モーパッサン
『十六世紀のフランス詩人たち』

Les Poètes français du XVIe siècle, le 17 janvier 1877



(*翻訳者 足立 和彦)

ピエール・ド・ロンサール 解説 1877年1月17日、日刊紙『国家』 La Nation に掲載された、十六世紀フランス詩人に関する評論(Guy de Valmont の署名)。直接には、前年に、増補再刊されたサント・ブーヴの書物の書評であるが、若きモーパッサンは大胆に自らの見解を披露してみせている。
 ここに見られるのは、70年代、自ら詩人をもって任じたモーパッサン自身の「詩学」の表明である。ポエジーは対象には存在せず、見るものの内にこそあるとの主張には、師たるフロベールの教えが明らかであるが、詩の中に大胆にレアリスムを導入する、『詩集』 Des vers (1880) 所収の諸篇は、モーパッサン詩学の実践として読めるだろう。
 なおフロベールは弟子宛の書簡の中で、本記事を「大変結構」と認めながら、「ロンサールをもう少し褒めてほしかった」と述べている(77年1月17日付)。


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 出版者アルフォンス・ルメールは、我々の子孫にとって、我々にとってのエルゼヴィル叢書(1)と同等のものとなるだろう賞賛すべき叢書に、サント・ブーヴ(2)の最初の書物を加えたばかりであるが、その題は『十六世紀フランス詩およびフランス演劇の歴史的、批評的概観(3)』という。
 サント・ブーヴは最初の探求者ではないにせよ、少なくとも、古代フランス詩を世に知らしめた功績の所持者である。彼以前には、人はそれをほとんど知ることがなかったのであって、ただ人づてに聞くことがあるばかりだった。ちょうど、実際に訪れたと主張する旅行者たちの話す空想溢れる物語によって、はるかな異国について知るようなものである。だが彼は、それに深く通暁した後に、万人に向けて開いて見せてくれた。古代フランス詩を敬意をもって遇し、自ら擁護者を名乗り出て、マレルブ(4)やボワロー(5)が投げ込んだ不信から救い出し、騎士が奥方にするようにこれを弁護したのである。
 ヴィヨン、クレマン・マロ、ロンサールと彼のプレイヤッド派、マニー、デポルト、ベルトーと、彼らの競争相手たちが、シェニエやミュッセ、ヴィクトル・ユゴーと同じほど我々に親しい今日、サント・ブーヴの綴る批評的歴史を再読し、彼の判断を評価し、結論を吟味するのは興味深いことである。恐らく、あらゆる発見者が自らの発見に対してそうであるように、我々の原初の詩に対して彼の抱く愛情は大きすぎた。もっとも世間は一般的に、彼の賞賛の思いを承認したのだった。とはいえ、少しばかりその点に立ち返る必要があるだろう。
 彼は我々を研究に導くにあたって、まず甘ったるいシャルル・ドルレアン(6)、次いでヴィヨン(7)を紹介する。ヴィヨンは民衆詩人であり、サント・ブーヴは道楽者、放蕩者と呼んでいる。実際、古代フランス詩の最も驚くべき特徴の一つは、生れた時から大胆で、好色で、みだらで、甘い囁きに満ちていたということである。「淫蕩」、あるいは一種の若々しい感傷主義向きに発達した早熟な子どもであるが、この子どもは大抵の場合、高尚な霊感、真実の感情、偉大さを知らなかった。滑稽で、おべっか使いで、可愛らしいが、美しいことはほとんどないのである。
 一般的に、文学の原初においては、ナイーヴな素朴さが中心を占めるものだが、我々にあっては、風俗の内にシニカルな厚かましさが存在していた。我々の詩が生まれえたのは、好色な物語やギャラントリーに、巧みな表現を貸し与えることができたからだと言えるかもしれない。一世紀以上の間、そこから外へ出ることはほとんどなかったのである。また恐らくは、詩人たちは詩句を作りたいという漠然とした欲求を感じていたのだろう。美しい春の一日にうっとりとして、彼らは際限なく、優美なリズムに乗せて韻を踏み、愛らしいストローフからなる長い詩を作ったが、そこには欠点は一つしかない。それは、始まりと同様に、理由もなく終わりを迎えるということである。実際、そのようなヴァリエーションを無限に続けることもできるだろう。「鮮紅色の瑞々しいバラ、サンザシ、ノバラ、タイム」から始めて全ての花、植物、木々を、「優しい、若々しいナイチンゲール」から始めて全ての鳥を見渡した後にも、話すべきものが数えられないほど残されているのだから、全部を数え上げるのには何年も必要なことだろう。
 こうした自然への連祷に、たくさんの優雅さが加えられ、そこでは子どものキューピッド、その母のヴィーナス、アポロン、マーキュリー、クピドの神殿といった、古代異教文明以来の古めかしい神話のアレゴリーが問題となるのだが、それらがこの時代の詩的「霊感」の基本的土台を構成している。恐らく、そこにはある種の優美さも欠けてはいないのだが、しかしそれでは十分ではなく、この文学が真に独創的なのはある一面だけであって、それはすなわち機知、巧みな語、淫らな陽気さ、創意があって陽気な才知である。この文学はゴーロワ的であり、つまりはフランス的なのである。あるいは、我々の世代はもう十分にそうではないかもしれないが。
 クレマン・マロ(8)の内にも、その他のものを求めるべきではない。サント・ブーヴ自身も「生き生きとして繊細な語や、うまく表現されたお世辞等々が散りばめられた、軽妙なおしゃべり」しか認めていない。ライオンとネズミについての彼の寓話(9)は、このジャンルにおける本物の傑作である。
 ジョアシャン・デュ・ベレー(10)と共に、初めて、感情と、真の感動というものが登場する。文芸改革において彼はロンサール(11)に先行し、彼の内に、人はイメージを見出だすようになるのだが、それこそが詩の魂であり、作家の才能を計る基準なのである。
 サント・ブーヴは次の詩句を例に引いている。

 好色なる葡萄枝の長き抱擁(12)

そして彼の先人たちは決して思いつかなかっただろうと付け加えている。全く正しい見解である。
 ジョアシャン・デュ・ベレーはしばしばアレクサンドラン(十二音節)を用いた。この形式は今日、大変に壮麗なものとなっているが、当時は認められておらず、ロンサールにも軽視されていた。ロンサールは、安易すぎる散文を感じさせ、締りがなく筋を欠くものとして、これを排斥したのである。この排除の理由は容易に理解できよう。このプレイヤッド派の首領においては、彼の弟子たちにおいてと同様に、大抵の場合において可憐さが優美さに、気取りが雄大さに取って代わっているので、十音節、八音節、それより短い詩句さえもが、良い詩句を作るにははるかに容易であって、彼らの詩的七宝細工により一層ふさわしかったのである。
 しかしながら、ロンサールにはしばしば真の才能が認められ、洗練されており、イメージ豊かで、動きに富んでいるのである。
 サント・ブーヴが引用していない次の詩句などは、魅力的ではないだろうか?

 ノロジカが、春が
 寒い冬の、刺すような霜を砕く時、
 蜜のように甘い葉を食べるため
 森を出て、夜明けとともに、駆け出す。
 一匹、犬からも騒ぎからも遠いことを確信し、
 時に森の上、時に谷底へ、
 時に、離れて隠れる波の近くへ
 脚の赴くままに、自由に楽しむように(13)

 この詩人の最大の長所は、マレルブやボワローが批判したことのまさに正反対にあるのだが、彼らの過剰な厳しさを軽視するべきではない。ロンサールが作家という役割にあったように、彼らは検閲官という役にあったのである。ロンサールの長所とは、言語の古い単調さと袂を分かち、言葉とイメージを発明して大胆に利用し、辞書を豊かにした点にある。マレルブのような人物はいつでも存在し、有用でアカデミックな文法家ではあるのだが、より稀で、より望ましいのは、勇敢なる偉大な人物、才能を持ったロンサールのような者である!
 プレイヤッド派の詩人、ドラ、アマディス・ジャミン、ジョアシャン・デュ・ベレー、レミ・ベロー、エティエンヌ・ジョデル、ポンテュス・ド・ティアールと、彼らの数えられないほどの弟子たちは、首領と同じ特質と欠点とを、様々な度合いで有していた。
 陽気なジャン・パスラ(14)が批判した彼らの流派は、当初の古い陽気さに立ち帰ることで、最も完全な気取りの内に落ちてしまったのだが、その時についに現れたのが、力強い霊感に溢れた人物、大変な諷刺家で、しばしば見事な詩人、血気盛んなマチュラン・レニエ(15)であった。彼にあっては、詩句は張り詰めた弓の弦のように引き締まってよく震え、賛嘆すべき憤慨の念と激しい感情とが矢のように飛び出すのである。
 彼のイメージは通常、つかの間のもので、正確で、彩りに溢れている。
 サント・ブーヴは次の詩句を引用し、正当な理由をもってこれを褒めている。

 我々の毛と同様に、我らの欲望も白く染まる(16)

 レニエは、その自由な才能ゆえに激昂して、厳格で細かいマレルブを攻撃した。マレルブのほうでは、ともかくも、ライヴァルの正当さを認めるだけの才を備えてはいた。

 ついにマレルブがやって来て、フランスで初めて
 詩句において、正確な調子を感じさせた(17)

とボワローは述べた。
 サント・ブーヴは二つの流派の間で、難しい均衡を保とうと努力している。彼の振り子はある時は一方に、ある時はもう一方に傾く。あちらで譲ったものを、こちらでは急いで取り返そうとするのである。したがって、彼自身の意見を明確に引き出すことはほとんど叶わないし、あまりにも中立すぎると彼を責めることもできるかもしれない。
 恐らく幾つかの箇所で、彼は問題を見失っているのではないだろうか? そして、絶対的に公正であろうとするあまり、そうはならずに終ってしまっていないだろうか? 彼は比較に重きを置きすぎ、十分に判別できていないのである。
 言語がマレルブに負っている恩恵の全てを、彼は列挙している。その優れた教訓を引用しているが、それは一度ならず、テオドール・ド・バンヴィル氏(18)の傑出した詩学に近似している。たとえば以下のようなものである。「離れている言葉を近づけることで、ほとんど同じような意味しか持たない語を組み合わせるよりも、より美しい詩句を見出だすことができる(19)。」それから、このような者たちは、「自制せよ」という格言ばかりを課すことで、生まれたての文学に強い無力感を引き起こさないだろうかと、彼は自問している。詩句を整えることばかりに気を取られ、いつも先人たちを理解しなかったとしてマレルブを非難している。
 恐らく、こうしたことは十分に正しい。だが次のように言うほうがいいだろう。すなわち、マレルブはボワローよりも一層に詩人ではなかった。また、彼の作品よりも、彼の教えこそを読むべきである。彼は文法家であり、韻律法の作者ではあったが、詩句の作り手ではなかった。そして、極端な峻厳さにもかかわらず、彼は多くの比類ない教訓を残したのだという風に。規則を課すことで、ある言語を不毛に追いやるというようなことはない。勇敢で自由な才能の持ち主は、無用な境界線からと同様に、いつでも言語を規則から解放する術を知っているものだ。規則が邪魔をするのは、ただ凡庸な詩人たちだけであって、彼らをどうにか我慢できるようなものにさせるのである。
 サント・ブーヴは少し先で、次のように述べている。
「我々の感覚では、詩句とは、多かれ少なかれ互いに適合した断片によって形成されるようなものではなく、内密で不透明な創造行為によって天才の内に生み出されるものなのである。――才能は常に十分な力で作用するものではないから、完全な部分の傍らには、わずかに荒削りされただけの部分が見つかるのである(20)。」
 才能は常に一定の力で作用するものでないのみならず、どこでも常に天才を発揮するというのは、滑稽であり場違いでさえあるだろう。天才の息吹によって満たされた崇高な一節があり、そこにおいてはあらゆる大胆さが許容されるが、その後には必然的に、沈着と移行の期間がある。そこにおいてこそ、詩人は最高の技法を用いて、その部分を、サント・ブーヴの言うようなわずかに荒削りされたものでなく、反対に、言語の絶対的な科学の助けを得て、完璧なものとしなければならない。同じその時にこそ、マレルブの教訓が必要となるのであり、獲得された技能によって衰弱した霊感を補う手段を、彼は教えているのである。
 この峻厳な教育家に対してなされうる最も重要な批判とは、彼自身が才能を持ち合わせていなかったがために、他の者にはそれがありうることをすっかり忘れていたということであり、彼の確立した法則が大衆に対しては障壁となるとしても、才能ある者たちにはそうではないということである。
 彼は、周囲の笑いをほとんど押し殺してしまったが、古い才知溢れる言葉は、気取っていて、色あせているレトリックの花の下にすでに息絶えていたのだから、モリエールが目覚めさせることになる凄まじいばかりの陽気さを、彼が抑制してしまったのかどうかは分からない。
 彼は雅びな暗喩を並べることで、まだ若い詩を窒息させたが、偉大なるコルネイユの熱情を止めるには至らなかった。
 結局、詩がどのようなものになりうるかを彼は垣間見たのだが、当時、多くの者はそれを疑ってもみなかったのである。しかしながら、彼もしばしば盲目であり、判断力と偉大さと理解に欠け、多くの誤謬を分かち持つことになった。この時代のほとんど全ての作家たちにおいて批判されるべき最大の過ちは、詩情は一定の事物の中にのみ見出だされるからと、他のものを全て除外したことであり、一定の事物とはすなわち、春、露、花、太陽、月や星といったものであり、またさらに、大抵の場合、そうした事物を持ち出すのは、高貴な女性たちの喩えとするためだったということである。扇情的な主題に触れる時にも、機知をもって扱うだけでよしとし、そこから霊感を溢れさせるようなことは、不可能なこととして試みなかったのである。  女性は、この時代全体の文学に侵入し、その影響は創造的に関与する以上に有害であった。まるで自然が慈悲溢れるのは、ただ彼女のお蔭であり、それはただ彼女の美を飾る額縁、彼女の優美さの飾りでしかないようである。たくさんの感傷的で無味乾燥な作品を読み返すと、ルイ・ブイエの美しい詩句が思い出される。

 私がとりわけ憎むのは、瞳潤わす吟遊詩人
 星を眺めながら、囁くのは一つの名前、
 彼にとっては、広大な自然も空虚
 馬の尻にリゼットやニノンを乗せていなければ。
 この種の者たちは感じがよく、苦労して、
 この哀れな宇宙に興味を抱かせるために、
 平野の木々にスカートをかけ、
 緑の丘の頂に白い婦人帽を広げる……(21)

 美はあらゆるものの内に存在するが、しかしそれを出現させることができなければならない。真に独創的な詩人は、常に、それが最も隠されているものの中を探し、表面に露で、誰もが摘み取ることのできるようなものには求めない。詩的なものが存在しないのは、まったく詩的でないものなど存在しないのと同じである。それというのも、詩情とは実際には、それを見る者の脳の内にしか存在しないからである。そのことを理解するには、ボードレールの素晴らしい「腐肉(22)」を読みさえすればよい。
 恐らく、我々の判断は十六世紀の詩人たちに対して厳しすぎるものと見えるだろう。
 以下、我々の弁明である。
 イタリアはすでにダンテの寡婦であり、タッソーやアリストートを生んだ。スペインにはロペ・デ・ヴェガ、イギリスには、詩人たちの中の巨人、巨大にして見事なシェークスピアがいた。
 この天才たちの開花、この傑作の出現の中にあって、隣国の文学の壮麗さのそばで、我々の巧みな詩句の作り手たちの、若々しい可愛らしさ、雅びなブーケ、才気溢れる小話は、どれほど蒼ざめて見えることだろう。
 フランス文芸の名誉にとって幸運なことには、ダンテ、タッソーやアリストートと同じほど偉大で、セルバンテスほどにも奥深く、シェークスピアのように創造的な、一人の人物が我が国に育った。彼の内に受肉化した国民的才能は世の終わりまで生き続ける。シャトーブリアンの表現に倣うならば、来るべき我々の文学はすべて彼の内に源泉を見出だすに違いない。彼は、ホメロスの英雄のように巨大で、驚くほどに独創的な主人公たちを描き出した。彼らの上に、比類のない文体でもって、最も驚嘆すべき才知、うっとりさせるような単純明快さ、普遍的な知と、諸哲学のあらゆる叡智とを振りまいたのである。
 不屈の老巨人さながら、彼は常に我々の文学を支配しており、その名声は、その作品が年を取るにつれてさらに大きくなるのである。
 彼は世紀全体を照らし出している。そしてこの巨匠フランソワ・ラブレー(23)を生み出した土地は、ライヴァルたる諸国家の栄光に対しても、なにも羨むことなどないのである。


『国家』紙、1877年1月17日付
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. I, p. 30-37.




訳注
(1) les Élzevir : 17世紀のオランダの印刷業者エルゼヴィルは良書を出版したことで知られる。
(2) Charles Augustin Sainte-Beuve (1804-1869) : ロマン主義時代の批評家。作家の伝記を重視することによって創造行為を分析し、批評というジャンルを確立した。
(3) Tableau historique et critique de la poésie française et du théâtre français au XVIe siècle : 初版は1828年に刊行された。1876年にルメール書店より再刊。2巻。
(4) François de Malherbe (1555-1628) : 詩人。1605年以降、宮廷詩人として王侯の栄光などを称えた。デポルトの詩集に書き込まれた彼の試論は、明晰さ、簡明さ、正確さを尊ぶもので、古典主義への道を開くものとなった。
(5) Nicolas Boileau (1636-1711) : 詩人。『諷刺詩』や『書簡詩』に加え、『詩法』(1674)を発表。古典主義の理論を明確にした。
(6) Charles d’Orléans (1394-1465) : 詩人。作品に『つれない貴婦人のバラッド』(1424頃) など。
(7) François Villon (1431頃-1463頃) : 詩人。犯罪、逃亡を繰り返す中で『遺言詩集』(1489) などを遺した。ロマン主義の時代に再評価された。
(8) Clément Marot (1496-1544) : 詩人。宮廷詩人を務め、『クレマンの青春』(1532) などを発表。異端弾圧を受けて各地を転々とした。
(9) « Epistre à son amy Lyon » (1526) : 「友リオンに送る書簡詩」。イソップの「ライオンとネズミ」の寓話を主題とした作品。
(10) Joachim du Bellay (1522-1560) : 詩人。1549年『フランス語の擁護と顕揚』を発表、新しいフランス語詩の創造を主張した。
(11) Pierre de Ronsard (1524-1585) : 詩人。デュ・ベレーらとともに新たなフランス詩の創作を目指した。彼らは後にプレイヤッド派と称される。『オード四部集』(1550)、『恋愛詩集』(1552) 等を発表。フランス・ルネサンスを代表する詩人。
(12) Joachim du Bellay, L'Olive, LXXXIV, v. 10. 『オリーヴ』、第84歌、10行。サント・ブーヴの『批評的概観』第1巻、98頁に引用。
(13) Pierre de Ronsard, Premier Livre des Amours, LIX.『第一恋愛詩集』、第59歌。
(14) Jean Passerat (1534-1602) : 詩人。雄弁術の教授を務めた。神聖同盟に対する諷刺文書『サチール・メニッペ』(1594) の主な著者の一人。
(15) Mathurin Régnier (1573-1613) : 詩人。主な作品に『諷刺詩』(1608) など。
(16) Mathurin Régnier, Satires, V, v. 120. 『諷刺詩』、第5歌、120行。サント・ブーヴ『批評的概観』第1巻、235頁に引用。なおモーパッサンの引用は原文との間に相違がある。
(17) Nicolas Boileau, L'Art poétique, I, v. 131-132.『詩法』、第1歌、131-132行。
(18) Théodore de Banville (1823-1891) : 高踏派詩人。『綱渡りのオード』(Odes funambulesques, 1857) 出版後、『ルヴュ・ファンテジスト』や『現代高踏派詩集』で高踏派の中心の一人として活躍した。
(19) サント・ブーヴ『批評的概観』第1巻、259頁。原典はラカン侯爵の『マレルブの人生に役立たせるための回想録』。なおバンヴィルは、『フランス詩綱要』Petit Traité de poésie française, Charpentier, 1872 において次のように述べている。「あなたの韻は豊かで多様なものとなるだろう。容赦なく豊かで多様に! すなわちあなたは可能な限り、音においてよく似通っていて、意味においてはとても異なっている語で韻を踏ませなければならない。」(p. 75.)
(20) サント・ブーヴ『批評的概観』第1巻、264頁。モーパッサンによる省略・変更がある。
(21) Louis Bouilhet, « À une femme », dans Festons et Astragales (1859), repris dans Œuvres, Lemerre, 1901, p. 36.
(22) « Une charogne » : 『悪の花』に収録された一篇。
(23) François Rabelais (1483頃-1553) : 作家。『パンタグリュエル』(1532)、『ガルガンチュア』(1534) 等の小説において、古典に基づく該博な知識と言葉遊び、造語、スカトロジーとを混ぜ合わせた一大世界を創造、その作品はユマニスム文学最大の成果と言える。




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