モーパッサン「征服」
« Une conqête », 1880
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1880年『詩集』 Des vers に初めて収録された詩篇。12音節、4行1節で、全36節からなる。
2種類の手稿の存在が知られており、「一直線の恋 マダム・・・へ」と題され、1872年と記されている。ただし決定稿とは大きく異動があり、後に推敲が施されたことが窺われる。
「征服」という大げさなタイトルとは裏腹に、ここではごく平凡な恋愛が語られている。主人公の「青年」は深刻ぶった抒情詩人のパロディであり、彼が理想の恋人と思いつめた相手は尻軽な娼婦だったことが分かる。全体としてロマン主義に対する諷刺となっており、70年代の詩人モーパッサンの姿勢をよく示している詩篇である。
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征服
征服
一人の青年が大通りを歩いていた。
何も考えずに、一人早足に行き、
ぼんやりとした視線に捉えることもなかった
通り過ぎる笑い声が誘惑するあの娘たちをも。
だがとても甘い香りが突然に彼を襲ったので
彼は目を上げた。神々しい一人の女性が
通り過ぎた。率直に言って、彼には首しか見えなかった。
ほっそりとした体の上、しなやかに丸みを帯びていた。
彼は彼女を追った。――何故か? ――理由もなく。人は追いかけるもの
小走りに逃げてゆく、可愛らしい凹足や
過ぎ行きながら小刻みに揺れる、白いスカートの端を。
人は追いかける。――愛の本能が我々を追い立てるのだ。
彼女の靴下を眺めながら、彼は彼女の生い立ちを探した。
優雅な女性? ――多くの者がそうだけれど。――運命は
彼女を高貴な家に生まれさせたか、それとも下層に?
貧しく淫らなのか、あるいは貞淑で裕福なのか?
ところが、足音が追いかけてくるのを耳にしたので、
彼女は振り返った。――見事だった。
彼は心に絆のようなものが生まれるのを感じ、
話しかけたいと思った、耳は
魂への道だとよく知っていたので。――二人は隔てられていた
通りの曲がり角辺りの人だかりに。
暇な野次馬たちを十分に罵って
おのが奥方を探した時には、彼女はすでに消えていた。
まず彼が感じたのは真の憂鬱、
それから、罰を受けた魂のように、あちらこちらへとさ迷い、
ワラス式水飲み場で額を冷やすと、
夜には随分早く、眠りに帰った。
彼の魂はあまりにうぶだとおっしゃるのでしょう。
もしまったく夢を見ないなら、何をするというのです?
風が音を立てる時には、魅力的ではないでしょうか、
火の傍で、美しい見知らぬ女性を夢見ることは?
この短い瞬間のために、一週間、彼は幸福だった。
彼の周りを、輝く夢想が群を成し
恋する心の内に絶えず呼び覚ます
最も甘美な思いと、最も甘美な偽りとを。
彼の夢想は荒唐無稽で馬鹿げたものだった。
果てしもなく偉大な冒険を打ち立てた。
魂が純情で、若い血が沸き立つ時には、
我らの希望は、とんでもないぺてんにも没頭するもの。
彼は彼女を見知らぬ国々に追い求めた。
揃ってギリシャの平原を訪れた。
そして古代のバラッドの詠う騎士のように
稀なる危険から、いつでも彼女を救い出した。
時には山の壁面や、断崖の淵へと、
二人は赴き、甘い愛の言葉を交わした。
しばしば彼は最適な時を選び
口づけを奪うことが出来た、いつでもそれが与えられた。
それから、互いに手を取り合って、扉に身を寄せながら、
ギャロップで駆ける駅馬車に運ばれ、
夜の間中、そこで夢を見続けていた、
何故なら月は輝き、水辺に姿を映していたから。
時には彼は見た、夢見がちな女城主たる彼女は、
ゴシック様式のバルコニーの、装飾を施した手すりにもたれる。
時には、狂ったように敏捷に、平原を追ってゆく
速足の猟犬か、鷹の飛翔を。
小姓たる彼は、彼女に愛される機知を備えていた。
老いた男爵の奥方は、すぐにも不実さを見せた。
彼は彼女にどこまでも従って行き、音のない大きな森の中
おのが女城主とともに、いつでも道に迷うのだった。
一週間、彼はそんな風に夢を見た。
大の親友達にも、ドアを開けはしなかった。
誰も迎えず、時折は夜に、
人気のない古いベンチに、一人、座りに行った。
ある朝、まだ早い時刻に、
彼は目覚め、あくびをして目を擦った。
友人の一団が、部屋へと押しかけて来て
皆が一度にしゃべり、陽気な叫び声を上げた。
その日の計画は田舎へ出かけ、
ボートに乗り、森をさ迷い、
善良なブルジョアたちを憤慨させ、
草の上で、アイスやシャンパンで食事すること。
最初、彼は答えた、完全なる軽蔑を込めて、
君たちのお祭りは、僕には全然魅力がないと。
だが騒がしい一群が出て行くのを目にし、
一人になると、突然に考え直した
花咲く土手に腰を下ろし、夢想するのは心地よいだろう
ささやきながら流れ、逃げてゆく水は
悲痛な夢想を物憂く掻き立ててくれる
流れが運んでゆく枯れ枝のように。
そして、魅惑的で深い陶酔であるだろう
気まぐれに駆け、胸一杯に吸い込むのだ
草原から山へと吹く、広く自由で汚れない空気や
干草のきつい香り、波の冷たさを。
岸辺はささやき、魅惑的な音を立てるだろう
漕ぎ手の歌声に、傷もいやされるだろう、
そして精神はさ迷い、やさしく漂う、
川の流れのように、思想の流れに乗って。
そこで彼は召使を呼び、ベッドから飛び出すと、
服を着て、食事をとり、駅へと向かい、
穏やかに煙草を吹かしながら出発し、
やがてマルリーで仲間を見つけた。
夜の涙に平野はまだ濡れていた。
軽やかな霧がまだ遠くを漂っていた。
陽気な鳥達が歌い、麗しの黄金の太陽は
さわやかに澄んだ水面に、溢れる輝きを投げかけていた。
樹液が上り、木々が緑に覆われ、
四方から偉大なる生命が湧き上がる時、
朝陽に向ってすべてが歌い、輝きを放つ時には、
体は喜びに満ち、魂はふくらみ上がるもの。
確かなことには、彼は気高く食事をとり、
ワインの酔いがいくらか頭に上った。
田園の空気が最後には心をお祭り気分にした
連れられて川の流れに乗り出した時には。
ボートはゆっくりと漂っていった。
かすかな風が葦を囁かせていた
か細く、歌声上げるこの群は、岸辺に育ち
清澄な水の胸の内から精気を吸い上げる。
漕ぎ手たちの番が回ってきた。習慣どおりに、
リズムに乗った彼らの歌が、辺りにエコーを響かせた。
そして、声に導かれながら、泡立つ白い水の中に
絶えず、櫂が潜ってゆくのだった。
最後に、料理にありつこうと考えている頃、
突然に別のボートが彼らの傍を通って行った。
隣の舟から発された鋭い笑い声が
我が恋する男の心へとまっすぐに飛んできた。
彼女! 舟の中に! 仰向けに身を伸ばし、
舵をとりつつ、歌いながら過ぎてゆく!
彼は呆然とし、蒼ざめ、動悸は激しかった
彼の〈美〉が川の上を逃げてゆく間。
夕食の時にはまだ悲しかった!
皆は小さな宿の前に止まった
魅惑的な庭の中、葡萄棚に囲われて、
ボダイジュの陰、岸辺に沿っていた。
だが他のボート漕ぎたちが先に来ていた。
とんでもない大声で罵りをぶつけ、
大騒ぎをしながら、テーブルを用意しており
力強い裸の腕で、時にはそれを持ち上げるのだった。
彼女は彼らと一緒にいて、アプサントを飲んでいた!
彼は押し黙った。――ふしだらな女は微笑み、
彼を呼んだ。――彼は驚いたまま。――彼女は続けた。
「おばかさん、本当にあたしを聖女だとでも思ったの?」
さて、彼は震えながら傍に寄った。彼は食事をした
彼女の隣で。そしてデザートの時になっても驚かされた
高貴な家柄の出と想像することができたことに。
何故なら彼女は魅力的で、陽気で、善い娘だったから。
彼女は言った。「お猿さん」「ネズミ君」「猫ちゃん」
フォークの先を差し出して彼に食べさせた。
二人は出かけた、夜になって、こっそりと。
どこのベッドで彼が眠ったかは誰も知らなかった!
純朴な心を持つ詩人たる彼は真珠を探していた。
まがい物の宝石を見つけ、それを取ると、うまくやった。
あの昔の金言が示す良識に僕は同意するわけだ。
「ツグミが無い時には、クロウタドリで我慢するものだ。」
「征服」(1880年)
Guy de Maupassant, « Une conquête » (1880), dans Des vers et autres poèmes, éd. Emmanuel Vincent, Publications de l'Université de Rouen, 2001, p. 46-51.
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Guy de Maupassant, « Une conquête » (1880), dans Des vers et autres poèmes, éd. Emmanuel Vincent, Publications de l'Université de Rouen, 2001, p. 46-51.
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