1347年、ブルターニュ

Sur la Bretagne en 1347


 戯曲『リュヌ伯爵夫人の裏切り』は、1347年、ブルターニュのある領主の館を舞台としている。つまり、英仏間の百年戦争が背景に存在する。物語の主筋に大きく関係する訳ではないが、理解を容易にするために、簡単に当時の状況の概略を記す。

 当時、ブルターニュ地方は、ブルターニュ公家の統括する、独立した領土であったが、長らく対立する英仏両国間の権力闘争に巻き込まれることになる。
 1341年、ジャン三世の死後、彼に息子はなく、次兄ギィも既に亡くなっていた。ギィの娘、ジャンヌはフィリップ・ド・ブロワの甥、シャルル・ド・ブロワに嫁いでいる。一方、三男、モンフォール伯爵、ジャンは、ジャンヌ・ド・フランドルを娶っていた。そこで、シャルル・ド・ブロワとジャン・ド・モンフォールのどちらがブルターニュ公の跡を継ぐかが問題となり、両者は対立する。その際、シャルル・ド・ブロワはフランスに、ジャン・ド・モンフォールはイギリスに援軍を求めた。
 フランス軍とともにナントに入場したシャルル・ド・ブロワは、ジャン・ド・モンフォールを捕らえる。だが妻、ジャンヌ・ド・フランドルは戦争を継続させ、イギリスの援助のもと、シャルル・ド・ブロワを追い返す。英仏両国王自らも身を投じての争いの後、教皇の介入によって一時休戦となる。
 1345年、モンフォールはパリから帰り、戦争を再開させるが、ほどなくして戦場に斃れる。その後、妻ジャンヌが指揮を執り、1347年、6月20日、ロッシュ−デリヤンの戦いにおいて、シャルル・ド・ブロワは囚われの身となるに至る。一幕二場において、ピエール・ド・ケルサックが伝えるのはこの事件である。
 しかし作中にも描かれるように、シャルル・ド・ブロワの妻、ジャンヌ・ド・ポンティエーヴル(ジャンヌ・ド・ブルターニュ)も戦争を継続させることになるのである。
 シャルル・ド・ブロワは1356年に至って、二人の子どもを人質に解放されるが、なおも諦めず、遂に1364年、オーレイの戦いにおいて命を落とす。翌年、ゲランドの休戦条約において、ブルターニュは正式に、モンフォール家の領土となる。だが、戦争がそこで終結するわけではなかった・・・・・・。

ブルターニュ公家系図

 作中の台詞にある通り、舞台の進行する1347年(6月後半以降)、ブルターニュは、二人の女主人達の戦いの場となる。そして言うまでもなく、そのような状況において女主人公、リュヌ伯爵夫人もまた、自らの愛を賭けての策略と戦いに身を投じる。「女達の闘い」が舞台の全面を占める『リュヌ伯爵夫人の裏切り』の世界において、男達は、女性に隷属する存在でしかない。
 「全ての男は女に属しているもの。体も心も服従した、生まれながらの私達の奴隷なのよ」
 自らの存在を賭けて戦う、強い自立した女達の物語。1347年のブルターニュは、それを描くために最適な舞台として選ばれたものである。また、恋愛を男女間の闘争として捉える視線は、後年の『脂肪の塊』、『マドモワゼル・フィフィ』等、普仏戦争を舞台として展開する作品にも、共通して見られる作者の傾向である。主題と舞台との密接な関係性に、作者の熟慮の跡を窺うことができるだろう。








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