『悪魔伯夫人』とは誰なのか
― モーパッサンの偽作に関して(1)
Qu'est ce que La Comtesse de Satan ?
Sur les œuvres faussement atribuées à Maupassant (1)
問題はモォパッサン作『悪魔伯夫人』、勝見勝訳、共立書房、1948年である。
この凄いタイトルは、初めて見た時から気になっていた。一度目にしたら忘れられないインパクトがあるだろう。それがこの度、現物を確認することができた次第であり、今回はそのご報告である。
一体、「悪魔伯夫人」とは誰で、作品集『悪魔伯夫人』とは何なのか。
(右画像は、本書挿絵、向井潤吉によるモーパッサンの肖像(の模写)。スリムなモーパッサンである。)
さてさて、何が気になるといって、このような題名の作品をモーパッサンは書いていない!
ずばり『悪魔伯夫人』は、モーパッサンの「偽作」なのである。
もっともタイトルだけを自由な邦題にすることはありえる訳だが、今回実際に内容を見て、これが偽作であることを確認した。
しかしまた、何故偽作が紛れ込むようなことになったのだろうか。
あとがきに訳者は次のように記している。
「モォパッサンのいろいろな短篇集から、主として怪奇な味に富んだものを選んで、ここに譯し集めてみた。テクストは、アルバン・ミシェル版によつたものもあれば、ウィーンで出てゐるマンツの版によつたものもあるといふ風で、手近かにあるもののみを用ひた。」
と、これだけではなんともいい加減である。「ペダンチックな立場にこだはらず、楽しんで讀者に讀んでもらへるものにしたいと心がけた」という方針であれば許されるのだろうか?
あるいは。偽作が混じってなければねえ。
Albin Michel 版は、最初の全集オランドルフ版と中身は同じの流布版であり、これに偽作が紛れていることはありえない。Manz 版は正確なところは不明だが、フランス語の版である限りは、基本的に偽作が紛れる可能性はないはずである。
従って翻訳者は言及していないが、実は彼は英訳版をもとにしている(隠さなくたってよかったのに)。そして実際のところ、日本に流入した英訳版の作品集に偽作が相当数紛れていたのは、その筋では有名な話なのだ。
この点は春陽堂版『モーパッサン全集』第3巻の、大西忠雄による解説に幾らか詳しい。それによれば、『アフター・ディナー・シリーズ』12巻、およびダンスタンス社版全集17巻には、全部で66編もの偽作が混じっていた(後に詳述)。内4編はモーパッサンの同僚でもあったルネ・メズロワのものと分かっているが、その他については「いったいどこで、だれの手になったものか見当もつかない」が、「たぶん外国人によって、それもおそらくはアメリカ人によって作られたものと推定される」という。
これまたしかし、鷹揚というか実にいい加減な話で、モーパッサンが長生きしていたら激怒して裁判を起したに違いないけれど、それはともかくも、芥川龍之介、正宗白鳥、志賀直哉までがこれらの偽作にひっかかったというから、なんとも罪作りなことである。
今となっては笑い話でしかないが、しかし日本におけるモーパッサンの受容というものを真面目に考えると、なかなかな笑ってばかりもいられない。
が、ここで目くじら立ててもしょうがないので、『悪魔伯夫人』をもう少し眺めてみることにしよう。これがなかなか興味深いことになっているのである。
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まず目次を見てみる。
十一號室
ぬかれた男の話
白色の夢魔
青い眼の男
不吉な從僕
少女ばかりの家
素睛らしき獲物
セニシュ生れのオダリスク
手首の怪
悪魔伯夫人
馬小屋の魅力
恐怖
不思議なパリーの一夜
コルシカの山賊
父子地獄圖
夫の過去
なんだか聞いたこともない題名が並んでいる。なんと偽作は「悪魔伯夫人」だけではなかった!
もちろん自分で読めば偽作かどうかは一応分かる(筈な)のだけれど、こういう時には、度々活躍のCDロム『大正期翻訳文学画像集成』第一期5巻モーパッサン集(ナダ出版センター)中の「モーパッサン作品別分類索引」が役に立つ。これによると
青い眼の男
素睛らしき獲物
少女ばかりの家
馬小屋の魅力
セニシュ生れのオダリスク
は「偽作」であり、それぞれ英語題、仏語題も記されている(ダンスタン版17巻の巻末に仏英題の表がある)。後者三編は既に他の翻訳も存在している。が、さらに加えて、
ぬかれた男の話
白色の夢魔
悪魔伯夫人
不吉な從僕
夫の過去
父子地獄圖
が「原作未特定作品(偽作品を含む)」の欄に含まれているのである。
幸い(?)、「夫の過去」は「軽はずみ」 « Imprudence » であって、これは「真作」だ。しかし(目を通した結果)他の作品はいずれも偽作である。そうすると、
十一號室(寝台十一号)
手首の怪(手)
恐怖
不思議なパリーの一夜(夜会)
コルシカの山賊
夫の過去(軽はずみ)
の6編のみ(括弧内は流布している邦題)がモーパッサンの作品であり、偽作の数はなんと10編。本物より贋作のほうが断然多いという、凄いことになっているのが短編集『悪魔伯夫人』なのだった。
こいつはいくらなんでもあんまりというものじゃないでしょうか、翻訳者どの。
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それにしても、これは一体全体どういうことなのか。
翻訳者が英訳の短編集から「主として怪奇な味に富んだものを選ん」だところ、偽作ばかりが集まってしまったという事実は、偽作の性質を暗によく語っているように思われる。66編の偽作品の傾向が、「怪奇」なもの、広く言ってスキャンダルな内容で読者の耳目を惹く狙いのものであったのは、想像に難くない。そうでもなければ、わざわざ入れる必要がないというものだろう。
逆に言うと真正のモーパッサンの作品には「怪奇の味に富んだもの」が意外に(?)少ない、ということになるかもしれないが、この点は議論が分かれるだろうか。
もっともその「怪奇」の程度も、今日の視点からすれば可愛らしいものだ。以下、せっかくなので各偽作の内容を要約してみる。万が一にも原作をご存知の方は、ぜひお教えください。
(ダンスタン版とつき合わせた結果の英訳題を合せて記す。全て3・4巻に所収)
「ぬかれた男の話」 Violated
ブルターニュの奥地に狩猟に出かけた語り手が、一日中謎の老人に付きまとわれ、道に迷って仕方なく声をかけたところ、屋敷に歓待される。豪華な食事の最中に壁にかけられた肖像画が目に入るが、70を過ぎてなお健康だったさる侯爵夫人だという。夜中に就寝した語り手の部屋に、その夫人が訪れてベッドの中に入って来る。相手が昼間の主人だと分かって語り手は逃げ出す。後に聞いた話では、男装した老伯爵夫人が住む館だったという。
「そこで僕はほつと安心の吐息をついてから、かう答へたのだが、それは僕の語り手をひどく驚かせたらしい。
『おお、さういふ話なら、まあ好かったですね。』」
「白色の夢魔」 A Night in Whitechapel
語り手と友人ルダンテックは、ロンドンの街を飲み歩き、泥酔した中、一人の女性と出会うが、若い女性のはずなのに、髪の毛は真っ白で、眉毛もなく瞳も白く、老人かとも思われた。二人は連れられるままに、彼女の部屋で夜を明かす。目覚めた友人は恐怖に駆られるが、彼女の眠るベッドの下には、同じように白い髪の子供達がいた。友人は半ば狂気に陥って逃げ出すが、「いづれ友達が醉をさましてから、彼の眼にしたのは哀れな白子の淫賣婦であつて、幾人かの弟や妹があつたのだといふことを、よく言つて聞かせてやらう」と、語り手は考えていた。
「青い眼の男」 The Man with the Blue Eyes
予審判事ピエル・アヂュノール・ド・ヴェルニュのもとに、青い瞳の黒人が訪れて、奇妙な言葉を告げて去る。判事は彼が狂人ではないかと疑う。翌日に彼から手紙が届き、そこには犯した殺人の告白がなされていた。「私がそれを自白しない限り、貴下はこの秘密の實在を、何人にも証明することが、實際には出来ないからです。それとも、私が自分に何らの危険もなく、以上貴下に告白した通りのことを、公に自白させるやうに、一肌ぬいで御覧になりますかね。草々敬具。」
後に判事は、彼が実際に妻子を殺したらしいことを知るが、成す術はない。
「不吉な從僕」 The Ill-omened Groom
オーストリアのさる銀行家が盗難にあい、捜査の結果、犯人はツェツィリア・ケィ某と判明、しかし彼女は既に逃亡して行方は分からない。三年後、ロンドンの社交界で人気を博す貴婦人ゾエ。雇い入れた美男の従僕に惚れ、二人は愛人の関係になる。彼は、彼女の黒髪が鬘であり、本当は金髪であることを知った後に家を出る。夜中に警部が訪れ、彼女を逮捕する。
「「まあ、ひどい」と、彼女は口の中で言つた。「ラヨスが私を裏切つたのね。」
「いや、それはあんたの誤解だよ、奥さん」と、警部が答へた。「彼はただ職責をはたしただけさ。」
「何だつて? ラヨスが・・・私を崇拝してた彼が?」
「いや、ラヨスは探偵だよ。」
ツェツィリアは寝臺からはね起きた。と思ふと、次の瞬間には、氣を失ふて、床の上に倒れてゐた。」
「少女ばかりの家」 Virtue !
少女達の住む寄宿舎の前に、ギターをもって歌う美男子の男性。雨のようにお金を振りまく少女達だが、やがて気を大きくして男に上がってくるように呼びかける。しかし男は承知しない。騒ぎの後、男は答えた。
「皆さんは何を御希望なのか知りませんがね。とに角、それはとても面白いことでせう。でも、僕にはもうそんなことをしてをれないのですよ。何しろ、自分の娘が二人も、家に待つてゐますからね。」
「素睛らしき獲物」 A Good Match
若手の軽騎兵マックス・Bはシュトラウス楽園の演奏会で美しい娘と出会う。名前をアンゲリーカといった。数度顔を合わせた後、彼女から誘われて、彼は彼女の屋敷を訪れ、二人は関係を結ぶ。だが街で会った時には彼女はつれない素振りを見せるので、マックスが問いただすと、身分が低い彼と結婚する気はないと言い渡す。マックスは怒って飛び出す。一年ばかり後、大尉の結婚する相手が、当の彼女だと知らされる。
「うん、そのひとは天使のやうに美しくて、天使のやうに純潔で、善良なんだ。お負けに、非常に立派な、えらい金持の一族でね、つまり、言葉の完全な意味で、彼女は『素晴らしい獲物』といへるのさ。」
「セニシュ生れのオダリスク」 The Odalisque of Senichou
プラーグ郊外のセニシュの土地に生まれた美貌のヴィテスカは、イレネウス・クリサポリスというスミルナの商人に乞われて結婚し、トルコへ出発するが、行方不明になる。男は奴隷商人であった。四年後、ダマスクスの街で、当の男はパシャの奥方から呼び出される。待っていたのはヴィテスカだった。彼女は復讐として、男を鞭打ちに処す。後に男は逮捕され、国外追放になるが、今でも商売を続けているという。
「悪魔伯夫人」 Countess Satan
集まった人々がダイナマイト、社会革命、虚無主義を論じていた時、ジュール・ド・G某が話を始める。世間で一般に悪魔伯夫人と呼ぶニオスカ・W某伯爵夫人を誘惑するため、彼は、夫人の好みにあうように、背徳的・悪魔的な振りを装った。彼女はバクーニンを信奉しており、語り手を彼の黒幕に利用しようと考える。彼女の引き合わせでバクーニンと対面した語り手は、この人物の巨大さに驚かされ、恐れをなして、以降二人から遠ざかった、という話。
「馬小屋の魅力」 On Perfumes
イシェル(オーストリヤの観光地)。三人の貴婦人が好みの匂いを打ち明ける。F某公爵夫人はロシヤ皮、H某伯爵夫人は乾草の匂いが好きだというと、三番目のW某伯爵夫人はなんと馬小屋の匂いに首ったけだという。後にウィーンで再会した際に、W夫人が美男で精力的な様子の馬術師範と一緒にいるところが目撃される。数ヵ月後、夫人が離婚したとのニュースが流れる。数年後、H夫人は偶然にW夫人を目にするが、彼の隣には昔の馬術師範がいるのだった。
「ふたつのボートがすれ違つた時、彼の肩の上に無造作に羽織つてゐる短い黒貂の上衣からは、あの臆面のないサーカスの女曲芸馬師の古びた猫皮のジャケツとそつくりに、馬小屋の匂ひが強く漾つて来た・・・。」
「父子地獄圖」 Under the Yoke
やもめのド・ルゥバンクゥル氏、年は六十近く、旅行中のカンヌで喪服姿の若い女性に出会う。世慣れた旅の女で、自由に身を変えて過ごしてきた彼女は、老人の情緒をかきたてて虜にしてしまう。老人は結婚を決意する。二人のもとに老人の息子がやって来るが、ワンダ・プルスカは彼を手玉にとる。彼女に言い寄る息子を発見し、老人は彼を追い出す。正式に結婚が決まった際に、彼女の本当の名はフリーダ・クルプシュタインということが分かるが、恋におちた老人にはどうでもよいことだった。今では未亡人ド・ルゥンバンクゥル夫人は社交界で名を馳せている。
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以上、駆け足で内容を辿ってみた。
率直な感想を申し上げれば、どれも優れた作品とは言い難い。奇をてらっただけのようなものが多く、しかもそれとて格別に驚くようなものではない。「怪奇」というより、せいぜい「好奇」というところか。「不吉な従僕」の謎解きはあまりに平凡だし、「少女ばかりの家」の素朴さはどうだろう。とてもモーパッサンが書くとは思えない題材だ。
もっともモーパッサン風なところがないわけでは決してない。「ぬかれた男の話」のオチの台詞など、かなりモーパッサンぽい感じがするし、「父子地獄圖」は「オトー父子」に通じている。「白色の夢魔」は、もちろん内容は違うが「未知の女」を思い出させる。モーパッサンが扱ってもおかしくない題材だろうか。そういえばポーの影響の明らかな「青い眼の男」のような異常心理も、モーパッサンが好んだかもしれない。匂いにことのほか敏感だった彼なら「馬小屋の魅力」を感じただろうか?
がしかし、やはりいずれもモーパッサンには及んでいないとの印象は拭えない。モーパッサンとて傑作ばかりを書いたわけではないけれど、簡潔にして的確に人物を捉える鋭さとか、随所に挟まれる鮮やかな風景描写とかの持ち味が見られず、話の中身にしても、強くリアリティーを感じさせてくれるところがいずれの作品にも欠けていて、説得力に乏しい。
もっとも私の見方が「贔屓の引き倒し」の可能性は十分にあるが、つまるところは亜流モーパッサン。モーパッサンの影響を受けて書かれた二流の短編小説は、世紀末から20世紀初頭にかけてたくさんあるわけだが、まさしくそうした作品の幾つかというところが、「偽作」の正体なのだろう。
それにしてもバクーニンの名前が出てきたのには驚いた。バクーニンがなるほど悪魔的だとすると、期待の「悪魔伯夫人」はこけおどしで拍子抜けする。ちなみに言っておくと、バクーニンの没年は1876年。モーパッサンがプロの作家として活躍するのは80年以降だからアナクロの可能性も否定できず、必ずしもモーパッサンより後の作品ばかりと断定することはできないようだ。
しかしここで一点、どうにも気にかかることがある。
全編を読み通すと、プラハとかウィーンとか、やたらに東欧の地名が出て来る。人物名もワンダ・プルスカとかなんとか、東欧系らしき名前が散見される。モーパッサンが東欧と縁の薄かったことは言うまでもない。
察するに、(少なくとも)「不吉な從僕」「素睛らしき獲物」「セニシュ生れのオダリスク」「悪魔伯夫人」「馬小屋の魅力」の各編は、フランス人の作品ではないのではなかろうか? そうするとこれらいずれも同一の、東欧のある作家の作品ということになるのではないだろうか。
けれども、そうだとすると話が余計分からなくなるのである。一体、これらの作品は何語で書かれたものなのだろうか。それがまた何故偽作として、モーパッサンの著作集に紛れたものだろうか。
ここで改めて、英訳に関する歴史を辿っておきたい。
Francis Steegmuller, Maupassant, London, Collins, 1950 において、研究者は1903年に出版された作品集、
The Life Work of Henri René Guy de Maupassant. Embracing Romance, Travel, Comedy and Verse, for the first time Complete in English. With a Critical Preface by Paul Bourget of the French Academy and an Introduction by Robert Arnot, M. A. Illustrated from original drawings by Eminent French and American artists. M. Walter Dunne, Publisher, New York and London.
および、同じ出版者による別の版、The St. Dunston Society, London and New York,
さらにSt. Dunstan Society, Akron, Ohio なる版を検証した。いずれも同型の17巻の全集であるが、ここに総計65編の偽作が紛れていることを確認している。(後に大西忠雄は1編を加え、全66編とした。「モーパッサン偽作一覧表(英語版並に邦訳のもの)」、『日本比較文学会会報』12号、1958年、p. 3-5.)
もっとも、スティーグミュラーが見落としていたのは、上記アフター・ディナー・シリーズ全12巻であり、「食後叢書」の呼び名で日本にも知られているものである。
Short stories by Guy de Maupassant, translated from the French by R. Whitling, M.A., Oxon, coll. "After-Dinner Series", London, Mathieson, n. d. 12 vols. がそれだ。
牧義之「英訳モーパッサン短編集「食後叢書」に関する考察 ―新出十二巻本をめぐって―」『北の文庫』、第42号、2005年8月、p. 1-7.
の調査によれば「食後叢書」は1902年にはほぼ全巻が出ていたのである以上、ダンの版よりも先行することは間違いない。そして大西忠雄の指摘にあるとおり、「食後叢書」には同じ66編の偽作が含まれている。すなわちこの「食後叢書」編者ウィットリングが偽作を生みだした張本人と、ひとまず考えられるのであり、ダンはそれをそのまま踏襲してしまった。
しかもダン以後、アメリカの出版社は相次いでこの版の英訳を採用し、結果、1950年前後まで、英訳のモーパッサン作品集には多数の偽作が混入したままだったのである。
そして言うまでもなく、明治期から大正、昭和まで、これら英訳本が日本にも移入し、それをもとに多くの翻訳が成されたわけだ。
それはまあよいとしても、しかし何故に英訳作品集に、非フランス系の作品が紛れたのかは分からない(スティーグミュラーも同様の疑問を提出している)。東欧出身でフランス(語)で活動した作家なのだろうか。読者が疑問に思うだろうとは編訳者は考えなかったのだろうか。いずれにせよ「おそらくはアメリカ人によって作られたもの」という説は、(アメリカ人の名誉のためにも)修正されなければならない。
偽作の種本としてはスティーグミュラーが挙げるルネ・メズロワ (René Maizeroy, 1856-1918) の他に、ジャン・リシュパン (Jean Richepin, 1849-1926) の作品もあることが筆者の調査で分かっているが、まだ謎は多い。
従って、本小文、正式には「『悪魔伯夫人』を書いたのは誰なのか」となるべきものだが、しかし何の解決もつかないまま謎は深まるばかり。モーパッサン偽作の世界は、予想以上に奥が深いと言うべきだろう。まったくもって、実に世話を焼かせる話ではないか。
最後に付け加えておこう。戦後、フランス語原文からの翻訳が常識となり、英訳からの重訳は完全に姿を消すのだが、結果として、この『悪魔伯夫人』は見事、明治以降の日本におけるモーパッサン偽作史の掉尾を飾るものとなった。訳者としては嬉しくもないだろうが、しかしまあ仕方あるまい。
(22/02/2007 : 12/09/2007 改稿)