モーパッサン 「さらば、神秘よ」
« Adieu mystères », le 8 novembre 1881
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1881年11月8日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載された時評文。この年の8月15日から11月15日まで、産業宮において「国際電気博覧会」が開催されていた。それに関連させて科学の進歩について論じた一文である。
ここでモーパッサンは実証主義と科学信奉の19世紀の申し子として、科学の発展による迷信の払拭を称える一方、すでに時代遅れとなった因習にしがみつく者として詩人を批判している。ここで述べられている認識は、後に1883年の評論「幻想的なもの」でも繰り返されるだろう。
だが、その「幻想的なもの」がトゥルゲーネフの幻想物語の魅力を語るように、ここでもモーパッサンの本音は、末尾に打ち明けられる、かつて伝説や〈驚異〉がもっていた魅力に対する哀惜の念にあるように見受けられる。
その思いこそが、現代にも通じる「幻想小説」の執筆を彼に試みさせることになるだろう。本論は、時代に対するモーパッサンの単純ではない姿勢を垣間見させるものである。
***** ***** ***** *****
さらば、神秘よ
さらば、神秘よ
時代遅れの者、自分の世紀に属さない者は恥を知るべし!
人類は常に二種類に分かれている。前に進む者と後ろに進む者にである。時には、ある者があまりに速く進みすぎる。だが他の者は後戻りすることばかりを望み、先に行く者を阻止する。思考を遅らせ、科学の邪魔をし、人類の知の神聖な歩みを遅らせるのである。
そうした者の数は多い。あの鈍い者、あの化石化した者、世界の神秘を探るのを邪魔する者たち。子どもじみた道徳、盲目的で世間知らずな宗教、グロテスクな原則で頭が一杯の年老いた紳士淑女、亀類に属する保守派の人々、鳥並みの頭をしたエレガントな若者の生みの親、彼らは父から子へと同じ歌を口笛で吹き、彼らにとって想像力は「シック」なものとそうでないものを区別することだけに存している。殺人犯、裏切り者の兵士、どんな犯罪者も、どれほど怪物じみているにしても、近視眼的な時代遅れの者ほどに醜くないし、私の生来の本能的な敵でもない。彼らは先をゆく走者の足の間に自分たちの古臭い偏見、我らが先祖の古めかしい教義、伝説的な愚かさに満ちた連祷、根絶不可能な愚かさを投げつける。そうしたものをお祈りのように繰り返しているのである。
前へ進もう。常に前へ進み、偽りの信仰を解体しよう。邪魔な伝統を打ち壊そう。古臭い教義をひっくり返し、廃墟には構わないでおこう。他の者が片づけにやって来るだろう。次いでまた別の者が再建するだろう。そしてまた別の者がもう一度解体するだろう。そしていつでも別の者が建て直すだろう。それというのも思想は前進し、働き、生み出す。すべては擦り切れ、過ぎ去り、変化し、修正される。思想というものは人間、動物、植物以上に不死というわけではない。だが、そうはいいながらも、嘘つきで有害だと分かっている昔の信仰に対するとがむべき愛情に、どれほどしばしば引き留められることだろうか!
*****
新しい宗教の寺院、あらゆる宗派や、科学と芸術のあらゆる表明に開かれている寺院のように、産業宮(1)は毎晩、唖然とする群衆にたいへん驚くべき発見を示すので、迷信の起源に常にもぐもぐ言われる古い言葉、「奇跡」という語が、本能的に口元に浮かんでくる。
囚われた雷、従順な雷、自然が有害なものとして作りながら人間の手で有用となった雷。力のように知覚できない働き手が、遠くへと音を伝達する。音というのは人間の耳の幻覚であり、耳は空気の振動を音に変える。物質を動かす予期しえぬ力。そして光。意のままに調整され、分割され、抑えられた光であり、それは素晴らしい未知の何かによって作られる。その轟音は我々の父祖を跪かせたものだ。こうしたものを、何人かの人間、寡黙な労働者たちが我々に見せてくれるのである。
そこから出てくる人は、熱狂的な讃嘆の念で胸を一杯にしている。
人は考える。「もう神秘は存在しない。解明されていないものはすべて、いつか説明可能になるだろう。運河が水を汲み尽くす湖のように、超自然は干上がっている。科学は絶えず、驚異の境界を後退させているのだ」
驚異! かつてはそれが大地を覆っていた。それとともに人は子どもを育ててきた。人間はその前に跪いてきた。墓の近くで老人は、人間の無知が生んだ観念を前に取り乱して震えたものだった。
けれども人々がやって来た。最初に哲学者、次に科学者が。彼らは恐ろしがられていた迷信のぶ厚い森の中へと果敢に入っていった。絶えず切り倒し、まずは他の者が来られるように道を開いた。それから彼らはむきになって開墾し、この恐ろしい森の周囲に空間を、平野を、光を生み出した。
毎日、彼らは自分たちの前線を強化し、科学の境界を広げている。そして、この科学の境界は二つの陣営の境界である。こちら側は、昨日は未知だった既知である。向こう側は、明日には既知になるだろう未知である。この残った森が、まだ詩人や夢想家に残された唯一の空間である。それというのも我々にはいつも夢への抗しがたい欲求がある。我々の古い種族は、何も理解せず、探索せず、知ろうとしないことに慣れており、周囲を取り巻く神秘向きに出来ているので、単純で明白な真実を拒むのである。
昔からの伝説や、詩的な宗教の数学的説明は、冒涜のようにこの種族を憤慨させる! この種族はその呪物にしがみつき、木こりをののしり、絶望的な気持ちで詩人に頼るのである。
急ぎたまえ、おお、詩人たちよ。あなたたちには、私たちを導くために森の一隅しか残されていない。それはまだあなたたちのものだ。だが間違えてはいけない。我々が探索し終えたものの中へ戻ろうとは試みないことだ。
*****
詩人たちは答える。「驚異は永遠だ。解き明かす科学などどうでもいい、我々には創造的な詩があるのだから! 我々は概念の発明者、偶像の発明者、夢を作る者だ。我々はいつでも人間を驚異の国へと導いていくだろう。そこには我々の想像力が産んだ奇妙な生物が一杯なのだ」
いやはや、そうではないのだ。おお、詩人たちよ、人間はもうあなたたちの後についていかない。あなたたちにはもう我々を騙す権利はないのだ。我々にはもうあなたたちを信じる力がないのである。あなたたちの英雄的な作り話はもう我々に幻影を与えてくれない。あなたたちの善良だったり意地悪かったりする精霊は、我々を笑わせる。あなたたちの哀れな幽霊は、突進する汽車の傍ではあまりにもみすぼらしい。汽車は巨大な目、甲高い声を持ち、寒い夜には白い蒸気の屍衣が周りを走る。あなたたちの惨めな小妖精は電信線にぶらさがっている! あなたたちの風変わりな創造は我々には子どもじみているし古臭く見える。あまりにも古臭く、あまりにも言い古され、あまりにも繰り返され過ぎた! 私はそうしたものを毎日読んでいる。熱狂的に興奮した者、強情な吟遊詩人、神秘を再創造しようとする者たちの書物の中にだ。それはもう終わった、終わってしまったのである。事物はもう口をきかないし、歌わない。事物には法則があるのだ! 泉が呟くのは、ただそれが流している水の量だけである!
さらば、神秘よ。古き時代の古き神秘、我らが父祖の古き信仰、子どもじみた古き伝説、古き世界の古き装飾よ!
こんにち我々は、古代の神々の雷、瓶に閉じ込められたユピテルとエホバの雷の前を、誇りに満ちたほほ笑みを浮かべて穏やかに通り過ぎるのだ!
そうとも! 科学よ万歳、人間の才能よ万歳! 一枚一枚と創造のヴェールを持ち上げるこの考える小さな動物の仕事に栄光あれ!
星の光る広い空に我々はもう驚かない。我々は星々の命の段階、その運動の図形、我々に光を届けるのにかかる時間を知っている。
夜に我々はもう驚かされない。我々にとっては幽霊も精霊も存在しない。異常現象と呼ばれたものすべては、自然法則によって説明される。私はもう父祖たちの粗雑な物語を信じない。奇跡を受けたという者のことはヒステリー患者と呼ぶ。私は推論し、深く掘り下げ、迷信からは解放されたと感じている。
ところがいやはや、我に反して、自分の意志とこの解放による喜びにもかかわらず、持ち上げられたすべてのヴェールが私を悲しませるのだ。この世界は空しくなったように思える。〈見えないもの〉が消し去られてしまった。すべてが押し黙り、空虚で、見捨てられてしまったようだ!
夜に外出する時、墓地の壁に沿って歩く老女に十字を切らせ、沼地の不思議な霧と奇妙な鬼火を前にして最後の迷信家を逃げ出させる、あの不安にどれほど震えてみたいことだろう。暗闇の中を通り過ぎるのを感じるように想像するあの漠然として恐ろしい何かを、どれほど信じてみたいことだろう! 昔は、夜の闇は今よりもどれほどに暗く、あらゆる伝説上の存在がうごめいていたことだろう!
だが今では、これほどに近くで、これほど我慢強く、完全に征服されたのを目にしてしまった後では、我々はもう雷鳴を敬うことさえできないのである。
『ゴーロワ』紙、1881年11月8日
Le Gaulois, 8 novembre 1881.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 311-315.
Le Gaulois, 8 novembre 1881.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 311-315.
訳注
(1) le palais de l’Industrie : 産業宮。1855年の万国博覧会の際にシャン=ゼリゼに建てられた。1896年に解体され、プチ・パレ、グラン・パレが建造される。