モーパッサン 「小説」
« Romans », le 26 avril 1882
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1882年4月26日、日刊紙『ジル・ブラース』 Gil Blas に掲載された記事。
同紙でモーパッサンと同じように活動していた作家ジャン・リシュパン (Jean Richepin, 1849-1926) の新作の書評であるが、リシュパンの序文に対する反論から、レアリスム小説の「描写」を擁護する一文となっている。
1881年末に『ジル・ブラース』と新たに契約したモーパッサンは「モーフリニューズ」の筆名で短編小説を発表していくようになる。第2短編集となる『マドモワゼル・フィフィ』は5月に刊行され、初長編『女の一生』の執筆が再開するこの時期、モーパッサンは自分の小説技法に関する意見を時評文の中でたびたび述べており、実作と理論の両面から創作が進められていた経緯が窺われる。
登場人物の内面は外面によって描き出さなければならないというここでの主張は、師フロベールの遺訓を受け継ぐものであり、とりわけ初期の短編にその実践を見てとることができるだろう。
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『四編の小説』(1)と題する新著の巻頭に、我々の同僚であるジャン・リシュパンは興味深い序文を載せているが、それは『ジル・ブラース』の読者なら既にご存じのものである。
この序文は書物についての分析のようなものだが、香具師の愉快な口調で話される分析である。
そこには、まさしく私の好みに合う事柄がたくさんあるが、しかし次のような文も含まれている。「執達吏の細かさでもってアパルトマンの財産目録を作るような麗しき意地の悪さ。何某はどんな風にねじれた鼻をしていて、何某はどんな風に曲がった首をしているか、誰々はどんな風に身振りをし、つばを吐き、食事をし、あらゆる日常業務を履行するか、といったことを記録する大変な苦労ときたら!」
まったくもって、この一文には不安を掻き立てられる。そこには、現実主義、自然主義などと呼ばれる流派、つまり私が思うには「本当らしさ重視派」という呼び名のものとに一括できる流派に向けられるあらゆる批判が、要約した形で含まれているのである。
おお! 極端なまでに描写が濫費されることがしばしばあったということは、私もまったく否定するつもりはない。付属的なものを本質的なものとするようなことがしばしばあった、という意見にも異論はない。心理こそが生きた小説に不可欠な要素であるということを私は疑わないが、しかし私は次のようにも思うのである。つまり、そうした作品から描写を取り去ってしまえば、欠くことのできない演出効果を削除し、触知可能な本当らしさを破壊し、人物からあらゆる精彩を奪い取り、特徴的な容貌を取り去り、あの芸術的一筆の効果といったものを付与することを進んで蔑ろにすることになるのだと。一言で言えば、それは芸術家の仕事を取り払って、心理学者の仕事だけを残すということであろう。
偉大な価値を持つどんな小説にも、力強く不可思議な何物かが存在している。それはその書物に不可欠な、特別な「雰囲気」である。一冊の小説に固有の雰囲気を作り出し、人物たちが行動する場を感じ取らせること、そのことによって書物は生きたものになしうるのである。描写の技法はそこに留まらなければならないが、それに勝るものは何もないのだ。
ディケンズならどれほどの注意を払って、行為が成立する場を指し示すことができるものか、ぜひご覧いただきたい。彼は指し示す以上にはっきりと提示し、その場を親しみの持てるものとし、そうすることでドラマの波乱をより本当らしく、必然的なものにさえしてみせるのである。かような筋の展開は、別の環境の中で提示されたなら、その精彩や感動を失うことだろう。
彼が一人の人物を示す時には、癖や、もっとも些細な仕草、普通の動きの中でその人物を描いてみせるのであり、しかも彼は強調し、繰り返す。
私がディケンズの名を出したのは、こんにち彼が異論の余地のない大家だからであり、また彼がフランス人ではないからであり、そして、この身体的なディテールに対する欲求を過剰なまでに推し進めることによって、人物像に外的な生命を与え、実際に出会った存在のように現実味を持たせる技法を、この小説家があたう限りの高みにまで高めたからである。
小説において心理の部分は確かに最重要なものであるが、描写の部分のお陰があってこそ力強く姿を現すことができるのだ。一つの魂の内的なドラマが私の心を鷲掴みにするのは、この魂が隠れている外貌をはっきりと目にできる時なのである。
小説というものは、明確な二つのカテゴリーに分類できるようである。つまり、明瞭なものと曖昧なものとがあるのだ。前者ははっきりと描かれた小説であり、後者はただ心理によって説明されている小説である。後者の利点が最大限のものであったとしても、それは私にとっては不明瞭なものでありつづけるし、重たく、不消化で、はっきりとしない。その典型はスタンダールの見事な心理分析的作品の内に見出だせるが、その価値は省察によってのみ明らかになる類のもので、その特質は目に飛び込んで来ずに隠されている。「芸術家」の腕によって光り輝き、色彩に溢れ、あるべき場所に置かれているのではない。
人物の内面は、振る舞いによって注釈されなければならないのである。
行動とは感情や意思の直接的な翻訳ではないだろうか? 魂を行為の厳密な論理によって説明することは、X氏はまずこう、次にこう考え、このような内省を行い、それからまたこう、等々と述べるよりも難しいのではないだろうか? 出来事が起こる場をはっきりと描くことで、その出来事は自然な背景の中で生彩を放つ。人物を力強く描くことで、彼らを見るだけでその内面がすっかり見通せる。彼らを動かすことで、ただ行為だけによって彼らの思慮のメカニズムを読者に明らかにして見せ、その人物の内面において欲望や感情の地図を手に地理学的旅行を企てるといったことはしない。それこそが、小説という語についてもっとも厳密であると同時にもっとも熟慮した上で、真の小説を作るということなのではないだろうか?
私はさらに先へ進もう。私の考えでは、人物を形容したり、明確な動機によってその性格を決定したりする権利を、小説家は決して保有してはいない。小説家は私にその人物を、彼はこのようであると言わずに、そうであると示してみせなければならない。私は心理に関するディテールを必要としていない。私が望むのは事柄、ただ事柄だけであり、あとは自分一人で結論を引き出すのだ。
「ラウールは哀れな人物であった」と言われても、私は少しも心を動かされない。だがこのラウールが哀れな人物として振舞うのを目にするなら、私は感動に震えることだろう。
小説家にあっては、思想家は隠れていなければならないのだ。
小説家は弁護も、おしゃべりも、説明もするべきではない。事柄と人物だけが語るべきだ。そして小説家は結論づけてはいけない。それは読者の領分である。
この芸術の問題は、多くの人々の中ではとても混乱しているものだが、恐らくは文学に対する憎悪の多くを説明してくれるものである。世の中には「可哀そうな女はとても不幸だった」と言ってもらわないと理解できない人々がいるが、彼らは決して偉大な芸術家を理解することがないだろう。優れた芸術家の秘密の力はすべて意識的なものであり、多くの注釈を寄せつけるものではない。芸術作品はその素材と構造によって芸術家固有の明確なしるしを持つ。けれども芸術家の意見が表に現れたり、深い意図が論理によって説明されたりするようなことは決してない。偉大な芸術家が描写する時には、事柄、事物、風景そのものが立ち現われてきて、語り、自らを表現するのだと言えるだろう。それというのも、真に個性的で偉大な小説家であるためには、天才的で完全にオリジナルな非個人性というものが必要だからである。
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この問題はおいておくことにしよう。それだけでも本一巻分の議論を必要とするものである。私は一つの文に捕まってしまって、ジャン・リシュパンの大変に注目すべき書物について語るだけにすることができなかったが、本当はそうしたかったのだ。巻頭の作品『尼僧ドクトルヴェ』は、ある貴族の可哀そうな娘についての素朴で痛ましい物語である。彼女は家名に自己を捧げ、弟に遺産を譲ると、官能の最初の目覚めの頃に修道院に入る。愛のために作られていた彼女はやがて一種の恍惚状態に陥り、頑固な狂信者、厳しい修道女となる。ところが彼女は突然に知らされるのだ。愛しい弟が200万もの財産を持つユダヤ人銀行家の娘と結婚すると。彼女の中ですべてが、神への信仰までが崩れ去る。彼女は絶望し、英雄的ながら無意味な自己放擲の犠牲となって死ぬのである。簡潔で力強く、この小説はその裸の真実ゆえに心を凍らせる。
二番目の物語、『デストレモー氏』は一人の哀れな道化師の奇妙な物語である。彼は裕福になり、一人の娘に恋をするが、結婚の前日に突然破産し、財産を作り直すために三年の猶予を求めて離れて行く。
彼は成功する。だが愛ゆえに目の眩んだ彼は、自分の財産をもたらす屈辱的な職業を婚約者の父親に打ち明けられなかったのだ。
そして、約束された幸福を手にしようという時になって、長文のとても美しい、誇りと謙虚さに溢れた手紙の中でその告白をするのだが、憤慨した家族は彼を追い払うのである。
それから、ある晩、今では結婚した娘がサーカスの演技を眺めている時に、目も眩むような空中ブランコの跳躍をしようとするのが彼であると気づく。彼女は叫び声をあげる。彼は彼女を見ると、投げキスをして、虚空へと飛び込み、彼女の足元で頭を砕く。
私は三つめの物語、『別世界の物語』をそれほど愛好しない。だが私には欠点があって、というのもそれは欠点に違いないからだが、それは異常な冒険には反抗心を抱いてしまうというものである。私は、これほどにも本当らしくない物事をよく想像することができたものだと驚くばかりなのだ。
巻を閉じるのは素晴らしい歴史小説であり、驚くべきものだが根本において真実であり、それというのも登場人物はボルジア家と呼ばれるのである。
これは有名なチェーザレ・ボルジアの最初の頃の物語であり、この教皇の息子は、妹ルクレツィアの恋人であり、父のライヴァル、兄の暗殺者、まだその他色々である。
この恐ろしい物語は、特異な者達を興味深く眺める歴史家にして小説家の穏やかな調子で語られているので、事実そのものの中に自然な激しさを備えている。そしてそこに、私のささやかな意見では、ジャン・リシュパンの新著の中でもっとも優れた箇所が存在しているのである。
『ジル・ブラース』紙、1882年4月26日付
訳注
(1) Jean Richepin, Quatre Petits Romans, Dreyfous, 1882.