モーパッサン 時評文
Chroniques de Maupassant
時評文 翻訳リスト
文芸評論・肖像
- 「ギュスターヴ・フロベール」 22/10/1876
- 「書簡に見るバルザック」 22/11/1876 (29/03/2006)
- 「十六世紀のフランス詩人たち」 17/01/1877 (27/03/2006, 09/03/2017 改稿)
- 「メダンの夕べ」 17/04/1880 (01/07/2006, 29/10/2023改稿)
- 「一年前の思い出」 23/08/1880 フロベールの家 (08/04/2008)
- 「書簡に見るギュスターヴ・フロベール」 06/09/1880 (24/12/2008)
- 「『ニヒリズム』の語の発明者」 21/11/1880 トゥルゲーネフ (21/08/2009)
- 「私生活のギュスターヴ・フロベール」 01/01/1881 (12/04/2015)
- 「芸術家の住まい」 12/03/1881 エドモン・ド・ゴンクール (21/01/2007)
- 「ブヴァールとペキュシェ」 06/04/1881 (31/07/2007)
- 「一冊の書物を巡って」 04/10/1881 (21/02/2011)
- 「仲間意識?……」 25/10/1881 (23/02/2021)
- 「スティリアーナ」 29/11/1881 (24/04/2024)
- 「エミール・ゾラ」 14/01/1882 (03/2006, 24/02/2018 改稿)
- 「読書つれづれ」 09/03/1882 (10/02/2009)
- 「文学的問題」 18/03/1882 (21/05/2024)
- 「小説」 26/04/1882 ジャン・リシュパン (04/05/2013)
- 「書簡に見るジョルジュ・サンド」 13/05/1882 (11/04/2006)
- 「ルイ・ブイエ」 21/08/1882
- 「イヴァン・トゥルゲーネフ」 05/09/1883
- 「イヴァン・トゥルゲーネフ」 06/09/1883 (14/04/2015)
- 「幻想的なもの」 07/10/1883 トゥルゲーネフ (17/02/2010)
- 「繊細さ」 25/12/1883 (05/11/2016)
- 「悲しい閑談」 25/02/1884 フロベール (28/04/2014)
- 「彼方へ」 10/06/1884 ユイスマンス『さかしま』
- 「時評文執筆家諸氏」 11/11/1884 (23/01/2012)
- 「思い出」 4/12/1884 ブイエとフロベール (09/06/2014)
- 「ギュスターヴ・フロベール」 (I) 1884 (12/03/2017)
- 「ギュスターヴ・フロベール」 (II) 1884 (12/03/2017)
- 「『ベラミ』批評に答えて」 07/06/1885 (10/03/2013)
- 「偉大なる死者たち」 20/06/1885 ヴィクトール・ユゴー (22/04/2006)
- 「ある風景画家の生活」 28/09/1886 モネ、コローとクールベ (11/08/2014)
- 「小説論」 07/01/1888 (07/02/2008, 14/04/2019 改稿)
- 「書簡の文体」 11/06/1888 (31/01/2024)
- 「十九世紀における小説の進化」 10/1889 (27/07/2017)
- 「ギュスターヴ・フロベール」 24/11/1890 (27/04/2020)
- 「フロベールと彼の家」 24/11/1890 (24/02/2021)
序文
- 『バロネット』 1882 (15/08/2006)
- 『向こう見ずな女たち!』 1883 (09/02/2009)
- 『マノン・レスコー』 1885 (14/05/2006)
時評
- 「戦争」 10/04/1881 (02/06/2016)
- 「不名誉という先入見」 26/05/1881 (30/06/2019)
- 「畜生!」 05/07/1881 (22/03/2022)
- 「さらば、神秘よ」 08/11/1881 (04/10/2018)
- 「自由思想」 14/12/1881 (02/03/2015)
- 「役人」 04/01/1882 (01/04/2022)
- 「クロニック」 14/06/1882 (28/07/2024) Nouveau !
- 「戦争」 11/12/1883 (08/05/2009)
紀行文
その他
- 「豚の市場」 01/05/1877 (03/07/2016)
- 「ディエップの浜辺」 23/05/1877 (17/07/2016)
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解説 モーパッサンが小説家として活躍したのはわずかに10年。その間に300を越す短中編が書かれたとはそれ自体驚きだが、更に彼は200を優に超す時評文を新聞・雑誌に発表している。
この膨大の時評文の一部は、書き換えられ、3冊の旅行記の内に含められている。だがモーパッサンは生前、時評文だけを集めて作品集として出版することがなかったために、その多くは、作者の没後、長らく忘れられた存在であった。
1950年代以降、幾人かの熱心な研究者が散逸したテクストを収集し、出版を行ってきた。Guy de Maupassant, Chroniques, édition complète et critique présntée par Gérard Delaisement, Paris, Rive Droite, 2003, 2 tomes は、その長年に亘る研究の集大成ともいうべきもので、ここに初めてモーパッサンの時評文はその全貌を一望することが出来るようになった。
(Chroniques, préface d'Hubert Jean, Paris, U. G. E., 1980, 3 vols は、それまでの間、研究者が主に参照してきた版であるが、アルジェリア旅行記を含め、未収録の作品が多数存在する。)
一般に「クロニック」と呼ばれる時評文の内容は多岐に渡る。簡単に分類するならば、政治批評、風俗批評、旅行記、そして文芸批評、に分けられるだろう。当代の政治・風俗を批判する作者の視線は鋭く、皮肉と諷刺に満ちている。
コルシカ、アルジェリア、南仏、イタリアと、80年代のモーパッサンは頻繁に移動・旅行を繰り返すが、『太陽の下へ』、『水の上』、『放浪生活』の土台ともなる旅行記・見聞録もまた、その都度、同じ新聞紙上に発表された。
モーパッサンは自らの文学について直接に語ることは極端に少なかったが、しかし一流の文芸批評家として、同時代の文学を対象に、批判・考察を繰り広げており、それを通して自らの文学観を確固たるものにしていった。また、親しい作家の肖像を描くことを好み、師フロベールに関する記事は全部で10を越える。
ここでは文芸批評をメインに、今日まで日本に紹介されることの少なかった、ジャーナリスト・モーパッサンの側面をご紹介したい。
なお、上に掲載のモーパッサンのデッサンは、左より、ドーデ、フロベール、トゥルゲーネフ。左下に座る小さな人物が、モーパッサン自身である。
1876年3月11日付、友人ロベール・パンションに宛てた書簡の中のこのデッサンは、この時期、年長の大作家と交わりながら、自らの文学修行に励んでいたギィ青年の様子をユーモラスに語っている。三人の中でも、師であるフロベール、そしてトゥルゲーネフの存在はモーパッサンにとって重要であり、それぞれについて親しみを込めた記事を書き残している。