モーパッサンが愛した女

− ジョゼフィーヌ・リッツェルマンとは誰か

La femme que Maupassant aimait

− sur Joséphine Litzelmann



 モーパッサンと女性関係については、長い間定説が存在した。
 娼婦を含めて生涯に三百人の女性と関係を持ったともいわれるモーパッサン。絶倫を誇る一方では、19世紀作家に典型的に見られるミゾジニー(女性蔑視)の傾向が、彼の書き残したものには顕著に窺われる。同時に彼は母親との関係が深く、終生、母ロールの影響下にあったことを付き合わせれば、彼は性的に未成熟だったと、そして一人の特定の女性を愛することが出来なかったと、結論づけることは容易いように思われる。
 そのような作家像は多かれ少なかれ、彼の作品を考察する上でも無視できない影響を及ぼしてきた。初期の作品に見られる浮気な青年像、独身主義を気取る男達、結婚に対する否定的な見方などを、作者その人の思想の表明として読むことは常道だったと言っていい。
 話はとても簡単で「分かりやすい」ように思われてきた。
 けれども、作家と作品を安易に結びつけるそのような見方は、実は誤りだったかもしれない。作家の死後100年を経て、今、モーパッサン像は見直しを迫られているのである。

 Noëlle Benhamou, "Joséphine Litzelmann : la mystérieuse dame en gris de Guy de Maupassant", Les Cahiers Naturalistes, no 73, 1999, p. 263-274.
 において、ノエル・ベナムー氏が提起するのはそのような問題だ。
 「謎の灰色の女性」とは、執事フランソワが記した回想録に出て来る謎の女性。晩年、モーパッサンの家に度々訪れたこの「灰色の女性」が作家に不吉な運命をもたらしたのだと、フランソワは憾みを込めて述べているが、その正体が誰であるのか、長い間判明していなかった。

 一方、ジョゼフィーヌ・リッツェルマンの名は決して知られていなかったわけではない。ルイ・フォレスチエ氏編纂の年譜にも、彼女がモーパッサンとの間に三人の私生児を生んだことを記している。だがこの女性が一体何者なのか、これまで深く追求されることはなかった。
 振り返ってみれば、それは確かに奇妙なことだった。一人ならまだしも、三人もの子どもを続けて生んだということは、二人の関係が一時的なものでなどなかったことを告げている。それなのに、これまで数多出版されたモーパッサンの伝記の多くは、この謎の女性、ジョゼフィーヌ・リッツェルマンの存在を重視することがなかった。いやむしろ意図的にその存在を等閑視してきた疑いさえもたれるのである。それは一体、何故なのか?

 ジョゼフィーヌと三人の子どもの存在は、1926年 9月26日Œuvre 紙に掲載のオーギュスト・ナルディによるインタビュー記事によって、はじめて公けに明らかになった。が、ジョゼフィーヌは1920年に既に亡くなっており、彼女はモーパッサンとの関係を最後まで秘密にしたまま生涯を終えたのであった。
 ベナムー氏の調査によって新たに明らかになったのは以下のことである。
 ジョゼフィーヌ・リッツェルマンは恐らくは1856年、ストラスブール近郊の小村に生まれたが、そこは当時ユダヤ人の集落であったことから、恐らく彼女もユダヤ人であったろうと推察される。一方で、普仏戦争後はアルザスはプロイセンの占領下であったし、リッツェルマンの名も明らかにドイツ系である。
 三人の子どもはリュシアン(1883年生)、ジャンヌ・リュシエンヌ(1884)、マルト・マルグリット(1887)であり、そろって幼い頃の父親の記憶を保持していた。やって来る度におもちゃを与え、子ども達と遊ぶのを楽しんでいたという。また、モーパッサンは家族の援助を遺言で友人に託していたらしく、作家の死後、「封筒に入ったお金」が届けられていたと息子が証言している。
 なにより重要なのは次の点だ。すなわち三人の子どもの出生証明には「父名無記載」(de père non dénommé)とあり、これは「父親不明」(de père inconnu)とは異なる。
 法的に言えば、この表現はモーパッサンに子どもを認知する権利が残されている、ということを意味する。
 つまり、どういうことか。
 しかるべき時が来れば、モーパッサンはジョゼフィーヌと結婚し、家庭を築いたであろう。それが、ベナムー氏の出す結論だ。
 しかるべき時とはいつか。それは厳格な母ロールが亡くなった時だろうと研究者は更に推測する。ドイツ名を持つユダヤ女性との結婚を、彼女が許可するはずはなかったからだ。

 はっきり言ってこれはとんでもないことだ。モーパッサンが一人の女性を愛し続け、結婚生活を夢見ていた。それは、ベナムー氏も言う通り、あまりに「ブルジョワ的」な理想である。それを、飽くことなくブルジョアに対する軽蔑を表明し続けた、あのモーパッサンが、である。

 作家と作品を結びつけるということは、作品に描かれていることの真実性を作者の存在によって担保する、ということに他ならない。文学作品に書かれている内容について、真偽の判定を下すことは原理的に不可能であるが、その曖昧さを許容できない者は、それが「作者の揺ぎ無い信念」であったと想定することで、一定の安心を得ることが出来るだろう。「作者の死」が簡単ではない理由はそこにある。
 しかし真実が上記のようであったのなら、我々は一体、何を信じればいいのだろうか。
 ユダヤなるものについて、ドイツについて、そして女性について。結婚について、子どもについて、ブルジョア社会について。ジョゼフィーヌ・リッツェルマンと三人の子ども達の存在は、モーパッサン文学についての従来の見解に、実に多くの疑問を突きつけずにはおかない。何も一度に全てが覆るわけではないけれども、今一度、モーパッサンの作品全体を読み直すことが必要とされている。そのように考えざるをえない。

 さて、ベナムー氏の推測によれば、フランソワの言う「灰色の女性」とはジョゼフィーヌのことであった。モーパッサンの母ロールに忠実だったフランソワは、彼女とそろって、ギィを蝕む悪女ジョゼフィーヌの存在を忌み嫌っただろう。子ども達の証言によれば、ある日、ジョゼフィーヌとモーパッサンの関係を示す手紙などの証拠は、一切合切、何者かに奪われたのだという。黒幕にいたのは間違いなく、フランソワであり、母ロールだった。モーパッサンの歴史から、ジョゼフィーヌの存在はかくして抹消されてしまった。
 そしてその後の研究者の姿勢にもまた問題があった。
 伝記執筆のために作家の生涯を追い回すというのは、それ自体、下世話なジャーナリスティックな性質のものであるのは確かだ。加えて遺族が生存している場合には、よりデリケートな姿勢が要求されるだろう。「隠し子」を追いかけるなどというのは、確かに好ましい行為ではないように思われる。
 だが結果的に言って、そのような研究者の姿勢が、いびつな作家像を再生産、流布させることに繋がったという事実が否めない時、伝記研究の難しさが浮かび上がってくる。研究者自身の先入見が、十全な調査を怠らせたという可能性も、否定できないだろう。

 だがそれにしても、モーパッサンの秘密癖は徹底していたというべきかもしれない。あるいは話は逆で、ジョゼフィーヌの存在こそが、私生活を秘密にすることへの固執に繋がったのだろうか。モーパッサンにはかくも謎が多く、文学研究もまた難しいものである。
(31/10/2006)




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