モーパッサン
「フロベールと彼の家」

« Flaubert et sa maison », le 24 novembre 1890



(*翻訳者 足立 和彦)

「フロベールと彼の家」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF 解説 1890年11月24日、日刊紙『ジル・ブラース』 Gil Blas の「フロベール特集」に掲載された評論文。
 前日にルーアンにおいて、シャピュ制作のフロベール像の除幕式が行われたのを記念して編まれた特集。エドモン・ド・ゴンクールやエミール・ゾラをはじめとして、名だたる作家の自筆コメントが掲載されている。モーパッサンの文章は、作家の肖像やクロワッセの邸宅のデッサンの解説として書かれた。なお、同日付の『エコー・ド・パリ』紙にはモーパッサンの評論「ギュスターヴ・フロベール」が掲載されている。
「フロベールと彼の家」掲載紙 Source gallica.bnf.fr / BnF  フロベールの死後、クロワッセの邸宅は姪カロリーヌ・コマンヴィル夫婦によって売却され、取り壊された。師の姿および彼の邸宅をいま一度思い返すこの短い文章は、全体が半過去で綴られ、過ぎ去った時が二度と戻らないことを印象づけている。


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フロベールと彼の家


少年時代のフロベール Source gallica.bnf.fr / BnF  細身で長身、巻き毛が肩にかかる十六歳の青年ギュスターヴを初めて目にした時、クロケ博士(1)はフロベール夫人に言ったものだった。「あなたの息子さんは、青年になったキューピッドのようですね。」
 当時、彼は古代ギリシャの若々しいオリンポスの神のような美しさを備えていたようである。
 この身体美は長くは続かなかった。東方旅行によって疲弊し、体重が増加した後の彼は、我々がよく知っている人物、大柄で頑健な立派なガリア人であった。見事な口ひげを生やし、鼻筋は力強く、濃い眉毛が海鳥のような青い瞳を覆って守っている。その瞳の真ん中にはとても小さな黒い瞳孔がいつでも動きながらじっと見つめている。絶えず震えていて鋭く、見る者の心をかき乱すのだった。
 そして私は、最後の日に、大きな寝椅子に横たわった大柄な遺体を目にしたのだった。首が膨らみ、喉は赤く、雷に打たれた巨人のように恐ろしい姿だった。
フロベールのデスマスク Source gallica.bnf.fr / BnF  この力強い頭部の型が取られた。石膏に睫毛が残った。閉じた瞼の上に、それまで目を覆っていた黒い長い睫毛が付いているあの青白い型を、私は決して忘れはしないだろう。

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クロワッセの邸宅 Source gallica.bnf.fr / BnF  こんにち、彼の家は石油工場になっている。
 作家にとってこれ以上に文学的で魅力的な住居は、恐らくフランスには存在しなかっただろう。
 十七世紀に遡る住居は真っ白で、セーヌとは芝生と曳船道で隔てられており、ルーアンからル・アーヴルへと続く見事なノルマンディーの平野が見渡せた。
クロワッセの光景 Source gallica.bnf.fr / BnF  大きな帆船がゆっくりと町のほうへ曳航されてゆくのをフロベールの書斎の窓から見ることができたが、まるで庭のなかを通ってゆくかのようだった。彼は額をガラス窓につけて船を眺めていた。それから背を向けて仕事机の前に座ると、東洋の大皿に眠るたくさんの羽根ペンのうちの一本を手に取り、散文を朗唱しながら書いてゆく。毎晩とても遅くまで起きているので、ランプが川をゆく釣り人たちにとって灯台の役割を果たしていたのだった。
フロベールの書斎 Source gallica.bnf.fr / BnF  書物と旅行の土産の詰まった書斎の二つの窓は庭に向いていて、庭の小道は丘をのぼっていた。一本の巨大なユリノキが道に寄り添っていた。フロベールはこの書斎を離れることがほとんどなかったが、それというのも彼は歩くのが嫌いで、運動はまったく哲学的ではないと繰り返していたのだった。
 それでも時折は、ボダイジュの長い並木道を半時間ばかり散歩したが、その並木道は二階の高さにあり、家から領地の端まで続いていた。パスカル(2)もかつてこのボダイジュの下を歩いた。この家に数日間滞在したことがあったのである。
 アベ・プレヴォー(3)もそこに短期間滞在したと信じられている。庭の上までのぼると、眼下には素晴らしい光景が広がっていた。木々に覆われた小島が散在する大きな川が、ルーアンからル・アーヴルへ向けてくだっていた。
 東を向くと、右岸にはルーアンの教会のたくさんの鐘楼がもやのかかった空にそびえ、左岸には工業地区サン=スヴェールの工場の無数の煙突が、同じ天空に黒い煙の波打つような縮み織りを広げていた。
 だが西を向くと、川の流れる長い緑の谷間が見渡せた。丘には暗い森があり、奥のほうでは、銀の液体の大きな蛇が海へ向かって穏やかに進んでゆくのだった。


『ジル・ブラース』紙付録、1890年11月24日
Supplément du Gil Blas, 24 novembre 1890.
Guy de Maupassant, Chroniques, préface d'Hubert Juin, U. G. E., coll. « 10/18 », 1980, t. III, p. 411-412.

(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)




訳注
(1) Jules Cloquet (1790-1883) : 外科医、解剖学者。フロベール家と交流があった。
(2) Blaise Pascal (1623-1662) : 数学者、物理学者、思想家。遺稿集『パンセ』(1670) がとくに名高い。
(3) Antoine François Prévost d’Exiles, dit l’abbé (1697-1763) : 小説家、翻訳家。『ある貴族の回想』 (1728-1731) の一部『マノン・レスコー』 (1731) が広く読まれている。モーパッサンは「『マノン・レスコー』序文」(1885) でこの作品を高く評価している。




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