「オルラ」[初稿]
« Le Horla », le 26 octobre 1886
(Première version)
![「オルラ」[初稿]掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 「オルラ」[初稿]掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF](../image/horla1886.jpg)
当時の科学的知見を総動員して未知なる存在の登場を語る本作は、SFの先駆けと呼ぶことができるだろう。語り手は素朴な形であるとはいえ、実験と合理的推論によってオルラの存在を確証する。人間の後に現れるより高次な存在という発想には、ダーウィンの進化論の影響が見て取れる。

なお、本作中の鏡の場面は、「狂人の手紙」(1885) にあったものが再び取り上げられている。「目に見えないもの」の存在を推測するこの短編は「オルラ」の前身と位置づけられる。
一方、改稿された中編小説「オルラ」においては、すべてが日記体で綴られ、世界は主人公の内面に収斂される。そこでは何が真実であるのかは常に曖昧であり、語り手の狂気の問題が前面に展開される。19世紀末、精神医学の発展を見る中で、「狂気」は一つの文学的トピックであった(それゆえ、本作の舞台も精神病院に置かれている)。
興味のある方には、ぜひ両作品を読み比べていただきたい(中編版は『モーパッサン短編集』II巻(青柳瑞穂訳、新潮文庫)、『オルラ/オリーヴ園 モーパッサン傑作選』(太田浩一訳、光文社古典新訳文庫)などに収録)。
なお本作(初稿版)には、宮原信による既訳(『フランス幻想小説傑作集』、白水Uブックス、1985年、p. 171-186.)が存在する。
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オルラ [初稿]
オルラ [初稿]
最も高名にして最も傑出した精神医学者であるマランド博士が、自然科学に従事する三人の同僚と四人の学者に、彼の運営する精神病院で一時間ばかり時間を割いてくれるように頼んだのだった。それは、彼らに患者の一人を見せるためであった。
友人たちが集まるや、彼は告げた。「これまでにお目にかかったなかで最も奇妙かつ最も気がかりな事例を諸君の判断に委ねたい。もっとも、この患者について言うべきことは私には何もない。彼が自分で話すことだろう。」博士はそこでベルを鳴らした。召使が一人の男性を通した。その男はとても痩せており、さながら骸骨のようだった。思考に蝕まれたある種の狂人と同じような痩せ具合だったが、それというのも病的な思考は、熱病や結核以上に身体を蝕むものなのである。
挨拶して腰をおろすと、彼は語った。
***
皆さん、どうして皆さんがここにお集まりなのか私は承知していますし、友人であるマランド博士が頼んだように、私の身に起こったことをお話しする準備もできています。長いあいだ、博士は私を狂人と思っていましたが、今ではためらっています。しばらく後には皆さんも、私の精神があなた方のと同じように健康かつ明晰で、よく見通せることをお分かりになるでしょう。私にとってもあなた方にとっても、そして人類全体にとっても不幸なことですが。
けれども、事実そのものから始めましょう。ごく単純な事実からです。今からお話しするような次第です。
私は四十二歳です。結婚はしていませんが、ある程度の贅沢をしながら暮らしてゆくのに十分な財産があります。それで私は、ルーアン近郊のビエサールにおいて、セーヌ川沿いの邸宅に暮らしていました。私は狩りと釣りが好きなのです。裏手のほうには、家の上方にそびえる高い崖の上に、フランスで最も美しい部類のルマールの森があり、目の前には、世界で最も美しい川の一つが流れていました。
邸宅は広く、外壁は白く塗られていて綺麗で、古くからあり、広い庭の中央に建っていました。庭に植わっている見事な木々が、今お話した高い崖を登って森にまで続いてゆくのです。
使用人は、御者、庭師、召使、料理女に洗濯女、この者は同時に家政婦でもありましたが、以上からなっています。というよりも、なっていました。この者たちは皆、十年から十六年前から住んでいて、私のことを知っており、私の家のことも、その地域のことも、私の人生の周りにあるすべてを知っていました。善良でおとなしい使用人たちでした。この点は、今からお話しすることのために重要なのです。
付け加えておけば、セーヌ川は庭に沿って流れているのですが、きっと皆さんご承知のように、ルーアンまで船で通行可能です。毎日、大きな帆船や蒸気船が世界中からやって来るのが見えたものでした。
さて、一年前、この前の秋のことです。私は突然、奇妙で説明のつかない不調に襲われました。最初は一種の神経症的な不安で、幾晩も眠ることができませんでした。あまりに興奮しているので、どんな些細な物音にも震え出してしまうのです。気分は刺々しくなりました。突然、説明のつかない怒りに駆られます。私は医者を呼びました。鎮静剤の臭化カリウムを処方され、シャワーを浴びるように言われました。
それで朝と夕にシャワーの支度を命じ、薬を飲み始めました。実際、間もなく眠れるようになりましたが、しかしその眠りは不眠よりも一層恐ろしいものだったのです。横になるとすぐに瞼が閉じ、私は消えてしまいます。そうです、私は虚無のなかに、絶対的な虚無、存在全体の死のなかに落ち込みます。ところが、胸の上に非常に重たい物がのしかかり、唇が押し付けられて口から生命が貪られるという恐ろしい感触によって、そこから無理やり乱暴に引っ張り出されるのです。おお! その衝撃といったら! それ以上に恐ろしいことを他には知りません。
想像してください。眠っている男が、誰かに殺されそうになって、喉にナイフが刺さったまま目を覚ます様を。血まみれになって喘ぎ声をあげ、もはや息をすることもできずに死んでゆく、何も理解しないままに――そんな姿を!
不安なことに、絶えず私は痩せてゆきました。そしてふと気づいたのですが、大変に太っていた御者が私同様に痩せ始めていました。
私はついに彼に尋ねました。
「ジャン、一体どうしたんだい? 病気のようだね」
彼は答えました。
「思いますに、旦那様と同じ病気に罹ったのでしょう。夜が昼を台無しにするのです」
そこで私は考えました。川と隣接しているために熱病を引き起こす影響がこの家に見られるのだろうと。それで、ちょうど狩猟の季節だったのですが、二三ヶ月の間留守にしようとしかけたのです。ですがその時にたまたま、些細ながらとても奇妙なことが観察されたうえ、引き続いて一連の、本当とも思えないような幻想的で恐ろしい発見があったので、私は留まったのでした。
ある晩、喉が渇いていたので、グラス半分の水を飲みました。そしてベッドの正面の箪笥の上に乗った水差しには、クリスタルの口元まで水が一杯なことを確かめたのでした。
夜のあいだに、先ほどお話した恐ろしい目覚めがありました。おぞましい苦しみに捕われながら蝋燭を点しました。もう一度水が飲みたくなったのですが、驚いたことに水差しが空になっていたのです。自分の目を信じることができませんでした。誰かが私の部屋に入ったのか、そうでなければ私は夢遊病者でした。
翌日の晩、私は同じことを試そうと思いました。ドアの鍵をかけ、誰も部屋に入れないことを確かめました。いつものように眠りに落ち、目を覚ましました。二時間前に目にしていた水を「誰か」が飲んだ後でした。
「誰」がこの水を飲んだのでしょう? 私です、間違いなく。しかしながら私には自信がありました。深く苦しい眠りのあいだに動いたりはしなかった、という絶対的な自信があったのです。
そこで私は策略を練り、自分が無意識のうちに行動してはいないことを確かめようと思いました。ある晩、水差しのそばに、年代物のボルドーワインの瓶と、私が大嫌いな牛乳のコップ、そして大好きなチョコレートケーキを置きました。
ワインとケーキは手つかずのまま残りましたが、牛乳と水は消えました。それから毎日、私は飲み物と食べ物を入れ替えました。「誰か」は決して、身の詰まった固いものには触れず、水分に関しては、「誰か」は新鮮な乳製品と、とりわけ水以外は飲みませんでした。
それでも刺すような疑いは心に残りつづけました。意識のないままに起き上がり、嫌いな物まで飲んでいるのは、この私なのではないだろうか。それというのも、夢遊病的な眠りによって感覚が麻痺し、修正を受けたり、通常の嫌悪感を失ったり、異なった味覚を獲得したりしているのではないだろうか。
そこで、自分自身に対して新しい策略を用いることにしました。必ず触れなければならないものすべてを白いモスリンの細紐でくるんだ後に、リネンのナプキンでもう一度覆ったのです。
それからベッドに入る時に、黒鉛で手と唇と口ひげを塗りました。
目覚めてみると、すべてのものに跡はついていませんでしたが、それでも触られた後でした。というのも、ナプキンは私が置いたようには置かれていなかったのです。その上、誰かが水と牛乳を飲んでいました。ところで、ドアは確かな鍵をかけて閉ざされていたし、用心のために南京錠をかけてあった鎧戸は誰も通すことができなかったはずです。
そこで私は、恐るべき疑問を自分自身に投げかけました。一体、誰がここに、毎晩、私のそばにいるのだろうか?
皆さん、こうしたことをお話しするのに急ぎ過ぎたのではないかと感じています。あなた方はほほ笑んでいらっしゃる。ご意見はもう決まったという訳です。すなわち「こいつは狂人だ」と。自分の家に閉じ込められ、精神は健全なままに、水差しのガラスを通して、眠っているあいだに消えた幾らかの水を眺める男が感じる思いを、もっと長々と描いておみせするべきだったのでしょう。毎晩、毎朝、新たにされるこの苦悩、逆らうことのできない眠りと一層恐ろしい目覚めとを、皆さんに理解して頂かねばならなかったのでしょう。
けれども私は続けます。
突然、奇跡が止みました。「誰か」はもう部屋の何物にも手をつけません。終ったのです。さらに私の調子も良くなりました。陽気さが戻ってきたその時に、隣人の一人であるルジット氏が、まさしく以前の私と同じ状態にあるということを知ったのです。改めて、その地方の熱病の影響を信じかけたものです。御者はといえば、ひと月前にとても体を悪くして去っていました。
冬が過ぎ、春が始まっていました。ある朝、バラの花壇の近くを散歩している時に、私は見ました。すぐそばで、最も美しいバラの一輪の茎が、まるで見えない手が摘み取るかのように折れるのをはっきりと見たのです。それから花は、手が口元へ持ってゆくような曲線を描いて、透明な空気中に浮かんで留まりました。私から三歩のところに、ただそれだけで動かずにいる。恐ろしいことでした。
狂ったような恐怖に駆られ、私はそれを掴むために飛びかかりましたが、何も見つけられませんでした。花は消えていました。その時、自分自身に対する激しい怒りに襲われました。理性的で真面目な人間が、こんな幻覚を見るなど許されたことではありません!
でもそれは本当に幻覚だったのでしょうか? 私は茎を探しました。ただちに茂みの上、枝に残る二輪のバラの花のあいだに、切りとられたばかりの茎を見つけました。それというのも、私がはっきりと目にした花は三輪あったのです。
それから、心を動転させたまま家に帰りました。皆さん、聞いてください。私は平静です。私は超自然を信じません。今日でもなお信じてはいないのです。けれどもあの瞬間から、私は確信しました。私のそばには目には見えない存在がいて、それが私に取り憑き、一度は離れ、また戻ってきたのだということを、日と夜と同じぐらい明らかなこととして確信したのです。
少し後に、私は証拠を得ました。
召使たちのあいだで毎日のように激しい争いが起こっていました。見かけは些細な無数の事柄が原因でしたが、以後の私には十分に意味がありました。
食堂の飾り戸棚の上にあったガラスの器、美しいヴェネチアングラスが、日中、ひとりでに割れてしまいました。
召使は料理女を、料理女は洗濯女を、洗濯女は別の誰かを非難しました。
夜に閉められた扉が、朝になると開いていました。毎晩、台所の牛乳が盗まれました。――ああ!
どのような者なのでしょう? どんな性質なのでしょう? 怒りと恐怖が混じって苛立った好奇心に昼夜を問わず捕えられ、私は極度に動揺した状態にありました。
しかしもう一度、家は平静に戻りました。また改めて、私は夢だったのだと信じかけたのですが、その時に次のことが起こりました。
七月二十日、夜九時のことでした。とても暑かったので、窓を大きく開けたままにしていました。テーブルの上にランプが点り、「五月の夜」のところで開かれたミュッセ(1)の書物を照らしていました。そして私は大きな肘掛椅子で体を伸ばし、まどろんでいたのです。
四十分ばかり眠った後、目を開きました。身動きもしませんでしたが、何だか分からない混乱した奇妙な感情に目を覚まさせられたのでした。初めは何も目に入りません。それから突然、本の一ページがひとりでにめくられたように見えました。窓から風は少しも入ってきていませんでした。驚きました。そして私は待ちました。約四分後、私は見ました。見ました、そうです、見たのです、皆さん、この目で、別のページが持ち上がり、まるで指がめくるように前のページの上に落ちるのを。肘掛椅子は空のように見えました。しかしそこに「彼」がいるということを、私は理解したのです! 私はひとっ飛びに部屋を横切って、もしそれが可能なら、彼を捕らえ、触れ、掴もうとしました……。けれども私が辿り着く前に、まるで目の前で人が逃げ出すかのように、椅子がひっくり返りました。ランプも落ちて消えました。ガラスが割れました。そしてまるで強盗が逃げ出す際に掴んだかのように、乱暴に押された窓が留め金にぶつかりました……。ああ!……
私は呼び鈴に飛びついて人を呼びました。召使が現れると、彼に言いました。
「全部ひっくり返して壊してしまったよ。明かりを持ってきてくれ」
その夜はもう眠れませんでした。それでも、私はまたも幻影に弄ばれたのかもしれません。目覚めた時も、感覚は混乱したままでした。狂人のように急いで椅子や明かりを投げ出したのは、この私ではないのだろうか?
いいや、私ではない! 一秒たりともそれを疑わないほどに、私にはよく分かっていました。それでも、私はそうであると信じたかったのです。
ちょっと待ってください。〈何者か〉です! 何と名づけたらいいでしょう? 〈見えない者〉。いいえ、それでは不十分です。私はそれをオルラと名づけました。なぜか? 分かりません。そして、オルラはもうほとんど私を離れませんでした。昼も夜も、私はこの不可視の隣人の存在を感じ、それを確信します。そして彼が、刻一刻、一分一分、私の生命を奪っているということも確信するのです。
彼を目にすることができないことに苛立ち、私は部屋中の明かりをつけていました。まるでこの明かりのなかでなら、彼を発見できるかのように。
ついに、私は彼を目にしました。
あなた方は信じようとなさらない。けれども私は彼を見たのです。
私は何かの書物の前に座り、読みもせずに窺っていました。全器官を極度に興奮させ、すぐそばに感じる何者かを窺っていました。確かに、彼はそこにいる。でもどこに? 何をしているのか? どうやって捕まえるのか?
私の正面にはベッドがありました。樫の木でできた柱付きの古いベッドです。右手には暖炉。左手は扉で、注意深く閉めてありました。後ろには鏡付きの大きな箪笥があり、毎日、ひげを剃ったり服を着たりするのに使っていて、前を通るたびに頭から足先まで眺めるのを習慣にしていました。
そうして、私は読書する振りをしていたのです。彼を騙すために。なぜなら、彼もまた私の様子を窺っていたからです。そして突然、私は感じました。肩越しに彼が読んでいるのを、彼がそこにいて私の耳に触れているのを確信したのです。
私は立ち上がり、素早く振り返ったので倒れそうになりました。ああ!……昼日なかのように見ることができました……鏡のなかに私の姿はなかった! 鏡は空虚で、明るく、光に溢れていました。私の姿はそのなかになかった……。そして私は向かい合っていた……。私は上から下まで澄み切った大きなガラスを見ていました! 狂ったような目で見ていながら、前に進むことができません。あいだに彼がいるということを、彼の姿はまだ私から逃れているけれど、その認識できない体が私の像を吸収してしまっているのだということを、十分に感じ取っていたのです。
どれほど怖かったことでしょう! それから突然、鏡の奥の霧のなか、水の膜のような霧のなかに、自分の姿が見え始めました。そしてこの水が左から右へゆっくりと滑ってゆき、一秒一秒、私の姿をはっきりさせてゆくようでした。それは蝕の終わりのようでした。私を隠している者は、明確に定まった輪郭を持たないようで、一種の濁った透明さが少しずつ明るくなってゆくのです。
ついには、日々目にしているように自分の姿をはっきり識別できるようになりました。
私は彼を見たのです。まだ恐怖が残っていました。今でもなお震えるほどです。
翌日、私はここに来ました。保護してくれるように頼んだのです。
さあ、皆さん、結論を出しましょう。
マランド博士は長い間疑った後、一人で私のくにへ旅行することに決めました。
現在、我が家の隣人三人が、以前の私と同じ状態に到っている。そうですね?
医師は答えた。「その通り」
あなたは彼らに、毎晩、部屋に水と牛乳だけを置いておくように言われ、この液体がなくなるかどうかをご覧になった。彼らはやってみました。液体は、私の家でと同じように消えてなくなりましたか?
医師は厳粛な調子で答えた。「消えてなくなった」
それでは皆さん、ある〈存在〉、〈新しい存在〉が、恐らくは我々が増えてきたようにやがてその数を増やすでしょうが、それがこの地上に現れたのです!
ああ! 笑っていらっしゃる! どうしてです? なぜなら、この〈存在〉が目に見えないままだからです。けれども皆さん、我々の目はまったく基礎的な器官なので、我々の存在に不可欠なものさえ十分に判別できません。小さすぎるものは見逃され、大きすぎるものも見逃され、遠すぎるものも見逃されます。目は、一滴の水のなかに生きる無数の小動物の存在を見過ごします。よその星々の住人、植物や大地が見えません。透明なものもまた見えはしないのです。
目の前に完璧なガラス板を置いてごらんなさい。目はそれを識別することができず、我々はそれにぶつかるでしょう。家で飼われる鳥がガラスに頭をぶつけて割るようにです。したがって、確かに存在していても固くて透明な身体は目には見えません。我々が呼吸する空気も目に入りません。自然の最も大きな力であり、人を倒し、建物を壊し、木を根こぎにし、海を山のごとく持ち上げて花崗岩の断崖に穴を穿ちもする、風も見ることができないのです。
新しい身体が目には見えないとは、なんという驚きでしょう。恐らくこの体には、光線を反射させるという特性が唯一欠けているのです。
電気を認識することができますか? しかしながらそれは存在しています!
私がオルラと名づけたこの存在、それも同じように存在しているのです。
それは何なのでしょうか? 皆さん、それこそは、大地が人間の後に待ち望んでいた者です! 我々を王位から追いやり、我々を従属させ、飼い慣らし、我々が牛やイノシシを栄養とするように、恐らくは我々を栄養とする者です。
何世紀もの間、人間はそれを予感し、恐れ、告げ知らせてきたのです!〈見えない者〉への恐怖は、常に我々の祖先に取り憑いてきたのでした。
それがやって来たのです。
妖精、地の精、空中をさ迷う捕まえられない不吉な者などに関するあらゆる伝説、それらが語っていたのはまさしく彼についてであり、すでに不安を感じて震えてきた人間たちに予感されていたのです。
そして皆さん、あなた方自身がこの数年来なさっていること、あなた方が催眠術、暗示、動物磁気(2)と呼ぶもの――あなた方が告げ、予言しているのは彼なのです!
彼がやって来たのだとお伝えしました。原初の人間のように、彼自身、不安気にさ迷い、まだ自分の力や能力を知りませんが、やがて、ずいぶん早くに理解することでしょう。
最後に、皆さん、ここに新聞の記事があります。偶然手に入ったのですが、リオ・デ・ジャネイロからのものです。お読みします。「しばらく前より一種の狂気の伝染病がサン・パウロ周辺の地方に流行している。幾つもの村の住民が、土地と住まいを捨てて逃げ出している。彼らの主張するところでは、自分たちは目に見えない吸血鬼に追われ、蝕まれており、この吸血鬼は、彼らが眠っているあいだに呼吸から養分を得て、さらにまた水と、時々は牛乳しか飲まないらしい!」
付け加えておきましょう。私は完全に思い出すことができるのですが、死にそうなほどだった病の最初の兆候の出る数日前、大きな三本マストのブラジルの帆船が旗を広げて通り過ぎるのを目にしました……私の家が川沿いにあることはすでにお伝えしましたが……家は真っ白で……。間違いなく、彼はその船に隠れていたのでしょう……。
皆さん、もう何も付け加えることはありません。
***
マランド博士は立ち上がると、呟いた。 「私もだ。私には分からない。この男が狂人なのか、あるいは私たち二人ともがそうなのか……、あるいは……我々の後継者が本当に現れたのか」
『ジル・ブラース』紙、1886年10月26日付
Gil Blas, 26 octobre 1886.
Guy de Maupassant, Contes et nouvelles, éd. Louis Forestier, Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », t. II, 1979, p. 822-830.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
Gil Blas, 26 octobre 1886.
Guy de Maupassant, Contes et nouvelles, éd. Louis Forestier, Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », t. II, 1979, p. 822-830.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
訳注
(1) Alfred de Musset (1810-1857):ロマン派の詩人・小説家。繊細な感性と憂鬱な気分に満ちた抒情詩は、後代の青年たちに大きな影響を及ぼした。モーパッサンも十代の一時期にミュッセの詩に傾倒した。「五月の夜」は1835年の作。詩人と、目に見えないミューズとの対話からなっている。
(2) le magnétisme:動物磁気。オーストリアの医学者メスメル (1734-1815) が提唱。すべての生物は目に見えない力を持ち、それが治療に役立つと考えた。動物磁気は19世紀末にも流行しており、モーパッサンは「マニェティスム」(1882)、「狂人?」(1884) で取り上げている。