エミール・ゾラ
「モンソー公園での除幕式の演説」
Émile Zola, « Pour l'inoguration du monument de Guy de Maupassant au Parc Monceau »,
le 23 octobre 1897

除幕式ではモーパッサンと親しかったアンリ・ルジョン、文学者協会を代表してアンリ・ウーセ、市議会副議長ペック、16区の区長ブルドレーのあとに、エミール・ゾラ(Émile Zola, 1840-1902)が演説を行った。ゾラのあとにはコメディー・フランセーズのブランデス嬢がジャック・ノルマンの詩「モーパッサンへ」を朗読する。

なおこのゾラの演説は、10月25日付『ジュルナル』紙、シャルル・シャンショール「モンソー公園にて」と題する記事に引用されている(2面、ただし全文ではない)。
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〔モンソー公園でのギィ・ド・モーパッサンの彫像除幕式の演説〕
〔モンソー公園でのギィ・ド・モーパッサンの彫像除幕式の演説〕
私は友人でしかありませんので、ただモーパッサンの友人たちの名においてお話しします。作品が彼にもたらす無数の無名の友人たちではなく、彼を知り、愛し、栄光へ向かう彼の歩みを追いかけた、最初のときからの友人たちの名においてです。
この近くで私が最初に彼に出会ったのは、すでに四半世紀以上前のことで、それは我らの善良で偉大なフロベール(1)の住まい、ムリーリョ通りの小さなアパルトマンでのことでした。窓はこの公園の緑に面していました。今でも、あの高いところで身を屈め、彼と肘を突き合わせて、ふたりで美しい木陰を眺め、向こうの輝く水面に視線を向け、そこに映っている柱廊についておしゃべりしていた自分が目に浮かびます。25年以上経って、当時は無名だった青年が大理石のうちに生命を得る一方、彼の不滅性を称える喜びを味わっているのがこの私だとは、なんと奇妙なことでしょう!
あの高いところの善良で偉大なフロベールの仕事場で、私たちが最初に出会ったとき、文芸に対する情熱に燃えて声を響かせているモーパッサンは、ほとんど学校を出たばかりの学生でしかありませんでした。そこにはゴンクール(2)、ドーデ(3)、トゥルゲーネフ(4)といった年長者たちがいて、モーパッサンは彼らの前では控えめで、静かなほほ笑みを浮かべていたので、彼の迅速で眩い幸運を私たちの誰も予想していませんでした。彼はそのにぎやかな陽気さ、たくましい健康、全身から発散する力の魅力ゆえに愛されました。フロベール宅の健康でよく笑う若者であり、彼に対して誰もが心を開いたのでした。
それからデビューの時がやって来ました。その時、モーパッサンは新たに親交を結び、ユイスマンス(5)、セアール(6)、エニック(7)、アレクシ(8)、ミルボー(9)、ブールジェ(10)、さらに他の者たちと共に世界征服に乗り出しました。なんと素晴らしい青春の祝祭だったでしょう! 彼らの脳はどれほど燃え立ったでしょう! 最初に生まれた共感の絆はどれほど強固に生き続けたでしょう! それというのも、人生がその仕事をなすのは遅く、各自をその運命に運び去るとしても、モーパッサンが常に忠実な友であり、昔からの戦友にいつでも手を差し出し、熱い心を開いたことを、声を大にして言う必要があるからです。
成功がやって来ました。雷のように名声が鳴り響きました。もしも彼が陥った恐ろしい最後のあとでもそう言うことができるのなら、モーパッサンは幸福な人物でした。彼が仕事をなし遂げ、この木陰に不滅の姿として立つ今、私は、あの恐ろしい結末が彼の人物像につけ加わることで、人々の記憶のなかで彼を悲劇的な至高の高みへ押しあげるのだと、あえて考えようと思います。彼はデビューの時から喝采され、先ほど名を挙げた友人たちが彼を支える軍団となり、彼はブルジョアのサロンを征服したのち、貴族のサロンをも征服しました。あらゆる称賛、あらゆる情愛が彼に向かって押し寄せました。そして墓に眠ったあとにも、ご覧のように栄光は彼を裏切りません。それというのもの、女性が彼に魂を捧げたことを象徴するこの優美なモニュメントのうちに、彼の記憶は永遠に保たれています。そして彼より年長の、最も著名な者たちの多くがまだ自分の彫像を待っているときに、私たちがここで彼の胸像の完成を祝っているのです!
それというのも、モーパッサンが民族の健康と力だからです。ああ! 同胞のひとり、明晰でしっかりした頭脳を持ったラテン人、黄金のように響き、ダイヤのように純粋な、美しい文章を作った者をついに称えることができるのは、なんという喜びでしょう! 彼の通る道には絶えずこのような喝采が響いたとすれば、それは誰もが彼のうちに、我らがフランスの偉大な作家たちの兄弟、子孫を認めたからです。我らが土地を豊かにし、葡萄や小麦を熟させるよき太陽の光線です。彼が愛されたのは、彼が家族の一員であり、彼がそうであることを恥じず、良識、論理、平衡、フランスの古き血筋の力と明晰さを所持していることを誇りにしていたからです。
親愛なるモーパッサン、私が愛し、兄の喜びで成長するのを目にした年下の友よ、君が栄光のなかへ入っていくに際して、私はかつての忠実な友人たち皆の称賛を君に届けよう。もしも我らの善良で偉大なフロベールが、あの高いところにある仕事に没頭した机から君への礼賛に立ち会うことができたなら、彼が文学の息子と呼んだ者に私たちがオマージュを捧げるのを見て、彼の心はどれほど誇りに満ちあふれることだろう! 少なくとも彼の影はそこにあり、私の声によって、私たちは皆ここにおり、私たちは君を称賛し、君を愛し、君の不滅に敬意を表するのです。
Émile Zola, [Pour l’inauguration du monument de Guy de Maupassant au Parc Monceau], dans Œuvres complètes, publiées sous la direction de Henri Mitterand, Nouveau Monde Éditions, t. 17, 2008, p. 480-481.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
訳注
(1) Gustave Flaubert(1821-1880):小説家。精密な考証を基に、推敲に推敲を重ねて小説を執筆した。『ボヴァリー夫人』(1857)、『感情教育』(1869)などの作品は後世に大きな影響を与える。他に『サラムボー』(1862)、『聖アントワーヌの誘惑』(1874)、『三つの物語』(1877)、『ブヴァールとペキュシェ』(未完、1881)。フロベールは1869年から75年までムリーリョ通り4番地、75年から80年まではフォーブール・サン=トノレ通り240番地にアパルトマンを所持し、冬をそこで過ごしていた。
(2) Edmond de Goncourt(1822-1896):批評家、小説家。弟ジュールと協力して『ジェルミニー・ラセルトゥー』(1865)などの作品を執筆。弟の死後はひとりで創作を続けた。『娼婦エリザ』(1877)などによって、レアリスム文学の代表のひとりと位置づけられる。『ザンガノ兄弟』(1879)、『フォスタン』(1882)、『愛しい人』(1884)。美術収集家として日本美術に詳しく、また長年記した『日記』でも名高い。
(3) Alphonse Daudet(1840-1897):南仏出身の小説家。短編集『風車小屋だより』(1869)で文名を確立。風俗小説を数多く著わした。『陽気なタルタラン』(1872)のシリーズなどが名高い。長編小説に『若いフロモンと兄リスレル』(1874)、『ジャック』(1876)、『ナバブ』(1877)、『亡命の諸王』(1879)、『ニュマ・ルメスタン』(1881)、『福音伝道師』(1883)、『サフォー』(1884)、『不滅の人』(1888)、『小教区』(1895)、『大黒柱』(1898)。
(4) Ivan Tourgueniev(1818-1883):ロシアの小説家。人道主義に立って社会問題を取りあげた。フランスに長期滞在し、フロベールと親しく、ゾラとも親交を結んだ。自然主義の作家たちのロシアでの紹介に貢献した。小説に『猟人日記』(1852)、『ルージン』(1856)、『はつ恋』(1860)、『父と子』(1862)、『けむり』(1867)、『処女地』(1877)。
(5) Joris-Karl Huysmans(1848-1907):小説家。自然主義に傾倒し、『マルト』(1876)、『ヴアタール姉妹』(1879)、『流れのままに』(1881)、『所帯』(1882)などを執筆。『さかしま』(1884)で転機を迎え、自伝色の濃い作品のなかで神秘主主義や回心のテーマを追求した。『仮泊』(1887)、『彼方』(1891)、『出発』(1895)、『大伽藍』(1898)、『修練士』(1903)。芸術評論に『現代芸術』(1883)、『ある人々』(1889)、『三人のプリミティフ画家』(1904)。1892年以降カトリックに転向。1900年よりアカデミー・ゴンクールの初代会長を務めた。
(6) Henry Céard(1851-1924):小説家、劇作家、批評家。長いあいだゾラと近しかったが、1893年に離反する。長編小説に『美しい一日』(1881)、『海辺の売地』(1906)がある。戯曲に『ルネ・モープラン』(ゴンクール兄弟の翻案、1886)、『すべて名誉のために』(ゾラに基づく、1887)、『諦めた人たち』(1889)、『桃の実』(1890)。1918年よりアカデミー・ゴンクール会員。
(7) Léon Hennique(1850-1935):小説家・劇作家。ゾラと親しく、後にはエドモン・ド・ゴンクールと近しくなった。短編集に『ふたつの小説』(1881)、『ブフ』(1887)、長編に『献身的な女』(1878)、『エベール氏の災難』(1883)、『ある性格』(1889)、『ミニー・ブランドン』(1899)。戯曲に『ジャック・ダムール』(ゾラの翻案、1887)のほか、歴史劇『エステル・ブランデス』(1887)、『アンギャン公の死』(1888)、パントマイム『懐疑的なピエロ』(ユイスマンスと共作、1881)も著した。1900年よりアカデミー・ゴンクール会員。1907-1912年には会長を務めている。
(8) Paul Alexis (1847-1901):小説家、ジャーナリスト。短編集に『リュシー・ペルグランの最期』(1880)、『愛への欲求』(1885)、『プラトニックな恋』(1886)、『恋愛教育』(1890)、『三十の小説』(1895)。長編に『ムリヨ夫人』(1890)、『ヴァロブラ』(1901)。戯曲に『リュシー・ペルグランの最期』(翻案、1888)、『ザンガノ兄弟』(ゴンクールの翻案、1890)、『シャルル・ドマイ』(同、1892)などがある。また、ゾラの伝記『エミール・ゾラ 一友人の手記』(1882)を著している。加えて、ジャーナリストとして『国家の未来』、『クロッシュ』、『ジュルナル』、『レヴェイユ』、『民衆の叫び』などの多数の新聞・雑誌に寄稿した。
(9) Octave Mirbeau(1848-1917):小説家、批評家。芸術批評において前衛的な芸儒家を擁護するとともに、多数の小説も執筆した。『セバスチャン・ロック』(1890)、『責苦の庭』(1899)、『小間使の日記』(1900)、『神経衰弱者の二十一日』(1901)、『628-E8』(1907)、『ダンゴ』(1913)。戯曲に『悪しき牧者』(1897)、『事業は事業』(1903)がある。
(10) Paul Bourget (1852-1935) : 批評家・小説家。詩人として詩集『不安な生』(1875)、『告白』(1882) などを出版。1883年、『現代心理論』で批評家として注目され、後に活動の場を小説に転じる。『アンドレ・コルネリス』(1887)、『弟子』(1889)、『コスモポリス』(1893)、『宿駅』(1902)、『真昼の悪魔』(1914)。