モーパッサン
「『ベラミ』批評に答えて」
« Aux critiques de « Bel-Ami » », le 7 juin 1885
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1885年6月7日、日刊紙『ジル・ブラース』 Gil Blas に掲載された記事 。
モーパッサン第二の長編小説『ベラミ』Bel-Amiは、『ジル・ブラース』紙に4月6日から5月30日まで連載され、5月中には早くもアヴァール書店から単行本が刊行される。各新聞・雑誌に書評が掲載されるが、批評家の多くは、この小説にパリの新聞業界の腐敗に対する批判、ジャーナリストに対する攻撃を読みとり、それに論駁する記事を執筆した。そうした批評を的外れなものとし、自身の執筆意図を擁護する目的で書かれたものである。
モーパッサンは自作について説明することを好まなかったので、ここに見られるような直接的な言及は極めて稀なものである。同時にこの記事は、連載終了直後に、新聞紙上でさらに議論を呼び宣伝効果を得ようとする、作家の商売上手な面を伝えてもいるだろう。
モーパッサンの反論の要旨は、自分にはジャーナリズムの世界全体を一般化して描くつもりなどなく、特定のジャーナリストをモデルにしたり諷刺したりする意図も尚更なかった、というものである。そうではなく「山師」aventurier, 「ろくでなし」gredin, 「下劣な人間」crapuleの生態を描いてみただけであり、それというのも、そういう者たちも現に存在するという事実は否定できないからだ…。
とはいえ、この小説は、彼が自ら時評文執筆家・報道記者として活動した経験に基づいて執筆されたものであり、当時の新聞業界の雰囲気や社会風俗をよく伝えるものとなっているのは確かであろう。
なお、次の既訳が存在する。
モーパッサン、「批評に答える手紙」、『ベラミ』、杉捷夫訳、岩波文庫、下巻、1977年改版、p. 293-300.
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一つの返答
一つの返答
我々の協力者、ギ・ド・モーパッサンから次のような手紙を受け取ったので、我々は至急、これを掲載することにする。
1885年6月1日、ローマ
親愛なる編集長殿ずいぶんと長期間の旅行のために、『ジル・ブラース』ともご無沙汰になってしまいました。旅から帰ってくると、ローマでたくさんの新聞と対面することになりましたが、そこで私の長編小説『ベラミ』についての評価に、驚かされもし、悲しまされもしたのです。
私は、カターニア[訳注:シチリア島の都市]ですでにモンジョワイユーの記事(1)を受け取ったので、彼にはすぐに返事を書き送りました。連載小説が載った当の新聞紙上(2)で、いくらか説明させてもらう必要があるように思える次第です。打ち明けて申し上げれば、私は自分の意図を語らなければならないなどとはまるで思っていませんでしたし、本当のところ、さほど傷つきやすくない同僚たちには、十分に理解されていたのです。
つまり、ジャーナリストたち、かつて詩人について言われたように Irritabile genus(3)(怒りっぽい人々)と呼びうる人たちは、次のように想定したのです。私が望んだのは、現代の新聞業界全体を描くことであり、すべての新聞が『ラ・ヴィ・フランセーズ(フランス生活)』紙の中に、そして、すべての編集者が、私が登場させた三、四人の人物の中に溶け込むように一般化してみせることだったと。しかしながら、もう少しよく考えさえすれば、誤解のしようはなかったように思えます。
私はただ単に、一人の山師の人生を語ってみたかったのです。毎日パリで肘を突き合わせているような、実在するあらゆる職業においてお目にかかるような者たちに似ている山師です。
実際のところ、彼はジャーナリストなのでしょうか? 違います。私は、調馬場の馬術教師になろうとするところで彼を捉えています。つまり彼の背中を押すのは天命ではありません。彼は何も知らず、単に金に飢え、良心に欠けているだけなのだと、私はちゃんと注意して述べています。最初の頁から、読者が前にしているのは、ろくでなしの卵であることを示しています。この卵は、それが生まれ落ちたところで孵ることでしょう。そしてその「ところ」というのが、ある新聞なのです。どうしてそんな選択をしたのか、とお尋ねになるでしょうか? どうしてか? 何故なら、この場所こそが、他のどこよりも、人物の発展段階をはっきり示すのに好都合だったからです。そしてまた、たびたび言われているように、新聞はすべてに通じているからでもあります。他の職業であったら、専門的な知識や、もっと入念な準備が必要でした。中へ入るためのドアはもっと閉じられているし、外へ出るためのドアはもっと少なくなります。新聞業界は一種の巨大な共和国であり、あらゆる方面に広がっています。そこではなんでも見つかり、なんでも行うことが可能で、十分に正直であることも、詐欺師であることも同じように簡単なのです。従って、私の人物は、ジャーナリズムに入ることで、成り上がるために用いなければならないあらゆる特別な手段を、容易に用いることができたのです。
彼にはなんの才能もありません。彼が出世するのは、ただ女性たちのお陰です。少なくとも、彼はジャーナリストにはなるのでしょうか? 違います。彼は新聞のあらゆる専門分野を渡り歩いて、一つ所に留まりませんが、それは、踏み段で立ち止まることなく財産への階段を上っていくからです。彼は報道記者としてデビューし、次に移ってゆきます。一般的に言って、新聞業界でも余所と同じように、人は一か所に留まっているものであり、報道記者を天職として生まれた者は、しばしば生涯、報道記者でありつづけます。その中で有名になった者の名前が引き合いに出されます。多くの者は善良で、既婚者であり、役所の職員ででもあるかのようにそうした務めをこなします。デュロワは社会面の主筆になります。もう一つのたいへんに難しい専門職であり、その道で大家となった者は同じように大事にされます。社会面はしばしばその新聞の財産を生み出しますし、パリでは何人かの社会部記者のペンは、有名な作家のペンと同じくらいに引っ張りだこです。そこから、ベラミはすぐに政治面に移ります。少なくとも、私がJ・J・ヴァイス氏やジョン・ルモワンヌ氏を狙ったのだと非難されないことを期待できるでしょうか? そもそも誰か個人を狙ったなどと、どうして私を疑うのでしょうか?
政治面の記者は、恐らくは他の者たちよりも腰が重く謹厳なので、職業も執筆する新聞も変えません。彼らは生涯、同じ記事を書きつづけます。自分の意見に従って、自分の形式の中に多かれ少なかれ空想や変化や才能を混ぜながら。彼らが意見を変える時には、ただ新聞を変えるだけです。ところで、私の山師が派閥政治、代議士職、別の人生、別の事件に向かって進んでゆくことはまったくもって明らかです。そして、実践を経ることでいくらか筆に如才が無くなったとしても、だからといって彼が作家になったり、本物のジャーナリストになったりするわけではありません。彼が自分の将来を負っているのは女性たちに対してです。『ベラミ(美貌の友)』というタイトルが、そのことを十分に示していないでしょうか?
つまり、馬術教師になろうとしていた時に、偶然から、それも一つの出会いという偶然からジャーナリストになると、泥棒が梯子を利用するように、彼は新聞業界を利用したのです。その結果として、誠実な者が同じ梯子を使うことはありえない、ということになるでしょうか? しかし私はもう一つの非難に移りましょう。私が想像した新聞、『ラ・ヴィ・フランセーズ』において、私がパリの新聞業界全体を批判する、いやむしろ告訴することを目論んだ、というように思われているようです。もしも私が枠組みとして大新聞、本物の新聞を選んだのだったら、憤慨している者たちが私に反対するのもまったく正当なことでしょう。けれどもそうではなく、私は、いかがわしい新聞の一つ、政界で裏取引をする者や株式市場内の盗賊といった一団の代理店のようなものを選ぶように注意しました。不幸なことにもそうした新聞が幾つか、現に存在しているからです。私は絶えずこの新聞を規定するようにし、実際にはノルベール・ド・ヴァレンヌとジャック・リヴァルという二人のジャーナリストしか、そこに登場させないように注意しました。この二人はただ原稿を提供するだけで、会社の行う投機とは一切無縁のままです。
下劣な人間を分析しようと思ったので、私はその人物にふさわしい環境において彼を行動させることで、彼に一層の生彩を与えたのです。私にはそうする絶対的な権利があります。もっとも名誉ある新聞を選んで、一人の善良な人間の勤勉で静謐な人生をそこに描いてみせる権利があったのと全く同様に。
さて、私がたった一つの新聞の内に、パリにあるすべての新聞を総合しようと思ったなどと、ほんの一瞬でも想像することがどうしてできたのでしょうか? 正当であるかどうかはともかくとして、観察、論理、そして良心を主張するどんな作家が、『ガゼット・ド・フランス』、『ジル・ブラース』、『タン』、『フィガロ』、『デバ』、『シャリヴァリ』、『ゴーロワ』、『ラ・ヴィ・パリジエンヌ』、『ラントランシジャン』等々を同時に想起させるような一つの典型を作り出せると信じるでしょう。そして私は、たとえば『ユニオン』と『デバ』の概念を提示するために『ラ・ヴィ・フランセーズ』を想像したのだろう、という具合です!… こうしたことはあまりに滑稽なので、私の同業者たちがどうして怒りだしたのか、私には本当に理解できません! 一方で『ユニヴェール』に似ていながら、もう一方で、夜に大通りで競り売りされているいかがわしい新聞とも似ているような、そんな新聞を作り出してみようと試みてほしいものです! ところで、そういったいかがわしい新聞は確かに存在するのではありませんか? 本当のところは財界に巣食う盗賊の巣窟、恐喝や偽証券発行の工場以外の何物でもない新聞も存在しています。
私が選んだのは、そうした新聞の一つなのです。
私はそうした新聞の存在を誰かに暴いてみせたのでしょうか? 違います。公衆は知っています。何度、友人のジャーナリストたちは私の前でこうした悪事工場の不正に対して憤慨してみせたことでしょう!
それでは、何が不満だというのでしょう? 最後に悪徳が勝利するということでしょうか? そうしたことは決して起こらず、有力な財界人の中で、登場の仕方がジョルジュ・デュロワと同じくらいに怪しかった者の名を挙げることなどできないというのでしょうか?
私の人物たちのうちのただ一人の内に、自分の姿を認める者がいたりするでしょうか? 否です。――私が誰か特定の個人を想定したと断言することができるでしょうか? 否です。――私は誰かを狙ったりなどしなかったからです。
私は、いかがわしい世界を描くように、いかがわしいジャーナリズムを描きました。つまりそれが禁じられていたのでしょうか?
もし、私が物事をあまりに暗く見すぎているし、あくどい人間しか見ていないといって非難するのであれば、私の登場人物たちのいるような場では、高潔で誠実な人にたくさん出会えたりはしなかっただろうとお答えしましょう。「類は友を呼ぶ」という格言を生んだのは、なにも私ではありません。
最後の論点として、私は不満な方たちにお願いしたい。まず、この新聞のタイトルのもととなった不滅の小説『ジル・ブラース』をもう一度お読みいただきたい。その上で、ル・サージュ(4)は作品の中でほとんどすべての世界を走破しているけれども、では彼が描いた共感できる人物が何人いるか、リストを作ってみせていただきたいのです。
親愛なる編集長殿、あなたがこの擁護に場所を与えてくださるものと信頼しております。敬意を込めて握手を。
ギ・ド・モーパッサン
『ジル・ブラース』紙、1885年6月7日付
『ジル・ブラース』紙、1885年6月7日付
訳注
(1) Montjoyeux [Jules Poignard], « Bel-Ami », Le Matin, 15 mai 1885. モーパッサンの描くジャーナリズムの世界はバルザック的空想によるもので、実状に即していないと批判した。
(2) 『ベラミ』は『ジル・ブラース』紙に、4月6日から5月30日にわたって連載された。単行本は5月中にアヴァール書店から刊行。
(3) « Genus irritabile vatum », Horace, Épîtres, II, ii, 102.(ホラティウス、『書簡詩』第2巻、第2歌、102行)
(4) Alain-René Lesage (1668-1747) : 劇作家・小説家。『チュルカレ』(1709) などの戯曲、『ジル・ブラース』(1715-1747) などのピカレスク小説を執筆。