エッフェル塔が嫌い

Maupassant et la Tour Eiffel



 モーパッサンはしばしば塔のレストランで昼食をとった。とはいえ彼は塔を好きではなかった。「パリで塔が見えないのはこの場所だけだ」と彼は言ったものだった。
(ロラン・バルト『エッフェル塔』)

 という有名な書き出しからバルトは、見られる対象であると同時に見る主体でもあり、それ自体は「空」な存在でしかないもの、という独自のエッフェル塔論を書いた(のだったと思う)。
 『エッフェル塔』の内容はともかくとして、このモーパッサンと塔に纏わる逸話は以来有名である。この発想の逆転は確かに印象深いから、好んで語られるのも頷ける。
 ことモーパッサン自身に関しても、なるほど、皮肉めいた機知をひけらかしつつ、実は新しいもの好きなスノッブな面を覗かせている点、作家の人柄がよく出ている話だ、と思わないではない。こんな小話から斬新なエッフェル塔論を導いたバルトはさすがだな、と唸らせもする。

 だが待てよ、とここで思うのである。
 そもそもこれは本当の話なのだろうか?

 実際のところ、現状、私はこのネタの出所を知らない。モーパッサンの伝記は多数出ているが、どうにもどこにもこのような記述が見当たらない。もっとも私が見落としているだけの可能性は否定できないので、以下は推測の域を出ないのだけれど、どうもこの話はバルトの「創作」ではないかと思われるのだ。
 (もっともバルト以前の別人による創作という可能性も十分にあるのだけれど、今のところそれもよく分からないので、とりあえずバルト発端説を採用しておこう。)
 ではバルトはどこから「エッフェル塔通いのモーパッサン」を思いついたのだろうか。

 モーパッサンがエッフェル塔を嫌っていたというのは、実のところ有名な話だった。実際に、1886年10月19日「ゴーロワ」掲載記事「塔・・・気をつけろ」La Tour... Prends garde 次いで87年8月9日「ジル・ブラース」掲載「財産」La Fortune において、モーパッサンは当時建設途中のエッフェル塔を酷評している。

「この怪物が悪夢のように視線を追い、精神にとりつき、純朴な可愛そうな者達を脅かすが、彼等は芸術的建築に対する、直線と均整とに対する趣味をまだ持ちつづけているのである。」
(「塔・・・気をつけろ」)

 鉄筋だけから成る高さ300メートルもの巨大建築は、伝統的な建築美に真っ向から反するもので、勿論そこにエッフェル塔の新しさがあった訳だが、モーパッサンは伝統的な美意識の衰退を嘆き、新しい塔の醜悪さを断じてはばからない。
 もっともそのような姿勢は彼だけに見られたのではない。1887年2月14日「タン」Le Temps 紙上にエッフェル塔建設反対の合同署名記事が掲載されているが、デュマ・フィス、サルドゥーといった劇作家、ルコント・ド・リール、シュリ・プリュドム、フランソワ・コペといったパルナス派詩人など、モーパッサンの他にも多数の芸術家、建築家が名を連ねている。当時の人々にとって、エッフェル塔がどれほど奇抜なものと映ったかをよく表していよう。エッフェルの建築がいかに時代を革新するものであったかの詳細はバルトその他の論に譲るとして、とにかく、モーパッサンは断固、反エッフェル塔派に立っていた。
 そして1889年、パリ万国博覧会が開催された際に、モーパッサンは改めて記事を記すが、それには「倦怠」 Lassitude という題が付されている。(「エコー・ド・パリ」1890年1月6日)

「私はパリ、そしてフランスからも離れた。何故ならエッフェル塔があまりにも私を憂鬱にさせることになったからだ。
 どこからもそれが目に入るだけではなく、至るところでそれを目にする。ありとあらゆるありふれた材料で作られ、至る所のウインドーに飾られていて、避けようもなく苦しい悪夢なのだ。」

 この記事は後に旅行記『放浪生活』の巻頭に収められるが、エッフェル塔、そして万国博覧会に押し寄せる群衆に対する嫌悪、倦怠が「放浪」を直接に動機づけることになる。そしてシチリア島に残る古代遺跡や中世の修道院に、モーパッサンは彼にとっての真の美を見出して行くのである。

 従って、バルトの発想のもとにあったのは、恐らく『放浪生活』であっただろう。そこまではいい。彼が実際に作品を読んだかどうかは分からないけれど、「エッフェル塔を嫌ってフランスを逃げ出した作家」というイメージは広く流布していたに違いない。
 問題は「塔を見ないために塔の中に入ってしまう」という発想がモーパッサン自身のものであったかどうかだ。そこで、もう一度「倦怠」の章を読み直してみることにしよう。

***

 建築はある時代の思想を顕著に表明するものだと、まず作者は言う。ならば「鉄の梯子で出来た背の高い痩せたピラミッド」によって、我々の世代について人はどう判断するであろうか? 時代遅れと言われようとも、ピサの斜塔の方がよっぽど好ましい。

「だがそもそもエッフェル塔は私にはどうでもいい。神聖なる意見によれば、国際的な祭りのための灯台であるそうだが、その祭りの記憶は悪夢のように、恐ろしい光景が実現したかのように私にとりつくだろう。その光景とは楽しんでいる群集が気難しい人間に与えるものである。」

 そこから博覧会そのもについての感想に移る。

「最初の日から、私はこの種の楽しみに向いた人間ではないということをただ確認したのである。
 深い賞賛の念をもって機械の展示や、夢のような現代の科学、工学、物理学、化学の新発見を見学した後、裸踊りは裸の腹を揺すらせている国においてでなければ楽しい見ものではなく、他のアラブの踊りも、アルジェリアの白い街でなけれ魅力も色彩も無いことを確認した後、結局のところ、時々そこへ出かけて行くことは疲れることで、もっとも気晴らしにはなり、休むためにはどこか、自分の家か友人の家へ行くことになるだろう、と自分に言い聞かせた。」

 ところが実際には万博のためにヨーロッパ中から押し寄せる観光客でパリは一杯になってしまった。ここでちょっと興味ある記述が見られる。

「その日から通りは一杯で、歩道は群集を太い竜巻のように転がしている。それが皆博覧会に向かって下りて行き、帰って来ては、また戻って行く。(中略)レストランには空いたテーブルもなく、自分の家で食事をしたり、あなたの家で食事することに承知する友人もいない。
 誘われると、彼はエッフェル塔の上でのご馳走という条件でのみ承諾する。そのほうが陽気なのだ。そして誰もが、命令を受けたかのように、毎日のように昼食をとるか、あるいは夕食をとるかとあなたをそこへ誘うのである。」

 このあと混雑するレストランがいかにひどい俗悪な場所であるかの描写があり(つまり彼がレストランに行ったことがあるのは確かだ)、洗練された趣味も芸術も失われてしまったのだと結論を下し、フィレンツェを訪れようと決心するに至る。

***

 結局のところ、ここに表明されているのは極めて明快な、ブルジョア趣味に対する軽蔑であり、群集に対する嫌悪である。文字通りに「倦怠」の色濃いこの文章の中で、作者に気のきいた機知を発揮する余裕があるようには見えない。確かに塔内のレストランが話題に上がっているが、新奇なものに殺到する人々に向ける視線は冷ややかなものだ。
 もっとも、全ては作家のとる「ポーズ」という可能性はある。だけどもこの時期のモーパッサンについて知る者であれば、ここに彼が述べている「倦怠」は確かに彼の実感であったように思えるのである。
 それというのもこの時期、モーパッサンは既に相当病気が進行しており、頭痛、眼痛をはじめ様々な症状に襲われているし、創作のペースも相当に落ちている。人込みに対する嫌悪も全く生理的なもので、決して高踏ぶっているばかりではない。カフェのテラスさえ好まなかったという証言が残っているし、実際に時間が許す限り、モーパッサンはパリを離れて南仏に足を向けている。
 ことは極めて現実的、そして生理的な問題なのである。文章の上ではあくまで論理的に、そして美学的な問題として万博の騒ぎを批判しているけれども、モーパッサンの人嫌いは、それ自体が彼の病気の徴候だ。「余裕がない」というのはそういうことで、要するに、機知をひけらかすためにわざわざ人込みの中、行列を作ってまでして塔のレストランに通ったというのは、ありそうにない話ではなかろうか、と思う次第なのである。

 それだけといえば、それだけのことなのである。何も目くじら立ててバルトを「嘘つき」呼ばわりするつもりなどない。もしも本当に彼がこの「倦怠」の章から、あの印象的な冒頭を着想するに至ったのなら、「作家」バルトの才に敬服するばかりだ。
 というわけで、バルトの「創作」は実のところモーパッサン自身とは関係ないかもしれないのですよ。と、いささか野暮な話ながら、ここに断っておくこととしよう。

***

 だが「それだけ」というのも何なので、けれどここで改めて、バルトのアイデアを拝借することが出来ないだろうか、と思ってもみるのである。「塔を見ないために塔の中に入ったモーパッサン」の(仮定の)姿を出発点に、モーパッサンを考え直してみることが、もしかして出来るのではないだろうか?
 実際に、評論の中でモーパッサンが語っているのは、エッフェル塔が常に視界に入り「悪夢のように」「精神にとりつく」ということである。「見る」ことに固執し、「観察」することを作家の使命(にして宿命)と捉えていた作家にとって、常に目に入り、しかもそれが彼にとって「醜い」ものであるならば、その存在は重大な意味を持つ。逆転の発想はともかくとして、「鉄のピラミッド」の存在は確かに、モーパッサン(の文学)を照らす悪夢的「灯台」でありうる。
 そこで続けて、次のように考えてみよう。(バルトが洞察した如く)「見る」ことと「見られる」こととは表裏一体だ。見ることに敏感な作家は、同時に見られることにも敏感ではなかっただろうか。
 パリの街の至る所で目に入る(もっともここには誇張があるが)エッフェル塔を、モーパッサンが現に繰り返し批判した背景に、「見られること」に対する一種の恐怖がありはしなかっただろうか。塔を見ないで済むために、ではなく、塔から見られないようにするために、彼がパリに背を向けたと考えることは出来ないだろうか?

 このような問いかけの帰結の一つには当然『オルラ』(1887)がある。「見えない」存在であるオルラもまた、「見る」ことに固執する作家のオブセッションの凝縮であるが、オルラは自分が「見られない」ことによって、常に語り手を一方的に「見る」ことが出来る位置に立ち、その視線の不均衡が両者の力関係を決定づける。見えないはずのオルラを「見る」ことに語り手が執着する理由はそこにある。相手を「見る」ことによってのみ、彼は相手と対等に立つことが出来るし、「見た」という確信を得てはじめて、相手を殺せるという期待を抱く・・・。
 「見られること」に関して次に思い浮かぶのは『ベラミ』(1885)である。「色男」デュロワの唯一の特徴は美貌であるが、すなわち彼は徹底して「見られる」存在でしかない。勿論、物語の中で彼は常に「見る」主体にある。だが「見る」主体である彼の行動は全て「見られる」こと、すなわち「見る」他者(当然多くは女性)によってこそ、実は決定づけられている。従ってデュロワの存在は常に彼自身の主体性、その統一性に不安を抱えている。あるいは確固たる主体性をはじめから剥奪された存在であるかもしれない・・・。
 見ること、あるいは見られることに対する固執、あるいは強迫観念は、恐らくまだ他の作品の中に見て取ることが可能だろう。すなわちそれは作家の一個の「テーマ」でありうる。――という風に、「塔を見ないで済むために塔の中へ入ったモーパッサン」というバルトの創作?から、改めてモーパッサンの文学を問い直すことが出来るかもしれない。
  と、徒然に記す内にふと思ってみたのだけれど、果たしてどうだろうか。もっとも、この文章は決して大層な論文ではないので、ひとまずここで止めることにしよう。

***

 エッフェル塔よりもピサの斜塔のほうが多くの人を惹きつける、というモーパッサンの予言?も空しく、今日もエッフェル塔はパリのシンボルとして屹立しているのは皆の知るところ。彼がそこに「新しい美」を見出すことが出来なかった点に、世代差と時代の変化、更に言えば19世紀と20世紀を隔てる壁のようなものが見える。
 だけれども少なくとも、モーパッサンが残した証言は今日の我々にも多くのことを告げているように思える。今日我々があまりにも見慣れてしまった「新発明」にもう一度新鮮な光を投げかけてくれると同時に、100年前より一層劇的に変化する時代を生きる我々の、「今」に対する視線に対しても、ある一つの問いを投げかけてはいないだろうか。
(22/08/2006)




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