「エミール・ゾラ」

« Émile Zola », le 14 janvier 1882



「エミール・ゾラ」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 解説 1882年1月14日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載された、モーパッサンによるゾラについての評論。増補・改訂したものが、翌年、カンタン書店「現代著名人」叢書の一冊『エミール・ゾラ』として出版される。
 エミール・ゾラ(Émile Zola, 1840-1902)は小説家。科学に基づく芸術の新しい形に「自然主義」の名を与え、ロマン主義の影響の残る文学・芸術の刷新を主張した。自身の文学を実現するために『ルーゴン=マッカール叢書』を計画。『居酒屋』(1877)、『ナナ』(1880)で成功を収め、作家としての地位を確立した。1880年にはモーパッサン、J・K・ユイスマンスらと共に共作短編集『メダンの夕べ』を刊行。自然主義運動を世に広く知らしめた。
エミール・ゾラ  文末にモーパッサン自身が語るように、当記事は『ごった煮』(1882)掲載前のいわば宣伝記事ではあるが、手放しでゾラを礼賛するのではなく、好意的に、だが同時に客観的にゾラ作品の特質を説いている。ゾラは芸術上の約束事を取り除き、「真実」を求める一方で、資質的にはロマン主義的であるとして、その作品を「詩」と呼んでいる。末尾ではメダンのゾラ宅の様子を描き、ゾラの骨董趣味はギュスターヴ・フロベールと対照的だと述べている。
 ゾラの側では、1881年7月11日付『フィガロ』掲載の「アレクシとモーパッサン」において、「まったくノルマンディー的な丈夫さ、血色よいたくましさ、純血の作家の持つ文体」を称えるなど、モーパッサンを評価し続けた。


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エミール・ゾラ


 有名になることを運命づけられているような名前が存在するもので、その名前は響きよく、記憶のなかに残りつづける。バルザック(1)の名を忘れることがあろうか、ユゴー(2)の名を忘れたりするだろうか、その短く破裂するようなシラブルが響くのを一度でも耳にしたなら? けれども、あらゆる文学者の名前のなかで、ゾラの名前以上に勢いよく目に飛び込んできて、深く記憶と結びつくものは恐らく他にないだろう。その名はラッパの奏でるふたつの音のように、賑やかしく乱暴に飛び込んでくるや、荒々しくも響きのよい陽気さで耳を満たす。ゾラ、公衆へのなんという呼び声! なんという目覚めの叫び! 才能ある作家にとって、そんな名を戸籍に授けられるのはなんという幸運だろう!
 かつてひとりの人間に、これよりよい名前がつけられただろうか? それはまるで戦いへの挑戦、攻撃するぞという威嚇、勝利の歌声のようである。さて、今日の作家のなかで一体誰が彼以上に、自らの思想のために猛然と戦っただろう。一体誰が、不正や偽りと信じる物事を彼以上に激しく攻撃しただろう。一体誰が、多数の公衆の、初めは無関心、次いでためらい勝ちな抵抗に対して、彼以上に素早く、また華々しく勝利を収めただろうか?
 彼の人柄も才能に呼応している。40数歳、中柄で少しばかり太り気味、善良だが頑固そうな様子をしている。多くの16世紀イタリア絵画に見られるような頭をしていて、美しくはないが、力と知性に溢れる優れた性質を表している。短く刈った髪がとても広い額の上にそそり立っている。まっすぐの鼻は、鋏でばっさりといった風に、上唇の上できっぱりと切り取られていて、唇のほうはとても濃く黒い口ひげの陰になっている。このふっくらして、しかしながら精力的な顔の下の部分は、短く刈られた顎ひげで覆われている。黒い瞳は近視だけれど貫くようで、何かを探し求め、時には軽蔑するように、時には皮肉な様子で微笑を浮かべ、一方で、特徴的な皺を寄せて上唇が巻くりあがると、ある種滑稽でもあり、からかっているようにも見える。丸々として力強い全体の様子には大砲の弾を思わせるものがある。そのような人物が、二音節のごつごつした名前を堂々と捧げている。その二音節は、ふたつの母音の響きのなかで弾けるかのようだ。

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 彼の作品についてまだ言われていないことがあるだろうか? さらに何かを言わなければならないだろうか? 作品もまた同じように荒々しい。文学上の礼儀正しさに関する約束事を引き裂き、破り、紙製の輪に入った筋骨隆々の道化師のように通り抜けていったのだった。とりわけこの作家が備えていたのは、本来の言葉を使う大胆さであり(機知ある人々の微笑むのが見える)、迂言法に対する軽蔑である。彼こそが誰よりもよく、ボワロー(3)に倣って言うことが出来るだろう。

 私は猫を猫と呼び……(4)

 彼はしばしば、この裸の真実に対する愛情を挑発にまで押し進めるかのようだ。彼の文体はゆったりとして、イメージに溢れ、フロベール(5)のように簡潔にして正確ではなく、テオフィール・ゴーティエ(6)のように彫琢された繊細なものでもなく、ゴンクール(7)のように微細に分断され、中世の吟遊詩人トゥルヴェールのごとくに複雑で、細やかに魅力的なものでもない。彼の文体は過剰であり、激烈で、まるですべてを押し流す氾濫した川のようである。ロマン主義の時代の子として、手法においては心ならずもロマン主義的である(彼は後悔混じりにそれを自ら告白している)彼は、賛嘆すべき書物を著してきたが、そこには意図せざる詩の様相がある。それは詩的慣習に従わず、先入見も持たない詩である。そこにおいてはどんなものでも現実と等しい姿で現れるが、作家が自らの内に抱く、大きくはするが常に忠実で誠実なこの真実の鏡のなかでは、嫌悪を催すものか魅惑的なものか、醜いものか美しいものかは関係なく、決して変形させられはしないが拡大して写されるのである。
 『パリの腹』は食べ物に関する詩ではないだろうか? 『居酒屋』は酔いについての詩では? 『ナナ』は悪徳の詩ではなかろうか?
 これは一体何であろうか、もし高尚なる詩情、娼婦の驚くべき拡大化でないのなら。――「彼女は、自分の部屋に積み上げられた贅沢品の真ん中に立っており、打ちひしがれた男たちが足元にひれ伏していた。恐るべき住処を骨で埋め尽くす古代の怪物のごとくに、彼女は足先を男どもの頭蓋骨に乗せていた。そして、破局が彼女を取り囲んでいた。ヴァンドゥーヴルの燃えあがった怒り、中国の海に溺れたフーカルモンの憂鬱、正直者として生きることを余儀なくされたステネールの荒廃、満足しきったラ・ファロワーズの愚かさ、ミュファ家の悲劇的な崩壊。そしてジョルジュの白い遺骸は、前日出獄したフィリップが通夜をした。破産と死よりなる彼女の作品は完成した。場末の塵芥から飛び立った蝿は社会の腐敗を発酵させ、ただ上に止まるだけでこれらの男たちに毒を注いだ。それは結構なこと、正当なことだった。彼女は自分の世界、乞食と捨てられた者たちの復讐を果たしたのだ。そして栄光のなかにあって、虐殺の場を照らす朝陽にも似て、これら横たわった犠牲者たちの上に彼女の性がのぼり、光を投げかける一方で、彼女は見事な獣としての無意識を保ちつづけ、自らの仕事に無知のまま、いつでも善良な少女であったのだ(8)

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 あまりに多くのからかいがこの男性に投げつけられたのではないだろうか。それも粗野で、たいして代わり映えのしないからかいである。飽きることもなく、ある作家を屎尿汲み取り人に、友人たちをその補佐に、作品を肥溜めに喩えて文学批評をするのは本当に簡単なことだ。もっともこの種のはしゃぎぶりは、自らの力を感じている自信家をほとんど驚かせもしなかった。
 私は、ゾラのために「槍を折っている」〔訳注:弁護する〕ように思われたくはない。――そもそも、彼は十分に自分を守れるのだし、しばしばそのことを証明してみせた――しかし私が驚かされるのは、偽善の論理があまりにも我々の内に根を下ろしているために、ある小説家がすべてを述べる自由、誰もが行っていることを語る自由を熱意を込めて要求すると、その作家がひどく罵られるという事実である。本当のところ、我々は自分自身に対して驚くべき喜劇を演じている。名誉、美徳、正直などといった壮大な言葉の助けを借りれば、我々は誠実な心で、自分の姿を自身とはすっかり異なったものとして想像することができるというのだろうか? どうしてそんな嘘をつくのか? 誰も騙せなどしないのに! お目にかかるあらゆる仮面の下の、あらゆる顔はすでに知れているではないか! 我々は互いにすれ違いながら、繊細な微笑を浮かべてみせる。その微笑は「みんな分かっていますよ」と告げているのだ。我々は耳元で醜聞、露骨な話、人生の真の裏面について囁きあう。それなのに、誰か勇気ある者が力強い声で話したり、大声だが無関心な口調で穏やかに、社交界の〈道化師たち〉の秘密を語り始めたりすれば、騒ぎが持ち上がり、憤慨が装われ、やれメッサリナ(9)風の羞恥、やれロベール・マケール(10)の傷ついた自尊心ということになるのだ。
 恐らくは文学界において、エミール・ゾラ以上に憎しみを掻き立てた者はいまい。さらに彼は、何人もの残忍で妥協の余地のない敵を持つという栄誉に浴している。彼らは事あるごとに狂信者のように彼を非難し、あらゆる武器を用いるのであり、彼は猪のような繊細さでそれを受けとめている。彼の辛辣な言葉による攻撃は伝説となっている。無関心の姿勢にもかかわらず、何度かは受けた殴打によって死にそうな目にあったとしても、彼は我が身を慰めるものに欠いてはいなかった。彼より有名で、世界中に名が知れ渡り、敵方でさえも異論の余地のない、そんな作家は存在しない。これほど幅広い名声を謳歌する者は他にはいないだろう。
 その上、彼は模範的な労働者である。早くに起床し、朝8時から午後1時まで一息に仕事をする。日中も机の前に座り、夜にまた再開する。世間や噂を敵に回し、もうほとんどメダンを離れることがない。1年の内、9か月はそこに留まっている。
 生活や周囲を囲む事物のなかにその人物の精神の秘密を探ろうとする者にとって、ゾラは一個の興味深い〈事例〉となることだろう。ロマン主義者に対する血気盛んな敵対者である彼は、田舎でもパリでも、もっともロマン主義的な住まいを作り上げている。パリでは、彼の部屋には古代のタペストリーがかけられ、アンリ二世様式の寝台が広い部屋の中央に突き出ている。部屋は教会の古いステンドグラスで照らされ、彩り豊かな光が、場違いにも思える無数の空想的な置物の上に投げかけられる。あちこちには昔の布地、古い絹地の刺繍、大昔の祭壇の飾り。メダンにおいては一層奇妙なことになっている。住居は方形の塔で、その足元にとても小さな家が身を寄せている様は、巨人と連れ立って旅する小人さながらである。庭も、あずま屋も、木陰になった綺麗な小道も、立派な広い花壇もない。ただ前方に小さな菜園がついているが、司祭館の庭のようなもので、そこで人はガラス球を探す。生垣がこの慎ましやかな地所と鉄道とを分け隔てている。そして〈聖域〉に入ると、人は驚きっぱなしになる。
 ゾラが仕事をするのは、並外れて大きく天井の高い部屋で、平野に面したガラス窓が全体を照らし出している。そしてこの巨大な部屋にも巨大なタピスリーがかけられていて、あらゆる時代、あらゆる国の家具で埋め尽くされている。中世の甲冑は本物かどうか知らないが、日本の驚くような家具や、18世紀の優美な品々と並んでいる。堂々たる暖炉は、両脇に2体の石像が並んでいるが、一日で一本の樫の木を燃やし尽くすものだ。コーニスは黄金に塗られ、それぞれの家具には置物がたくさん乗っている。しかしながら、ゾラは少しも収集家ではない。彼はまるでただ買うことを目的に、ごちゃ混ぜに、掻き立てられた空想の赴くまま、視線の気まぐれに任せ、形態や色彩の誘惑に金を払っているようで、ゴンクールのように、正真正銘の起源や、疑いの余地のない値打ちには気を払わない。
 ギュスターヴ・フロベールは反対に、置物を嫌悪し、この〈偏執〉を下らない子どもじみたものと見なしていた。彼の家には「古物――骨董」や「美術品」と人の呼ぶところのものは何も見当たらなかった。パリでは、インド更紗のかけられた彼の部屋には、愛情をもって住まわれ、情熱を込めて飾られた住まいに見られる、あの包み込むような魅力が欠けていた。クロワッセの田舎では、熱中して仕事に打ち込む彼の広い部屋は、ただ書物で覆われているだけだった。それから、所々に旅や友情の記念の品があったが、ただそれだけだった。
 心理学者はここに興味深い観察対象を見いだすのではないだろうか?

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 私はこの短い記事において、ゾラ、〈人と生涯、作品〉といった研究をするつもりはなかった。そもそも、そうしたものはすでになされているし、絶えず出続けることだろう。彼の最も親しい友人であるポール・アレクシ(11)は、自然主義の長について彼の知ることすべて(彼はすべてを知っている)を小さな本にまとめた(12)。私が望んだのは、『ゴーロワ』紙が新しい作品『ごった煮(13)』を掲載するにあたって、ただ何行かでこの偉大で大変興味深い作家のシルエットを素描してみることだった。この長編は彼がもっとも時間をかけた小説であり、一冊ごとにコントラストをつけるという彼が採用していると思われるシステムにおいては、あの眩いばかりの長編『ナナ』の後なので、静かな小説になることだろう。


『ゴーロワ』紙、1882年1月14日
Le Gaulois, 14 janvier 1882.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 381-386.




訳注
(1) Honoré de Balzac (1799-1850) : 小説家。人物再登場法を駆使し、自作の小説を『人間喜劇』の総題のもとにまとめあげ、復古王政および七月王政下のフランス社会全体を描きあげることを試みた。近代リアリズム小説の代表者。『ゴリオ爺さん』(1835)、『谷間の百合』(1835)、『従妹ベッド』(1846)。
(2) Victor Hugo (1802-1885) : 詩人、劇作家、小説家。戯曲『クロムウェル』(1827)や『エルナニ』(1830)、『東方詩集』(1829)などによってロマン主義を主導した。小説に『死刑囚最後の日』(1829)、『ノートルダム・ド・パリ』(1831)。1841年、アカデミー・フランセーズ入会。第二共和政下で代議士を務めるが、第二帝政の開始とともに亡命。ブリュッセル、ジャージー島、ガーンジー島に移り住んだ。『懲罰詩集』(1853)、『静観詩集』(1856)、小説『レ・ミゼラブル』(1862)を発表した。第三共和政の成立に際して帰国、文壇の最重鎮として君臨。『諸世紀の伝説』(1859、1877、1883)、『九十三年』(1874)。1885年、国葬ののちパンテオンに埋葬される。
(3) Nicolas Boileau (1636-1711) : 詩人・批評家。古典主義文学理論の確立者として知られる。『詩法』 (1674) など。
(4) ニコラ・ボワロー「諷刺詩 I」、52行。(Nicolas Boileau, « Satire I », dans Satires, 1666, v. 52.)
(5) Gustave Flaubert (1821-1880) : 小説家。精密な考証を基に、推敲に推敲を重ねて小説を執筆した。『ボヴァリー夫人』(1857)、『感情教育』(1869)などの作品は後世に大きな影響を与える。他に『サラムボー』(1862)、『聖アントワーヌの誘惑』(1874)、『三つの物語』(1877)、『ブヴァールとペキュシェ』(未完、1881)。ゾラはフロベールを尊敬し、自然主義の祖と位置づけていた。
(6) Théophile Gautier (1811-1872) : 詩人・小説家。ロマン主義を代表する作家のひとり。唯美主義を掲げた『モーパン嬢』(1835)序文が名高い。詩集『螺鈿と七宝』(1852)は彫琢された詩篇によって、ボードレールら後世の詩人に大きな影響を与えた。長編に『ミイラ物語』(1858)、『キャピテン・フラカス』(1863)などがあるほか、幻想的な短編小説を多数残している。
(7) Edmond de Goncourt (1822-1896) : 批評家・小説家。弟ジュールと協力して『ジェルミニー・ラセルトゥー』 (1865) などの作品を執筆。弟の死後はひとりで創作を続けた。『娼婦エリザ』(1877) などによって、レアリスム文学の代表のひとりと位置づけられる。美術収集家として日本美術に詳しく、また長年記した『日記』でも名高い。
(8) 『ナナ』、第13章の末尾。ナナの絶頂を語るくだり。
(9) Messaline (vers 25-48) : ローマ皇帝クラウディウスの妃。愛人シリウスと陰謀を企てるが、露見して処刑された。
(10) Robert Macaire : 架空の人物。劇作家バンジャマン・アンティエが着想し、俳優フレデリック・ルメートルの演技で有名になった。後に諷刺画家ドーミエがマケールについての一連の作品を発表。私欲に満ちた偽善者、ほら吹きの小悪党といった人物。
(11) Paul Alexis (1847-1901) : 小説家、ジャーナリスト。『メダンの夕べ』寄稿者のひとり。短編集に『リュシー・ペルグランの最期』(1880)、『愛への欲求』(1885)、『プラトニックな恋』(1886)、『恋愛教育』(1890)、『三十の小説』(1895)。長編に『ムリヨ夫人』(1890)、『ヴァロブラ』(1901)。戯曲に『リュシー・ペルグランの最期』(翻案、1888)、『ザンガノ兄弟』(ゴンクールの翻案、1890)、『シャルル・ドマイ』(同、1892)などがある。生涯、自然主義の理念に忠実で、ゾラの親友だった。加えて、ジャーナリストとして『国家の未来』、『クロッシュ』、『ジュルナル』、『レヴェイユ』、『民衆の叫び』などの多数の新聞・雑誌に寄稿した。
(12) ポール・アレクシ『エミール・ゾラ、一友人の手記』、シャルパンティエ書店、1882年 (Paul Alexis, Émile Zola. Notes d'un ami, Paris, Charpentier, 1882 ; Paris, Maisonneuve & Larose, 2001.)
(13) Pot-bouille : 1882年1月23日から4月14日にかけて『ゴーロワ』紙に連載され、同年にシャルパンティエ書店から刊行された。


(*翻訳者 足立和彦)

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