モーパッサン 「役人」

« Les Employés », le 4 janvier 1882



(*翻訳者 足立 和彦)

「役人」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 解説 1882年1月4日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載された評論。役人の置かれた窮状を訴える一文。
 公務員の数の増加と、それに伴う彼らの置かれた状況の厳しさは当時、社会問題の一つであった。モーパッサンのこの評論を受けて、『ゴーロワ』紙では82年3月に多数の記事をこの問題に当て、キャンペーンを行っている。
 モーパッサンは1872年に海軍省に入省。78年末に文部省に移って80年まで勤めたため、役人の生活実態について知悉していた。経済的困窮についてはフロベール宛ての書簡にたびたび述べられている。
 役人は多くの短編小説に登場する。『パリのあるブルジョアの日曜日』 (1880) のパティソー氏、「家庭」(1881) のカラヴァン氏、「馬に乗って」(1883) のエクトール・ド・グリブラン、「宝石」のランタン氏、「雨がさ」(1884) のオレイユ氏、「首かざり」(1884) のロワゼル夫妻、「遺産」(1884) のカシュラン氏……。彼らの姿を通して小市民の小心翼々とした生き方が諷刺されているが、そこには幾ばくかの同情が込められているようにも見受けられる。
 なお、訳文中、ボールドの箇所は原文イタリック。
 この評論については以下の既訳が存在する。
 モーパッサン「役人」鹿島茂訳、バルザック『役人の生理学』、新評論、1987年(ちくま文庫、1997年、225-234頁、講談社学術文庫、2013年、205-213頁)


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役人


 日曜日の大通りで、あの密集した群衆、まるで濃い人間の粥のような、ぐったりとして重たくどろどろした群衆の中を通っていた時に、「ボーナス」という語が何度も私の耳を打った。実際、歩道を苦労して進んでいたのは役人の集団だったのである。
 あらゆる社会階級、あらゆる労働者の序列、日々生きるために厳しい戦いを繰り広げているあらゆる人間の中で、彼らは最も憐れむべきであり、最も恵まれない待遇にある。
 だが人は信じないだろう。誰もそのことを知らないのである。彼らは不平を言うことができない。反抗することができない。彼らは拘束され、貧困の中に押し込められている。居住まい正しい貧困、バカロレア所持者の貧困である。
 ジュール・ヴァレス(1)の献辞を私はどれほど好んでいることだろう。「ギリシャ語とラテン語で育てられ、空腹で死にゆくすべての者へ!(2)

 間もなく下院議員の歳費の増額が議論される。むしろ、代議士が自分たちの歳費の増額について議論するだろう(3)。では一体誰が、役人の俸給の増額の話をするだろうか? 彼らはブルボン宮のおしゃべりたちと同程度に疑わしい奉仕をしているのだが。
 あのバカロレア取得者たち、法律の学士号取得者たちが幾ら稼ぐのか人は知っているだろうか? 彼らは人生についての無知、父親の罪深い不注意、そして高級官僚の庇護によって、ある日、どこかの省に最初は定員外職員として入省したのである(4)
 初めは千五百から千八百フランだ! それから三年ごとに三百フランの昇給を受け、最高額は四千フランで、五十歳か五十五歳でそこに到達する。私は課長になるごく稀なエリートの話はしていない。それについては後ほど幾らかお話ししよう。
 今日のパリで、腕のある職人が幾ら稼ぐかご存じだろうか? ――時給八十サンチームである。日給にして八フラン、月に二百八フラン、年に約二千五百フランである。
 何らかの専門職に就く労働者はどうか? 日給十二フランだ。年に三千七百フランである! 私は熟練の工員の話はしていない!
 さて、統治者の方々、あなた方は報酬が不十分だとおっしゃるのだから、パンやその他の物が幾らするのかご存じですね? あなた方は、官僚もあなた方同様に結婚し、子どもを持ち、少なくとも幾らか服を着て、毛皮はなくともとくにかく何かを着て役所へ赴くということをお認めになるだろう。そしてあなた方は、今日、平均年俸二千五百フランで、一人の男性が妻と最低二人の子どもを持ち――(将来の結婚の釣り合いと、あなた方がご心配なさるフランスの人口の維持のために、男女一人ずつ)、そしてこの男性が自分と息子のためにズボン、妻と娘のためにスカートを買うことをお望みだ。計算してみよう。家賃に五百、衣服と家庭用布類に六百、その他すべての支出に五百。――ちょうど九百フランしか残らない。すなわち父母と二人の子どもを養うのに一日二フラン四十五サンチームである。これは忌まわしく、けしからぬことではないか!

 それにしても、労働者が快適に暮らしているというのに、どうして役人だけが貧困に留まっているのだろう。なぜなのか? それは彼らが権利を要求できず、抗議もできず、ストライキもできず(5)、職を変えることも、職人になることもできないからである。
 この男性には教育があり、自分の受けた教育を尊重し、自分の体面を重んじている。学位があるために、壁布を釘で打ったり、漆喰を削ったりすることができないのだ。そのほうが彼にとってずっとよいだろうに。もしこの男が職を辞したら、何をするのだろうか? どこに行くのだろうか? 工房を変えるように省庁を変えるわけにはいかない。て・つ・づ・きというものがあるのだ。彼は抗議することもできない。すればくびになるだろう。権利を要求することさえできないのである。それについては実例がある。数年前、海軍省の役人たちが空腹で死にそうなことや、万国博覧会と全般的なゆとりの増加がすべてのものの値を釣り上げるのを見るのに耐えられなくなったが、彼らの俸給は変わることなく僅少だったので、慎ましい請願書を作成して下院の議長を務めるガンベッタ氏(6)に届けた。役所では希望のため息が聞かれた。全員が署名した。人の言うところでは、代議士の介入も約束されているという。ところがその請願は、「規律」の名のもとにあらゆる権利を無視して、告発され、押収されたのである。当時大臣だったなんとかいう提督(7)が、署名者を罷免するという脅しの言葉を浴びせ、省庁全体を恐怖に陥れた。どうすることができただろうか? 皆は沈黙し、貧困で死にそうな暮らしを続けたのである。
 それでいて、これら役人という哀れな奇人たちが、どのような計り知れない倹約の神秘によってか、それでも何らかの手段を見つけて息子を中学に送り、後にはバカロレアというあの滑稽で無駄な学位を取らせるということを思ってみた時には!
 まさしく彼らについてこそ、「彼らは耐乏生活をしている」というよく知られた大胆なイメージを適応して言うことができるだろう。


***

 彼らの生活について語ろう。
 省庁のドアの前に、黒い文字でダンテの有名な文を書いておくべきだろう。「ここに入る者、一切の希望を捨てよ(8)。」
 人は二十二歳頃にそこへ入る。六十歳までそこに留まる。この長い間に何も起こらない。人生全体が、暗く、いつも変わらぬ、緑色の書類箱で覆われた小さな事務室で流れてゆく。そこへ入る時は若く、生き生きとした希望に溢れている。そこを出る時には老いて死にかかっている。我々が人生において作り出すたくさんの思い出、すなわち予想外な出来事、甘美だったり悲劇的だったりする恋愛、冒険に溢れた旅行、自由な生活につき物のあらゆる偶然といったものは、この徒刑囚には無縁である。
 毎日、毎週、毎月、毎シーズン、毎年が互いに似通っている。同じ時刻に登庁し、同じ時刻に昼食をとり、同じ時刻に退庁する。それが二十二歳から六十歳までである。ただ四つの事件だけが時代を画している。結婚、第一子の出産、父と母の死。他には何もない。いや失礼、昇進があった。普通の生活についても、パリについてさえも何も知らない。日の照る通りで過ごす陽気な日々も、田舎でのそぞろ歩きも知らない。それというのも規則に定められた時間よりも早く解放されることは決してないからだ。午前十時にみずから囚人となる。刑務所の扉が開くのは五時で、夜が迫っている。だが埋め合わせとして、年に二週間は権利がある――その権利は議論され、出し惜しみされ、非難されさえするのだが――自宅に留まっている権利である。それというのも、金がないのにどこに行けるだろうか?

 大工は空へと昇ってゆき、御者は通りをあちこち駆ける。鉄道の機関士は森、平野、山を通り過ぎ、絶えず都市の城壁を出ては広く青い水平線へと向かってゆく。役人は事務室を出ることがなく、そこが生きたまま入れられる棺となる。そして、そこへ到着した日に、ブロンドの口ひげをした若い姿を眺めたのと同じ小さな鏡に、退職する日、禿げあがり、顎ひげの白くなった自分の姿をじっと見るのである。その時にはもう、すべては終わりであり、人生は店じまいで、未来は閉ざされている。どうして、もうそこへ到ってしまったというようなことになるのだろうか?
 どんな出来事も起こらず、人生においてどんな驚きにも身を震わされることがないまま、こんな風に年を取るなどということがどうしてありえるのだろうか? だが、事実そうなのである。若者に場を、若い役人に場を与えなければならない!
 そこで去ってゆくことになる。より一層惨めになり、些細な年金を手にして。隠居先はパリ郊外、ごみ捨て場のような村だ。そして、いつもの事務室、同じ動き、同じ行動、同じ時間に同じ仕事という長く執拗に続いた習慣と突然に切り離されてしまったがために、隠居先に着くや、たいていすぐに死んでしまうのである。


***

 ここからは課長について話そう。
 一昨日まではどこの誰とも知れなかった人物が、昨日目覚めてみれば大臣になっていたとしても、古くからの役人が課長に任命された時に抱く自尊心の狂乱的な高まりを感じることはなかっただろう。虐げられ、侮辱される悲しき服従者であった彼が、これからは命令する。彼にはその権利があるのだから、――復讐するのだ。彼は大声で、激しく、横柄に話をする。すると部下は服して従う。
 文部省のような幾つかの省は例外としなければならない。そこでは博愛と礼儀正しさという古くからの伝統が今日まで保持されている。他の省では漕役刑である。私は先に海軍省の名を挙げたので、そこに戻ってくるとしよう。なにしろ私はそこで過ごしたので、よく知っているのである。そこでの調子は、甲板の上の士官の命令そのものである。
 そこだけが特別なのではない。そもそも、ある種の成り上がり者の高慢さ、うぬぼれ、無礼さに並ぶものはない。勤続年数が彼らを役所の王様、事務員の暴君となさしめるのだ。
 現場主任に侮辱された労働者は袖をまくり、げんこつをお見舞いする。それから道具をまとめて、別の工事現場を探しにゆく。尊大すぎる役人は、翌日には食べるパンがなく、その状態は永遠にではなくとも、長くにわたることだろう。
 最近、ある省を占有した大臣が、彼の省の「高級官僚」、課長と平役人を前にして、おおよそ以下のような言葉を発した。「それから諸君、私は諸君に敬意と服従を要求することを忘れないでいただきたい。敬意は、私にその権利があるからであり、服従は、諸君にその義務があるからである。」
 この言葉には幾らか、成り上がった独裁者の匂いがしないだろうか?
 そしてこのような言説が、口から口へと、謄抄本係に演説する課長補佐まで続くとどうなるか、考えてみていただきたい!
 おお! この紙を黒くする工場にはたくさんの傷ついた心があり、悲しい心があり、大いなる悲惨がある。そして、教育を受けて有能で、何者かになれただろうが決して何者にもなれない哀れな者たちがいて、彼らは持参金のない娘を結婚させることができないだろう。自分と同じような役人と結婚させるのでない限りは。



『ゴーロワ』紙、1882年1月4日
Le Gaulois, 4 janvier 1882.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 375-380.

(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)




訳注
(1) Jules Vallès (1832-1885):作家、ジャーナリスト。1871年2月『人民の叫び』紙を創刊し、パリ・コミューンに参加。コミューン後、死刑判決を受けてイギリスに亡命した。1880年7月、大赦を受けて帰国。ジャック・ヴァントラスを主人公とする自伝3部作『子ども』 (1879)、『学生』 (1881)、『反逆者』 (1886) がある。
(2) 『学生』に付けられた献辞。モーパッサンは『水の上』(1888) の中でもこの文句を引用している。
(3) 1848年以来、議員歳費は九千フランだった。たびたび増額が議論されたが、実際に増額されるのは1906年になってのこと。
(4) モーパッサン自身、父の人脈を頼りとして、1872年10月に海軍省の定員外職員として入省した。
(5) 公務員にストライキの権利が認められるのは1946年の憲法以降。
(6) Léon Gambetta (1838-1882):政治家。普仏戦争で徹底抗戦を主張。共和派の指導者として第3共和政の礎を築いた。1881年11月に首相に任命されるが、82年1月26日に内閣総辞職。同年12月31日に事故で亡くなる。
(7) Louis Pierre Alexis Pothuau (1815-1882):軍人・政治家。1879年1月、ガンベッタが下院議長を務めていた際に海軍大臣だった人物。
(8) ダンテ『神曲』、地獄篇第3歌、地獄への入り口に書かれた言葉。この言葉も『水の上』(1888) に見られる。




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