モーパッサン「壁」

« Le Mur », 1880



(*翻訳者 足立 和彦)

解説 1880年1月1日付『現代自然主義誌』Revue moderne et naturaliste に掲載された長篇詩。後に『詩集』 Des vers 巻頭に収録。
 12音節(アレクサンドラン)、142行からなる。
 1879年11月1日号のに『現代自然主義誌』に、「水辺にて」の一部が、「ある娘」« Une fille » の題で再録され、雑誌発行地のパリ郊外エタンプの検事局より、風俗壊乱の罪での予審が開始される。それ故に「壁」初出においては、一部が削除されて掲載された。その際、以下のような説明書きが付されていた。

 印刷にかける時に、我々はますます不道徳になっていると思われていることが分かった。我々はある訴訟に脅かされている。この状況にあって、我々の道徳的価値について本物の判決によってはっきり知らされるまでは、我々は大いに不安な状態にある。最も無害な物事も、我々の目には訴訟に関わる重大さを持つかのように映るのである。そういうわけで、極端な慎重さから、我々の状況を悪化させないために、たいへんに残念なことながら、ギィ・ド・モーパッサンの美しい詩句をカットすることを余儀なくされたのである。

 雑誌で詩篇を読んだフロベールに対して、モーパッサンは1月13日付と想定される書簡において、以下のように弁明している。この書簡から、執筆は1879年頃と推察される。

私は『現代誌』を読んだことがありませんでしたし、この雑誌とは何の関係もありません。そこの誰も知りはしません。私の詩がそこに載ったのは、ただシャンソールによるものです。私は彼に会ったことはありませんが、彼は書簡で、彼が興味を持つ「刊行物」のために詩句を求めてきたのです。私は「壁」を送りました。「浮ついた情事」の語は変更します。実際にとてもよくないものです。この詩篇は一年前、クロワッセで一緒に読みました。その時はショックを受けられるようなことについては何もおっしゃりませんでした。

 『詩集』においては、「浮ついた情事」を含め、フロベールの指摘を受けて推敲がなされている。


***** ***** ***** *****



窓は開かれていた。部屋には
灯がともり、火事のような光を注いでいた。
強い明かりは芝生の上を駆けていた。
向こうの公園は、オーケストラのメロディーに
応えているかのようで、遠くにざわめきが起こっていた。
葉と干し草の匂いですっかり一杯の
夜の暖かな空気は、柔らかな吐息のように、
やって来て肩を撫で、混ぜ合わせる
木々や平原から発散されるものと、
匂い立つ体から放たれるものとを。そして
振動で蝋燭の炎を振るわせてもいた。
野原の花と、髪にさした花の香りが嗅がれた。
しばしば、広がった影を通して、
冷たい息吹が、きらめきに満ちた空から降りて来て、
私たちのところまで、星々の香りのようなものを運んできた。

女たちはぐったりと腰を下ろして眺めていた、
口を閉ざし、瞳を潤わせたまま、間を空けては
ヴェールのように、カーテンが膨らむ様を。
そして夢に見る、この金の空を通って、
星々の大海へと出発することを。優しい
愛情が彼女たちを締めつける、それは強まる欲望のようで
愛したいと、心が秘めうるあらゆる漠然とした秘密を
愛撫するような声で語ってみたいと思わせる。
音楽は歌い、匂い立つようだった。
空気を香りで満たす夜は、そのリズムに合わせるかのよう。
そして遠くに鹿が鳴くのが聞こえるように思われた。
だが、白い衣服の間を震えが走り抜けた。
皆が立ち去り、オーケストラも止んだ。
それというのも、黒い森の向こう、尖った丘の上に、
枝々の間に点る火のように、立ち昇るのが見えたのだ
樅の木越しに、大きな赤い月が。
それから月は梢に上がり、すっかり丸く、
孤独に、遠い空の底へと昇った。
世界をさ迷う蒼ざめた顔のように。

影になった道を人は散らばって行き
寝静まる水のような、金色の砂の上に、
月は魅惑的な光を振り撒いていた。
穏やかな夜は人々に愛を抱かせ、
視線の奥には火が点る。
そして女たちは行く、尊大に、額を俯け、
一人一人が、魂にわずかな月光を秘めて!
そよ風は、罪のもたらす物憂さを運んでいた。

私はさ迷っていた、何故とも知らず、祝祭の気分だった。
小さな鋭い笑い声が、頭を振り向かせた時、
私は突然に、愛する女性の姿を認めた。
ああ! 私は密やかに愛していた、何故なら絶えず
彼女は私の誓いに反抗していたから。
「腕を貸して。公園を一巡りしましょう」彼女は言った。
彼女は陽気で、興奮し、何もかもをからかい、
月は寡婦のようだと主張した。
「終わりまで行くには、道は長すぎますわ。
私の靴は繊細で、化粧をしたばかりなのですもの。
戻りましょう」私は彼女の腕を取り、連れて行った。
その時、彼女は駆け出した、気まぐれに、移り気に。
運任せに運ばれる、彼女の衣服の立てる風が、
突風のように吹いて、まどろむ空気をかき乱した。
それから彼女は立ち止まった、息喘がせながら。そしてゆっくりと、
道に沿って、音も立てずに私たちは歩いた。
穏やかに話す低い声が夜の中に聞こえた。
そして影を満たす囁き声の間に、
しばしば口づけの音のようなものが聞き分けられた。
その時、彼女は空にルラードを飛ばした!
たちまち、辺りは静かになった。急いで逃げ出して
行く音が聞こえた。そして無愛想な
一人残されたどこかの恋人が、大胆な者たちを毒づいていた。

すぐ近くの木では、ナイチンゲールが歌っていた。
そして遠くの平野から、一羽の鶉が答えた。

突然、強い反射に目を晦ませて、
真っ白な、高い壁が立ち塞がった、
物語の中の鋼の城さながらに。
遠くから私たちの歩みを窺っているようだった。
「慎ましいままでいるのには、光があったほうがいいのね」
彼女は言った。「夜には森は暗すぎるもの。
この輝く壁の前に、少しばかり腰を下ろしましょう」
彼女は座り、不平を言う私を見て笑った。
空の奥では、月も私を笑っているように見えた!
そして二人は一致して、何故だかよくは分からないけれど、
私をからかおうとしているようだった。
それで、私たちは青白い大きな壁の前に座った。
そして私は、彼女に言う勇気がなかった、「愛しています!」と。
けれども息が詰まったので、彼女の両の手を取った。
彼女は色っぽい唇にかすかな皺を寄せた。
そして隙を窺う猟師のように、私が近づくに任せた。

黒い道の奥を衣服が通り過ぎ、
怪しい白さがしばしば闇に浮かんだ。

月は蒼ざめた光で私たちを覆い、
そして、乳のような光で私たちを包むと、
眺める私たちの心はうっとりと溶けた。
遥か高く、とても穏やかに、とてもゆっくりと月は滑り、
震えるような物憂さで、私たちの内に染み透った。

私は隣の女性を窺い、そして大きくなるのを感じた
痙攣する私の存在の内に、感覚の内に、魂の内に、
一人の女が我々を投げ込む、あの奇妙な苦しみが
我々の内に、欲望の興奮が沸き立つ時に!
毎晩、混乱した夢の中で、
同意を示す口づけ、閉じた瞳の語る「いいわ」、
持ち上げる衣服から発する、愛らしい未知のもの、
動かず、呆然として、身を任せる肉体を目にする時に。
そして現実には、婦人は我々に
弱みを見せる瞬間を捕まえられるという希望しか与えない!

私の喉は渇いていた。熱情に駆られた震えに
捕われて、歯がかちかちと鳴った
反抗する奴隷の興奮、そして喜び
獲物のように、高慢にして静かなこの女性を
捕えることが出来るという力を感じて。突然に
その穏やかな軽蔑を、泣かせてしまうことも出来る!

彼女は笑い、からかい、厚かましくも愛らしい。
彼女の吐息が繊細な霧となり
私はそれに渇く。――心臓が跳ね上がった。狂気に
捕われた。――私は腕に彼女を捕まえた。――彼女は怖がり、
立ち上がった。怒って体を抱き締めると、
私は彼女に口づけした、下にした神経質な体をたわませながら、
彼女の目、彼女の額、濡れた唇と髪とに!

勝ち誇った月は、明るく陽気に輝いていた。

すでに、血気にはやり、力強く、彼女を捕まえたが、
全身の力で私は押し返された。
それから、取り乱した戦いが再開したのだ
張ったカンヴァスのような壁の傍で。
そして、荒々しく跳ね起きて、私たちが振り返った時に、
驚くような、滑稽な光景に出くわしたのだった。
光の中に並外れて大きな二つの体を描いて、
私たちの影が奇妙なマイムを演じており、
順々に、近づき、離れ、抱き合っていた。
何か滑稽な芝居を演じているようだった、
怒りに駆られた操り人形の狂ったような身振りで、
キューピッドの諷刺画を滑稽に素描していた。
滑稽に、あるいは痙攣したように身を捩り、
牡羊のように頭をぶつけ合った。
それから、大きな体を再び起こすと、
二本の大きな柱のように、じっと動かなくなった。
時々、四本の巨人のような腕を広げ、
白い壁の上に黒く、互いを押し合った。
そして突然、奇怪な愛情に駆られると、
焼けるような口づけに気を失うかのように見えた。

事が大変陽気で思いもかけなかったので、
彼女は笑い出した。――どうして気を悪くし、
逆らったり、近づいてくる唇を拒んだりするだろう
笑っている時に?――深刻さが失われる一瞬は
燃え立つ心よりも、恋人を助けてくれるものだ!

ナイチンゲールは木で歌っていた。月は
静謐な空の底から空しく探し求めていた
壁の上に二つの影を、そしてもはや一つしか見つからなかったのだ。


「壁」(1880年)
Guy de Maupassant, « Le Mur » (1880), dans Des vers et autres poèmes, éd. Emmanuel Vincent, Publications de l'Université de Rouen, 2001, p. 39-43.


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