モーパッサン 「思い出」
« Souvenirs », le 4 décembre 1884
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1884年12月4日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載された記事。貴婦人への手紙の体裁で会話風に書かれている。
トゥルゲーネフの小説『三つの出会い』で語られている、異なる時期に同じ体験をするという出来事を紹介した上で、それと類似の経験の報告として、ルーアンの縁日の思い出が語られる。
『聖アントワーヌの誘惑』の演し物を目にしたのをきっかけに、かつて2度、同じものを見た時の記憶と感覚が蘇ってきたという。最初は少年時代に親に連れられて、次には青年時代にルイ・ブイエ (Louis Bouilhet, 1822-1869) とギュスターヴ・フロベール (Gustave Flaubert, 1821-1880) という2人の「先生」と共に。
時を隔てて同じ体験をするというのは『女の一生』以来のモーパッサンの長編小説の一つの主題であるが、それが作者自身の実体験として語られているのが興味深い。また、トゥルゲーネフ、ブイエ、フロベールの3人の師の記憶は、モーパッサンにとって終生愛しいものでありつづけたことが、この一文からも窺えるだろう。
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奥様、あなたは『三つの出会い』と題するイヴァン・トゥルゲーネフの見事な小説をご存知ですか? きっとご存知ないでしょう。あなたは流行の本しかお読みにならないですからね。
昨日の、今日の、そして明日の小説に興味をお寄せになるのも理解できますが、時には古い書物を読まなければいけません。私の言うことをぜひ信じていただきたいものです。
『三つの出会い』! 奥様、どうぞこの題をお忘れなく、ぜひこの短い小説をお読みください。数ページの中に、まさにトゥルゲーネフの才能の精髄が含まれているのです。この天才は、夢想家でいながら正確で、現実的であると同時に詩的、いくらかヴェールに隠れていて、まるで見分けさせてくれるかのようなのです。遠くの不確かな事物、人生の霧の中に漂っているあれらの事物、夢の国々にひしめき、残酷な事実の向こうにたえず逃げ去りゆく甘美で魅惑的な神秘を垣間見させる事物を。そしてその神秘に、詩人たちの魂は揺すられているのです。
主題は?とお尋ねになるのですね。阿片の見させる夢幻境のように茫漠として心を虜にするこの作品の中には、主題などほとんどありません。それは、それぞれ異なる環境のもと、いずれも月夜の晩に三度聞こえた女性の声が、一人の男の心にもたらす感動についての奇妙で魅惑的な物語です。
彼はその女性をまったく知りません。一度も見たことがないのです。けれども彼は彼女が歌うのを聞き、その度に彼女だと分かります。このような謎めいた音楽が歌われる国々において、この見事な詩人は、普通の人間が目にも留めない事物との甘美でありながら苦しくもある接触によって、ある種の精神の内に目覚める些細でありながら深いあの感覚の一切を、感じ取らせようとしたように思われる次第です。
敏感な私たちの内面においては、思い出の反響がいかに響き渡るものか、皆が気づかぬある細部を目にすることで、私たちの心がどれほど震えるものか、奥様はお気づきですか?
少し前から、このトゥルゲーネフの『三つの出会い』という小説が私の心から離れません。それというのも、異なる三つの時期に目にした一つの物がもたらす三重の感動を、私自身が体験したばかりだからなのです。
***
先日、私はルーアンを通っていました。ちょうど聖ロマンの縁日(1)の時でした。思い描いてください。ヌイイのお祭り(2)より、もっと重要で、もっと盛大で、地方ならではの重々しさを備えており、より密集していてより大人しい群衆の動きは、より重たげです。
仮小屋や物売りが何キロも続きます。それというのも店の数はヌイイよりも多く、田舎の人々はたくさん買い物をするのです。ガラス製品、陶器、刃物、リボン、ボタン、農民向けの書籍、村で使う奇妙で愉快な品々を売る商人たち、そして、田舎のノルマンディー人が「よろず見せ屋(3)」と呼ぶ珍品の見世物師や、ルーアン人たちが大好きならしいたくさんの巨大な女たち。その内の一人は、最近、地元の新聞に愛らしい手紙を書き、ジャーナリストたちに来てくれるように誘いましたが、体型ゆえにあらゆる外出が禁じられているので、自分から出向くことができないのを詫びていまいた。
岸に留まらざるをえぬ肥満を嘆いて……(4)
考え込むルイ14世!
それから拳闘士たちです。賛嘆すべきバザン氏は、コメディ=フランセーズにいるかのように話し、人差し指で公衆に挨拶します。さらには猿のサーカス、蚤のサーカス、馬のサーカス、まだまだ他のあらゆる種類の珍しいものがあります。そして特別な公衆。――着飾った町の人々の動きは真面目で節度があり、まるで自然が体の中に同じクランクを備え付けたかのごとく、男も女もよく調和して一緒に動き、賢明な重々しさがあります。――田舎の人々の動きはさらにゆっくりですが、男と女では異なっており、別々の仕事のせいで変調をきたしたカップルです。男の背中は曲がり、足をひきずっています。女は牛乳のバケツでも持つかのように揺れています。
聖ロマンの縁日でもっとも注目すべきもの、それは匂いです。私はこの匂いが好きなのですが、それは私が子どもの時に嗅いだからで、きっとあなたのお気には召さないでしょう。焼いたニシン、ワッフルや、焼きリンゴの匂いがします。
実際、あちこちの仮小屋の間で、戸外でニシンを焼いています。まさしく漁の最盛期だからです。そして錫の大きなプレートの上ではワッフルも焼き、リンゴをきつね色にします。ノルマンディーの美しいりんごです。
***
鐘の音が聞こえます。すると突然、奇妙な感動が私の心を捉えます。二つの思い出が私を襲ったのです。一つは子どもの頃、もう一つは青年の頃のものでした。
一緒にいた友人に私は尋ねます。
――今も彼なのかい?
彼は理解し、答えます。
――今でも彼、むしろ、今でも彼らだと言おう。ブイエのヴァイオリンはまだそこにあるよ。
それからすぐに、テントが目にとまります。小さなテントで、そこで、私が子どもだった頃にやっていたように『聖アントワーヌの誘惑』を演じており、それがギュスターヴ・フロベールとルイ・ブイエを魅了したのでした。壇の上には白髪の老人がいますが、あまりに年を取っており、あまりに背中が曲がっているので百歳にも見えます。その老人が古典的なプルチネルラとおしゃべりしています。奥様、想像してみてください。私の両親も、十歳か十二歳の頃にこの『聖アントワーヌの誘惑』を見たのです! そしてそれを見せているのはいつでも同じ男なのです。彼の頭の上にプラカードがぶら下がっていて、そこには「健康上の理由により譲渡します」と書かれています。もしもこの哀れな老人が買い手を見つけられなかったら、六十年前から、ノルマンディーのあらゆる世代の子どもたちが楽しんできたこの素朴で滑稽な演し物も、姿を消すことになるでしょう。
私は、がたがたする木の段をのぼりました。恐らくは最後となるこの機会に、子ども時代に見た聖アントワーヌをもう一度見たいと思ったのです。
ベンチ、階段状になったみじめなペンチの上に、子どもたちの集団がいます。立ったり座ったりして、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、群衆の騒音、十歳の群衆の騒音を立てています。
両親たちは毎年恒例の苦行に慣れっことなって、おとなしくしています。
幾つかの紙ちょうちんが、バラックの薄暗い内部を照らしています。幕が上がります。太った操り人形が現れ、糸の先で、奇妙なぎこちない身振りをしてみせます。
するとすべての小さな頭が笑いはじめ、手を振り、ベンチの上で足を踏み鳴らします。喜びの叫び声、かん高い叫び声が口から飛び出します。
私もこうした子どもたちの一人であるような、私もこの子たちのように、見て、楽しみ、信じるために入って来たような気になります。自分の内で、突然、かつての感覚がすっかり目覚めたのが分かります。そして思い出の眩惑の中で、かつてと同じこの演し物を前にして、自分がかつての子どもに戻ってゆくのを感じるのです。
そこで一つのヴァイオリンが演奏を始めます。私はそれを見るために立ち上がります。それもまた同じものです。またしても老人。とても痩せていて、とても悲しげで、長い白髪が、禿げ上がっている賢そうで堂々とした額の後ろにかきあげられています。
すると私は、二度目にこの聖アントワーヌを訪れた時のことを思い出すのです。私は十六歳でした。
***
ある日(その頃はルーアン中学の生徒でした)、ある木曜日だったと思いますが、私はビオレル通りをのぼって、高名で峻厳な私の先生、ルイ・ブイエに詩篇を見てもらいに行ったのでした。
詩人の書斎に入ると、煙の雲の向こうに、二人の背の高い太った人物が見えました。肘掛椅子に座って、煙草を吸いながら談笑していたのです。
ルイ・ブイエの正面にいたのはギュスターヴ・フロベールでした。
私は自分の詩をポケットにしまうと隅っこで大人しく椅子に座って、話を聞いていました。
四時頃、フロベールが立ち上がりました。
――それじゃあ、と彼は言いました。君の通りの先まで送ってくれないか。歩いて船に乗ることにしよう。
大通りに出ると、聖ロマンの縁日が出ていたので、唐突にブイエが提案しました。
――バラックを一回りしてみないかね?
そこで二人は並んでゆっくりと散歩して行きました。他の皆より背が高く、子どものように楽しみ、すれ違う人の顔について深い観察を交わします。
二人は、顔を一目見ただけで性格を想像し、夫婦の会話をしてみせるのです。ブイエが夫の役、フロベールが妻の役を演じて話し、ノルマンディーの表現や、間延びした訛りを用い、この土地の人特有のいつも驚いたような様子をしてみせます。
聖アントワーヌの前に着いた時、
――ヴァイオリンを見ようじゃないか、とブイエが言いました。
それで私たちは中へ入ったのです。
***
数年後、詩人が亡くなった際に、ギュスターヴ・フロベールは彼の遺作の詩篇を集めて『最後の歌』を出版しました。
その中の一篇はこう題されています。
「縁日の仮小屋」
以下がその一部です。
おお! 部屋の隅で彼はなんと悲しげだったか
ヴァイオリンを持った男が震えていた時。
板張りの仮小屋はゆがんでいて
汚れた幕の下を風が吹いていた。
……
人里離れた住まいで、アントワーヌは、祈りながら
フードの下に目を隠していた。
悪魔たちが踊っている。子豚が
怯えて去っていく、尻尾に火がついて。
……
おお! 彼はなんと悲しげか! おお! なんと蒼ざめて!
おお! 罰を受けた弓が、希望もなくきいきいと音を立てる。
おお! 一層見るも不吉なオーバーコート
オパール色の光の照らす油紙の下では!
もつれた主題を歌う古代の合唱隊のように
大波乱に応えなければならなかった
小声でぶつぶつ言う気ままな悪態を
ふざけるために、急にやめねばならなかった!……
歌わねばならなかった、続けねばならなかった
日中のパンのため、夜中のパイプのため
暗い屋根裏の固い粗末なベッドのため
人間であり、生きつづけるという野心のために!
だが時には影の中、それは彼の権利だったが
魂の凍えた哀れな彼は、きびしい視線を
投げかけた、芝居の操り人形たちに
それらは黄金に輝き、寒さも感じていないのだった。
そして――ものから解放された夢想家のように
すべては過ぎ行き、すべては空しいと知って
世の尊敬も知らぬまま、彼は手を温めるのだった
終幕のきらめきにかざして(5)。
***
そして私が仮小屋から出た時には、フロベールの響きのよい声がまだ聞こえるような気がしたのです。
――可愛そうな……男だ!
するとブイエは答えたのでした。
――たしかに、誰にとっても楽しいものではないね!
『ゴーロワ』紙、1884年12月4日付
訳注
(1) Saint Romain は7世紀のルーアンの大司教。その祝日は10月23日。聖ロマンの縁日は毎年秋に開かれるフランス国内でも有数の規模の縁日。
(2) Neuilly-sur-Seineで6月から7月にかけて行われる祭。ナポレオンの政令によって開催が決定された。
(3) 原文は « faiseux vé de quoi ». 短編「アマブルじいさん」(1886) にも同様の表現が見られる。
(4) 原文は « Se plaint de la grosseur qui l'attache au rivage ». Cf. « Louis, les animant du feu de son courage / Se plaint de sa grandeur qui l'attache au rivage », Nicolas Boileau, Épître, IV, v. 113-114. ボワロー、「書簡詩」第4篇。1672年オランダ侵略戦争でのライン渡河作戦を称えた詩の一節。「ルイは彼らを己が勇気の火で活気づけながら/岸に留まらざるをえぬ己が身の偉大さを嘆いた」
(5) Louis Bouilhet, « Une baraque de la foire », dans Dernières Chansons, Michel Lévy, 1872, p. 183-185.