フロベールの公開書簡

La lettre-préface de Flaubert, 1880



(*翻訳者 足立 和彦)

解説 モーパッサン『詩集』(1880) の第3版に掲載されたギュスターヴ・フロベールの公開書簡。最初、1880年2月21日に『ゴーロワ』紙に掲載され、その際には以下の前文があった。

ギュスターヴ・フロベールと文学訴訟

『ゴーロワ』紙1880年2月21日 Source gallica.bnf.fr / BnF  優れた才能があり将来有望な若い詩人、ギィ・ド・モーパッサン氏は四年前、『文芸共和国』(今はもう存在しない雑誌)に「水辺にて」という韻文物語を発表したのだった。
 この生彩に富んで力強い見事な詩篇は、文学に通じた公衆に大いに注目されたが、司法官の注目は浴びず、彼らは詩人の大胆さに感動することを思ってもみなかった。
 ごく最近、地方の小雑誌『エタンプの蜜蜂』が「水辺にて」を再掲載した。するとパリでは無害だったものがエタンプでは忌まわしいと判断され、この善良なる町の検事局は雑誌と著者を、風俗、および公衆道徳に対する侮辱の罪で訴追するのだという。
 我々がモーパッサン氏のもとへ赴くと、彼はギュスターヴ・フロベール氏から受け取ったばかりの手紙を我々に渡してくれた。我々は、書簡を『ゴーロワ』紙に掲載する許可を『ボヴァリー夫人』の高名な著者から得る、という約束を取りつけることができた。これは新聞と読者にとって貴重な幸運であり、我々は、ギュスターヴ・フロベールが我々のために、彼の全生涯を占領している小説と科学に対して、いずれまた不義理をしてくれることを期待するものである。
 フロベールのような作家が、『ゴーロワ』のような新聞に自由に意見を表明する権利を有しているのは言うまでもない。当紙はこのような名前の持ち主に欄を提供できることを光栄に思っている。

『詩集』、1884年版 Source gallica.bnf.fr / BnF  正確には『エタンプの蜜蜂』ではなく、(エタンプにある同じ会社の発行する)『現代自然主義誌』 Revue moderne et naturaliste の1879年11月号に、「水辺にて」« Au bord de l’eau » の一部が「ある娘」« Une fille » の題で再録されたことにより、訴訟の話が持ち上がったのだった。
 モーパッサンは1880年2月14日にフロベールに宛てて書簡(第164信)を送り、『ゴーロワ』紙に載せるための公開書簡の執筆を依頼した。フロベールはただちにこれに答え、16日にギィに手紙を送っている(公開書簡では日付は19日に変えられている)。
 18日の手紙で、フロベールは「私の『ゴーロワ』への〈手紙〉については、ますます無意味だろうと思うに到ったよ」と述べているが、結果的にモーパッサンは不起訴となり、無事に目的は達せられた。
 1880年6月、モーパッサンは『詩集』(シャルパンティエ書店)第3版に、フロベールの書簡を掲載する。その際、以下の前書きが付されていた。

(ほんの一ヵ月前に)この書物が公刊された後、この書が捧げられた優れた作家ギュスターヴ・フロベールが亡くなった。
 私が熱烈に愛し、情熱を込めて敬愛していたこの天才についてここで語ろうとは思わない。もっと後になれば、彼の日常生活、彼に親しかった思想、魅力的な心、目を見張る偉大さについて述べるだろう。
 だが、その献辞には泣かされたと、そう彼は私に手紙で書いていたが、それというのも彼も私を愛してくれていたからだが、その書物の新版の巻頭に、私を攻撃していたエタンプの検事局に対して私の詩の1編「水辺にて」を擁護するために、彼が送ってくれた素晴らしい手紙を再録したい。
 私がそのようにするのは、私が個人に対して抱く最も激しい愛情、一人の作家に捧げる最大の賞賛の念、誰であれ誰かが私に抱かせる絶対的な尊敬を、間違いなく運び去っていったこの〈死者〉に対する、最大のオマージュとしてである。
 それによって、私は今一度、私の書物を彼の庇護のもとに置くことにする。彼が生きている時には、その庇護が魔法の盾のように私を覆ってくれ、それに対して司法官の判決もあえて攻撃しようとはしなかったのである。
          パリ、1880年6月1日
ギィ・ド・モーパッサン

この前書きは1884年に『詩集』がアヴァール書店から再刊された際には削除されている。
 なお、『詩集』に掲載された文面には、『ゴーロワ』掲載時とは異なっている箇所がある。新聞掲載前にフロベールが望んだ修正が、モーパッサンによって直された形となっている。新聞に掲載された形の書簡は、『フローベール全集』第10巻(筑摩書房、1970年)349-352頁に翻訳がある。


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クロワッセ、1880年2月19日
我が親愛なる友へ

 それじゃあ本当なんだね? 最初は冗談かと思ったよ! でもそうじゃない、仕方ないね。
 まったく、エタンプの人々はご立派なことだ! それじゃあ僕たちはフランス中のあらゆる裁判所に従わなければいけないのかい、植民地も含めて? それにどうして、かつてパリで今やもう存在しない雑誌(1)に掲載された詩篇が、地方の雑誌に再録されるや犯罪になるというんだい? 目下、僕たちは何に対して義務を負っているんだ? 何を書かなければいけないのか? なんというボイオティア(2)に僕たちは生きていることか!
 「風俗、および公衆道徳に対する侮辱の罪を問われて」、二つの同義語が二つの訴因を構成している。僕の場合、我がボヴァリーと共に第八法廷に出頭した際には(3)、「宗教道徳に対する」侮辱という三番目の訴因も責任を問われたものだ。この裁判はたいへんな宣伝になってくれたので、僕は成功の三分の二をそれに負っているという次第だ。
 つまるところ、僕にはまったく理解できない! 君は何らかの復讐の遠回しの犠牲になったのかい?(4) 何かうさんくさいものがあるじゃないか。彼らは共和国の評判を落としたいのだろうか? 恐らくはそうなんだろう!
 君が政治に関する記事で訴追されているのなら、まあいいだろう。すべての裁判所に対して、かつてそれが何かの役に立ったことがあるのか証明してみろと言いたいがね! だが文学のため、詩句のためになんてのは駄目だ! それはひどすぎる!
 彼らは、君の詩は猥褻な「傾向」を有していると答えるのだろう。傾向という理屈は度を越すものだし、「芸術における道徳性」という問題について合意しておく必要があるだろう。美しいものは道徳的である。僕に言わせれば、これがすべてだ。詩は太陽と同じように堆肥をも輝かせる(5)。それが見えない者にとってはお気の毒なことだ。
 君は紋切り型を完璧に取り扱ってみせた。だから君は称賛に値するにせよ、罰金や牢獄に値するはずがない。「ある作家の才能とは」と、ラ・ブリュイエール(6)は言ったものだ。「よく定義し、よく描くことにある(7)」と。君はよく定義し、よく描いた。それ以上に何を望むというのか?
 だが「主題は」とプリュドム(8)は反論するのだろう。「あなた、主題はどうなんですか? 恋人たち、一人は洗濯女で、水辺が舞台です! それらをもっと繊細かつ上品に扱い、途中に優雅な皮肉で小言を挟み、結末には尊敬に値する聖職者か善良な医師を登場させ、恋愛の危険について一席ぶたせる必要があったでしょう。一言で言えば、あなたの物語は『両性の結合』に駆り立てているのです。」
 「まず、駆り立ててはいません! それにそうだとしても、女性崇拝を説くことの何が罪なんですか? それに僕は何も説いていない。僕の可哀相な恋人たちは不貞さえ犯してはいません! 二人は互いに自由であり、誰に対しても約束していないのです。」――ああ! 君は抵抗しても無駄だろう。秩序を担う多数派はいつでも口実を見つけるものだ。諦めることだね。
 多数派に向かって(彼らが発行を禁じられるように)、アリストファネス(9)から善良なるホラティウス(10)や優しいウェルギリウス(11)に到る、すべてのギリシアとローマの作家を例外なく告発したまえ。次に外国人だが、シェークスピア、ゲーテ、バイロン、セルバンテスだ。我が国においてはラブレー(12)だ。「そこからフランス文芸が生まれた」とシャトーブリアン(13)は言うが、彼の傑作は近親相姦を巡って展開している(14)。次にモリエール(15)(彼に対するボシュエ(16)の怒りを見たまえ)。そして偉大なるコルネイユ(17)、彼のテオドール(18)は売春をモチーフとしている。父たるラ・フォンテーヌ(19)、ヴォルテール(20)に、ジャン゠ジャック(21)だ! それにペロー(22)の妖精物語! 〈ロバの皮〉(23)では何が問題となっているのか? 『王は楽しむ』の第四幕はどこで展開するのか?(24)等々だ。その後には、想像を汚す歴史書を禁じる必要があるだろう。
 ああ! とんでもない。・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
息が詰まる!
 それにあの立派なヴォルテール(偉人ではなく、新聞)は、先日、私が〈文学〉に対する憎しみの存在を信じているのは気まぐれだといって、私を冷やかしたのだった!(25) 間違っていたのはヴォルテールのほうで、かつてないほど私は、文体に対する無意識の憎悪が存在することを信じている。人がよく書くときには、二種類の敵を持つことになる。ひとつめは公衆。なぜなら文体は考えるように強制し、労働を強要するからだ。ふたつめは政府。なぜなら政府はそこに力を感じ取り、〈権力〉は別の〈権力〉を好まないからだ(26)
 政府が交替しても無駄なことだ。王政だろうが、帝国だろうが、共和国だろうが、大した違いはない! 公式の美学は不変なのだ! 行政官や司法官は、彼らの地位の持つ美徳によって、趣味を独占しているのである(その例は、私の無罪放免の判決理由書だ(27))。彼らは人がどのように書かなければいけないかを知っており、彼らの修辞学は無謬であり、彼らは人々を説得する手段を持ち合わせている。
 かつて人々がオリンポス山(28)に登ったときには、顔に日光に浴び、心に希望を抱き、美と神を切望し、すでに半ばは天にいるかのようだった。それが今では看守の足によって下水溝に突き落とされる! かつてはミューズと言葉を交わした。今では少女たちを堕落させる者と見なされるのだ。君がペルメス川(29)の波の匂いに包まれたら、淫欲に駆られて公衆トイレに出没する紳士方と間違われるのが関の山だね(30)
 そして坊や、君はビロードのベンチに座るだろう。そして誰かが君の詩句を(韻律法を間違いながら)読み、また繰り返しては、何らかの語を強調し、そこに危険な意味を付与するのを聞くことだろう。彼はそうした語を何度も繰り返す。「ひかがみですよ、諸君、ひかがみ」と繰り返した市民ピナールのように(31)
 そして、君の弁護士が君に自制するように合図を送っている(たった一語で君を失墜させるに十分だ)あいだに、君は漠然と背後から、憲兵隊、軍隊、公権力が、君の頭に計り知れない重みを加えてくるのを感じるだろう。そのとき、その重みが君の心に、君が疑ってもみなかった憎しみの存在と、復讐の計画とを教えることになり、その計画は誇りによって直ちに決定されるだろう。
 だが、もう一度言うけれど、そんなことはありえない! 君は訴追されないだろう! 罰を受けることはないはずだ! きっと誤解か過ちか、何かがあるのではないか? 法務大臣が介入してくれるだろう。もはや復古王政の麗しき日々ではないのだから!
 とはいえ、誰に分かるだろう? 大地には限りがあるが、人間の愚かさは無限なのだから!
 抱擁を。
      君の老いたる友、
ギュスターヴ・フロベール


Lettre-préface de Flaubert, dans Guy de Maupassant, Des vers et autres poèmes, éd. Emmanuel Vincent, Publications de l'Université de Rouen, 2001, p. 35-38.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)




訳注
(1) 『文芸共和国』は1877年6月で廃刊になった。
(2) Béotie:ギリシア中部、アッティカの北に位置する都市。交通・文化の中心として栄えた。
(3) 実際には『ボヴァリー夫人』裁判は第六法廷で行われた。裁判の結果、フロベールは無罪放免となった。
(4) 2月16日の書簡でモーパッサンは、裁判の話はジュリエット・アダンのサロンから持ち上がったもので、モーパッサンはゾラに到るための「踏み台」にされたらしいという噂を報告している。
(5) 1846年9月6日付ルイーズ・コレ宛の書簡で、フロベールは「太陽が輝くとき、露のなかに真珠があるのと同じだけ、堆肥のなかにはルビーがある」と記している。
(6) Jean de La Bruyère (1645-1696):モラリスト。『人さまざま』(1688) で時代の風俗や人物を鋭く批判した。
(7) ラ・ブリュイエール『人さまざま』、第1部「精神の作品」、第14節。
(8) Joseph Prudhomme:風刺画家アンリ・モニエ Henry Monnier (1799-1877) が創作した人物。愚鈍なブルジョアの典型。
(9) Aristophane (445 BC-386 BC) :古代ギリシアの喜劇作家。『雲』、『平和』、『女の平和』など。
(10) Horace (65 BC-8 BC):古代ローマの詩人。『諷刺詩』、『書簡詩』など。
(11) Virgile (70 BC-19 BC):古代ローマの詩人。『牧歌』、『農耕詩』など。
(12) François Rabelais (1483頃-1553):作家。『パンタグリュエル』(1532)、『ガルガンチュア』(1534) 等の小説において、古典に基づく該博な知識と言葉遊び、造語、スカトロジーとを混ぜ合わせた一大世界を創造、その作品はユマニスム文学最大の成果と言える。
(13) François René de Chateaubriand (1768-1848):作家。『キリスト教真髄』(1802) 中の小説『アタラ』、『ルネ』が名高く、ロマン主義世代に大きな影響を与えた。
(14) シャトーブリアンの『ルネ』を指す。
(15) Molière (1622-1673):劇作家。フランス古典喜劇の確立者。『タルチュフ』(1664)、『ドン゠ジュアン』(1665)、『人間嫌い』(1666) など。
(16) Jacques Bénigne Bossuet (1627-1704):神学者。王太子の教育係として『世界史論』(1681) を編む。追悼演説が古典主義の散文の規範として有名。
(17) Corneille (1606-1684):フランス古典劇の確立者。『ル・シッド』(1637)、『オラース』(1640) など。
(18) Théodore vierge et martyre (1646):『テオドール、処女にして殉教者』は、コルネイユによる宗教劇。
(19) Jean de La Fontaine (1621-1695):イソップなどを基にした『寓話』(1668) で名高い。『コント集』(1665) は艶笑譚で知られた。
(20) Voltaire (1694-1778):啓蒙思想家。百科全書派の一人。『カンディード』(1759) などの哲学コントを著した。
(21) Jean-Jacques Rousseau (1712-1778):思想家・小説家。ジュネーヴ出身。『新エロイーズ』(1761)、『告白』(1782-1789) など。
(22) Charles Perrault (1628-1703):詩人、童話作家。『昔話集』(1697) には、「青ひげ」、「長靴をはいた猫」、「赤ずきん」などを収録。
(23) Peau-d’Âne:おとぎ話。シャルル・ペローのもの (1694) がよく知られている。ヒロインは父の国王から結婚を迫られ、ロバの皮をかぶって逃亡する。
(24) Le roi s’amuse (1832):ヴィクトル・ユゴー『王は楽しむ』第4幕は売春宿で展開する。この作品は良俗を害するとして上演禁止となった。
(25) 1880年1月30日の『ヴォルテール』紙において、「ある熊の物語」と題する記事のなかで、ギュスターヴ・ゲッシ Gustave Goetschy はフロベールが「文学に対する憎しみ」に苦しんでいる様を諷刺していた。
(26) 1873年9月5日付のジョルジュ・サンド宛の書簡に、フロベールは次のように記している。「〈検閲〉とはなんとご立派なものでしょう! 公理:あらゆる政府は〈文学〉を忌み嫌う。〈権力〉は別の〈権力〉を好まない。」
(27) 判決理由書において、フロベールは「良き趣味が批判する情景」によって非難されている。
(28) Olympe:ギリシア北部の山。ゼウスの宮殿があると信じられていた。
(29) Permesse:Termesseともいい、ボイオティアに流れる急流の川。その水は詩人に霊感を与えるとされた。
(30) 1877年12月6日、シャンゼリゼ大通りの公衆トイレでジェルミニ伯爵が青年と一緒にいるところを逮捕された。2月14日の書簡でモーパッサンが言及していたもの。
(31) フロベールが速記させたピナール検事の論告文に「ひかがみ」の語は出てこない。『ボヴァリー夫人』第2部第14章には、エンマがジュスタンの前で髪を解くと、髪は「黒い輪を解くようにしながらひかがみまで垂れた」という一文がある。




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