モーパッサン 「繊細さ」
« La Finesse », le 25 décembre 1883
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1883年12月25日、日刊紙『ジル・ブラース』 Gil Blas に掲載された時評文。署名はMaufrigneuse。現代風俗を批判している。
現代のブルジョア社会においては、18世紀の貴族社会に見られたようなエスプリ(機知・才気)は失われてしまったとし、卑俗な笑いに満足している現代人が諷刺されている。それによって繊細な感性が失われてしまい、文学芸術の本当の価値を理解できる者もいなくなってしまったと著者は嘆く。
芸術としての文学においては「何を書くか」よりも「どう書くか」こそが重要である。それが、1870年代の修行時代にモーパッサンが学んだ核心的な理念の一つである。本記事は、フロベールの薫陶を受けたモーパッサン自身の高踏的な芸術観が披露された一文となっている。
なお本論の一部は「話し上手」« Les Causeurs » (『ゴーロワ』紙、1882年1月20日)を再利用している。
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繊細さ
繊細さ
本当に、フランスのエスプリ(才気)は病気であるようだ。しばしば人はそれをシャンパンの泡に喩えたものだった。ところが、どんなワインも栓を開けて長時間たてば気が抜ける。恐らくエスプリも同様なのである。
確かに、エスプリの代わりとなるものをまだ我々は保持しており、それは冗談というものだ……。だが我々はフランスらしさを構成していた第一の資質を失ってしまった。それが「繊細さ」である。
今日、我々はこの古き国民的資質を何か乱暴、粗雑で、鈍重なものと換えてしまった。我々は馬鹿のように笑っている。
フランスにおいてエスプリには何種類もの表現方法があった。それを種類ごとに分類できたのだ。
通りのエスプリ。
サロンのエスプリ。
書物のエスプリ。
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エスプリとは何か? 辞書は何の定義も与えてくれない。それはある種の思考の芸当であり、時には陽気、時には滑稽、時には辛辣で、知性の内に一種の心地よいくすぐりをもたらし、笑いを引き起こす。
人が笑いと呼ぶものは、魂のある特別な陽気さであり、それはしかめ面、唇の周りの神経質なしわ、鼻から出るような途切れ途切れの叫び声によって表現される。
さてパリにおいては、二つの言葉、二つの概念、さらには二つの音の予想外で奇妙な結びつき、ほら話、言葉のアクロバットが、町中に満足の吐息を駆け抜けさせる。
あらゆるイギリス人、あらゆるドイツ人が我々の楽しみを理解できないというのに、なぜすべてのフランス人は笑うのだろうか? なぜか? つまりは我々がフランス人であり、我々がフランス的知性を持ち、我々にはあの魅力的で敏捷な笑いの能力が備わっているからなのである。
だが今日では、あまりに鈍重なので人が唖然としてしまうような愚かさを、我々は笑っている。
フロンドの乱の時代、摂政時代、王政復古の時代、ルイ十八世の時代に町を駆け巡った言葉には、機敏な才気、尖っていてしばしば毒のある皮肉、いつでも裏の意味合いが含まれていた。毒舌の滑稽さや危険さの背後には、繊細な思想か隠れていた。それは良質の銀貨のように明るく響いたのである。今日では、エスプリは鉛のように偽りの響きを立てている。
四、五年のうちにフランスの活発な知性の努力が「ぽかっ」とか「ぷしゅ!(1)」に行き着くなどということが本当にありえるのだろうか? ぽかっ! ぷしゅ! どうしてぽかっなのか? どうしてぷしゅなのか? この二音の内に何のおかしなことがあるのか? なんという愚かさの波に我々は溺れてしまったのだろうか?
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「フランスではエスプリは通りを駆ける」と人は言う。しかしながら、それに出会うことはだんだんと少なくなっている。しかしこの頽廃がもっとも顕著なのは、確かにサロンにおいてである。
一般的にそこでの会話は平凡でありきたり、内容がなく、お決まりで単調、どんなお馬鹿さんの手にも届くものである。それが唇から流れ出るわ、流れ出るわ。優美なしわがまくりあげる女性たちの小さな唇からも、ボタン穴の赤リボンの端が知性の存在を示しているらしい男性たちのひげの生えた唇からも。終わりもなく、うんざりさせ、泣きたくなるほど愚かで、変化もなく、輝きもなく、冴えもなく、エスプリの噴出もない。
音楽、芸術、高尚な詩について話される。きちんとした紳士や「よそ行き」の社交界の淑女が、存在するものの中で唯一偉大で美しいものについて、自分たちの紋切り型の蛇口を開いて話すのを聞くよりも、肉屋が専門知識をもってソーセージについて話すのを聞くほうが一億倍も興味深いことだろう。
あれらの人々が自分の言っていることの意味を考えているとお思いだろうか? 彼らが自分たちが話しているものを理解しようと、その秘密の意味に精通しようと努力していると? 答は否である。
彼らはその主題について繰り返すのが慣例となっていることを繰り返している。それだけのことである。だから私は宣言しよう。今日、人が社交界と呼ぶものの中に行き、微笑みを浮かべたまま、何かにつけて愚かしい雑談を耐え忍ぶためには、超人間的な勇気、何事にも耐えうる十分な忍耐、そして一切についての心静かな無関心が必要であると。
いくつかのサロンは例外であるが、それはごく稀である。
なにも私は、些細な出来事のもつ哲学的な意味、取り上げた主題を無限にまで拡大するような語られた事柄の「彼方」を、十分たらずのおしゃべりの中で引き出さねばならないと主張するのではない。
確かにそうではない。だが少なくとも多少のエスプリをもっておしゃべりできなければならないだろう。
エスプリをもっておしゃべりする? それはどういうことか? おしゃべりとは、かつては社交界の男女であるための技術、決して退屈に見られないようにし、どんなことでも興味のあるように言え、どんなものによっても気に入られ、些細なものでもっても誘惑するための技術であった。
今日、人は話し、物語をし、雑談し、噂話をし、悪口を言う。もうおしゃべりはしない。決しておしゃべりはしないのである。
ベルリオーズは書簡の中で書いている。
「イタリアから戻ってきて以来、僕は最も散文的で、最も無味乾燥な世界の中で生きている。何もしないでほしいという懇願にもかかわらず、媚びを売り合い、絶えず僕に音楽、芸術、高尚な詩について話しかけてくる。あの御仁らはこうした言葉をまったく無感動に用いる。ワインや女や暴動や他の卑劣なことについて話しているかのようだ。とりわけ義理の弟は恐るべき話好きであって、僕を殺しそうだ。僕は自分の思想、情熱、恋愛、憎しみ、軽蔑、頭脳、心、すべてのものによって、この世界全体から孤立しているのを感じる(2)。」
まったく! おしゃべりできるということは、ワイン、女性、暴動や、その他のくだらない事柄について、それが決して……ベルリオーズが言うようなことにならないように話す術を知っているということである。
言葉によって事物に素早くそっと触れること、柔軟な言葉で打ちあうラケット遊び、才気に富んだおしゃべりがそうであるべき思想の軽やかな微笑みを、どのように定義すればよいだろうか?
今日、人は愚かな語りの泥にはまっている。各人がそれぞれ退屈で長ったらしく、隣人の誰の気も引かないような個人的な事柄を語っている。
そして、会話はいつも今日や昨日の政治的事柄についてだらだらと長引いている。かつてのように、思想から思想へと翼の羽ばたきで飛びわたるようなことは決してないのである。
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だがフランスの愛らしい繊細さが消えたのは、単に会話からだけではない。現代社会は、ほとんど全部が最近の成り上がりで構成されており、繊細な感覚、一種の鋭敏な嗅覚を失ってしまった。それは捉え難く、言葉で言い表せないものであり、ほとんど全体的に教養ある貴族階級に属しているものである。それを芸術家的感覚と呼べるだろう。
芸術家! 愚かしいパンフレットをむさぼるように読んでいる今日の読者は、それらが仮面を暴いてくれるからというだけの理由で才気煥発だなどと明言したりするのであり、文学者に当てはめられたこの「芸術家」という語が何を意味するかなどまったく分かっていない。反対に前世紀には、公衆とは気難しく洗練された審判者であり、今日では消えてしまったこの芸術家的感覚を極端にまで推し進めたのだった。公衆は一つの文、一行の詩句、巧妙だったり大胆だったりする形容詞一つに夢中になった。二十行、一頁、一つの人物描写、一つのエピソードがあれば、一人の作家を判断し、分類するのに十分だった。言葉の下や中に含まれるものを探し、作者の隠している理由を見抜き、ゆっくりと読んで、何も見逃さず、文章を理解した後にも、もう知るべき何かが残っていないかを探したのである。それというのも精神というものは、文学的感興に対して準備ができるには時間がかかるものであり、作品の中に魂をあらしめるあの神秘的な力の隠された影響を受けるものだからである。
何であれ才能を持った一人の人間が、語られた事柄にしか関心を持たず、文学の真の力は出来事にではなく、それを準備し、提示し、表現する仕方の内にあるのだということを理解しないならば、その者には芸術の感覚がないのである。
ある頁や、ある文章を前にして心へとのぼってくる深く甘美な喜びは、それが述べている事柄だけからやって来るのではない。それは表現と概念との絶対的な一致、大抵の場合に群衆の判断をすり抜ける調和と秘密の美の印象から来るのである。
ミュッセ(3)、あの偉大な詩人は、芸術家ではなかった。簡明で誘惑的な言葉によって彼が語る魅力的な事柄は、もっと高尚で、もっとつかみ難く、もっと知的な美の追求、探求、感動に心を奪われている者には、感動を与えることがない。
反対に群衆はミュッセの内に、いくらか粗野な自らの詩的欲求の充足を見出だし、ボードレール、ヴィクトル・ユゴー、ルコント・ド・リールの詩篇が与えてくれる身震い、ほとんど恍惚と呼ぶべきものを理解しない。
言葉には魂がある。ほとんどの読者は言葉に意味しか求めていない。この魂を見つけなければならないのだが、それは他の言葉との接触によって姿を見せ、炸裂し、噴き出させるのがとても難しい未知の光で特定の書物を照らし出すのである。
ある人たちによって書かれた言葉の結びつきや組み合わせの内には、詩的世界の全体的な喚起が存在するが、社交界の人士はもはやそれに気づいたり見抜いたりできない。そうしたことについて話すと、彼らは機嫌を損ね、理屈を並べ、議論し、否定し、叫び、それを見せてみろと要求する。そんなことは試みるのも無駄であろう。感じないのであれば、決して理解できないであろう。
教養があり知的な人間、作家でさえもが、彼らの知らないこの「神秘」について話されると驚くのである。彼らは肩をすくめてほほ笑んで見せる。どうでもいいことだ。彼らは知らないのである。耳を持たない人間に音楽の話をするようなものだ。
この神秘的な芸術感覚を持った二人の人間の精神には、十語の言葉が交わされるだけで十分であり、あたかも他の者たちには分からない言葉を使っているように、互いを理解しあうのである。
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我々の精神のこの鈍重さは何に由来するのだろうか? 新しい風俗か? 新しい人間たちか? 恐らくは両方であろう。恐らくは政府にも由来する! だが私はネアブラムシやじゃがいもの病気をもたらしたといって政府を非難するつもりはない。この種の非難はよそでは頻繁に見られるが、十分に正当なものであるとは言えない。だが誤るという懸念なしに、我々をドイツ人のように鈍感にしたことを非難することはできる。
この主にしてこの下僕あり、と格言は言う。この王にしてこの民衆あり。もしも君主が機知に富み、芸術家肌で教養があれば、民衆もやがて芸術家らしく、教養を得て、機知に富むことだろう。君主が間抜けであれば、民衆全体が愚鈍になる。さて、告白してもよいが、我々の君主たちは、芸術家でなければ、教養もなく、繊細でもなく、優美でもなく、細心でもない。「我々の君主」という語で私が指しているのは、我々の代議士たちである。何人かは例外だ。だがその者たちは、普通選挙の泥にまみれた代表の大群の中に埋もれ、物の数に入っていない。
そして国家の首長は、たいへんに誠実な人物であるが、エリゼ宮を「精神と芸術の神殿」にしようとはしていない(4)。前世紀には人はそのように言いもしただろうが。
『ジル・ブラース』紙、1883年12月25日付
訳注
(1) 原文はv'lan および pschutt で、どちらも擬音語。
(2) Hector Berlioz, lettre à Humbert Ferrand, 13 juillet 1832, in Lettres intimes, avec une préface de Charles Gounod, Calmann Lévy, 1882, p. 120.
(3) Alfred de Musset (1810-1857) : ロマン派の詩人・小説家。繊細な感性と憂鬱な気分に満ちた抒情詩は、後代の青年たちに大きな影響を及ぼした。モーパッサンも十代の一時期にミュッセの詩に傾倒した。
(4) Jules Grévy (1807-1901) : 1879-1887年の間、フランス共和国大統領。