「ヴェネツィア」
« Venise », le 5 mai 1885
(*翻訳者 足立 和彦)

4月から、モーパッサンはイタリアに旅行する。まず画家アンリ・ジェルヴェクス (1852-1929)、ジョルジュ・ルグランと共にフィレンツェ、ヴェネツィア、ローマへ行き、ナポリで作家アンリ・アミック (1853-1929)と一緒になる。そしてジェルヴェクス、ルグランがサロンのために帰国した後、アミックと共にシチリアへ渡っている。「ヴェネツィア」の記事の後には、「イスキア」(『ジル・ブラース』、5月12日)、「シチリア、パレルモ」(『フィガロ』、5月13日)、「シチリア」(『フィガロ』、5月22日)、「シチリアにて、モンレアーレ、盗賊たち」(『フィガロ』、6月6日)と旅行記が発表され、6月にローマを経由して帰国している。なお、これらの記事は著者生前に単行本にまとめられることはなかった。
この記事では、旅行において人は記憶に基づいて風景を鑑賞してしまうことが強調され、その際たる例として著名な観光地であるヴェネツィアが語られている。自分の「目」で見ることを尊んだモーパッサンならではの思想を窺うことができるだろう。芸術の都としてヴェネツィアを評価する一方、運河を下水溝に喩えているのは、モーパッサンがとりわけ嗅覚に敏感だったことも理由の一つに挙げられよう。
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ヴェネツィア
ヴェネツィア
ヴェネツィア! これ以上に嘆称され、賞賛され、詩人たちに歌われ、恋人たちに欲され、これ以上に訪問者が多く、これ以上に有名だった町があるだろうか?
ヴェネツィア! 人間の言語の中で、これ以上に人を夢見させた名前があるだろうか? なんといってもその名は愛らしく、響きよく、心地よい。その名前によって瞬時に精神の内に素晴らしい思い出が輝かしい行列をなし、魅惑的な夢の地平が開かれる。
ヴェネツィア! そのたった一語が魂の内に興奮を掻き立てるかのようだし、我々の内の詩的なものすべてを高揚させ、我々の賞賛能力を活性化させる。そして我々がこの特異な町にやって来た時には、否応もなく先入観に満ちた大喜びの目で見つめることになる。我々の夢想を通して眺めるのだ。
それというのも、世界を旅する者は、自分の想像と現実のヴィジョンとを混ぜ合わさずにはいられないからである。旅人は嘘をつき、読者をだますといって非難される。そうではないのだ。彼らは嘘をつく訳ではないが、自分の目以上に自分の思考を通して見てしまうのである。一冊の本に魅了され、二十行ばかりの詩に感激し、一編の物語の虜になりさえすれば、道を求めてさ迷う者に特有の詩情を準備するのに十分である。そしてそんな風に一度ある国への欲望を遠くから掻き立てられたら、その国の誘惑から逃れることはできない。
ヴェネツィア以上にこの熱狂の共謀を引き起こす土地はない。これほどに褒めそやされている潟に初めて足を踏み入れる時には、事前に準備された感情に逆らい、失望を味わうといったことはほとんど不可能だろう。書物を読み、夢想し、自分の入っていく町の歴史を知っている者は、先人のありとあらゆる意見で満たされており、すでにほぼ出来あがった印象を抱いてゆくので、自分が何を愛さなければいけないか、何を軽蔑しなければいけないか、何を賞賛しなければいけないか、あらかじめ知っているのである。
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汽車はまず、あちこちに奇妙な水溜まりのある平野を横切る。海や大陸の描かれた地図のようだと言えるかもしれない。それから、地面が少しずつ消えてゆく。列車はまず土手の上を走り、やがて海に突き出した並外れて大きな橋へと飛び込んでゆく。橋は向こうに見える町へと続いており、どこまでも広がる不動の水面の上に鐘楼や建造物がそびえている。時折、右や左に現れる島の上には農家が見える。
駅に到着する! すると、岸に沿って並んだゴンドラが待ち構えている。
黒くて細長く、両端の先を尖らせ、輝く鋼鉄で出来た舳先は風変りで可愛らしい、ほっそりとしたゴンドラはその名声に値する。一人の男が旅行者の後ろに立ち、右側の船べりの木製のねじれた腕部に支えられた一本の櫂で舟を操っている。ゴンドラは色気があると同時に厳めしくもあり、恋人のようでもあれば戦士のようでもあって、一種の長椅子の上に寝そべる散歩者をやさしく揺する。座席の心地よさ、舟の快い横揺れ、生き生きとしていると同時に穏やかな様子が、予想外の素晴らしい感触を与えてくれる。旅行者は何もしないまま進み、休息し、辺りを眺める。この動きに愛撫され、精神と身体を慰撫され、突然に湧き起こった持続的な身体的快感と魂の深い充足感に満たされるのだ。雨が降っている時には、舟の中央に木製の小部屋が組み立てられる。材木には彫刻が施され、銅で飾られ、黒いラシャで覆われている。そしてゴンドラは滑り出し、雨を通さず、閉じられて暗く、さながら黒いベールをまとった漂う棺である。死と愛の神秘を保持しているかのように見え、時折、狭い窓の向こうに愛らしい女性の姿を垣間見させる。
大運河を下ってゆこう。すると、通りが川からなっているこの町の様子にまず驚かされる……、それは川というよりも覆われていない下水溝だ。
それこそ、最初の驚きが去った後にヴェネツィアの町が与える印象である。世界中の他の町において汚水の流れを覆っている石積みの天蓋を、冗談好きの技術者が取り外し、住人に下水路を航行させるように強いたかのようである。
それでも、最も細い幾つかの運河は、時折、その奇妙さでうっとりさせるほどだ。まるでぼろを着た貧乏人が小川で足を洗うかのように、貧困に蝕まれた古い家並みが色褪せて黒ずんだ壁を水面に映し、汚れてひび割れた足先を水に浸している。石造りの橋がこの川をまたぎ、そこに自らの姿を映し、一方は偽物、他方は本物の二重の穹窿で取り巻いている。この古代の海の女王の評判はあまりに高いので、人は巨大な宮殿の立ち並ぶ広大な町を思い描く。すると、何もかもが小さい、小さい、小さいことに驚くのだ! ヴェネツィアは一個の置物にすぎない。魅惑的な古い骨董品であり、貧しく、崩壊しているが、古代の栄光について大きな誇りを抱いているのである。
すべてが廃墟と化し、古びた町を運び去る水の中に崩れてゆきそうに見える。宮殿の正面は時間によって荒らされ、湿気によって染みをつけられ、石や大理石を破壊する病に侵されている。幾つかはわずかに傾いていて崩れ落ちそうであり、基礎杭の上にあまりにも長い間立ち続けたことに疲れているかのようだ。
突然、水平線が広がり、潟が開ける。向こうの右手のほうには家々の建つ島々が現れ、左には、ムーア様式の見事な建造物、東洋の優美さと堂々たる優雅さを兼ね備えた傑作が目に入る。それがドゥカーレ宮殿だ。
私は、皆が語り尽くしたヴェネツィアを語ろうとは思わない。聖マルコ広場はパレ=ロワイヤル広場に似ており、寺院の正面はチップボールで出来たカフェ=コンセールの正面のようだが、その内部は人間の着想しうる限り最も美しいものである。ラインと色調の心に染み入るような調和、厳めしい大理石に囲まれている黄金の古いモザイクの放つ和らいだ光の反射、穹窿と遠景との見事な比率、そして全体の中に、柱の周囲で宗教的になる日光の静かな侵入の中に、そして、目を通って精神へと注がれる印象の中に存在する神々しい何かが、聖マルコ寺院を、この世に存在する最も完全に素晴らしいものにしているのである。
だがこのビザンティン芸術の比類ない傑作を見つめていると、それと比較しながら、もう一つの宗教建築に夢想を馳せることになる。それもまた並ぶものがないが、大いに異なっている。それは北の海の灰色の波間に建てられたゴシック芸術の傑作である。広大なモン・サン=ミシェル湾に孤立する花崗岩の巨大な宝石のことだ(1)。
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ヴェネツィアを絶対的に唯一無二にしているもの、それは〈絵画〉である。何人かの第一級の巨匠の母なる故国であり、彼らのことはこの町の美術館、教会、宮殿でしか知ることができない。ティツィアーノ(2)、パオロ・ヴェロネーゼ(3)はヴェネツィアにおいてのみ、天才的な壮大さの内に真の姿を現す。少なくとも彼らは、この町の力と大きさの内に栄光を保持しているのである。フランスではほとんど知られていないながら、先の芸術家たちの価値にほとんど匹敵する別の者たちもいる。カルパッチョ(4)や、とりわけティエポロ(5)であり、ティエポロは過去・現在・未来の天井画家の中の第一人者である。人体の輪郭の優美さ、見る者を官能的に酔わせるニュアンスの誘惑、芸術が精神に伝えるあの奇妙な陶酔の中で夢見られた事物の魅力を、彼のように壁の上に表現できた者はいない。ヴァトー(6)やブーシェ(7)のように優美で色気のあるティエポロは、とりわけ魅了するという抗い難い見事な能力を備えている。彼以上に賞賛できる者もいるが、その賞賛は理性的なものであり、彼以上に観る者が魅了される画家は他にはいない。構成の巧みさ、デッサンの力強くも愛らしい思いがけなさ、装飾の多様さ、彩色の独特で色あせない瑞々しさが、彼が装飾した評価を絶する天井の下に暮らし続けたいという特別な欲求を我々の内に生まれさせるのだ。
ラビア宮(8)は廃墟であるが、恐らくはこの偉大な芸術家が遺した最も素晴らしいものである。彼は一部屋全体、それも巨大な部屋の装飾を行った。天井、壁、装飾も建築も、彼がすべて自らの筆で手がけたものである。その主題はクレオパトラの物語であり、それは十八世紀ヴェネツィア風のクレオパトラだが、部屋の四面にわたって、ドアを越え、大理石の下、偽の柱の背後に続いている。人物たちはコーニスに腰かけ、腕や足を装飾の上に乗せており、愛らしく彩り豊かな群衆がこの場を埋めている。
人の言うところでは、この傑作を持つ宮殿は売りに出ているらしい! どれほどそこに暮らしてみたいと思うことだろうか!
ギィ・ド・モーパッサン
ヴェネツィア、4月29日『ジル・ブラース』紙、1885年5月5日付
Gil Blas, 5 mai 1885.
Guy de Maupassant, Chroniques, éd. Gérard Delaisement, Rvie Droite, 2003, t. II, p. 970-973.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
Gil Blas, 5 mai 1885.
Guy de Maupassant, Chroniques, éd. Gérard Delaisement, Rvie Droite, 2003, t. II, p. 970-973.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
訳注
(1) モーパッサンはモン・サン=ミシェルを繰り返し作品に描いており、熱愛していたことが窺われる。主なものに「モン・サン=ミシェルの伝説」(1882)、「オルラ(決定稿)」(1887)、『わたしたちの心』(1890) などがある。
(2) Tiziano Vecellio (1490頃-1576):盛期ルネサンスのヴェネツィア派の画家。輝くような色彩の世界を確立し、裸体画や肖像画に優れた。
(3)Paolo Veronese (1528-1588)、ルネサンス期、ヴェネツィア派の画家。明るい光と暖色系の色彩によって、ティツィアーノ、ティントレットと並ぶ巨匠とされる。
(4) Vittore Carpaccio (1465頃-1525/26):ルネサンス期、ヴェネツィア派の画家。ベッリーニの弟子であったらしく、多くの宗教画を世俗画風に描いた。
(5) Giovanni Battista Tiepolo (1696-1770):ヴェネツィア派の画家。18世紀最大の装飾画家、イタリア絵画最後の巨匠と呼ばれる。
(6) Jean Antoine Watteau (1684-1721):ロココ美術を代表する画家。豊かな色彩と優雅な詩情で貴族の社交風景を描いた。
(7) François Boucher (1703-1770):ロココ絵画を代表する一人。明るい色彩で神話画や風俗画をものした。
(8) Palais Labia (Palazzo Labia):カタロニア出身のラビア家によって1685年に建てられた後、1720-50年に増築された際にティエポロによって装飾された。「クレオパトラ物語」(1747-1750) は、見事な視覚的イリュージョンを作り上げていることで有名。なお、モーパッサンは Labbia と綴っている。