モーパッサン
『リュヌ伯爵夫人の裏切り』

La Trahison de la Comtesse de Rhune, 1877


第一幕


(*翻訳者 足立 和彦)

『レチュヌ伯爵夫人』原稿冒頭 解説 1876年から77年にかけて執筆された三幕韻文歴史劇。
 フロベールの批評を受けて、1877年末から78年にかけて推敲を行い、『レチュヌ伯爵夫人』La Comtesse de Rhétune と改題された。フロベールおよびゾラの援助を得て、コメディー・フランセーズに提出するが、上演には至らなかった。
 舞台は1347年のブルターニュ。リュヌ伯爵夫人は夫の留守中に愛人ゴーチエ・ロマを城内に迎え入れようとする一方、小姓ジャック・ド・ヴァルドローズを誘惑し、いざという時に利用しようと画策する……。
 本作についてのより詳しい解説は「『リュヌ伯爵夫人の裏切り』について」を、また舞台背景については「1347年、ブルターニュ」をご覧頂きたい。



***** ***** ***** *****

リュヌ伯爵夫人の裏切り

 三幕、韻文による歴史劇

登場人物
リュヌ伯爵、ブルターニュの領主
ピエール・ド・ケルサック、リュヌ伯爵付き衛兵副官
リュック・ド・ケルルヴァン、イヴ・ド・ボワロゼ、リュヌ伯爵付き、ブルターニュ貴族
ジャック・ド・ヴァルドローズ、エチエンヌ・ド・ルルニー、伯爵の小姓
ジャンヌ・ド・ポンティエーヴル、ブロワ伯爵夫人にして、ブルターニュ公夫人
イゾール・ド・リュヌ伯爵夫人
シュザンヌ・デグロン、伯爵夫人イゾールの従妹
ブルターニュの領主たち、中でも
ベルトラン・デュ・ゲクラン
兵士、衛兵

舞台は1347年

第一幕

十四世紀、ブルターニュの館、衛兵の詰め所。木製の大きな椅子、テーブル、壁に、武具、毛皮、狩猟の道具。
 正面奥に窓、部屋全体が一望出来るように配置。

一場

リュック・ド・ケルルヴァン、イヴ・ド・ボワロゼ、ジャック・ド・ヴァルドゥローズ、エチエンヌ・ド・ルルニー
リュック・ド・ケルルヴァン、大柄、痩身、際立った顔立ち、イヴ・ド・ボワロゼとサイコロで遊んでいる。とても太ったイヴ・ド・ボワロゼは、制服に身を締め付けられている。彼は絶えずテーブルの上に置いたワインの瓶に口をつける。エチエンヌ・ド・ルルニーは壁に背をもたせ、二人の勝負を眺めている。彼は年齢、十八、十九。
 ジャック・ド・ヴァルドゥローズ、同い年、一人部屋の中央に立ち、剣の練習をしている。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
ケルルヴァン、こっちへ来いよ。一勝負しようじゃないか。
俺の彼女の口づけを賭けるぜ。

リュック・ド・ケルルヴァン
              まったく大馬鹿さ、
そんなのに応じるなんてな。一体、その彼女はどこにいるんだい?
本当に生きた人間だっていうんなら、君はその彼女を
井戸の中に隠しているか、それともどこかの塔に閉じ込めたのか?
この近辺に一人だって、そんな女は見たことないものな。
ボワロゼ、ルルニー、笑い出す。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
我らが麗しのご主人を除いてはな。

リュック・ド・ケルルヴァン、真剣に
黙りたまえ!…… 彼女は我々の愛情や、思惑よりもずっと
高い所にいらっしゃるんだからな!

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
                じゃあシュザンヌ・デグロン、
彼女の従妹なら?

リュック・ド・ケルルヴァン
        君の首はたいそう長くて、
斧でへし折ってもらいたいとでもいうのかい?
黙りたまえよ。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ、苛立って
        俺には、隠すようなことは何もない
俺の心はあまりに広く、何もかもを望むし、
十分に気高いゆえに、何も恐れはしないのさ。

リュック・ド・ケルルヴァン
                     君は馬鹿だよ。
(彼はとても苛立っている。)

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
さあ、来いよ。俺のご夫人の口づけを賭けるぜ
もし俺が負ければ、いいとも、キリストと我が魂にかけて
一年以内に借りを返して見せるさ!

リュック・ド・ケルルヴァン
いいから、ゲームをさせてくれよ。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
            ああ! 恐れているんだな、ケルルヴァン!

リュック・ド・ケルルヴァン
君の美女が年寄りか、片目か、やぶ睨みじゃないかってことをね!……

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
天に誓って、一生自慢できるような
唇に口づけされることになるぜ!

リュック・ド・ケルルヴァン
君はといえば、禿鷹の口ばしにでも口づけされるだろうよ!

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
怖いのか? 怖いんだな?

リュック・ド・ケルルヴァン、立ち上がって
            しょうがないな、いいとも、だが用心しろよ
痛い目に合わせてやるからな、ジャック。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
                   みんな、見てろよ。

イヴ・ド・ボワロゼ 笑い、腹を揺すりながら
彼の剣は、まったく、頭より上に突き出てるぞ
それじゃあ、どちらがどちらを支えるのやら?

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
                    おお! このまん丸野郎、
後で相手になってやるからな。

イヴ・ド・ボワロゼ
              お生憎様だね!
俺の太っ腹は穴一つ開けられずに、たくさんの戦を切り抜けて来たのさ
誰にも破裂させたりはできないね。
ヴァルドローズはケルルヴァンに何度も突きを入れるが届かない。ケルルヴァンは峰打ちで相手の武器を落とし、トック帽を十メートルほど飛ばす。

イヴ・ド・ボワロゼ
                お前のためだぞ、今のはな。
ケルルヴァンは、彼女が瑞々しい顔をしてるのをお望みだぜ。

エチエンヌ・ド・ルルニー 同僚の帽子を拾いながら
彼なら君の頭を打ち割ることも出来ただろうな。


二場

同前、ピエール・ド・ケルサック

ピエール・ド・ケルサック、勢いよく入って来て
諸君、悲しい知らせがある。
公爵が囚われたのだ。

リュック・ド・ケルルヴァン
          シャルル・ド・ボワが?

ピエール・ド・ケルサック
                     モンフォールが
勝利したのだ。そして彼を助けるイギリス人どもの方が上手だった。
彼らは至る所で優位にあり、ブルターニュは奴らの餌食だ。
ジャンヌ・ド・モンフォールは、大変な喜びようで、
夜が来るまで、城の表に出て、
イギリスの騎士たちに口づけを与えた!……

リュック・ド・ケルルヴァン
もし奴らがここを支配することになれば、それは彼女の仕業だな。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
だが少なくとも、彼女は勇敢だ。

リュック・ド・ケルルヴァン
               勇気が何だと言うんだ?
彼女はブルターニュを、イギリス人に明け渡したのだぞ。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
                         だがそもそも、
モンフォールとブロワのどちらに権利があるか分からないじゃないか。

リュック・ド・ケルルヴァン
だがモンフォールはイギリスで、シャルル・ド・ブロワはフランスだ。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
(ケルサックに詰め寄る。)
もうお仕舞いなのか?

ピエール・ド・ケルサック
           希望を失うことは決してない!
それというのも、ジャンヌ・ド・ポンティエーヴルはお傍に、
王に忠誠を誓う全てのフランス人、ブルターニュ人をお呼びになった。
彼女は、相手と同じぐらいに誇り高く、勇気がある。
何も恐れない者にとって、運命はいつも平等だ。
たとえ権利が曖昧であるにしても、誰よりも雄々しくあろう。
今や、主は二人とも去ってしまった。
ブロワは囚われ、モンフォールはラ・バスチーユに斃された。
ブルターニュは今や、女たちの手中にあるという訳だ。

エチエンヌ・ド・ルルニー
                    ブルターニュは略奪され、
破壊され、殺されるんだ。

リュック・ド・ケルルヴァン
            それがどうした、我々には願ったりだ。
それというのも、全身血に溢れているほうが好ましい。
その血は、不毛な土地の中に
根深く執拗な、イギリス人への憎しみを残すだろうさ。

エチエンヌ・ド・ルルニー
それで我々は? どうするんですか?

リュック・ド・ケルルヴァン
                 少なくとも、ここに留まって、
空しい証人とならないように願おうぜ。

ピエール・ド・ケルサック
なんと、それは間違っているぞ。伯爵夫人イゾール様お付きの
衛兵として、留まらねばなるまい。
何故なら、伯爵は先ほどお立ちになった
兵士もそうでない者も、貴族も平民も皆を連れて。
ああ! リュヌ伯爵は忠義に篤いお方だ。
だが俺は奥方を恐ろしく思う。彼女は油断ならない。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
                      そしてとても美しい!

ピエール・ド・ケルサック
彼女が何を考えているかは、誰にも分からない。
唇が微笑んでいる時でさえ、表情は冷酷なのだから。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
人が天使の目を思うような、そんな目をしている。

ピエール・ド・ケルサック
だがそこには奇妙な光が過ぎるのが見える
まるで地獄の炎のようだ。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
            彼女はとても美しい。

リュック・ド・ケルルヴァン、ヴァルドローズに向かって真剣に
                      あのお方は
我々の主人なんだぞ。

ピエール・ド・ケルサック
          俺が思うには、彼女は
誰かをとても憎んでいるようだ。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
               あるいは、誰かを愛している。


三場

同前、伯爵夫人、シュザンヌ・デグロン

伯爵夫人
殿方、ご挨拶申し上げます。わたくし、
一緒に残って守ってくださる方々に、是非お会いしたかったの。
伯爵は王の軍勢に加わるために出発されました。
わたくしたちは、八十の兵士たちとここに残るのです。
でもあなた方の大変な勇気が、わたしの不安を追い払ってくれますわ。
ケルサックの運ぶ椅子に、彼女は腰を下ろす。
 シュザンヌ・デグロンは背に身をもたせかける。
朝から晩まで、ここでに何をしていらっしゃるの?
サイコロで遊んだり、チェスをなさったり?

イヴ・ド・ボワロゼ
いいえ、奥様、我々の腕はしばしば、
敬虔にして、重たい剣を扱うのに忙しいのです、
あまり太り過ぎないようにするためにですな。国王陛下が
兵士が斃れるべき、あちらで我々をご覧になられる時に。そして
我らが高貴なる主人と、我らが奥方様のために、
何人かのイギリスの裏切り者の顔を断ち割った後、
さしたる悲しみもなく、私は天へと赴くでしょう。

伯爵夫人、微笑しながら
                       ありがとう。
一瞬、ためらった後、
あなたも、ケルサック殿、お望みでいらっしゃるの、
イギリス人と戦いながら死んでゆくのを?

ピエール・ド・ケルサック
                    そうです、奥様。

伯爵夫人
あなたは、リュック・ド・ケルルヴァン?

リュック・ド・ケルルヴァン
               確かに、私には魂は一つだけです。
だが私がそれを手放すのは、奴らを一人たりと見なくなった時。
この身が経帷子に包まれたとしても、
我が墓の上にたまたま通りかかる者でもあれば、
私の骨は深い苦悩に震えることでしょう。

伯爵夫人
あなたは勇敢でいらして、どんな裏切りとも無縁と、
伯爵がそう言っていましたわ、あなた。

リュック・ド・ケルルヴァン
                  殿は賢明なお方です。

伯爵夫人
(彼女はヴァルドローズに向かう。)
それではあなたも、名誉ある死を望んでいますの?

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
私は、愛する女性のために死にたいと思います。

伯爵夫人、笑いながら
まあまあ! あなた、顎に十分な髭もないじゃありませんか、
そんな調子でお話になるには、まだ若すぎますわね。
(エチエンヌ・ド・ルルニーに向かって)
あなたは、ルルニー? 少し小姓の方の話も聞いてみましょう。

エチエンヌ・ド・ルルニー
人生は一冊の本のようなものです。全てのページに
事件が書かれなければいけません。私の本には、こう書かれたいと
思います。「彼はためらいなく、最初の恋人に与えた
誓いに忠実なままに亡くなった
名誉は無傷、どんな恥辱も残すことなく」

伯爵夫人
大変結構ね。「愛」がそこまであなたたちを占領しているのね!
ためらわずにそれについて話しながら、少しも疑っていないのね
それがどんなものであるのかは。

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
          ああ! もしそれを理解できたと信じられたら。

エチエンヌ・ド・ルルニー
私は、そのことを確信しています。

伯爵夫人、笑いながら
             皆さん、あなた方は優しい心をお持ちで、
魅力的でいらっしゃるわ。ひとつわたくしを楽しませると思って、
愛について語ってくださいな。――情熱を込めてお願いしますわね。

エチエンヌ・ド・ルルニー
二人で一つでしかないことです、一つの心、一つの命しか持たず、
同じ飢えと乾き、同じ欲求、同じ欲望を抱き、
一緒にいて、互いに混じり合いながら、二人は
異なっています。二人であると知りながら、ただ一つであるのです。
相手の魂を自分の内に感じ、自らの魂は肉体を離れ、
魂が住む、あの愛溢れる眼差しの深みへと向かいます。
全身を満たす情熱的な幸福の中で喘ぎ、
もはや考えることもせず、一切を完全に忘却して
生きるのです。身を寄せ合い、感動と熱情に溢れたままに。
そして互いの手を取り合い、唇に口づけし合います。
いつも微笑みを浮かべ、決して口を開きません。
ああ、私は狂ってしまいたい、奥様、もし私が愛したなら!

伯爵夫人
大変お上手。では、お話しなさい、ヴァルドローズ。
どんな風に愛するのです?

ジャック・ド・ヴァルドゥローズ
(彼は情熱的に話す。)
            おお! 私のはすっかり違っています。
一層の欲望と、一層の情熱と、
我が物とすることに対して、あらゆる熱意とを持つでしょう。
私は、奴隷であると同時に主人でありたい。
ライヴァルが、夫がいてほしい、彼が勇敢であろうと、
貴族であろうと裕福であろうと、自分こそが好かれる者であるために。
ただ一人愛される者、ただ一人選ばれた、神聖なる者、
教皇に選ばれた王のように、女性に選ばれた王であること。
そして、剣とケープだけを手に、
勝利した征服者が後ろに引きずる以上の、
一層の勝利と豊かさを心に抱くのです。
何故なら私は全てを、彼女の目、髪、唇
仕草、声、残酷な心を我が物とするのですから。
優しい、長い口づけでヴェールのように、
彼女の全身を覆い、天使たちすら嫉妬するでしょう。
それから、暗い夜になる頃には、神さえも
至高の幸福にありながら、時には私を妬むでしょう。

伯爵夫人
(ゆっくりと戸口に向かう。)
坊や達、とんだ大間違いね。そんなものではないのよ。
彼女は突然、笑いながら戻って来る。
あなたは、ケルサック殿?

ピエール・ド・ケルサック
            おお! 我が心は、かように
奥様、今や余りにも鎧に覆われました。
その内に息絶えてしまったのです。幾らか跡を留めている様は、
さながら死者の額の傷跡の如く、
かつて傷つきし苦き愛の跡を残すのみです。

伯爵夫人
さあ、それをお話になって?

ピエール・ド・ケルサック
             いつも同じ話でございます。
私は愛し、汚れた裏切りによって仕打ちを受けたのです。
私に全き愛を誓った女が
我々の最低の敵どもの中に愛人を見つけ
彼と結婚したのです、心を売り渡して。
私は、そのことを知った時に、彼女を殺しましたとも!

伯爵夫人、憤慨して
おぞましいこと。

ピエール・ド・ケルサック、高慢に
        今でも、私は同じようにするでしょう、
確かに、何故なら死によって軽蔑されずに済みます。
不実なまま生きるより、墓の方が価値があり、
女性の美しさ以上に、名誉とは重要なものであります。

伯爵夫人
きっと、それが高貴な感情というものなのでしょう。
でも、それは、愛人よりも夫にこそ相応しいものですわね。
あなたは、ボワロゼ様?

イヴ・ド・ボワロゼ
(困惑し、鼻を掻く。)
           その……私はよく知りませんのです……奥様、
それは……、小さな指のようなもので……、くすぐるのです、魂や
唇を……、そしてアトリのように陽気にさせてくれますな、
あるいはおかしな風に、体を震えさせるんです、
それで夜も眠れず、食べもしないのに
生きていけて、銅のように黄色くなってしまい、
頭は痛くなるわ、腹も痛くなるわ、
波か、ハンモックに揺られているような気になります。
でも私はこの熱病の治療法を見つけました、
それは朝から一杯ジンをやることであります、
それが無けりゃあ、コンパスのようにやせ細っちまう訳で。

伯爵夫人
あなたは、リュック・ド・ケルルヴァン?

リュック・ド・ケルルヴァン
                  おお! 私には分かりません。


四場

伯爵夫人、シュザンヌ・デグロン、ブルトンの貴族、小姓

 二人の衛兵に連れられて、兵士が入って来る。

ピエール・ド・ケルサック
その者は誰だ?

衛兵
       伯爵様の兵士であります。

ピエール・ド・ケルサック
どうしてここにいる?

兵士
          逃げて来ました。

リュック・ド・ケルルヴァン
                  恥ずかしいことだ!

兵士
伯爵はお亡くなりになりました。

ピエール・ド・ケルサック
            何? 死んだ? 何を言っている?

伯爵夫人
                           私の夫が?

兵士
はい、奥様。

ピエール・ド・ケルサック
      何だと? いいから話せ。

兵士
                  殿は戦いに
斃れられました。

リュック・ド・ケルルヴァン、兵士の襟を掴みながら
        だが、貴様は?

ピエール・ド・ケルサック、引き離しながら
               このウサギに話させたまえ。

兵士
出発の時、ジャンヌ・ド・ポンティエーヴル様は
二千の兵と共にナントにあると聞きました。
それが嘘だったのです。イギリス人の策略でした。
我々は女王に合流すべく向かいました。前衛にいた
私の隣の兵士が言いました。「見れば見るほど
この森が動き、近づいて来るようだ
風もないのに、枝々がしなだれるのが
見える。嵐が来るのかもしれない」
皆が笑い出しました。とんだ馬鹿者だと
思ったのです。けれども、突然に、森全体が消え、
その時に見えたのです、イギリスの槍と兜と
大弓からなる森が動くのを
我らの頭上に矢と死とが雨と降りました。
皆が逃げましたが、伯爵お一人が残られました。
傷つき、血を流しながら、最後まで戦われ、
自らの剣を守り、誰にも渡そうとは
されずに、叫ばれたのです。「さあ、取りに来るがいい。
突きでもってくれてやるわ」
そして倒れられました。体は大変に傷ついていました、
イギリス人が背後から切りつけたのです。

リュック・ド・ケルルヴァン
そしてお前たちは皆逃げ出したのか、卑怯者め!

兵士
                      軍全体が、
四方に散り散りになってしまったのです。

リュック・ド・ケルルヴァン
ケルサック、この卑しい者どもに哀れみなど不要だ。
こいつらは戦場に出るには亀の足、
逃げる時には鹿の脚という訳だ。犬のように
殺してくれよう。今においては見せしめも意義がある。
我々には、戦士の代わりに逃亡者しかいないのだ、
そしてイギリス奴が来ることになる。縄を持って来い。

兵士
(伯爵夫人に手を差し出す。)
おお、お慈悲を!

伯爵夫人
        心にいま少しの哀れみをもちましょう。
彼女はワインの瓶を取り、自ら杯を兵に差し出す。彼は飲む。それから彼女は出るように合図する。衛兵と共に兵は去る。
確かに、我が魂は強く、耐えることを知っています。
でもこの目が涙を流したがっているようですわ。
女に生まれると、いつもこの弱みがあるのですわね、
不幸に傷つけられるとすぐに、泣き出してしまうという。
本当にその通り。でも少なくとも、決して誰にも
涙を見せないというだけの誇りはあるものですわ。
出てくださいませ、皆様。
皆がお辞儀をして退出する。


五場

伯爵夫人、シュザンヌ・デグロン

伯爵夫人
             やっと気楽に笑えるわ!
ああ! どれほどあの者たちの馬鹿な純情さを弄んでやったこと!
一人の女性は、一人の兵士より、どんなに強く、価値あるのでしょう!
戦の場にあって、策略はなんて大事なんでしょう!
今、あなたが耳にしたのは、全部私のしたことよ。
私の手は、こんなに深い罠をしかけることが出来るという訳。
ねえ……私、あなたの忠実さを信頼しているのよ。
伯爵はちゃんと生きているわ。それが真実。
でも、彼が死んだということで、私が主人になるでしょう。
そして私は、この城の鍵を自由に出来るの、
私が待ち、愛している者のためにだわ。その名前が
火のように私の記憶の中で輝く男、
イギリス人、ゴーチエ・ロマよ!

シュザンヌ・デグロン
                あなた、一体何をなさったの?
誓いを破ったり、不実なことをして、
神のお怒りに触れることが怖くはないの?

伯爵夫人
それで、どうしろというの? 長い間、私だって抵抗したわ
でも愛が私を捉え、私の思いを惑わせ、
地に落ちた戦士のように、打ちのめしたのよ。

シュザンヌ・デグロン
おお、それはいけないことですわ!

伯爵夫人
             ああ! いけないことね。でもどうして?
あの男と結婚するより前に、私は誓いを捧げたのよ。
でも父は私をあの男に投げ与えた。年老いたあの男が私を手に入れた。
まるでなにか物でもあるかのように、なかば不正に、
それも私が王家に相応しい贈り物を持ってきたから、
三箇所の大きな城と、私の青春を持参金として!
私には、彼が怖かった。父が恐ろしかった。
「いいえ」と言えなかった。でも彼に望むことが許されたかしら、
自分が相手の心の主人となり、馬に乗り、剣を捧げて
彼が私にしたように、相手の精神を引っつかむ、まるで
届けられた獲物と同じように?

シュザンヌ・デグロン
              おお、ご注意なさいまし!……
でもあなたに従ったあの兵士、もし衛兵の誰かが、
彼を酔わせて、あなたの裏切りを知ることになったら?
理性を失うには、ほんの少しのワインで十分なもの。

伯爵夫人、ワインの瓶を示しながら
記憶を失うのにも、ほんの少しのワインで十分でしょう。
飲むために注いでやる時には、私は忘却を注ぐのよ。
彼は死んだわ!

シュザンヌ・デグロン
       あなたの夫を、あなたは憎んでいる。でも彼に対してで
なくとも、せめて彼の名前に対して哀れみを。

伯爵夫人
                   彼の名前が何だというの?
ここより外で、誰があれがやった取るに足りないことを知っていて?
「歴史」に彼の場所があるなら、それは私のお蔭よ。

シュザンヌ・デグロン
そうね、あなた、きっとそうね。それも裏切りのお蔭で。

伯爵夫人
裏切る! この戦争で裏切ったのは一体誰なの? 誰もが
揃って裏切っているわ! ジャン・ド・フランス、ノルマンディー公は
忠誠を破って、モンフォールを王に渡さなかった?
ランデルノーは? ガンガンはどう? アンリ・ド・スピヌフォール、
あの腹黒い男は、エヌボンをモンフォールに明け渡さなかった?
ジュゴンはたった百ドゥニエばかりで譲り渡されたのでなくて?
あの者たちは皆、それぞれのやり方で、裏切っているじゃない!
レオン司教は? ラヴァルは? それにマルトロワときたら?
ダルクールは? クリソン、国王が死刑に
かけられたあの男は? それなのに彼らの記憶は
今でも称えられ、栄光に輝いているのだわ。
裏切る?……ああ! 私が裏切ったのは、たった一人私が愛する男、
イギリス人、ゴーチエ・ロマだけ、これから先、私は彼に
忠実でありつづけ、彼に伯爵を引き渡してやるわ。
復讐は約束され、恥辱はどこにも存在しない。
二人の間で、私の心は選ぶ権利を持たなかった。
私は彼のものだった。でももう一人が私を捕まえにやって来た。
今やっと、自分が愛する主人に対して私は降伏するの。
勇気を持つ時には、人は裏切り者ではなくなるのよ!

シュザンヌ・デグロン
大胆ではあるけれど、不実で嘘つきであるのは変わらないわ。
あなたを愛しているのよ、私、不安な気がするのよ。
何もかもが怖いわ、私も、私たちも、一言、一つの身振りさえ。
人が交わす視線、ささいなもの、全てが不吉だわ、
心に危険な秘密を隠し持っている時には。
疑いがやって来るのよ。

伯爵夫人
           誰が私を疑うというの?

シュザンヌ・デグロン
伯爵がナントにいらっしゃることが、突然に知られたら?

伯爵夫人
誰がそのびっくりするような知らせを持って来れて?
計画は首尾よく立てられているわ、モンフォールが企んだんですもの
彼はそれを利用して、この城へ入って来るつもりなのよ。

シュザンヌ・デグロン
でも伯爵様が、ご自分の死の噂が広まっているのをお知りになったら、
あなたのイギリス人に扉が開かれるよりも先に、
城を守るために、きっと戻って来られるでしょう。
その時は、どうするの?……

伯爵夫人
              何も。誰がが愛してくれるでしょう。

シュザンヌ・デグロン
別の恋人が?

伯爵夫人
      全ての男は女に属しているもの。
体も心も服従した、生まれながらの私たちの奴隷なのよ。
夫であろうと、恋人であろうと、
恐ろしかったり、可愛らしかったりする、愛の玩具。
天がそれを私たちに与え、男は代わりに、
勇気と呼ばれる、死に対する軽蔑や、
心の弱さと、腕力の強さ、
大きな争いを起こさせるあの勇敢さ、
武器の重さを耐えるたくましい筋肉を、受け取ったの。
でも私たちには、魅力という武器があるのよ、
愛! そのお蔭で、男は私たちに譲り渡された。
牧場の草のように、意志を刈り取ってやりましょう。
危険な網のように、私たちの視線を向けてやるのよ。
言葉で期待させて、頑な心をたわめてあげる。
絶えず追いかけて、手に入れた時には、
ネズミを捕えたネコのようにするのよ。
弄びながら、捕まえておくの。一番の危険な中でも
愛してくれる男を一人、陰に隠しておく。
魅力的か、醜いかなんてどうでもいいのよ。
公爵であるか、従僕であるかなんて。
十分に私たちを愛しているのならば。

シュザンヌ・デグロン
             なんてこと! 共犯者を探しているの?

伯爵夫人
いいえ、奴隷には何でもする準備があるのよ、苦しみでさえも。
あらゆる罪を犯す気でいるし、どんな誓いも裏切るわ、
必要なら、私の目の前で死ぬことでさえも。

シュザンヌ・デグロン
でも、それは誰のこと?

伯爵夫人
           さっき探していたのよ。

シュザンヌ・デグロン
一体、どこで?

伯爵夫人
       ここで。私の微笑みが、震えさせることもないままに、
あの粗野な兵士たちの上をかすめるのを見たわ。
心にはどんな興奮もなく、視線に燃え立つものもなかったわね。
愚かな忠誠だけが、あの者たちの胸にはあるみたい。
どんな愛にも、胸掻き立てられることがないのよ。
もう終っていて、馬鹿過ぎて、年寄り過ぎるのよ。
子どもではあるけれど、小姓の方がまだましだったわ。

シュザンヌ・デグロン
膝をついて、伯爵夫人の手を取りながら、
おお! お願いですわ、どうかお願いです。
おお! そんなことはなさらないで、まだ時間がありますもの。
あなたのことを思うと涙が出るわ、あなたのことが心配なの、
だって私は、あなただけを愛しているのよ。

伯爵夫人、彼女を立たせながら
                さあさあ、悲しみはもうたくさん、
立ってちょうだい!


六場

同前、ジャック・ド・ヴァルドローズ
慌しく入って来て、伯爵夫人とシュザンヌ・デグロンを見とめて突然立ち止まる。

ジャック・ド・ヴァルドローズ、引き下がりながら
      失礼いたしました。

伯爵夫人
(近づくように合図する。)
           どうぞお入りになって。私、思うのだけれど、
あなたは私の美しい従妹を、怖がってはいないようね。
私といえば、心が辛い思いで一杯な時には、
若い人たちがおしゃべりするのを、傍で聞いていたいの。
二人でお話しなさい。――もし私の陰鬱な雰囲気が邪魔するようなら、
私を見ないでくださいね、私は歩きながら、聞いていますから。

シュザンヌ・デグロン、嘆願して
おお! ここにいてください!

伯爵夫人
(離れる。)
          あなたたちのうっとりするような夢を届けてね。
私の年になれば、苦痛は声を上げないもの、でも
あなたたちの年頃では、口にせずにはいられないような興奮があるわ。
私の思いに、あなたたちの笑い声を振り撒いてちょうだい。
そうして、悲嘆に沈む私の心にまで
あなたたちの思い通りに、陽気な光が降りてくるのを感じさせて。
彼女は窓のところへ行き、若者たちと窓の外とを交互に見やる。

ジャック・ド・ヴァルドローズ、シュザンヌ・デグロンに向かって
天が私を助けてくれますように。あなたに神の祝福のありますように。
お嬢様。今日、神は恵み深く、
私は今宵、跪いて感謝を捧げたい
あなたのお傍に留まることを、お許しくださったことを。
それが私に望みうる最大の幸福なのですから。

シュザンヌ・デグロン
あなたのお言葉をお聞きするような気分ではないのです。
愛らしく、陽気なお言葉をどうか胸に留めくださいまし。
胸は苦しく、目には涙があるのですから。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
ああ! あなたが私よりも悲しいなどということはありません。
けれども、不幸の傍にあっても、慈悲深い天は慰めを
与えてくださる。私の悲しみも、
ただあなたのお傍に近づくだけで、慰められるのです。

シュザンヌ・デグロン
私のは、お世辞によって軽くなるようなものではありません。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
あなたの傍では、不幸も雪のように溶けてしまいます、
何故なら、女性の明るい瞳は、心の太陽だからです。

シュザンヌ・デグロン
今のこの時に、あなたの居場所は別にあるはずですわ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
私にはたった一つの場所しか分かりません、それは唯一心地良い場所。
女性が私たちに許してくれる、彼女の傍という場所です。

シュザンヌ・デグロン
私は他の場所を知っていますし、それはここではありませんわ。
女の友情など、気高く、強い心にとっては
フランスへの愛に比べて、小さな心配事でしかありません。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
祖国への愛がにがい苦しみであるという時、
剣がその愛を荒らし、炎が照らし出す時に、
そしてそれを思って泣くより他に術のない時、
女性の友情は、つかの間、我々を慰めてくれるのです。

シュザンヌ・デグロン
そこに憩うような男性は、卑しく軟弱な魂の持ち主で、
快楽が義務よりずっと高くつくことを知らされるでしょう。








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