モーパッサン 『豚の市場』

Le Marché aux cochons, le 1er mai 1877



(*翻訳者 足立 和彦)

「豚の市場」挿絵 解説 1877年5月1日、挿絵入り週刊誌『ミュゼ・ユニヴェルセル』 Musée universel に掲載されたエッセイ。Guy de Valmont の筆名。画像は本文中に挿入されている挿絵である。
 この一文は2016年にブログ La Porte ouverte で発見が報告されるまで、その存在が知られていなかったものである。なお、同じ雑誌にモーパッサンは「ディエップの浜辺」と題する記事も掲載している(5月23日)。
 もっとも、1974年、Bulletin des Amis de Flaubert 『フロベール友の会会報』第45号に掲載された記事 « Un texte oublié de Maupassant » によって、ルーアン発行の週刊誌(恐らくはTam-Tam)に« Le Cochon et la légende de Saint Antoine »「聖アントワーヌの豚と伝説」と題されたヴァルモン名義の記事が掲載された(正確な日付は不明)という事実は確認されていた。今回発見された一文は、このルーアンの記事に部分的に加筆されたものとなっている。
 マルロ・ジョンストンはモーパッサンの伝記の中で、1877年6月7日付のモーパッサンによる宛先不明の書簡の一部を引用している。

 あなたはディエップについての記事をお受け取りになったと思います。あなたが私にお求めになったもので、その日の内にお送りしたものです。
 その記事が掲載されたかどうか、第何号に掲載されたかをお教えいただけますでしょうか。
 それから、また他のものをお望みかどうかをお聞きするために、近日中にお伺いするつもりです。
 おそらく、あなたは毎月掲載された原稿の支払いを命じていらっしゃるのでしょうから、どちらへ出向いて、先月掲載していただきました「豚の市場」についての記事の原稿料を頂くべきか、お教えいただけましたら幸いです。
(Marlo Johnston, Guy de Maupassant, Fayard, 2012, p. 203.)

 「聖アントワーヌの誘惑」は西洋絵画の伝統的な主題の一つであり、フロベールはブリューゲルの絵画に着想を得て『聖アントワーヌの誘惑』を構想した。この小説がついに完成を見たのは1874年のことである。モーパッサンはフロベールとの交流の中で聖アントワーヌについての知識を得たと推測される。
 1877年当時、青年モーパッサンは文学修業の最中にあるが、ここでは肩ひじ張らずに気楽なおしゃべりに興じており、文章に素朴なユーモアが漂っている点、この時期に書かれたものの中では例外的なものとなっている。70年代のモーパッサンの知られざる一面を垣間見せてくれる一文と言えるだろう。


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 牛たちは抵抗することなく畜殺場へ向かう。その重々しい群れはおとなしく通りを進んでいく。牛たちの背中が作る海のような面の上に、かぎ型に曲がった大きな角が船のマストのように揺れているのが見える。
 羊たちは隊を成して死へと向かっていく。次から次に小走りに進んでゆき、先頭の羊が止まると一瞬止まるが、羊飼いの呼び声を聞いて再び歩き出す。
 だが哀れな豚たちは、自分たちを脅かす運命を察知し、怒りの叫び声をあげて進むことを拒む。深い絶望にあふれるまん丸の小さな目が見る者に哀れを催す。脂肪たっぷりに太ってぶよぶよした体の全体が、恐怖におののいている。
 怠惰な牝牛、反抗的なロバや不従順な犬を進ませるためには、首に縄を結びつけ、それからそれを引っ張るものだ。――だが豚に対しては、――そうではない。豚を連れてゆく者たちは、まったくありえないような手段を見つけ出したのである。
 栓抜きの形をしたあの小さな醜い尻尾を皆さんもよくご存じだろう。ねじった紐のようで、先端は鞭のような毛の束になっている。――それはロープのように固く、豚の巨大なお腹を引っ張るのに十分である。人はこの尻尾を自分の掌に巻きつける。それは絶対に切れる心配がなく、豚は後ろ向きに、まるでキャスターがついたように足を滑らせて進んでいくのだが、その途中に怒りと苦しみの唸り声をあげるのである。
 ある日、私はその様にして巨大な豚を引っ張っている農夫に出会った。「どうしてそんな風に引っ張るんですか」と私は彼にたずねた。彼は滑稽な様子で目くばせしながら答えた。「もちろん、こんな風にすりゃ、奴は自分がどこに行くか分からないからさ」
 あらゆる点で、豚というのはもっとも中傷されている動物の一つである。
 「豚のように汚い」と、いつも人は言わないだろうか? 豚は汚い。それは本当である。だがそれは、他にどうしようもないからである。
 天は豚にあらゆる種類の食物を消化しうる胃を与えたもうたので、豚はあらゆる種類のものを食べる。そこから、豚はもっぱら最高に胸を悪くさせるようなごみばかりを食べるという信念が生まれる。そこからまた次のようなことわざも生まれた。「綺麗な水だけで豚を肥えさせることはできない」
 だが私としては、人間を筆頭に一体いかなる動物であれば、綺麗な水だけしか与えられないでも太ることができるものか、ぜひとも知りたいところである。
 豚は本性から汚物を好むのではなく、それは教育の結果であって、そこで転げまわることに人が慣れさせるゆえなのである。
 つまり結局のところ、豚はごみを食べるとしても、同時にトリュフを見つけることもできるのであり、このことは豚の好みがそんなに堕落したものではないことを示しているだろう。
 馬や犬とまったく同じように、歴史上には著名な豚も存在している。豚は王太子の死を招いたことがある。それに、豚には伝説的な祖先もいるのである。
 「肥満王」と呼ばれたルイ6世(1)より前の時代、豚たちはパリの町中で自由に餌をあさっていた。だがその内の一匹がへまをして、王太子フィリップの馬を転ばせてしまった。その落馬が原因でこの王子は亡くなったので、王令によって、このとがめるべき動物の同胞は、以後、通りに出ることを禁じられたのである。
 しかしながら聖アントワーヌ(アントニウス)大修道院(2)の神父たちは、祈りの力と、もっとも影響力のある高位聖職者の仲介のお蔭によって、自分たちの豚の群れの自由を手に入れることができた。ただし、以後は首に鈴を結びつけることを条件としてであった。
 私は聖アントワーヌ大修道院について語った。――伝統が我々にまで記憶を伝えているもっとも有名な豚は、もちろんのことながら、この修道院の名付け親たる聖人(3)の伴侶となった豚である。
 その物語はあまり知られていない。以下にそれを語ろう。
 カタロニア王の妻はたいへんに美しく、たいへんに善良だった。悪魔はそれを妬み、地獄からやって来て王妃の体の中に入り込むと、彼女にこれ以上ないほどに軽率な振舞いをさせた。哀れな王は伴侶が悪魔に取り憑かれたのを見てたいへんに嘆き悲しみ、彼女のところへもっとも尊敬されている修道士たち、もっとも評判のよい陰修士たち、もっとも敬虔な司教たちを呼び集めた。彼らは昼も夜も祈りを唱え、サタンの居座る王妃の身体に聖水を川のように注いだが駄目だった。悪魔は去ろうとせず、彼らの清めのお祈りをことごとく挫いた。
 だが評判が王の耳にアントワーヌという一人の哀れな隠者の名を伝えた。人の言うところでは、おおいに聖徳と力とをそなえているので、彼が国に入るだけで、すべての悪魔は追い出されるとのことだった。(それゆえに、神が悪魔たちにこの聖人を引き渡したときに、彼らはどれほどの復讐をしたことだろう!)
 使者が送られ、聖人をバルセロナまで連れてきた。ひと目見ようと駆け寄って来た民衆たちの間に彼が入ってゆくと、彼の通りすがりに人々はひざまずいた。
 王宮の扉は大きく開かれ、彼は取り憑かれた王妃のそばまでやってきた。すぐさま祈りを唱えはじめ、どんな種類の悪魔を相手にしているのか知ろうとし、それが分かると、十字を切って彼女の身体から追い払った。――解放された王妃は彼を抱擁した。ところが居合わせた一同が驚いたことには、一匹の大きな雌豚が部屋に入ってきて、アントワーヌの足元にかわいそうな小さな子どもを差し出すのを、人々は目にしたのである。その子どもは生まれたばかりだったが、足がなく、目も見えなかった。アントワーヌは、自分が行ったばかりの奇跡を誰がこの雌豚に教えることができたのかは恐らくは知る由もなかったが、雌豚が自分にどんな奉仕を期待しているかは分かったので、すぐに子豚の目を見えるようにしてやり、人差し指で四度さわることで、ただちに四本の足を生やしてやった。――そして、王に挨拶を済ませると、彼は孤独な住まいへと帰っていったのである。
 丸一日、彼は祈りに没頭し、周囲を見ることもないまま歩きつづけていたが、その時、後ろから衣服が引っ張られるのを感じた。
 彼は振り向き、そこに子豚の姿を認めた。感謝の思いから彼についてきたのであり、それ以降、決して彼から離れることはなかったのである。
 そういうわけで、私が信じるようにこの伝説が真実であるなら、悪魔がこの善良なる隠者を攻め立てたとき、カタロニアの王妃の解放のことを覚えていたので、ことさらに彼の豚を激しく攻撃することになったのだろう。
  幸せ者のアントワーヌに
  豚をもらいに行こうじゃないか
  それで作ろう 腸詰めに
  あわせて皮揚げ ごちそうさ

ギ・ド・ヴァルモン

『ミュゼ・ユニヴェルセル』、1877年5月1日号、p. 68-70.




訳注
(1) Louis VI (1081-1137) : カペー王権の基礎を固めたフランス王。「好戦王」とも呼ばれる。
(2) Abbaye de Saint-Antoine(-l'Abbaye) : アルプス山中イゼール県にある修道院。
(3) Saint-Antoine (vers 251-vers 356) : 聖アントニウス。エジプトに生まれ、修道士生活の創始者とされている。動物の守護聖人で、図像ではしばしば豚を伴って描かれる。




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