の絶対的な独立性、出来合いの決まり文句や信仰に対する軽蔑ゆえに、彼は同僚からも疑われている。私は彼に尋ねた。「それでイタリアについてはどうお考えですか? 戦争になるんじゃありませんか? 今ではそれは不可避でしょう。」彼は答えた。「たくさんです! そうしたこと全部、チュニスやその他もぜんぶ愚かなことです!」それから少し考えた後に、彼は付け加えた。「そのような愚かなもののために戦いたければ戦えばいい。私は、内戦に備えているんです!」
この返答の滑稽さは面白かった。そして、私は自分の調査を終えて立ち去ったのである。
***
だが道々、「私は、内戦に備えているんです」という文について考えた。最初、それはぞっとするようなことに思えた。昔からの大げさな言葉が記憶に蘇ってくる。「同国人どうし、同じ言葉を話す者どうし、兄弟どうしの戦争とは、恐ろしいものだ。」だがよく考えてみると、少しずつ意見が変わってくる。哲学的な決まり文句を遠ざけるに到り、一人で考え、自問するのだ。「だが彼は正しい。あの男は確かに正しい! 論理的なのはただ一種類の戦争だけであり、それは内戦なのだ。そこにおいては、少なくとも自分がなぜ戦っているかが分かっているのだから。」
真の憎しみとは、家族のあいだの憎しみ、近しい者のあいだの憎しみであり、それというのもあらゆる利害がかかっているからだ。同じ理由から、真の戦争は同国人どうしの戦争ということになる。それというのも毎日、毎時間、戦っているからであり、嫉妬や絶えざるライヴァル心など、あらゆる人間的感情が揺り動かされるからだ。「そこをどけ、俺が座るのだ」という決まり文句の応用である。確かに、内戦は論理的である。だが他の戦争はそうではない。私はイタリア人たちのことを知っているだろうか? 我々には共通の利害があるだろうか? 私はマカロニだって好きではないのだ。彼らのところへ何をしに行くというのか? すると、次のように答える人がいるだろう。
「だが彼らはあなたを侮辱したんですよ!」
「そうですか、彼らにとっては残念なことです。それはつまり、無駄にする時間があるということですからね」
そして私は、数日前に、二人の労働者が喧嘩していたのを見たことを思い出す。
もの静かな集団のなかで、一人が激怒し、身振り手振りを交え、口角泡を飛ばし、もう一人に向かって叫んでいた。「怠け者、お前は怠け者、取るに足りない奴、卑怯者、お前は卑怯者だ。鼻を引っこ抜いてやる。聞こえるか、この怠け者!」――相手はとてもおとなしく、シャベルに身をもたせかけて聞いていた。そして相手が「鼻を引っこ抜いてやる」と怒鳴った時、彼はただ落ち着いた声で「やってみな、それならやってみな!」と言うだけだったのである。熱狂した男はわめいていたが、進み出ることはなかった。それから突然、仲間のほうへ向くと、ほとんど静まった声で言った。「俺を引き留めないと、ひどい目にあうぜ。」だが誰も彼を引き留めなかったので、彼は立ち去った。侮辱された男が仕事に戻るのを眺めながら、私は考えた。「――この男はなんと賢く、そしてまた威厳があることか。自制心があり、尊大だ! だがいったい、集団的名誉となると疑わしい民衆の場合にも、この理性とこの平静さが存在するだろうか?」
***
実のところ、フランスはこの平静さ、この理性を手にしたばかりなのだ! この瞬間、我々の民衆が感じていることは、わめきちらす者たちに対する無関心以上に、戦争そのものに対する軽蔑心である。英雄的な偉大な息吹は終わりを迎えた。幸運にも、我々は道理を備えた人間となったのであり、もはや激怒に駆られる人間ではない。華麗なアリアはもはや流行らず、高邁な言葉はもはや効果を生まない。人が我々に向かって「お前の鼻を引っこ抜いてやる」と叫ぶ時、我々は落ち着いて「それならやってみな!」と答える。すると、相手はやって来ないのである。
そして私は、そうしたことは素晴らしい、とても素晴らしいと思う。殿下がたよ、中世は――ついに――埋葬されたのだ。結構なことだ。そもそも私は、大刀と人頭税、それに愚劣さの時代を愛したことはなかった。貴族の家柄の、甲冑で身を固めた粗野な男たちは、私の鼻にぞっとするような悪臭を感じさせる。彼らの剣の激しい打ち合いに興奮する代わりに、その中で一日中火にかけられていた英雄的な鍋を脱いだ時に、これらの立派な貴族たちが発散させたに違いない猛烈な悪臭のことを思うのである。
我々は落ち着いた。結構なことだ。滑稽な盲目的愛国心も衰えるだろうか? そして初めて、私の心には政府に対する一種の敬意が生まれている。(私はその代表者たちの話をしているのではなく、政府の形態の話をしている。)この国民全体の賢明さは共和国のお蔭なのだろうか?――君主制のもとでは、「戦争」という語が発されるや否や、あらゆる口から熱狂的なわめき声が飛び出したものだった。共和国のもとでは、我々は無関心なままに眺め、落ち着いて待っている! そうしたことは何にかかっているのだろうか? それについては何も分からない。私はただ、驚くべき進歩があったことを確認しているだけである。
戦争はない。我々が攻撃されない限り、戦争はないのである。攻撃された時には、我々は身を守ることができるだろう。働こう、考えよう、探し求めよう。ただ労働の栄光のみが存在している。戦争は未開人のものである。ファール将軍(4)は軍隊における太鼓を廃止した。我々の心においてもそれを廃止しよう。太鼓はフランスの災厄である。我々は何かにつけてそれを叩いているのだ。
そして後には、ずっと後になれば、大臣たちがやって来て大砲を廃止するだろう。
私に関していえば、頭に音楽、旗を風になびかせて通り過ぎる連隊を眺めるよりも、ただの機械仕掛けの芝刈り機を眺めるほうが遥かに興味深く、心をつかまれ、魅了されるのである。
『ゴーロワ』紙、1881年7月5日
Le Gaulois, 5 juillet 1881.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 262-267.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
Le Gaulois, 5 juillet 1881.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 262-267.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
訳注
(1) Vir, « Un coup de trompette », Le Gaulois, 29 juin 1881. ヴィールはジャン・リシュパン Jean Richepin (1849-1926) の筆名。著者はイタリアによる侮辱に対し、フランス人が憤慨することを求めていた。
(2) この小説は恐らくは『女の一生』(1883) を指すと思われる。
(3) 名前は記されないが、ジュール・ヴァレスのこと。Jules Vallès (1832-1885) は作家・ジャーナリスト。1871年2月『人民の叫び』紙を創刊し、パリ・コミューンに参加。コミューン後、死刑判決を受けてイギリスに亡命した。1880年7月、大赦を受けて帰国。ジャック・ヴァントラスを主人公とする自伝3部作『子ども』 (1879)、『学生』 (1881)、『反逆者』 (1886) がある。
(4) Jean-Joseph Farre (1816-1887):軍人・政治家。戦争省大臣だった1881年に、軍隊における鼓手の廃止を決定し、多くの抗議を呼んだ。