戦争について
Sur la guerre
Eh bien, la France vient d'avoir ce calme et cette raison ! Ce que ressent notre peuple en ce moment, c'est plus que de l'indifférence pour des braillards, c'est le mépris de la guerre elle-même. Les grands souffles héroïques sont finis : nous sommes devenus, heuresement, des hommes de raisonnement et non plus des hommes d'emportement.
(« Zut !» , Le Gaulois, 5 juillet 1881, in Maupassant, Chroniques, U.G.E. coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 266)
「そう、フランスはこれほどの沈着さと冷静さとを持つに到ったのだ!現在、我が国民が感じているのは、わめき声に対する無関心である以上に、戦争そのものに対する軽蔑である。英雄的で雄大な息吹というものは既に消え去った。我々は、幸運にも、理性の人間となったのであり、もはや熱狂に駆られるような人間ではない。」
(「畜生!」、1881年7月5日、「ゴーロワ」紙掲載)
イタリアがフランスを中傷したとして報復を唱えた同紙掲載の記事(別の執筆者)に対する、モーパッサンの批判。一般市民は誰も戦争のことなど考えていないという事例を示し、戦争を推奨する者への皮肉とする。
二十歳で普仏戦争に参戦し、フランス軍の敗北、壊走の様を目の当たりにしたモーパッサンが、終生厭戦思想を持ちつづけたことは有名。「戦争」と題された新聞記事ではより徹底して戦争という行為の愚かさを批判している。戦争を題材とした多くの中短篇も参照。(『脂肪の塊』『二人の友』等。)
「我々は既に熱情に駆られる人間ではなくなった」という作者の言葉は、当時においても無論皮肉でありえたし、不幸にも現在にあってもそうでありつづけている。百二十年の時を経て、モーパッサンの言葉が今なお全く古びていないこと、すなわち作者の人間観がまさしく普遍的なものであったことの、一つの証左がここにも窺われよう(それはまたなんという皮肉だろうか)。
しかし同時に次の点を忘れるわけにはいかない。モーパッサンは敗戦の経験から、ドイツ人に対する軽蔑を最後まで持ちつづけていたことは否定出来ない。小説中に描かれるドイツ人は、しばしば諷刺の対象となっている。
そしてもう一点。このことから、モーパッサンは一切の戦争を否定したわけではなかった。
Pas de guerre, pas de guerre, à moins qu'on ne nous attaque. Alors, nous saurons nous défendre. (Ibid., p. 267)
「もう戦争はいらない。戦争はいらないのだ。他人が我々を攻撃するのでない限りは。その際には、我々は自らを守ることが出来るだろう。」(同紙)
自衛のための戦いは辞さないという姿勢の内に、根深い愛国心(作者はしばしばそれを批判したが)が存在する。このことは直ちに批判されるべきことではないだろうが、平和主義と愛国主義との相関関係の内にこそ、戦争の理由(と反戦論の限界)は求められる以上、モーパッサンの思想にもある種の限界のあることは確かである。
それでも、「愛国者同盟」が結成され、普仏戦争敗戦の報復が公然と唱えられるような時代情勢にあって、一流紙において堂々と戦争批判を展開しえた、モーパッサンのリベラルな姿勢は、やはり賞賛に値するように思われる。