モーパッサン 『バロネット』序文

Préface de Baronnette, 1882



(*翻訳者 足立 和彦)

解説 1882年6月発行、エルネスト・ガレンヌ Ernest Garennes 著『バロネット』 Baronnette(Paris, Lalouette)に寄せたモーパッサンの序文。著者の本名はジャン=エルネスト・ゲイ Jean-Ernest Gay (1847-1939)。歴史書や旅行記、小説等を多数出版し、1882年「ルヴュ・リベラル」 Revue libérale 創刊。
 実は本書は永らく現存冊子不明で、モーパッサンの序文も闇の中だった。初掲載は Maria Giulia Longhi, « Maupassant préfacier. Avec une préface inédite », Dix-neuf / vingt, revue de littérature moderne, no 6, 1998, p. 72-73. なお「バロネット」は男爵夫人(baronne)に縮小辞を付したもので、訳せば「可愛い男爵夫人」といったところ。
 「序文」とはいいながら、序文は書かないと断言し、おまけに作品をばっさり批判するこの書簡。もらった著者の心境も複雑だと思うが、それでも掲載してしまうのは、したたかなのか、何なのか。
 それはともかく、ここでもモーパッサンは一過性の「流派」に属さない、根本的な芸術・創作の理念を表明している。とりわけ「誠実さ」 sincérité はモーパッサン文学の重要なキー・ワードと言っていい。作者が真実と信じるところのものを誠実に虚飾なく描くこと。美学的理念は、モーパッサンにあっては芸術家の倫理と切り離せない。
 そして題材の真実性だけでは十分ではなく、芸術的な完成こそが必要であるという主張にも「芸術家」モーパッサンの強い意志が感じ取れるだろう。
 なお文中、ラ・パリスなる人物は、「死ぬ十五分前には生きていた」なる「冗語」で、いささか不名誉な名を残す16世紀の軍人である。

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親しい同僚へ

 あなたは私に、あなたの小説『バロネット』に序文を寄せるようにお求めになりました。私は大変に困惑し、あなたの意に適いたいという強い希望と、序文に対する嫌悪との間でためらったことを告白しなければなりません。
 まずもって、私には序文を草するためのどんな肩書きもありませんし、世論に対するどんな権利も、書物の巻頭に自分の意見を表明するどんな権威もありません。
 それから、序文というものは普通、文学理論を主張するのに用いられるものです。私のそれはあまりに広い範囲に及ぶものなので、何らかの書物一冊に関して述べる際に、凝縮して明確に記すことなど出来ません。ラ・パリス流のこの真理を確認にするに留まるのです。すなわち、よく書かれた本は良い本である。
 一国の「政治体制」は十年ごとに変化します。「偉大な文学的信念」もそれ以上続くことなどありません。
 私が『カンディード』を読む時には、文体、エスプリ、皮肉、人間や事物に対する高邁な軽蔑、通常の書き物に投げつけられたあの哲学的創作を賞賛します。
 私がバルザックを読む時には、文体について思うことはもうありません。時々はそれを欠いていることを残念に感じますが。しかし私は、溢れる天才に、力強い観察力に押し流され、もはや広大な「現実」しか信じません。
 文学を愛することが必要です。まずもって、何よりも愛することです。けれども一途にただ「一つ」の文学を、ではありません。
 要するに、私が信じるのは、ただ一つの理論だけが常に正しく、常に真実であるということですが、それはすなわち文学的誠実ということです。芸術的偏見に捕われずに、率直にあなた自身でなければいけません。先入観だけが、私には厭わしいものに思われます。道徳的であるといわれる作品に見られる恐らくは無意識的な偽善性は、文芸を情熱的に愛する者にとって、秘密に出版された最も慎みを欠き、最も粗野であるが、しかし誠実であるような書物よりも忌まわしいものなのです。
 あなたの小説はその率直さにおいて大変に好感がもてます。それはまさしく、一女性の荒廃についての実際にあった物語です。けれども私は粗野で、恐らくは厳しすぎる批評を加えます。あなたは、自分が所持しておられる優れた素材を処理し、それを作品に仕上げる際に幾らかの過ちを犯しているように見受けられます。分類や構成、人物に個別の生命と力強い立体感を与えるべく、フロベールがあまりにも見事に用いた芸術的手法。行間に、言葉の裏に、事実の下にある別の書物を、ある隠された哲学を備えるような文体の潜在的能力、それが、後にまで残る震えや、とても甘美な芸術的痙攣を芸術家の心に与えます。そうしたものをあなたは先入見から軽視されたように思われるのです。
 多くの読者の目には留まらないような批判をしていることを私は承知しています。けれども同じように私が信じているのは、特定の者に限りない喜びを与える一方、大衆の受けが悪くなったとしても、その方がより価値があるということなのです。
ギ・ド・モーパッサン

エルネスト・ガレンヌ『バロネット』序文、1882年




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