第164信 ギュスターヴ・フロベール宛
Lettre 164 : À Gustave Flaubert
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1880年2月14日の書簡。『現代自然主義誌』Revue moderne et naturaliste の1879年11月号に、詩篇「水辺にて」« Au bord de l’eau » の一部が「ある娘」« Une fille » の題で再録されたことにより、訴訟の話が持ち上がった。
この書簡のなかでモーパッサンはフロベールに窮状を訴え、公開書簡の執筆を依頼している。フロベールは直ちに仕事にかかり、16日にモーパッサンに手紙を送る。書簡は21日付『ゴーロワ』紙に掲載され、モーパッサンは起訴を免れることになる。フロベールの公開書簡は後に『詩集』第3版に序文として掲載される。
フロベールはジャーナリズムを軽蔑し、これと関わることを嫌悪していたため、モーパッサンは最大限にへりくだって遠慮をしているが、それでも、自らの保身のために師を利用していると言えなくもない。そのような弟子の姿を見ながらも頼みにすぐに応じたところに、フロベールの弟子に対する愛情の深さが窺い知れるだろう。
なおボールドは原文イタリックの箇所。
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[パリ] 土曜日、真夜中 [1880年2月14日]
我が親愛なる先生、アシェット社からの本は今日発送されたはずです。私の側ではもう一日かかりそうですが、それというのもスペンサーの二巻が見つからないからで、私は貸してしまったようなので、もう一度見つける必要があります。それから私の用件に時間を全部取られてしまったのです。私はサンド夫人の手紙を持ち去りました。それを返すようにあなたが私に命じたものと思ったからで、本人にお返しします。あなたがお頼みになったご本のために、あなたの手紙をシャルパンティエに送りました。
私の用件の話になりますが――私は風俗と公共道徳に対する侮辱の罪で決定的に訴えられています!!! それは『水辺にて』が理由です! 私はエタンプから戻ってきたのですが、向こうでは予審判事から長時間の尋問を受けました。もっともこの司法官は大変に礼儀正しかったし、私は自分が不器用だったとも思いません。
私は告訴されていますが、事件を推し進めるのがためらわれているように見受けられます。それというのも、私が狂犬病患者のように激しく弁護するのが分かるからでしょう。私自身が理由ではなく(私の市民権などどうでもよいのです)、ああ、私の詩が理由だからです。是が非でもそれを最後まで守ってみせますし、出版を断念することには絶対に同意しません!
目下のところは私の省のことが心配で、免訴の命令を得るために想像しうるあらゆる手段を用いています。『十九世紀』は『レヴェヌマン』に続き、後者はキャンペーンを続けています。けれども、私には思い切った手を打つ必要があり、たいへんな手助けをお願いしたいのですが、こんな馬鹿げた事柄にお時間を取らせ、お仕事の邪魔をしてしまうことをお許し願います。私宛ての手紙を一通書いて頂きたいのです。十分な長さがあり、慰める調子で、父親のようで哲学的なもの、そのなかで文学に関する訴訟の道徳的価値について高尚な考えを述べてください。この種の裁判では、刑罰を受けた場合にはジェルミニ(1)の同類と見なされますし、無罪放免となればしばしば勲章になるのです。私の作品『水辺にて』について文学的観点、道徳的観点(芸術における道徳は〈美〉でしかない)からのご意見、それに愛情の表明が必要です。私の弁護士は友人でもあるのですが、彼がこのように助言し、私はそれを優れたものだと思っています。その理由は以下の通りです。
この手紙は『ゴーロワ』紙に、私の裁判についての記事のなかで発表されるでしょう。それは〈弁護〉を援護する書類となると同時に、私の弁護者の弁明全体がその上に基礎を置く論拠ともなるでしょう。傑作のために訴えられ、苦労の末に無罪を勝ち取り、それから称賛され、非の打ちどころのない大家として決定的に認められ、そうした人物としてあらゆる流派から受け入れられている天才という例外的で唯一無二のあなたの立ち位置が、私に大きな援助をもたらしてくれるから、あなたの書簡が世に出た後には私の事件はただちにもみ消されてしまうだろうと、弁護士は考えています。この文書はすぐに公表され、〈師〉から〈弟子〉にすぐに送られた慰めの言葉のように見えなければいけないのです。
もっとも、どのような理由であれ、こうしたことが少しでもお気に召さないのであれば、もうこの話はしないことにしましょう。
あなたが私の作品をバルドゥー氏(2)にお渡しになって、私をそばに呼ぶように彼に頼んでくださったことを想起されるのもよいと思います。
我が親愛なる先生、このような面倒な苦役をお願いすることに、もう一度お詫び申し上げます。ですがどうすればよいのでしょう? 反論するのに私は一人きりで、生活の手段を脅かされ、家族にも知人にも頼れる者はおらず、立派な弁護士を大金で雇うこともできません。私は自分の詩篇を大事にし、放棄するつもりはありません。――文学が第一です。
私が長い手紙とお願いするのは、あなたの便箋で二、三頁ということです。ただただ私のためになるようにマスコミに興味を抱かせ、この点について再び活気づかせるためなのです。私は友人のいるすべての新聞に働きかけます。
親愛なる先生、愛情を込めて抱擁を送ります。最後にもう一度お許しを願います。
あなたの子として。
ギィ・ド・モーパッサン
もしもご自身の文章が新聞に載るということにうんざりでしたら、何もお送りにならないでください。私の手紙は出来がよくありませんね、残念です。
Guy de Maupassant, Correspondance, éd. Jacques Suffel, Évreux, Le Cercle du bibliophile, 1973, t. I, p. 261-263.
訳注
(1) Germiny:1877年12月6日、シャンゼリゼ大通りの公衆トイレでジェルミニ伯爵が青年と一緒にいるところを逮捕された。
(2) Agénor Bardoux (1829-1897):政治家。若い頃のフロベールやルイ・ブイエと親しかった。1877-79年に文部大臣を務めた際、モーパッサンは彼のお蔭で海軍省から文部省に異動できた。