「エッフェル塔に反対する芸術家たち」

« Les artistes contre la tour Eiffel », le 14 février 1887



(*翻訳者 足立 和彦)

「エッフェル塔に反対する芸術家たち」記事 解説 1887年2月、画家・建築家・作家たちが建設中のエッフェル塔に反対し、抗議の署名を集めるという、ちょっとした事件があった。本記事は、1887年2月14日付『タン』Le Temps に掲載されたものであり、抗議文書全文の後に、編集者による設計者ギュスターヴ・エッフェル (Gustave Eiffel, 1832-1923) へのインタヴューが載せられている。新聞の2頁目、「日々の流れ」« Au jour le jour » の欄に属し、本記事は無署名である。抗議文の署名者の中には、ギ・ド・モーパッサンの名前が見える。
 署名者には、アカデミー派に属する画家・彫刻家が多い。文学者の中では、アカデミー・フランセーズに入会を果たした高踏派の詩人、ルコント・ド・リール、フランソワ・コペ、シュリ・プリュドムの名前がとくに目を引く。いずれにせよ、当時において保守的な位置に立つ芸術家が大半を占めていることは間違いないだろう。ゾラをはじめとした自然主義作家の名前はなく、この中ではモーパッサンはいささか特異な存在だと言えるかもしれない。この署名運動は、商工相ロクロワの毅然とした態度の前に立ち消えになった模様だが、これ以降もモーパッサンは断固としてエッフェル塔に反対しつづけることになる。その詳細については、拙文「エッフェル塔が嫌い」をご覧いただければ幸いである。


***** ***** ***** *****


 目下、パリにおいて以下の抗議文に署名がなされている。

            アルファン氏(1)
   親愛なる同国人たる貴君
 作家、画家、彫刻家、建築家であり、これまで無傷であったパリの美しさを熱烈に愛好する我々は、全力を込めて、心からの憤慨をもって、評価されていないフランス的趣味の名において、脅かされているフランスの芸術と歴史の名において、我々の首都のただ中における、無用にして怪物的なエッフェル塔の建立に対して抗議するためにやって来た。しばしば良識と公正な精神とを刻み込まれている公衆は、意地悪くも、すでにこの塔を「バベルの塔」と呼んでいる。
 盲目的愛国心の熱狂に陥ることなく、パリは世界に比類ない都市であると声高に宣言する権利を我々は有している。その通りや拡張された大通りの上方に、見事な川岸に沿って、その素晴らしい散歩道の中に、人間の才能が生み出したもっとも高貴な建築物が姿を見せている。傑作を生みだすフランスの魂は、堂々たる石作りの花々に囲まれて光り輝いている。イタリア、ドイツ、フランドルは、正当にも自分たちの芸術的遺産を誇りに思っているが、我々のものに比べうるようなものを持たないし、パリは世界中の興味と賞讃を惹きつけているのである。そうしたものすべてを冒涜されるに任せるというのだろうか? パリの都市は、機械製造人のバロックで、金儲け主義的な想像力に末永く協同し、取り返しのつかなくなるほどに醜くなり、自らの名誉を汚すというのだろうか? 何故なら、商業的なアメリカでさえ望まないだろうエッフェル塔とは、疑う余地もなく、パリの不名誉だからである。各人が感じ、各人がそれを口にし、各人がそれを深く悲しんでおり、我々は、かくも正当に警告された普遍的意見のかすかなエコーでしかないのである。要するに、外国人が我々の博覧会に訪れた時に、彼らは驚いて叫ぶことだろう。「なんと! あれほどに誇っていた自分たちの趣味についての考えを我々に明示するために、フランス人たちが見つけたのがこの醜い代物だというのか?」そして、彼らが我々をからかうのには理があることだろう。何故なら、崇高なゴシック建築のパリ、ジャン・グジョン(2)、ジェルマン・ピロン(3)、ピュジェ(4)、リュード(5)、バリー(6)らのパリが、エッフェル氏のパリになってしまうからである。
 そもそも、我々が主張することを理解するには、目が眩むほどに滑稽な塔がパリを睥睨するさまを一瞬でも想像してみれば十分である。さながら巨大な黒い工場の煙突であり、その粗暴な塊によって、ノートル=ダム、サント=シャペル、サン=ジャックの塔、ルーヴル、アンヴァリッドのドーム、凱旋門を小さく見せるのである。我々の歴史的建築物のすべてが辱められ、我々の建築のすべてが貶められ、この驚くべき夢の中で姿を消してゆくことだろう。そして二十年にわたって、幾世紀もの天才の仕事にまだ感動で震えている都市全体の上に伸び広がるのを、インクの染みのように、ボルトで締められた鋼鉄の醜い柱の醜い影が伸び広がるのを、我々は目にすることだろう。
 親愛なる同国人たる貴君、これほどにパリを愛し、これほどにパリを美しくし、行政のもたらす災害や、企業による心ない破壊から何度もパリを守ってきた貴君に、もう一度パリを守るという名誉がかかっているのである。我々は、パリの大義を擁護しようという心遣いを貴君に委ねよう。美しいもの、偉大なもの、正しいものへの愛が貴君のような芸術家に抱かせるに違いないエネルギーと雄弁を、貴君が費やしてくれることを知っているからである。そうすれば、我々の危惧の呼び声が耳に届くことなく、貴君の言い分に耳が傾けられず、パリがパリの名誉を傷つけることに固執するとしても、少なくとも、貴君と我々は、名誉ある抗議の声を上げたということにはなるであろう。
 すでに署名し者

E・メソニエ(7)、Ch・グノー(8)、シャルル・ガルニエ(9)、ロベール・フルーリ(10)、ヴィクトリヤン・サルドゥー(11)、エドゥアール・パイユロン(12)、H・ジェローム(13)、L・ボナ(14)、W・ブグロー(15)、ジャン・ジグー(16)、G・ブーランジェ(17)、J・E・ルヌヴー(18)、Eug・ギヨーム(19)、A・ヴォルフ(20)、Ch・ケステル(21)、A・デュマ(22)、フランソワ・コペ(23)、ルコント・ド・リール(24)、ドメ(25)、フランセ(26)、シュリ=プリュドム(27)、Elie・ドロネー(28)、E・ヴォードルメール(29)、E・ベルトラン(30)、G・J・トマ(31)、フランソワ(32)、アンリケル(33)、A・ルノワール(34)、G・ジャケ(35)、グビ(36)、E・デュエ(37)、ド・サン=マルソー(38)、G・クルトワ(39)、P・A・J・ダニャン=ブヴレ(40)、J・ヴァンケール(41)、L・ドゥーセ(42)、ギ・ド・モーパッサン、アンリ・アミック(43)、Ch・グランムージャン(44)、フランソワ・ブルノー(45)、Ch・ボード(46)、ジュール・ルフェーヴル(47)、A・メルシエ(48)、シュヴィロン(49)、アルベール・ジュリヤン(50)、アンドレ・ルグラン(51)、ランボ(52)、等々。

 我々は、これほど多くの者が署名した抗議についてのエッフェル氏の意見を知りたいと思った。そこで彼に会いに行ったので、できる限り忠実に彼の談話を要約してみよう。

 ――初めに、とエッフェル氏は言った。署名者の中には私にとって驚きの名前がいくつかあります。たとえば、シャルル・ガルニエ氏はまさに塔の委員会に属しているのです。塔に賛成しないというどんなことも彼はそこでしませんでした。だから彼は自分自身に対して抗議していることになります。まったく理解できないことです。
 それから、この抗議はどうしてこんなに遅れて起こったのでしょうか? 一年前、人々が私の計画を議論していた時なら、抗議にも存在理由があったでしょう。議論においてそれを意見として認め、その価値を検討したことでしょう。今日ではそれは無意味です。我々のすべての契約はすでに結ばれました。塔の建設には五百万から六百万かかるでしょう。私はそれを国家のために建設し、国家は私に、最初の補助として百五十万、および博覧会の間、モニュメントを経営する権利を約束しました。博覧会の後には、国家は塔をパリ市に譲りますが、市は私に、第二の補助として、二十年にわたって塔を経営する権利を約束しました。この期限が過ぎた後には、塔は最終的に市のものとなり、市の好きなようにすることでしょう。こうしたことすべてに何か月も前に署名がされ、略署されたのですから、今日、後戻りすることは不可能です。その上、工事は始まっており、土台が築かれ、建造に必要な鉄はすでに注文されています。私が思うには、どこにも到達することがないと分かっているような振る舞いはしないということが、抗議文の下に添えられた輝かしい名前にはふさわしかったことでしょう。
 今日において抗議が効果を生むとすれば、それは公衆に対してでしかなく、公衆を博覧会から遠ざけることになるでしょう。議論の余地もなく、塔は主要なアトラクションの一つなのですから。そのような結果を得るために、これほど多くの著名人が集まることが急を要するというのも、私には信じられないことです。

 我々の編集者は、抗議は博覧会のために塔を建設することではなく、博覧会の後二十年にわたって塔を維持することに向けられていると指摘した。
 ――そうでしょうとも、とエッフェル氏は言った。だとすれば、抗議は遅すぎたという代わりに、あまりに早すぎるように思われます。塔の維持に反対するために、芸術家たちはどんな理由を挙げるのですか? 塔が無用で、怪物じみていると! それはひどく醜いと! 塔の有用性については、後ほどお話しします。目下のところは、美学的な利点にだけに注意を向けましょう。その点について、芸術家は特別に能力を有しているのですから。彼らの判断の根拠は何なのかを私は知りたいと思います。なぜなら、この点に注目してください、私の塔を、まだ誰も目にしたことはなく、それが出来上がる前には、誰もそれがどのようなものであるのか言うことはできないでしょう。現在のところは、何十万部か刷られた実測図によってしか塔は知られていないのです。いつから人は、実測図に基づいて、芸術的観点からモニュメントを評価するようになったのですか?
 そして出来上がった時に、私の塔が醜くなく、美しいものだったら、まだ建設中のモニュメントの保存に対して、あまりに早く、あまりに軽率に反対したことを、芸術家たちは後悔するのではないでしょうか? だから彼らは塔を実際に目にするまで待つべきです。
 あなたに私の考えと希望とをお話ししましょう。私は、塔は美しいだろうと信じています。我々がエンジニアだからという理由で、我々の建造物において美は考慮されないと、我々は頑丈で耐久性のあるものを作る一方で、優美なものを作る努力はしないなどと、人は信じるのでしょうか? 力を生み出す真の条件は、調和を生み出す秘密の条件と常に一致するのではないでしょうか? 建築美学の第一の原則は、モニュメントの基本ラインは、その目的の完全な承認によって決定されているというものです。私の塔において何よりもまず考慮されなければならない条件とは何でしょうか? 風に対する抵抗です。そこでです、計算が私に提示したようなモニュメントの四つの穹稜の曲線は、美しいという印象を与えるだろうと私は主張します。それは私の構想の大胆さを目に訴えるからです。
 さらに、巨大なものの中には、通常の芸術理論が適用不可能な魅力、固有の引きつける力が存在します。ピラミッドがあれほど強く人間の想像力に衝撃を与えるのは、その芸術的価値ゆえなのだという理論を支持できるでしょうか? 結局のところは、それは人工的な小山以外の何かでしょうか? にもかかわらず、それを前にして冷静なままの旅行者などいるでしょうか? 一体誰が、抵抗し難い讃嘆の思いに満たされずに戻って来たでしょうか? そして、努力の途轍もなさと、結果の偉大さの内にでなければ、そのような讃嘆の思いの源泉はどこにあるのでしょうか? 私の塔は、かつて人間が建設した中でもっとも高い建物となるでしょう。それはその姿においても同じように雄大ではないでしょうか? エジプトでは見事なものが、どうしてパリでは醜く滑稽だということになるでしょう? 考えてみても、私には分かりません。
 抗議文の言うところでは、私の塔はその粗暴な巨大な塊によって、ノートル=ダム、サント=シャペル、サン=ジャックの塔、ルーヴル、アンヴァリッドのドーム、凱旋門といったあらゆるモニュメントを小さく見せるそうです。一つの塔にどれほど問題があることでしょう! まったく、微笑まずにはいられません。ノートル=ダムを賞讃したい時には、人は教会前の広場からそれを見ます。シャン・ド・マルスの何でもって、塔はノートル=ダム広場にいる見物人の邪魔をするのでしょうか、彼には塔が見えもしないのに? そもそも、一個の建造物が周囲の建物を小さく見せると信じるような考えは、もっとも誤った考えの一つです。オペラ座が周囲の住居を小さく見せることがないのと同様に、周囲の建物によって小さく見えるということもないのをご覧なさい。エトワール広場のロータリーにお出でなさい。凱旋門が大きいからといって、広場の建物が小さく見えるということはないでしょう。反対に、家々は十五メートルの高さがある風に見えるのに、凱旋門は四十五メートルの高さだと信じるには、精神の努力が必要でしょう。
 したがって、塔の芸術的効果に関しては、誰も前もって判断することはできません。それは私も同じです。なぜなら、今日地面から出始めた土台の規模には、私自身が驚かされているからです。塔がパリの他のモニュメントに与えうる損害に関しては、それは口先だけのことです。
 残るのは有用性の問題です。ここでは芸術の領域を離れますから、芸術家の意見に公衆の意見を対置することも十分に許されるでしょう。これほど人気のある計画はかつてなかったと述べても、うぬぼれを見せていることにはならないと思います。どれほど慎ましい人であっても、この計画を知らず、興味も持っていない人はパリにはいないという証拠を、私は毎日目にしています。旅行する機会があった時には、外国でも、この計画の評判に驚かされます。
 有用性という問題の唯一の真の判定者である学者に関しては、彼らの意見は一致していると言うことができます。塔は彼らに天文学、植物化学、気象学、物理学についての興味深い観察を可能にさせるだけでなく、戦時にはパリを常時フランスの他の地と結びつけることを可能にするだけでなく、塔は、エンジニアの技術によって今世紀に実現した進歩の輝かしい証明でもあるのです。ただ我々の時代、この数年来に初めて、人は十分に確かな計算を積み上げ、十分な正確さをもって鉄を加工し、これほどに巨大な企図を思い描くことができるようになったのです。この現代科学の精髄が城壁内に建造されるということは、パリの栄光にとって何でもないことでしょうか?
 抗議文は私の塔を「ボルトで締められた鋼鉄の醜い柱」と言ってくれました。この軽蔑の調子を目にすれば苛立たずにはいられません。署名者の中には私が賞讃し、評価している人たちもいます。ブラウスに花を挿した可愛らしい女性を描いたり、ヴォードヴィル芝居の才気煥発な小歌の一節をひねったりして有名な人たちもいます。結構です、率直に言わせてもらえれば、フランスの全部がそこにあるわけではないと思います。ヴォギュエ氏(53)は、『両世界評論』に載せた最近の記事の中で、彼が出かけたヨーロッパのどこの町でも「ウージェーヌ、君は僕を苦しめる」、「ベンチの端のビ」が歌われるのを聞いたことを確かめた後、我々は現代世界の「ギリシャ人」になりつつあるのではないかと自問していました。たとえ、我々の国は娯楽の国なだけではなく、エンジニアや製造業者の国でもあり、彼らは世界中から呼び集められて、橋、陸橋、駅や、現代産業の大型モニュメントを建設しているのだということを示す以外には存在理由がないとしても、エッフェル塔はもっと敬意をもって扱われるに値するでしょう。

 以上が、おおよそ、エッフェル氏が我々に答えたことである。
 理があるのは彼だろうか、抗議者たちだろうか、芸術家だろうか、エンジニアだろうか? というのも、ここにあるのは、芸術家とエンジニアとの古くからの争いの一つのエピソードでしかないのである。二年経つ前に答を知るのは難しいだろう。芸術家たちも塔の建設自体には反対していない。それ故に、塔の完成を待つこととしよう。


『タン』紙、1887年2月14日
Le Temps, 14 février 1887.



訳注
(1) Jean-Charles Adolphe Alphand (1817-1891) : エンジニア。第二帝政下、セーヌ県知事オスマンのもとでパリ改造に携わった。1889年万国博覧会では主催者を務めていた。
(2) Jean Goujon (vers 1510-1567) : 彫刻家・建築家。ルーヴル宮の造営に参加。イタリア・ルネサンスの影響を受け、特に浮彫に秀でていた。
(3) Germain Pilon (vers 1528-1590) : 彫刻家。アンリ二世とカトリーヌ・ド・メディシスの墓碑彫刻 (1563-1570) などで名高い。
(4) Pierre Puget (1620-1694) : 彫刻家・画家・建築家。バロック期の個性的な彫刻家として知られた。ヴェルサイユ宮殿の大理石群像「クロトナのミロ」(1671-84) など。
(5) François Rude (1784-1855) : 彫刻家。ナポレオンを崇拝し、ロマン主義的な作風を確立した。凱旋門の壁面「ラ・マルセイエーズ」(1833-36) など。
(6) Antoine Louis Barye (1796-1875) : 彫刻家。ロマン主義彫刻の代表的存在。代表作に「蛇と戦う獅子」(1833) など。
(7) Jean-Louis-Ernest Meissonier (1815-1891) : 画家。ナポレオン戦役の歴史画や風俗画で名を成した。「ソルフェリノ」(1863) など。
(8) Charles Gounod (1818-1893) : 作曲家。『ファウスト』(1859) 『ロメオとジュリエット』(1867) などのオペラで成功を収めた。
(9) Charles Garnier (1825-1898) : 建築家。第二帝政下に豪華できらびやかな作品を残す。新しいパリのオペラ座 (1861) を設計。
(10) Tony Robert-Fleury (1837-1911) : 画家。父のジョゼフ=ニコラ・ロベール・フルーリ (1797-1890) も画家。歴史画や肖像画などで知られ、多くの弟子を育てた。
(11) Victorien Sardou (1831-1908) : 劇作家。第二帝政時代を代表する人気作家だった。『ブノアトン一家』(1865)、『祖国!』(1869) など。1877年アカデミー・フランセーズ会員。
(12) Édouard Pailleron (1834-1899) : 劇作家。風俗喜劇で成功を収めた。『楽しむ世界』(1868)、『退屈する世界』(1881)。1882年、アカデミー・フランセーズ入会。
(13) J・L・ジェロームの間違いか? Jean-Léon Gérôme (1824-1904) は画家・彫刻家。アングル風なデッサンが特徴で、歴史画などを得意とした。「闘鶏」(1847)。
(14) Léon Bonnat (1833-1922) : 画家。肖像画で知られる。
(15) William Bouguereau (1825-1905) : 画家。折衷主義的作風で神話的主題の絵を描いた。「ガラテア」(1853)、「ヴィーナスの誕生」(1879)。
(16) Jean Gigoux (1806-1894) : 画家。『ジル・ブラース物語』などの挿絵で名を成した。
(17) Gustave Boulanger (1824-1888) : 画家。オリエンタリズムの絵画で知られる。
(18) Jules Eugène Lenepveu (1819-1898) : 画家。歴史画や宗教画で知られる。オペラ座の天井画 (1869-1871) を手掛けた。
(19) Eugène Guillaume (1822-1905) : 彫刻家・批評家。ローマ彫刻を範とした肖像を制作。ナポレオンの彫像などが有名。1898年、アカデミー・フランセーズ入会。
(20) Albert Wolff (1835-1891) : ドイツ出身の批評家・劇作家。『シャリヴァリ』や『フィガロ』で活躍した。
(21) Charles-Auguste Questel (1807-1888) : 建築家。ニームのサン=ポール教会など。
(22) Alexandre Dumas (1824-1895) : デュマ・フィス。デュマ・ペールの息子で、小説家・劇作家。小説『椿姫』(1848) など。1875年、アカデミー・フランセーズ会員。
(23) François Coppée (1842-1908) : 詩人・劇作家。高踏派の詩人の一人。庶民生活を素朴に表現し人気を博した。『貧しき人々』(1872)、『物語とエレジー』(1878)、詩劇『王位のために』(1895)。1884年、アカデミー・フランセーズ会員。
(24) Charles Marie René Leconte de Lisle (1818-1894) : 詩人。高踏派の領主に位置づけられる。『古代詩集』(1852)、『夷狄詩集』(1862)、『悲劇詩集』(1884)。1886年、アカデミー・フランセーズ入会。
(25) Honoré Daumet (1826-1911) : 建築家。パレ・ド・ジュスティス拡張工事などに関わった。
(26) François-Louis Français (1814-1897) : 画家。バルビゾン派の風景画家。
(27) Sully Prudhomme (1839-1907) : 高踏派の詩人の一人。後に哲学詩の傾向を強め、詩集『運命』(1872)、『正義』(1878)、『幸福』(1888) などを発表。1881年、アカデミー・フランセーズ入会。1901年、ノーベル文学賞受賞。
(28) Jules-Élie Delaunay (1828-1891) : 画家。壁画や肖像画で名高い。
(29) Émile Vaudremer (1829-1914) : 建築家。サンテ刑務所をはじめ、パリ市の多くの建物を手掛けた。
(30) Eugène Bertrand (1834-1899) か? 俳優出身で、1869-1891年にヴァリエテ座支配人を務めた。
(31) Gabriel-Jules Thomas (1824-1905) : 彫刻家。パリ北駅のファサードの彫刻などを手掛けた。
(32) François. 不詳。
(33) Louis-Pierre Henriquel-Dupont (1797-1892) : 版画家・挿絵画家。同時代の画家の絵画の複製版画に秀でていた。
(34) Albert Lenoir (1801-1891) : 建築家・考古学者。クリュニー美術館を創設し、館長を務めた。
(35) Gustave Jacquet (1846-1909) : 画家。ブグローの弟子。肖像画・風俗画で知られる。
(36) Jean-Richard Goubie (1842-1899) : 画家。ジェロームの弟子。田園を描いた風俗画で知られる。
(37) Ernest Ange Duez (1843-1896) : 画家。肖像画や挿絵で知られる。
(38) René de Saint-Marceaux (1845-1915) : 彫刻家。デュマ・フィスの墓碑などの作品がある。
(39) Gustave Courtois (1852-1923) : 画家。肖像画、風俗画などで知られる。
(40) Pascal-Adolphe-Jean Dagnan-Bouveret (1852-1929) : 画家。クルトワの親友。ブルターニュで描いた風俗画などで知られる。
(41) Joseph Wencker (1848-1919) : アルザス出身の画家。ジェロームの弟子。肖像画、風俗画などを残した。
(42) Henri-Lucien Doucet (1856-1895) : 画家。パリの社交界を描く風俗画や肖像画で知られた。「舞踏会の後」(1889)。
(43) Henri Amic (1853-1929) : 小説家・劇作家。『ジョルジュ・サンド、我が回想』(1893)。
(44) Charles Grandmougin (1850-1930) : 詩人・劇作家。フランク作曲のオペラ『ユルダ』(1885) の台本などを執筆した。
(45) François Bournaud (1855-19??) : 作家。『我らが慈愛の修道女たち』(1894) の著書がある。
(46) Charles Baude (1853-1935) : 版画家。雑誌向けの複製画の腕前に定評があった。
(47) Jules Joseph Lefebvre (1834-1912) : 画家。アカデミー・ジュリアンの講師として多くの後進を育てた。
(48) Antonin Mercié (1845-1916) : 彫刻家・画家。「ダビデ」(1872)、「栄光の敗北」(1874)。
(49) André Cheviron (1824?-1892) : 建築家。
(50) Albert Jullien. 不詳。
(51) André Legrand. 不詳。
(52) Limbo. 不詳。
(53) Eugène-Melchior de Vogüé (1848-1910) : 批評家・政治家。ロシア文学の紹介者として知られる。『ロシアの小説』(1886)。




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