モーパッサン 追悼文
Nécrologies sur Maupassant
モーパッサン追悼文リスト
- エミール・ゾラ 「追悼演説」 08/07/1893 (15/04/2006)
- アンリ・セアール 「追悼演説」 08/07/1893 (31/05/2007)
- ポール・ブールジェ 「個人的な思い出」 15/07/1893 (05/11/2006)
- ステファヌ・マラルメ 「追悼」 22/07/1893 (04/04/2006, 17/11/2023改稿)
- ジャック・ノルマン 「モーパッサンへ」 23/10/1897 (10/09/2008)
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解説 1893年7月6日早朝、当時パッシーにあった、高名なブランシュ博士の精神病院において、ギィ・ド・モーパッサンは亡くなった。享年42歳。
新聞・雑誌に掲載された、有名作家の逝去を伝える訃報、及び追悼文の数は30を越える。
(Cf. Artine Artinian, Maupassant Criticism in France 1880-1940, New York, Kings Crown Press, 1941)
ここでは、その中でも特に興味深く思われるものをご紹介してゆきたい。いずれもこれまで日本で読まれることの少なかったものである。
記事の性質上、生前の作家を褒め称えるものであるのは当然だが、これら追悼文を通して、同時代人の見たモーパッサンの姿を窺うことが出来るだろう。
モーパッサンが亡くなって110年以上、ゾラが述べた、あるいは予言したように、モーパッサンの小説作品は「古典」となり、今日なお読み継がれている。古典を読む上で、作者その人について知ることは必ず必要なことではないけれど(師フロベールに倣って、モーパッサンはそれを厳しく拒絶したのでもある)、生きたモーパッサンを知る人たちの残した言葉に耳を傾け、同時代の新鮮な空気の中に作品を置いてみる時に、改めて見えてくることも、あるのではないかと思う。
右画像は、パリ、モンソー公園内にあるモーパッサンの像。本を手に夢想する女性は、作家の愛読者を示しているが、モーパッサンの作品は当時、女性にも大変に好んで読まれたという。