「フロベールと彼の家」
« Flaubert et sa maison », le 24 novembre 1890
(*翻訳者 足立 和彦)

前日にルーアンにおいて、シャピュ制作のフロベール像の除幕式が行われたのを記念して編まれた特集。エドモン・ド・ゴンクールやエミール・ゾラをはじめとして、名だたる作家の自筆コメントが掲載されている。モーパッサンの文章は、作家の肖像やクロワッセの邸宅のデッサンの解説として書かれた。なお、同日付の『エコー・ド・パリ』紙にはモーパッサンの評論「ギュスターヴ・フロベール」が掲載されている。

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フロベールと彼の家
フロベールと彼の家

当時、彼は古代ギリシャの若々しいオリンポスの神のような美しさを備えていたようである。
この身体美は長くは続かなかった。東方旅行によって疲弊し、体重が増加した後の彼は、我々がよく知っている人物、大柄で頑健な立派なガリア人であった。見事な口ひげを生やし、鼻筋は力強く、濃い眉毛が海鳥のような青い瞳を覆って守っている。その瞳の真ん中にはとても小さな黒い瞳孔がいつでも動きながらじっと見つめている。絶えず震えていて鋭く、見る者の心をかき乱すのだった。

この力強い頭部の型が取られた。石膏に睫毛が残った。閉じた瞼の上に、それまで目を覆っていた黒い長い睫毛が付いているあの青白い型を、私は決して忘れはしないだろう。
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作家にとってこれ以上に文学的で魅力的な住居は、恐らくフランスには存在しなかっただろう。
十七世紀に遡る住居は真っ白で、セーヌとは芝生と曳船道で隔てられており、ルーアンからル・アーヴルへと続く見事なノルマンディーの平野が見渡せた。


それでも時折は、ボダイジュの長い並木道を半時間ばかり散歩したが、その並木道は二階の高さにあり、家から領地の端まで続いていた。パスカル(2)もかつてこのボダイジュの下を歩いた。この家に数日間滞在したことがあったのである。
アベ・プレヴォー(3)もそこに短期間滞在したと信じられている。庭の上までのぼると、眼下には素晴らしい光景が広がっていた。木々に覆われた小島が散在する大きな川が、ルーアンからル・アーヴルへ向けてくだっていた。
東を向くと、右岸にはルーアンの教会のたくさんの鐘楼がもやのかかった空にそびえ、左岸には工業地区サン=スヴェールの工場の無数の煙突が、同じ天空に黒い煙の波打つような縮み織りを広げていた。
だが西を向くと、川の流れる長い緑の谷間が見渡せた。丘には暗い森があり、奥のほうでは、銀の液体の大きな蛇が海へ向かって穏やかに進んでゆくのだった。
『ジル・ブラース』紙付録、1890年11月24日
Supplément du Gil Blas, 24 novembre 1890.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. III, p. 411-412.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
Supplément du Gil Blas, 24 novembre 1890.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. III, p. 411-412.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
訳注
(1) Jules Cloquet (1790-1883) : 外科医、解剖学者。フロベール家と交流があった。
(2) Blaise Pascal (1623-1662) : 数学者、物理学者、思想家。遺稿集『パンセ』(1670) がとくに名高い。
(3) Antoine François Prévost d’Exiles, dit l’abbé (1697-1763) : 小説家、翻訳家。『ある貴族の回想』 (1728-1731) の一部『マノン・レスコー』 (1731) が広く読まれている。モーパッサンは「『マノン・レスコー』序文」(1885) でこの作品を高く評価している。