「脂肪の塊」って何よ?

Comment, Boule de suif ?



 『ふらんす 80年の回想』(白水社、2005年)に、1971年8月号の田辺貞之助の記事が再録されている。お題は「脂饅頭」。以下冒頭より。

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 誰だったか忘れたが、友人のひとりがむかし Maupassant の « Boule de suif » を訳したとき、Boule de suif は全体で「売春婦」の意味なのに「脂肪の塊」と在来のように直訳するのはよくないと気づき、今は亡き辰野先生のところへ教えを乞いにうかがった。すると先生は即座に『脂饅頭(あぶらまんじゅう)』と命名された。
 江戸時代に、夜鷹と呼ばれて、路頭で売春した女がいたが、これは代価24文。夜鷹そばとよばれたかけそばが16文であったのと比較して値ごろが想像できるが、この種の売春婦は岡饅頭とも呼ばれた。これに対して、隅田川下流の西岸の堀割りを船で流していた売春婦を船饅頭と呼び、代価32文であった。辰野先生はこの両者を思いうかべて「脂饅頭」という言葉を思いつかれたのだ。(167頁)

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 さすがはご本尊(=初代東大仏文教授)辰野隆先生、おっしゃることが違う。 と感動してしまう話?であるが、しかし冷静に考えれば、「脂饅頭」ならいいんかい、と突っ込むべきではなかろうか。「脂饅頭」は、なんというか――ちょっと怪物じみている。それがタイトルって・・・。

 ところで話代わって、手元に『大正期翻訳文学画像集成』第一期5巻モーパッサン集(ナダ出版センター)というCDロムがある。この中の「モーパッサン作品別分類索引」は、「明治28年から平成16年までの日本語に翻訳されたモーパッサンの翻訳約3500点を原著の作品別に分類したもの」という優れものだ。
 どれだけ優れているかは一目瞭然。以下に「脂肪の塊」の項目を挙げてみよう。

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脂肪の塊

明治43年5月  ブウル・ド・スイフ 馬場孤蝶訳 三田文学(~8月)
大正4年2月 *戦塵―原名ブール・ド・スイフ 馬場孤蝶訳 如山堂書店
大正13年6月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 佐々木孝丸訳 新栄閣
大正15年☆月 *脂肪の塊り(『世界短篇小説大系』仏蘭西歴代名作集) 佐々木孝丸訳 近代社
昭和2年8月 *脂肪の塊(『ボ*リイ夫人・女の一生』) 広津和郎訳 新潮社 (世界文学全集20)
昭和11年2月 *脂肪の塊(『中編傑作集』) 水野亮訳 河出書房 (モーパッサン傑作短編集Ⅵ)
昭和13年4月 *脂肪の塊 水野亮訳 岩波書店 (岩波文庫)
昭和13年12月 *脂肪の塊 広津和郎訳 新潮社 (新潮文庫)
昭和16年5月 *脂肪の塊(『モーパッサン選集』1) 水野亮訳 河出書房
昭和22年☆月 *脂肪の塊(『蘆笛集』) 水野亮訳 壮文社
昭和22年☆月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 朝倉季雄訳 民風社
昭和23年7月 *あぶら饅頭(『モーパッサン選集』4) 丸山熊雄訳 太虚堂書房
昭和23年9月 *脂肪の塊(『結婚の夜の悪戯』) 秋田滋訳 若草書房
昭和23年☆月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 水野亮訳 文芸春秋新社
昭和25年2月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 鈴木健郎訳 三笠書房 (世界文学選書25)
昭和25年4月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 岡田真吉訳 白水社
昭和25年5月 *脂肪の塊(『モオパッサン全集』8) 田辺貞之助訳 創芸社
昭和25年6月 *脂肪の塊(『モオパッサン短篇集』) 青柳瑞穂訳 大日本雄弁会講談社
昭和25年7月 *脂肪の塊(『女の価値――モーパッサンの人と作品』ダイジェスト・シリーズ13) ダイジェスト・シリーズ刊行会編訳 ジープ社
昭和25年10月 *脂肪の塊(『モーパッサン文庫』1) 水野亮訳 小山書店
昭和26年4月 *脂肪の塊(『脂肪の塊・テリエ館』) 青柳瑞穂訳 新潮社 (新潮文庫)
昭和26年5月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 白石啓三訳 世紀書房
昭和26年6月 *脂肪の塊(『モーパッサン短篇集』少年少女のための世界文学選15) 新庄嘉章訳 小峰書店
昭和26年11月 *脂肪の塊(『続モーパッサン』) 田辺貞之助訳 河出書房 (世界文学全集)
昭和26年12月 *脂肪の塊(『脂肪の塊り・他二篇』) 丸山熊雄訳 角川書店 (角川文庫)
昭和26年12月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 田辺貞之助訳 創芸社 (近代文庫)
昭和27年☆月 *脂肪の塊(『ピエルとジャン・脂肪の塊・水の上』世界文学全集学生版) 田辺貞之助訳 河出書房
昭和27年☆月 *脂肪の塊 田辺貞之助訳 創芸社
昭和30年6月 *脂肪の魂(『モーパッサン全集』1) 田辺貞之助訳 春陽堂書店
昭和30年7月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 田辺貞之助訳 河出書房 (河出文庫)
昭和31年☆月 *脂肪の塊(『脂肪の塊』) 田辺貞之助訳 近代文庫
昭和32年4月 *脂肪の塊(改訳) 水野亮訳 岩波書店 (岩波文庫)
昭和33年9月 *脂肪の塊(『モーパッサン』世界文学大系44) 杉捷夫訳 筑摩書房
昭和35年1月 *脂肪の塊(『モーパッサン』世界文学全集16) 杉捷夫訳 河出書房新社
昭和40年9月 *脂肪の魂(『モーパッサン全集』2) 田辺貞之助訳 春陽堂書店
昭和41年10月 *脂肪の塊(『フローベール・モーパッサン』カラー版世界文学全集15) 杉捷夫訳 河出書房
昭和42年9月 *脂肪の塊(『女の一生』ポケット版・世界の文学7) 杉捷夫訳 河出書房
昭和43年6月 *脂肪の塊り(『女の一生・他』デュエット版世界文学全集39) 宮治弘之訳 集英社
昭和44年12月 *脂肪の塊(『新潮世界文学』22) 青柳瑞穂訳 新潮社
昭和46年8月 *脂肪の塊(『モーパッサン』筑摩世界文学大系47) 杉捷夫訳 筑摩書房
昭和49年8月 *脂肪の塊(『脂肪の塊・テリエ楼』) 木村庄三郎訳 旺文社 (旺文社文庫)
昭和49年9月 *脂肪のかたまり(『モーパッサン』世界文学全集56) 平田襄治訳 講談社
昭和52年2月 *脂肪のかたまり(『世界短編名作選』フランス編1) 平田襄治訳 新日本出版社
昭和53年6月 *脂肪の塊(『脂肪の塊・テリエ館』) 新庄嘉章訳 講談社 (講談社文庫)
昭和53年12月 *脂肪の塊(『フローベール・モーパッサン』世界文学全集16) 高橋たか子訳 学習研究社
昭和55年11月 *脂肪の塊(『モーパッサン』河出世界文学大系35) 杉捷夫訳 河出書房新社
昭和63年5月 *脂肪の塊 調佳智雄訳注訳 大学書林
平成10年3月 *ブール・ド・スュイフ(『ミス・ハリエット』) 石田明夫訳 パロル舎
平成15年3月 *ブウル・ド・スイフ(『馬場孤蝶集』明治翻訳文学全集《翻訳家編》14) 馬場孤蝶訳 大空社・ナダ出版センター
平成16年3月 *脂肪のかたまり 高山鉄男訳 岩波書店 (岩波文庫)

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 その数、実に50点。もちろん同一の訳が複数回印刷されている場合が多いが、馬場孤蝶、佐々木孝丸、広津和郎、水野亮、朝倉季雄、丸山熊雄、秋田滋、鈴木健郎、岡田真吉、田辺貞之助、青柳瑞穂、白石啓三、新庄嘉章、杉捷夫、宮治弘之、木村庄三郎、平田襄治、高橋たか子、調佳智雄、石田明夫、高山鉄男の総勢21人、すなわちモーパッサンの翻訳に関わった代表的な人は皆この作品を訳している、ということが即座に分かってしまう優れ具合なのである。
 さて、この表を眺めているとやはり一目瞭然なことがある。それは、かつて「脂饅頭」という訳が出たのは一回きり、

昭和23年7月 *あぶら饅頭(『モーパッサン選集』4) 丸山熊雄訳 太虚堂書房

だということだ(正確には「あぶら」はひらがなであったらしいが)。
 すると田辺貞之助に忘れられた友人とは、ずばり丸山熊雄だったのだろう。彼は素直に辰野先生の教えに従ったのだった(えらい)。その丸山も、後の訳では「脂肪の塊」という「在来のように直訳」に戻した、ということまで分かってしまう(切ない)、それぐらいに優れもののリストなのである(くどいか)。ちなみに、結局のところ田辺自身も「あぶら饅頭」を採用していない(ずるい)。
 とまれ、これで見事に謎は解決、一件落着めでたしめでたし。

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 というような小ネタを記したいのではなくて、問題はここからだ。
 上記の表を眺めると、まあ並びも並んだ「脂肪の塊(り)」または「脂肪のかたまり」の言葉。音だけをとって「ブール・ド・ス(ュ)イフ」とした数回を除けば、ふりがな、ひらがなの違いはあれ、ほとんど全てが「脂肪の塊」という訳語を踏襲している。意外とも、さもありなんとも思われる事実だけれど、しかし、本当に誰も疑問に思わなかったのだろうか。この訳は変じゃないのかと。「脂肪の塊」って何なのよ、という風には。
 私にはそのことが気にかかるのである。

 ここで改めて述べるまでもなく、Boule de suif は主人公のあだ名だ(他称なので「源氏名」とはちょっと違う)。男性の欲望を掻き立てる娼婦のあだ名である。それが「脂肪の塊」というのは、たとえ揶揄の含みがあったとしても、ちょっとあんまりな訳語ではないだろうか。そう私は長らく思い続けてきた。少なくとも日本語で「脂肪の塊」を、他人の呼び名に使うということはあるだろうか。
 まあ実際にはあるかもしれないけれども、私にはこの語はあまりに硬すぎるように感じられる。加えて問題だと思うのは、それが肝心のタイトルだということ。知らない人に「モーパッサンの代表作は『脂肪の塊』です」という時のあの心苦しさよ。それが一体どんな話なのかまるで見当がつかない上に、むしろ誤解を招くことおびただしく、どう考えても読書意欲を刺激しない(杞憂かな)。
 とにかく、もうちょっとどうにかならないものなのか。

 残念ながら丸山熊雄以降、というよりそもそもの明治40年代以来、Boule de suif を他にどう訳しうるかという問題に関しては、何ら解答が示されてこなかった。代価案ゼロは、さすがにちょっといただけない。
 しかたがないので、ここは一つ自分で考えるよりないのである。

 もっともここで述べておくべきだが、「脂肪の塊」はおかしい、という疑問は同じでも、私の不満と丸山の指摘はずれており、はっきり言えば彼の意見は間違っている。「Boule de suif は全体で「売春婦」の意味」だと丸山は言うが(あるいは田辺の勘違いか)、これは正しくないのである。
 Boule de suif は普通名詞「売春婦」を指すのではなく(全ての売春婦がブール・ド・スュイフではない)、主人公エリザベート・ルーセの「あだ名」が「ブール・ド・スュイフ」だ。
 永井荷風に「ひかげの花」という作品があり、この「ひかげの花」は暗に「私娼」の存在を指しており、当然、主人公お千代の呼び名ではない。もちろん、これを逆に考えることは出来ないが、「ブール・ド・スュイフ」も(話は逆になるけれど)同じことである(余計にややこしい説明であったか)。つまり、「あぶら饅頭」=「娼婦」=「ひかげの花」はありえるが、「あぶら饅頭」=「脂肪の塊」は基本的に無理な話なのだ。
 従って、(怪物かどうかはともかくも)改めて「あぶら饅頭」という案は却下しなければならないだろう。
 それはそうなのだが、それじゃあやっぱり「脂肪の塊」しかないのだろうか、というのが今回の本題である。

 もっとも先回りして言っておくと、今のところ私にも「これぞ」という答えは見つからない。以下、私の理屈を述べるので、読者諸賢にぜひ妙案を出していただきたいと思う次第である。

(ところで私がモーパッサンを研究していますと告げると、「ああニクカイの人ですね」と答えた人があるのだけれど、咄嗟に分からず、「肉塊」だと理解した時には、正直たまげた。一体、その人はどこでそう学んだものか、上記の表にも見当たらないので謎は深まる。ニクカイ、もといキカイなり。)

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 女は、粋筋の女と呼ばれる一人で、早くも太っていることで有名、その太り具合は Boule de suif というあだ名に値した。小柄で全体が丸く、脂肪太りしていて、膨れて関節の所で締め付けられた指は、短いソーセージが数珠つなぎになったのに似ている。皮膚は輝き張りがあって、巨大な胸は服の下に張り出していたが、それでもなお彼女は美味しそうで人気があり、それほどに瑞々しさが見る者を喜ばせた。顔は真っ赤なリンゴ、開花間近の牡丹の蕾。そしてその中に、上部には素晴らしく黒い瞳が開き、大きく濃い睫の陰になっていて、睫はその中に影を作っていた。下には魅惑的な薄い唇が口づけのために濡れ、輝く小さな歯が並んでいた。
 彼女は更に、評価出来ないほどの美点に溢れているということだった。

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 これが Boule de suif の登場場面(拙訳)だ。大変詳しく描かれているので、イメージを描くのもさして難しくない。単純に言って「まん丸と太っている」女性。なるほど「脂肪の塊」というのも頷けるかな、とは思うが、そう言ってしまうと元も子もないので、頑張ってもう少し考える。

 まずは当然、辞書を引くことから始めよう。便利がいいのでオンライン版トレゾールで見てみることにする。
 boule は「球」である。「雪球」も「ビリヤードの球」も boule だけれど、場合によっては「地球」boule du Monde を指しもする。俗語では人の「顔」「頭」を指す場合がある。さらには「太った人物」も意味するとあるが、こういう場合、大抵例文に我等が Boule de suif が引かれている。トレゾールも同じで、モーパッサン以前に同様の例があるのかどうか、ちょっと分からない。
 de は前置詞で、この場合は「材質」を表すとして間違いない。
 suif は「獣脂」だ。羊や牛からとれる脂で、昔はこれでロウソクや石鹸を作った。転じて人の「脂肪」も意味する。ここでも boule de suif は「とても太った人物」として、やはりモーパッサンの作を例文に挙げている。
 以上から素朴に訳すならば、boule de suif は「脂肪の玉」となるだろうか(永井荷風は「脂肪の球」と訳したことがある)。

 さて本当の問題はここからだ。「脂肪の塊」と「脂肪の玉」でどちらがいいかというような話は空しい。なるほど「丸み」からすると「塊」はちょっと難があるのだが、イメージの喚起度からすると、「脂肪の玉」は何のことか分かりにくい。少なくとも、「脂肪の塊」にはいわくいいがたいインパクトがある。
 あとはここから、如何により相応しい「あだ名」を見つけ出すかなのだ。

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 ここで閑話休題。そもそも作者モーパッサンは、どうして主人公の名前を Boule de suif なんてものにしたのだろうか。
 実は、この主人公には実在のモデルがあったとされている。その名をアドリアンヌ・ルゲイ Adrienne Legay という娼婦で、普仏戦争の最中に、実際に物語に描かれるような体験をしたのだという。モーパッサンは人から聞いた彼女の話を題材に、この作品を書き上げた。
 アドリアンヌに関しては有名な逸話があって、執筆時には彼女を知らなかったモーパッサンは、後に有名な作家となってから、ある日、劇場で偶然に彼女に巡り合った。モーパッサンは彼女のボックス席に入って行くと、恭しく挨拶し、隣に腰を下ろした。芝居の後、二人は共にレストランで夕食を摂ったが、その時にどんな言葉が交わされたのかは誰にも分からない・・・。
 出来すぎたこの話の真偽は定かではないけれど、実際にこのような場面があったと想像するのはなかなか楽しい。
 それはともかく、同じように人の言うところでは (dit-on) アドリアンヌのあだ名がずばり Boule de suif だったのだという。
 だから主人公が Boule de suif なのは「当たり前」ということなのか、この点を研究者もあまり追及していない。

 しかし、たとえそれが事実であるにしても、実際の作品内にその名前を使わなければならない義務は作者にないわけで、モーパッサンがこの名前を選択した理由は、作品内にこそ求めてしかるべきだろう。
 上記の引用にも明らかなように、Boule de suif の性的な魅力は、食べ物のそれによって語られている。性欲を食欲にたとえ、あるいはそれと重ねて語るのは、なにもモーパッサンの独創ということではないけれど(その点では「あぶら饅頭」も同じで、そこにこの訳語の強みはある)、モーパッサンの巧みさは、物語内においてこの「性」と「食」のテーマを具体的に重ね合わせたことだ(馬車中での弁当のエピソード、最後の夜のブルジョア達の宴会)。それによって意味の連関は複雑かつ豊かになる。また主人公がブルジョア達の「犠牲」になるのも、やはり「性」と「食」の両方においてであり、そのことはブルジョア階級のエゴイスティックな「欲望」の所在を赤裸々に暴き立てると同時に、結末の主人公の悲哀もまたより切実なものとなった。
 加えてそこには「戦争」というテーマが介在し、それは舞台の背景であると同時に、Boule de suif とプロシア士官、そして彼女とブルジョア達の関係もまた一種の「戦争」として提示される。「性」と「食」を巡る「征服」と「敗北」の物語は、普仏戦争におけるフランスのプロシアに対する敗北と重ねられ、ひいては Boule de suif の「陥落」(そこでは日和見の共和主義者コルニュデによって「ラ・マルセイエーズ」が歌われる)に、フランスの敗北が象徴的に示されているとさえ言えるだろう。
 この作品ではそれぞれのテーマが相互に多様に折り重なり、絡み合っていて、その緊密さ故に一分の隙もない優れた作品となっていると言えよう。
 従って、そのような作者の戦略において、Boule de suif が丸々と太った「美味しそうな」女性であるのは必然であると言っていい。
 そこでこの名前だけれど、辞書に沿う限り、Boule de suif が直接に「食物」を喚起するというわけでは必ずしもないようだ。ただし「脂身」lard や「ソーセージ」の語と並べて提示されることで、「食物」に結び付けられていることは確かであるだろう。物語の展開上の「争い」のテーマを考慮すれば、むしろ「獲物」「餌食」として、獣の餌のようなイメージが近いだろうか。また戦争との関係で言うならば、boule は鉄砲玉を喚起しうる、ということを考慮しても良いかもしれない。言うなれば「肉弾」である。
 しかしいずれにせよ、それは一娼婦の「あだ名」であるということを第一に、最適な名前探しを行いたい。

*****

 ところでこの「あだ名」のニュアンスが微妙なのは、周囲の人間がその名で直接に彼女を呼んでいるのか、そうではなく陰で呼ぶだけなのかが分からない、という点にも理由がある。作者は三人省の記述の中でしか主人公を Boule de suif と名指さない。それというのも、ここに登場するのはいずれも体面を何より気にかける貴族・ブルジョア階層の人間であるから、彼等が直接 Boule de suif と呼ぶことはありえないのである。
 そのことからも、Boule de suif が「蔑称」であることは確かめられるから、直接にこの名で呼びかけることはない、と考えるのが自然なのだろう。その意味では、学校の先生に子供達がつける「あだ名」に少し似ている。
 ただし蔑称といっても、上記の引用にもある通り、まん丸と太っていることは、彼女の性的魅力を損なってはいない。この点に注意が必要なのは「太っている」ことに対する価値観が、当時と現代では大きく異なっているからだ。
 はっきり言って、19世紀の娼婦や、あるいは女優なんかは今より絶対に「太め」である。残っている写真を見る限りでは間違いない。「痩せている」ことに価値が置かれるようになるのは、20世紀も後半になってからのことで、当時の「理想の女性像」は、現代のそれよりも太めであった。そもそも豊満さは豊穣を意味するから、ふくよかであることは重要なことだった(のだろう)。社会が豊かになり、誰もが必要十分以上の栄養を摂ることが出来るようになった時に、反対にスリムな女性が理想とされるのは、それはそれで自然の理に適ったことなのだろう。もっともこれはあくまで素人考えに過ぎないけれど。

 以上ごちゃごちゃと述べたのはすべて、この作品における Boule de suif のニュアンスを、なるべく正確に理解したいという希望ゆえであった。
 つまり、丸々太った娼婦のあだ名であって、からかいの意味は込められてはいるけれど、それは彼女の「醜さ」を指すわけではない。直接に「食べ物」を指すのではないけれど、それを連想させるには十分な名前。それが Boule de suif だ。
 そのことを確認した上で、現代の日本語としておかしくなく、かつ最も相応しい言葉を探したい。今度こそ、いよいよ本題に突入だ。
 (もちろん、「現代の日本語としておかしくない」を強調するのは、かえって19世紀末のフランスと、21世紀の日本との間にある「差異」を無効化してしまう営為になりうる。そのことは承知しながら、なお冒険を試みてみたい。)

 まず「玉」はやはり玉であるから、この丸みをなんとか表したい。「かたまり」というのは私の感覚では、決して丸くないのである。
 「脂肪」は脂肪であり、他の言い換えとしては脂、あぶら、ぐらいしか適当な語が見当たらないようだ。恐るべし「脂饅頭」。
 しかし「脂玉」は、さすがに無理だろう。ラーメンにでも浮かんでいそう。どうもこの「脂」の漢字はよくないようなので避けよう。
「あぶらの玉」「あぶら玉」「あぶら玉子(たまこ、である。タマゴではない)」「あぶらっこ」「まんまるあぶら」「玉あぶら」・・・

 あぶら玉は何度も身を屈め、あたかもスカートの下に何かを探しているかのようだった。

 遂に三時頃、果てしない平原のただ中、家一軒視界に見当たらない場所で、あぶらっこは素早く身を屈め、白いナプキンで覆った大きな籠をベンチの下から取り出した。

 ・・・ひどすぎる。なればカタカナで「アブラダマ」。うーん、余計悪いみたいだな(アブラカダブラ)。――断っておくけれど、これでも私はいたって真剣なのである。
 思うに、「あぶら」という音の響きがどうもいけないのではないだろうか。なんだか音からしてギトギトしているみたいだ。大体日本語で「贅肉」のことを脂と呼ぶだろうか。「脂がついて太っちゃったよ。」とは言わないのではないだろうか。
 そこで考えるに、「脂肪がつく」と言うけれど、同時に人は「(余計な)肉がつく」という。ここは一つ、「にく」で攻めよう。

 「にくのたま」略して「にくたま」、いっそカタカナで

ニクタマ

というのはどうだろうか。ニクタマちゃんである。

 太った宿屋の主人は出て行った。それから、ニクタマは取り囲まれ、質問され、彼女が出かけていった秘密を話すように皆に促された。最初彼女はためらった。だがやがて興奮が打ち勝った。
「あの男が望んだこと?・・・あの男が望んだことですって? あいつは私と寝たいのよ!」

 翌日下りて来た者達の顔は疲れていて、心は苛立っていた。女達はニクタマにほとんど話しかけなかった。

――やっぱり、なんというか、大分違う。しかもニクタマというのは、よくよく考えると「肉球」のことではないか。Boule de suif は断じて猫ではないのであった。
 めげずに考えよう。
 ニクタマは一方(先に触れた)肉弾みたいでもある。なればいっそニクダンか。って何も変わってないよなあ。

 ニクダンは返事をせずに仲間に加わった。
 戻ってすぐに、彼女は自分の部屋に上がり、もう現れなかった。不安は頂点に達した。彼女はどうするのだろう? もしも拒んだら、なんという迷惑なことか!

 「肉玉子」、と書くとまるで食べ物なので(お腹が空くなあ)、「丹久珠子」で「にくたまこ」。――無意味な当て字が空しいだけか。
 「にくまる」「まんまるおにく」「お肉っ子」――なんならいっそ開き直って「おにくちゃん」、あるいはやけっぱちで「たまちゃん」でどうだっ。

 おにくちゃんは起床の慌しさと混乱のために何も考えることが出来なかった。そして彼女は眺めた、興奮し、怒りに喘ぎながら、おとなしく食べているこれらの者達を。

 そしてたまちゃんはいつまでも泣いていた。そして時折、堪えきらない嗚咽が過ぎて行った。節と節との間を、闇の中を。

*****

 ――ここまで来て、私は完敗を認めざるをえないのだが、さすがに悪ふざけが過ぎたと言うべきだろうか。モーパッサン先生、ごめんなさい。
 と「モーパッサンの石像に謝罪す」のような終わり方でこの稿を終えるのは、実に無念やる方ないのだけれど、これでも私は精一杯頑張った。
(蛇足ながら、永井荷風は「モーパッサンの石像を拝す」の初出では「羊の肉団子」としていたが、後に「脂肪の球(あぶらのたま)」に直している。)

 やはり「脂肪の塊」はいつまでも末永く「脂肪の塊」であるべきなのだろうか。
(01/02/2007)




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