引用 芥川龍之介とモーパッサン

Citations de Akutagawa sur Maupassant



芥川龍之介 解説 芥川龍之介の文章を読んでいるとモーパッサンの名前が度々出て来る。そこでその箇所を引用として並べてみた次第である。
 こうして見てみると、実際のところは芥川は正面からモーパッサンについて論じている訳ではないことが分かる。多くは名前を出すだけで、むしろ論じるのを避けているようにさえ思えるほどだ。その点、「敬服しても嫌いだった」の言葉は端的に作家の心情を語っている。(ちなみに、芥川が作品名を挙げている「ラルティスト」 L'Artisite は、英訳短編集に含まれていた偽作品。)
 そして確かに、芥川の創作作品の中にモーパッサンの影響はほとんど見られないと言ってよいだろう。
 ただそれでも、ともに短編小説に優れた技量を発揮した両作家には、どこか共通するものがあるようにも思われるのである。
 「モーパッサンは氷に似ている。もっとも時には氷砂糖にも似ている。」
 『侏儒の言葉』の中のこの一節、あるいは芥川その人にもよくあてはまる言葉であるように思うのは、一人私だけであるだろうか。

 なお引用はちくま文庫版の全集に依り、現代かなづかいに改めてある。
 また、芥川のモーパッサン評価については、大島 真木、「芥川龍之介と夏目漱石 ― モーパッサンの評価をめぐって」、『比較文学研究』、東京大学、33、1978年、p. 159-183. (『比較文学』、有精堂出版、1982年、p. 145-167.)に詳しい。大島氏は、漱石の厳しいモーパッサン批判が、芥川の評価に変更をもたらしたのではないかと推測している。

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[・・・]「ギュヨオとは別な言葉でリアリズムの真髄を明かにした」モウパスサンは、「事実それ自身より一層完全なる、一層著しき、一層確乎たる事実の幻影を提供する」事を以て、作家のまさに努力すべき所だと云った。彼の一個の幻影主義者であるほど、それほど深く現実に徹し、実在を穿った時、あらゆるイズムの作品は、ひとしくリアリズムの作品となるのである。
『或悪傾向を排す』


 高等学校へはいった後は、語学も少し眼鼻がついたから、時々仏蘭西の小説も読んで見た。但しその道の人が読むように、系統的に読んだのでも何でもない。手当り次第どれでもござれに、ざっと眼を通したのである。その中でも覚えているのは、フロオベルに「聖アントワンの誘惑」と云う小説がある。あの本が何度とりかかっても、とうとうしまいまで読めなかった。もっともロオタス・ライブラリイと云う紫色の英語訳で見ると、無茶苦茶に省略してあるから、造作なくしまいまで読んでしまう。当時の僕は「聖アントワンの誘惑」も、ちゃんと心得ているような顔をしていたが、実はあの紫色の本の御厄介になっていたのである。近頃ケエベル先生の小品集を読んで見たら、先生もあれと「サラムボオ」とは退屈な本だと云っている。僕は大いに嬉しかった。しかしあれに比べると、まだ「サラムボオ」なぞの方が、どのくらい僕には面白いか知れない。それからド・モオパスサンは、敬服しても嫌いだった。(今でも二三の作品は、やはり読むと不快な気がする。)[・・・]
『仏蘭西文学と僕』


 芸術上の模倣は上に述べた通り、深い理解に根ざしている。況やこの理解の透徹した時には、模倣はもうほとんど模倣ではない。たとえば今は古典になった国木田独歩の「正直者」はモオパスサンの模倣である。が、「正直者」を模倣と呼ぶのはナポレオンの事業をアレクサンダアの事業の模倣と呼ぶのと変わりない。成程独歩は人生をモオパスサンのように見たであろう。しかしそれは独歩自身もモオパスサンになっていたためである。あるいは独歩自身の中に微妙なる独歩モオパスサン組合の成立していたためである。更にまた警句を弄すれば、人生もまたモオパスサンを模倣していたためと云われぬことはない。「人生は芸術を模倣す」と云う、名高いワイルドのアフォリズムはこの間の消息を語るものである。人生?――自然でも勿論差支えない。ワイルドは印象派の生まれぬ前にはロンドンの市街に立ち罩める、美しい鳶色の霧などは存在しなかったと云っている。青あおと燃え輝いた糸杉もやはりゴッホの生まれぬ前には存在しなかったのに違いない。少くとも水水しい耳隠しのかげに薄赤い頬を光らせた少女の銀座通りを歩み出したのは確かにルノアルの生まれた後、――つい近頃の出来事である。
『僻見』 一 斉藤茂吉


     モオパスサン

 モオパスサンは氷に似ている。もっとも時には氷砂糖にも似ている。
『侏儒の言葉』


(五) これは畢竟余談である。志賀直哉氏の「子を盗む話」は西鶴の「子供地蔵」(大下馬)を思わせ易い。が、更に「范の犯罪」はモオパスサンの「ラルティスト」(?)を思わせるであろう。「ラルティスト」の主人公はやはり女の体のまわりへナイフを打ちつける芸人である。「范の犯罪」の主人公は或精神的薄明りの中に見事に女を殺してしまう。が、「ラルティスト」の主人公はいかに女を殺そうとしても、多年の熟練を積んだ結果、ナイフは女の体に立たずに体のまわりにだけ立つのである。しかもこの事実を知っている女は冷然と男を見つめたまま、微笑さえ洩らしているのである。けれども西鶴の「子供地蔵」は勿論、モオパスサンの「ラルティスト」も志賀直哉氏の作品には何の関係も持っていない。これは後世の批評家たちに模倣呼ばわりをさせぬために特にちょっとつけ加えるのである。
『文芸的な、余りに文芸的な』 五 志賀直哉氏


 この書簡集は一八四〇から一八七〇――メリメエの歿年に亘っている。(彼の「カルメン」は一八四四の作品である。)こう云う話はそれ自身小説になっていないかも知れない。しかしモオティフを捉えれば、小説になる可能性を持っている。モオパスサンはしばらく問わず、フィリップはこう言う話から幾つも美しい短篇を作った。僕等は勿論樗牛の言ったように「現代を超越」など出来るものではない。しかも僕等を支配する時代は存外短いものである。僕はメリメエの書簡集の中に彼の落ち穂を見出した時、しみじみこう感ぜずにはいられなかった。
『文芸的な、余りに文芸的な』 十八 メリメエの書簡集


 「古代の画家は少なからず傑出した弟子を持っている。が、近代の画家は持っていない。それは彼等の金のために、あるいは高遠な理想のために弟子を教えるためである。古代の画家の弟子を教えたのは代作させるつもりだった。従って彼等の技巧上の秘密もことごとく弟子に伝えたのである。弟子の傑出したのも不思議ではない。」――こう云うサミュエル・バットオラアの言葉は一面に真実を語っている。天賦の才はそのためにばかり勿論生まれて来るものではない。しかしまたそのために促されることも多いであろう。僕はこの頃フロオベエルのモオパスサンを教えるのにどのくらい深心を尽くしたかを知った。(彼はモオパスサンの原稿を読んでやる時、連続した二つの文章の同じ構造であるのさえやかましく言った。)しかしそれは何びとにも望むことの出来るものではない。(弟子に才能のある場合にしても)
『文芸的な、余りに文芸的な』二十四 代作の弁護


 批評家だった森先生は自然主義の文芸の興った明治時代を準備した。(しかも逆説的な運命は自然主義の文芸の興った時代には森先生を反自然主義者の一人にした。それはあるいは森先生の目はもっと遠い空を見ていたからかも知れない。しかしとにかく明治二十年代にゾラやモオパスサンを云々した森先生さえ反自然主義者の一人になったのは逆説的であると言わなければならぬ。)
『文芸的な、余りに文芸的な』三十二 批評時代


 鏡花は古今独歩の才あり。唯時に遇わざりしのみ。鴎外の鏡花を批評するや、往々にして言の苛刻なるを見る。これ既に鴎外の西洋文学に通ずること深く、トゥルゲネフ、ドオデ、モウパスサン等の尺度を以て鏡花の小説を測りしに依る。後年日本の自然主義者の鏡花を目して邪道とせるは必しも怪しむに足らざるべし。公等、碌々人に依りて功を成せるもの、何ぞ鏡花を罵るに足らんや。
『明治文芸に就いて』 四
(03/06/2006)




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