マダムXの正体
Qui est Madame X ?

この雑誌、マルセイユの研究者ジャック・ビヤンヴニュ (Jacques Bienvenu) 氏がほとんど独力で編集している貴重なもの。図書館等に無いものなので、モーパッサン研究を志す者は Assciation des Amis de Guy de Maupassant にすぐ連絡をされたい。
とまずは宣伝をしておいた上で、今号は、未刊の書簡や、アポリネールが実はモーパッサンの記事を書いていたという興味深い報告もさることながら、 « Le triomphe du Corbeau dans « la Pléiade » », p.16-17 の記事に驚いた。もっとも私が無知だっただけのことではあり、ビヤンヴニュ氏は既に2004年に次の記事を発表している。
Jacques Bienvenu, « Le canular du Corbeau », Histoires littéraires, Octobre-novembre-décembre, 2004 – no 4, p. 43-52.
さて「ル・コルボーの悪ふざけ」とは一体、何なのか。
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「文学の友である誰もが賞賛し、残念に思い、中には今も涙を零す人がいるあの偉大な作家についてあなたにお話しすることで、私がしようとしているようなことはきっとどんな女性も行ったことがないでしょう。・・・」
1912年10月25日付「グランド・ルヴュ」(La Grande Revue) に「親密なモーパッサン 女友達のノート」« Guy de Maupassant intime (Notes d'une amie) » という回想録が発表された。1913年3月25日、4月10日付の号にも同様に、生前のモーパッサンについての思い出話が掲載される。語り手の名前は隠され、記事の最後には「X...」の署名があるのみ。
細かい話は省略してビヤンヴニュ氏の論文に任せるとして、ここで簡単に要約すれば、これまでこの匿名記事は「本物」であると考えられてきた。おまけにマダムXとはエルミーヌ・ルコント・ドゥ・ヌイというモーパッサンと親しかった女性である、とも見なされてきた。1954年にモーパッサンについての浩瀚な博士論文を執筆したアンドレ・ヴィアル、そしてプレイヤッド版3巻を編集したルイ・フォレスチエがそれを承認したことで、マダムXの記事には「箔が付いた」と言っていい。エルミーヌが他にモーパッサンの証言を残している点で説得力があった上に、なんといってもここに出てくるモーパッサンが「いかにも本当らしい」のである。
ところが実はこのマダムXの回想録は偽物だった。そのことを上記「ル・コルボーの悪ふざけ」においてビヤンヴニュは実証したのである。偽作者の正体はアドリヤン・ル・コルボー (Adrien Le Corbeau) というルーマニアの作家だという。
なんということ! ヴィアル以降、「マダムX」の証言を論文に引用した研究者の数は恐らく相当の筈で、何を隠そうこの私も引用したことがある。フォレスチエ先生が引いてるんだもん、そら本当だと思うでしょうが、と言訳したところで始まらない。「してやられた」とはまさしくこのことである。
「マダムX」の記事でとりわけ注目を引くのは、モーパッサンがいわゆるdouble「自体幻視」の体験をしたと語っているところ。「オルラ」を論じる際に、作者が実際にdoubleを信じていたかどうかは重要な鍵となり、この解釈次第で作品の意味づけが変わってくることは確かである。モーパッサン自体幻視に関する証言は他にもあるがどれも胡散臭く、唯一「X夫人」の証言がもっともらしいとされてきただけに事は重要だ。
「マダムX」は他にモーパッサンの文学観についても詳しく語っており、ここにも研究者を陥れる罠がある。バルザックを褒め、フロベールを敬愛し、ゾラとは距離を置いていた等、極めて順当な意見がいかにも本当らしく思わせる。「彼はとても詩が好きでした。彼はヴィクトール・ユゴーを賞賛し、ミュッセやシュリ・プリュドムを愛していました。けれども彼の枕頭の書は『悪の花』だったと思います。モーパッサンは激しく賞賛したのではありませんけれど、私に向かってシャルル・ボードレールの詩句を褒め、暗唱する声が今も聞こえてくるようです。」モーパッサンとボードレールを結び付けたいという研究者の誘惑に、この証言はどれほど強力に作用したことだろう。
だが全ては烏ことル・コルボーの「悪ふざけ」だったのである。
引っかかった研究者が軽率だったと笑うのは簡単である。自己弁護してもしょうがないが、偽作と言われて読み返せば、この「親密なモーパッサン」の記事は実によく出来ていると唸らされる。やれブランシュ博士の病院で廃人となったモーパッサンの姿に涙したとか、やれニースで出会った時はどうのとか、アナトール・フランスの書いた記事にとりわけ喜んでいたとか。「生命に対する本能」を備えていたとか「川は女に似ている」とか、そこかしこにもっともらしい言葉が出て来るのである。更にはチュニジアからというモーパッサンの手紙の「引用」まであり、この書簡はその後の全集にも収録されている。
しかしモーパッサンは子供好きだったとか、ゾラを相手に熱烈に愛国心を弁護したとか、眉唾と思えば疑わしく思える箇所も無いではない。1913年という状況を思えば、モーパッサンに愛国者像を重ねる作者の動機も見えてくる。
ビヤンヴニュも言う通り、1910年前後、従者タッサールの証言やメイニアルの伝記、そしてコナール版の全集完結と、モーパッサンに関する基本的な資料が出揃ったところだった。作者没後20年。ル・コルボーの偽作証言が「本当らしい」のは、彼がこうした資料を基にした上に、モーパッサンの小説から台詞を抜き出してきて、それを「モーパッサン」その人に語らせた点にあった。モーパッサンに親しむ研究者にすれば、この記事は「既視感」を与えるに十分なものを備えている。逆に言えば玄人こそが騙されやすいのだ。
フロベールのように膨大な書簡を残し、彼がいつ何をし何を考えたかを詳細に跡付けることが出来るなら話は違っただろう。プライベートを隠すことに執着し、やたらにあちこち移動するわ、手紙に日付は付けないわ、原稿を残さないわ、その上女性関係は何かと複雑であったらしい、とモーパッサンの生涯を再構築するのはとかく簡単ではない。「証言」はそこで重要となり、年代やら何やら不確かな点の多い従者タッサールの証言も、モーパッサンの伝記を記す上では今も貴重な一次資料である。「マダムX」の証言もそこで一役買っていたのは確かだろう。
もっとも、ここですぐ「ル・コルボー偽作説」に諸手を挙げて賛同すれば、それもまた軽率の謗りを免れないかもしれない。『アンジェルス』16号でビヤンヴニュ氏が怒っているのは、新しい版を出したプレイヤッドが部分的にしか氏の指摘を採用せず、「マダムX」の証言を従来のまま引用している、ということである。「ル・コルボーの勝利」だと氏は皮肉に宣言しているが、プレイヤッド編者の躊躇にも、それなりの理由はあると考えるべきなのかもしれない。
しかしいずれにせよ、「マダムX」の証言がかつての信憑性を失ったことだけは間違いないし、今後この証言を自説の論拠に使用するのは差し控えるのが賢明だろう。
ことは恐らくモーパッサンに限るものではない。徹底した作品論に固執するのでない限り、作家研究は文学研究の重要な土台であり、結局のところ「伝記」を構成するのは自他様々な「証言」の総体である。こうしたいわゆる「一次文献」の上に伝記という「二次文献」が構成されるとすれば、個別の研究、作品論はこの「二次文献」を参照することも稀ではない。ちゃんとした研究者の書いた伝記であれば嘘は書いてないだろうと人は普通思う。だがその情報の根源は所詮第三者の「証言」のみである場合も、決して少ないことではないのである。なかなかどうして文学研究には危うさが付きまとっている。
ということを教訓として記しておきたい。いやはや「烏」恐るべしかな。
(27/05/2006)