モーパッサン
『リュヌ伯爵夫人の裏切り』

La Trahison de la Comtesse de Rhune, 1877


第二幕


(*翻訳者 足立 和彦)




第二幕

一場

伯爵夫人、ジャック・ド・ヴァルドローズ
リュヌ伯爵の城の一室、夫人の礼拝室として使われている。左手に礼拝堂。両側に扉。奥に窓。
 肘掛け椅子に座った伯爵夫人の膝元にヴァルドローズ。愛を込めて夫人を見つめながら、その手を両手に握っている。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
おお! 一生このままじっとしていたいと思います。
あなたが愛してくださる! それが本当だなんて! 気高い女主人、
力強く高貴で、その目は厳しく、恐ろしげ。
遠くの星を眺めるように、
私が清純な美しさをじっと見つめていた、そのあなたが。
高潔なお言葉を恐れていた、そのあなたがです。

伯爵夫人
今は、愛がどんなものかお分かりになって?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
それを知ることなど出来ません。日々、それを学ぶのですから。

伯爵夫人
どのようにお学びになって?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
             絶えずあなたを見つめることで。

伯爵夫人
それで十分なのかしら?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
         私のような卑しい者には、それでも十分過ぎます。

伯爵夫人
愛には貴賎など関係ありませんわ。
愛しあうとは、対等になること。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
               あなたを愛しています。

伯爵夫人
                          子どもらしい
純情さね。言葉だけでは何にもならないわ。愛とは広大なものです。
それは一体どんなものかしら?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
           これから広がっていく、期待に満ちた空です。
あまりにも完全な幸福ゆえに、理解することも出来ません。

伯爵夫人
いいえ、そんなものではないわ。言ってごらんなさい?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
                         欲求です。
私の手に触れる、あなたの御手をこの手に握りたいという、
あなたの口から漏れる純粋な空気を呼吸したいという、
あなたが通り過ぎる時に、あなたの服の衣ずれの音を聞きたいという、
突然に、あなたの視線が私を愛撫してくださるのを感じたいという、
曙の熱気と光でもってこの身を包み、
素晴らしく、甘美で、私の知らないものに満ちた暗闇、
理解したいと思いながら、少しばかり恐れてもいるものです。

伯爵夫人
いいえ。全くそのようなものではないの。どんなものなの?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
                           火です。
この胸を鍛冶場の炎にと変えてしまう。
口づけの噴火が喉元にまで迫り上げ、
噴き出そうとしています。

伯爵夫人
            いいえ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
                幸福に満ちた魂です。

伯爵夫人
                          いいえ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
地平線のように目の前に開ける無限です。

伯爵夫人
いいえ。それは崇高な献身であり、苦しみなのです。
希望が潰える人生の瞬間なの。
愛している。――たくさんですわ。――愛するとは、自己を完全に
投げ出すこと。完全なる犠牲、自らの体を、
全身の血を、心を、存在そのものを、
夢の全部を、体に染み透る欲望の全てを、
人間としての名誉を、自分より気高い相手にを与えること。
受け取る以上に与えたいという
相手のために生き、そして死にたいという欲求なのよ。
それが理解できて? 愛する者のために死ぬのよ!

ジャック・ド・ヴァルドローズ
私に見え、感じられ、そして理解できることといえば、
このことだけです。「私はあなたを愛しています」おお、奥様、私は
あなたのお声に飢え、あなたの視線に渇いています。熱愛しています、
あなたの存在全体を。――愛しています――私は無視し、
軽蔑し、憎みます、あなた以外の全てを。
そうです、あなたの膝元で、愛のために死んでしまいたい。

伯爵夫人、我慢できずに
おお! 愛というものをなんて分かっていないのかしら、内気な坊や!
お前は愛を語りながら、目に涙を浮かべ
鳥のように囁いてみせる。そんなものは、私の抱いている
恐ろしいほどの気持ちの高ぶりに比べて何になるでしょう。
幾夜もの間、身が捻られるように、
体がうめき声をあげ、興奮が喉元を締め付け、
胸の内では、弔鐘のように、消え去ることのない過去への
嫌悪が鳴り響くのを、感じたのではなかったの?
欲望に飢える引き裂かれた心の中で、
思ってみたことはないの? 私は別の男の
妻であったということを、その男が私を愛し、彼は私に親しい人で
私の体から彼の唇を引き離すことなどできないということを。
魂も肉体と同じように愛撫によって色あせ、
二度目の愛情には無垢のままではないということを?
嫉妬している?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
       誰に嫉妬するんです?

伯爵夫人
                 私の過去に。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
いいえ。私はあなたを愛しているから。

伯爵夫人
                  あの男が、私の唇の上に、
そして私の心に跡を残していることを考えなさい。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
黙ってください。一言一言の言葉に、残忍な熱に
焼かれる思いです。もう何も知りたくありません。

伯爵夫人
                      あなたは私の貞節が、
か弱く不安気な坊や、脆いものだとでも思っているの、
男の最初の激情に、私があっさりと身を任せるほどに、
角笛の音を聞くだけで、さっさと扉を開く街のように?
中心にまで入り込むためには、征服者にならなければ駄目、
私の心の中に入るには、苦しまなければいけないの。
城砦よりも、私の心を占拠することを、よく知らなければいけない。
襲撃は危険よ。だって私を手に入れるより前に、
私はお前に、涙と血を流させるのだから。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
けれども、そんな試練を受けさせるような、
急な危険などどこにもありません。

伯爵夫人
でも、もし国王フィリップが、私が寡婦なのを知ったら、
私は胸にフランスの三つの城を抱いているのですもの、
その時には、誰か有力な領主を送って、
嫉妬に苦しむ王の意志を遂げさせるでしょう。
ねえ可愛い坊や、私は結婚しなければいけないわ。
その時、あなたはどうする気なの?

ジャック・ド・ヴァルドローズ、荒々しく
                その男を殺します。

伯爵夫人、急に喜びの声をあげながら額にキスして
                         愛しているわ。
彼女は急ぎ足に左手の扉へ逃げる。


二場

ジャック・ド・ヴァルドローズ、独白
おお! あの言葉によって、なんという一撃を受けたことか。無限の
愛情の洗礼。今日という日の曙。
お前の勝利を十分に味わい尽くすぞ、愛よ!
彼女の掌への口づけから、唇への接吻、
彼女の口からの「いいわ」という返事、寝室までの歩み。
我が額の上に、一体、どんな精霊が立ち止まり、
我が身に至福の雨を降らせたのか!
女性! 女性!――おお! この親しき未知なるもの。
待ち焦がれ、夜にはその裸の姿が通り過ぎるのを
目にし、絶えず追いかけながら、捕まえることのできぬ者。
嗚咽に身を震わせる。
なんと、欲望に涙を流すことがあるなど思いもしなかった……。
彼女が俺を愛している! 俺は生きて、彼女が愛すると知っている!
本当に俺なのだろうか? だが――本当に俺だろうか? あいつらが
子ども扱いするのと同じ俺。――愛はなんと俺を大きくしてくれたか!
彼女が俺に言った言葉をあいつらが聞いたら?
もしあいつらが知ったら――ケルサック、ケルルヴァンやルルニーが?
だがそんなことはない。――信じられないようなことだからな。
だがそれでも彼らが知ったら、どれほど俺を羨むだろう!
こんな秘密を隠しているのは難しいことだ。


三場

ジャック・ド・ヴァルドローズ、シュザンヌ・デグロン

シュザンヌ・デグロン、右手から入って来て、彼を見とめる。
ああ! あなたなのね! 泣いていらっしゃる? どんな苦い苦しみが
あなたの心を満たしているの?

ジャック・ド・ヴァルドローズ、とても興奮して
              私は希望に泣いているのです。

シュザンヌ・デグロン
何に対しての希望?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
         待ち焦がれた幸福への。

シュザンヌ・デグロン
あなた、人はしばしば誤った希望を抱くものよ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
いいや、私には分かっています。

シュザンヌ・デグロン
              幸福はいつでも逃げ去ってゆくものよ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
逃げる、それが何だろう、逃げるなんて。僕には彼女の約束と、
告白と、愛がある。

シュザンヌ・デグロン
         何のことを言っているの?
(彼女は威厳を保っている。)

ジャック・ド・ヴァルドローズ、静まって
僕の偽りの希望と、馬鹿げた夢について。
だって僕は絶えず夢見ていて、信じているのだ
幸福の日々に夢見たことが、本当に起こることを。

シュザンヌ・デグロン、悲しげに
目覚めてみれば、大抵の場合、夢は嘘つきだったわ。
消え去った後は、辛いものよ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
              僕は恐れない。
僕が捕まえた希望は、
飛び立ったりしない、僕の心の中で、どんなに翼を
羽ばたかせ、森の中の鳥のように歌っていても。

シュザンヌ・デグロン
ああ! その甘い声を私はとてもよく知っているわ。
でも後になって、後になって、何も鳴かなくなったら悲しいのよ!

ジャック・ド・ヴァルドローズ
僕を怖がらせようとしているんですね。なんてあなたは意地悪なんだ!

シュザンヌ・デグロン、活気づいて
意地悪、いいえ、あなた、そうは思っていないでしょう!
私は……あなたはそんなにも盲目になって
何も見抜けず、何も理解できないのね、
愛の罠を仕掛けるのなんて簡単だということが?
もう何も言えないわ……でも……言いたいのよ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ、驚いて
一体、何を言っているのです?

シュザンヌ・デグロン
              私は秘密について話しているの。
私たちの年頃では、近づくこともないような。
でも私は最も若く、最も賢明なの。
心を固く閉ざしているけれど、目は閉じてはいない。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
でも僕は目を開けている。

シュザンヌ・デグロン
            いいえ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
               どうして?

シュザンヌ・デグロン
                    あなたは愛しているから。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
どうして知っているのです?

シュザンヌ・デグロン
             そんなこと……私は見抜いたのよ。
お聞きなさい。人が企む策略をよく知っているのよ。
誰かがきっとあなたから誓いを得て、
私たちや国王様に反対するようにしむけるのでしょう。
愛情は心を乱しやすいもの。
それが卑しいものとなった時には、人はそれを退けるのよ。
誘惑に魂を譲り渡すようなことをしてはいけないわ、
わずかの愛のために、大きな名誉を売ってはいけません。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
僕は……。
シュザンヌ・デグロン
    忘れてはいけないわ。決して裏切り者とならないことを、
誰であろうとも、主人に忠実に仕えることを、
全ての女性を恐れ、夢に見たりしないことを、
だってその目は澄んでいても、心には嘘があるのだから。
どんな卑劣な行いにも近づかないことを、
名前と同じように、精神も高貴であることを。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
                     どんな愛も
そんな風に我を忘れさせたりはしないでしょう。

シュザンヌ・デグロン
それを約束してくださる?

ジャック・ド・ヴァルドローズ
            約束します。

シュザンヌ・デグロン
                  ありがとう。
さあ、戦場から来た者に会いに行って。
あなたの心臓は、愛ではなく、憎しみのために脈打つでしょう。
その憎しみこそが、あなた、務めなのですわ。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
一体、何があると?

シュザンヌ・デグロン
         行って。

ジャック・ド・ヴァルドローズ、陽気に去りながら
             お嬢様、さようなら。


四場

シュザンヌ・デグロン、独白
部屋の中央に留まり、泣く。
流れなさい、涙よ。……お前たちが枯れる前に、
髪は白くなり、唇はしなびることでしょう。
大きなキリスト像の前に跪き、嗚咽しながら頭を手で抱える。
本当に、神様、彼でなければいけなかったのでしょうか!
まだ泣きつづける。
一目見るや否や、幸福は去ってしまう!
それへの期待は、なんと高くつくことでしょう!
キリストの方へ頭を上げ、
慈悲はどこにもないのですわね
盲目の不幸が、誰かを打ちひしぐ時には?
おお! お前は誰にも平等に分け与えてはくれない、
運命よ、打ちつけるその腕は不公平だわ。
よろめきながら立ち上がって、
私はなんて弱いのでしょう、全てが私から逃げていく!


五場

伯爵夫人、ピエール・ド・ケルサック

ピエール・ド・ケルサック、伯爵夫人に
奥様、イギリス人どもが城を取り囲んでいます。
すぐにも襲撃して来ることでしょう。

伯爵夫人
務めを果たしなさい。あなた。

ピエール・ド・ケルサック
              いつもそのようにする
習慣であります。

伯爵夫人
        戦いは厳しいものになるでしょう、
あなたたちは数が少ないのですもの、とても心配ですわ。

ピエール・ド・ケルサック
                          我々は、
奥様、十分の数です、生きている敵の数を数える
ような者たちではありません。戦いでは、
自分が倒した頭の数だけを数えるものです。


六場

同前、イヴ・ド・ボワロゼ、肩に大樽を担いで

イヴ・ド・ボワロゼ、喘ぎながら
来たぞ。

ピエール・ド・ケルサック
    それは何だ?

イヴ・ド・ボワロゼ
          これか、これはジンさ。

ピエール・ド・ケルサック
どこへ持って行く?

イヴ・ド・ボワロゼ
          おお! まずは俺の唇に、
それからイギリス人どもを酔っ払わしてやるのさ!

ピエール・ド・ケルサック
どうかしてるんじゃないか?

イヴ・ド・ボワロゼ
             全然。あいつらの腹に、とっても熱くて
とっても神聖な飲み物を準備してやるのさ。
それというのも、壁に梯子をかけてきたら、
俺は、てっぺんまで登らせておいてやるんだ。
それから、最初の奴が顔を出すや、突然、
栓を抜いて、奴らの頭の上に、
ジンの川を注いでやるのさ。
喜びに掌を擦り合わせながら、
             おお! 悪くないぜ、
分かるかい、揃って服の中までびっしょり、
あの汚ねえ群の上から下まで濡らしてやる。
それから、濡れた鼻と一緒に、口を開けて、
あいつらは壷のように、空っぽの樽の下で口を開けるさ、
底の方にまだ少しでも残ってないかと期待してな、
熟した麦畑のように、俺が火をつけてやると、
燃える滝が流れてゆくのが見えるってことよ。
そこで俺は、ジンの煙を嗅いで楽しみ、
イギリス人のローストが出来上がるのさ。

ピエール・ド・ケルサック、笑いながら
ああ……見てみたいな!

イヴ・ド・ボワロゼ
           行こうぜ――知らせといてやるけど、
よく弁えた者同士、まずは一杯きこしめすのさ、
ろくでなしどもの健康を願ってな。

ピエール・ド・ケルサック
                いや、……奴らの記憶に乾杯だ。


七場

伯爵夫人、シュザンヌ・デグロン

伯爵夫人、喜びに溢れて
見えたわ! 部屋から彼の姿が! 彼はあそこにいるわ。
空間を越えて、私の愛が彼を呼んだのよ。
私の体からの呼び声が、手紙を持った使いより早く、
彼をここへ来させるのよ。呪われるがいい、
私たちをまだ隔てる、幾重もの壁の厚さよ。
お前たちは崩れ去るわ、城壁ども、それほどに彼は強いの。
奴隷の頭のように、お前たちを服従させるでしょう、
卑しいブルターニュ人、そして恐怖に震えさせる、それほど彼は勇敢。
三度、トランペットが鳴り、叫ぶ伝令の声。
「聞け、モンフォール伯爵、ジャンの名において、
この頑丈な城を守る首領と兵士、皆の者よ、
我こそは、ゴーチエ・ロマ卿、千の騎士を従え、
彼らの馬には射手が乗っている。
聖マルタン・ド・トゥールのこの日に、お前たちに知らせる
館の鍵を俺に渡すように。
さもなければ、我が兵士たちによって占拠され、
すべからく、剣の刃を受けることとなろう」

伯爵夫人
私は、この額に彼の唇を感じるわ、
熱い鉄のように、私を焼いている。
新たにより近くからトランペットが三度答え、叫ぶ声。
「唯一のブルターニュ公、ジャン・ド・ブロワの名にかけて
お前たち、恥辱を連れた不忠なるイギリス人よ、
我の名は、ピエール・ド・ケルサック、この地において指揮を執っている、
お前たちに告ぐ、ここで神に祈るがよい
反逆と、卑劣なる罪ゆえに重たい
お前たちの魂を早く召し上げてくださるようにと」
遠くからイギリス人たちの怒りの声。声が途絶えた後、深い沈黙。

伯爵夫人
今から戦いが始まるわ、体が震える。
なんて静かなんでしょう! 世界中が死に絶えたかのようだわ。

シュザンヌ・デグロン
通り過ぎてゆく牛の群のような、この重たい音は何?

伯爵夫人
イギリス人たちだわ。

シュザンヌ・デグロン
            折れる枝のような音がする。
それから、空気を切り裂くような音。

伯爵夫人
鎖帷子に当って折れる矢よ。

シュザンヌ・デグロン
どれほどたくさんの男たちが死ぬのでしょう!

伯爵夫人、皮肉に
                そんなに優しい心を持っているの?
トランペットが鳴る。叫び声と大きな騒ぎ。

シュザンヌ・デグロン
ねえ。

伯爵夫人
   襲撃よ。――襲撃だわ。――間違いなく聞こえる。
おお! 私、怖いわ。彼のことが心配。争いの中では、
何が何に当るものか、まるで分からない。
飛びかってくる死は、離された犬のように、
最も臆病者の傍にいる、最も勇敢な者を捕まえることもある。

シュザンヌ・デグロン
こんな叫びを聞いていると気分が悪くなるわ。耳に聞こえるのは
戦士ではなく、傷ついた者のうめく声。

伯爵夫人、激しく起き上がって
行かなくちゃ。ねえ、彼の様子を確かめなくては。
人が止めようとする手でも、誰かを助けることが出来るでしょう。


八場

同前、兵士

兵士
奥様、イギリス人の捕虜が、お伝えしたい秘密が
あると言い張っております。

伯爵夫人
             わたくしに? その者に会います。
連れて来るように。
捕虜が二人の兵士に連れられて入る。
         お前は何を知っているの?

捕虜
                     あなた様にだけしか
お伝えできません。
伯爵夫人の合図で兵士達が下がる。
        私は何も知りません。――けれどもお読みください。
手紙を差し出す。

伯爵夫人
誰からなの?

捕虜、低い声で
      ゴーチエ・ロマです。

伯爵夫人、活き活きと。手紙を受け取る。
                結構です。行きなさい。
兵士たちに。
                           丁寧に
扱われるようにしなさい。それに値するのですから。


九場

伯爵夫人、シュザンヌ・デグロン

伯爵夫人、情熱的に手紙に口づける
この唇の触れるところに、彼の唇も触れたのだわ。
おお! あなたには分からないでしょうけど、彼が目にし、
彼が触れたものは、目にするだけでも心地よいのよ、
この手紙は、紙の皺の一本一本に、
彼の撫でるような口づけを秘めているのよ。
書かれた文字が、彼の思いを秘めているように。
手紙を開いて、読む。
「いとしい愛する人よ、日中の襲撃の後、
堀や塔を私がまだ越えられなければ、
真夜中、扉を低く開けてください。
私は一人です。一人で来てください。あなたに口づけたい
腕に、目に、唇に何よりも。
それから兵士たちに合流します。おお愛しい宝よ。
それというのも、城よりもあなたをこそ、私は奪いに来るのですから。
我が愛は待つことが出来ませんが、我が王はお待ちくださるでしょう」
もう一度手紙を抱き締めながら。
今晩、今晩だわ! 明日の曙よりも早く
彼の手を取る幸せを、
男と女の口づけから溢れ出る、
体と魂の痙攣するような震えを得られるのだわ。
窓から眺める。
おお! 眺めてもしかたない、空は黄金色、
その偉大さが増すばかり。なんて今日の日は長いのでしょう!
愛することはなんと素晴らしく、待つことはなんと辛いの!
無垢なる神よ、闇を降りさせたまえ!
でも私の内には、溢れるほどの希望がせり上がり、太陽が輝く
いつ夜がやって来るのかも分からないぐらいに。
兵士たちから破裂するような叫び声。凄まじい騒ぎ、人々がぶつかりあいながら駆けるのが聞こえる。トランペットが鳴る。

シュザンヌ・デグロン
すごく揺すぶられて、壁も震えているわ。

伯爵夫人、両手を胸に当て
彼は勝利者よ。

外の声
       モンフォール! ポンティエーヴルが助けに来たぞ!

シュザンヌ・デグロン、膝をついて倒れ
神様、私たちをお救いください。
怯えた兵士が入ってくる。

伯爵夫人
               一体、何なの?

兵士
                      加勢です。

伯爵夫人
誰になの? イギリス人になの?

兵士
               城砦の中に入って来ます。

伯爵夫人
彼は勝利者よ、勝利したのよ! 私を抱いて、ねえ。

シュザンヌ・デグロン、打ちひしがれて
イギリス人! 胸に重りがのしかかるようだわ。

伯爵夫人
ねえ。戦いが終ったのよ。

外の声
勝利だ!

伯爵夫人
    聞こえるわ。「勝利!」おお! 天よ祝福あれ。
せり上がって来る波のような、この大騒ぎが聞こえて?
彼は勝利したのよ。やって来るわ。おお、息が苦しい!


十場

伯爵夫人、リュヌ伯爵、ジャンヌ・ド・ブロワ

右手の扉が大きく開く。貴族に取り巻かれたジャンヌ・ド・ポンティエーヴルに手を貸したリュヌ伯爵に道を開く。

伯爵夫人、ひどい叫び声を上げながら後ずさりし
                          伯爵、
我が夫!……
それから、彼の手の中に身を投げ
      あなた、死んだと思っていたあなた!

リュヌ伯爵、額に口づけながら
愛しい妻よ、礼を言うよ。だがまず、
奥様を見なさい、そして私を連れてくださった
ブロワ伯爵夫人にして、ブルターニュ公夫人にご挨拶しなさい。

ジャンヌ・ド・ブロワ
その者があなたに部屋を求めています。とても必要としていますのよ、
私どもはナントから来たのです。ずいぶん遠かったこと。

伯爵夫人、低く身を屈め
公爵夫人様。

ジャンヌ・ド・ブロワ
      さあ、愛しい伯爵夫人、
お手を貸してちょうだい、そんなに礼儀に拘らないで、
少しばかり友だちとしてね。いかがかしら?

伯爵夫人
家臣は、奥様、あなたのお膝元に留まるべきです。

ジャンヌ・ド・ブロワ、彼女を抱きながら
いいえ。――心のすぐ傍に。
微笑を浮かべ、伯爵に向きながら。
             これで、リュヌ伯爵殿、
今晩はポンティエーヴルと彼女の運命を、あなたにお守り頂きますわ。
でもあなたのお宅にあっては、まだルーヴルで王の傍に
いた時よりも、静かにしていますわ。
それから、お蔭で新しい友だちを得ることができました、
この戦争がずっと遠くから連れてきてくれたのね。
リュヌ家からブロワ家まで、
槍の刃と柄のように、固く結ばれているのですわ。

伯爵
いいえ、奥様。剣が手に握られるように、でしょう。
腕が、あなたという訳です。

ジャンヌ・ド・ブロワ、伯爵夫人に
             大変心配だったのですよ。
イギリス人たちは、ここであなたを包囲していると聞きました。
私自身で、あなたのところへ来たかったのです。
公爵夫人は微笑しながら身を屈め、それから

伯爵夫人
                     ありがとうございます、
公爵夫人様。

ジャンヌ・ド・ブロワ
      心配なさらなかった、
こんな風にこの場に閉じ込められて
わずかの兵士、従者や小姓と一緒に?

伯爵夫人、曖昧な微笑を浮かべて
いいえ。イギリス人を相手に、少しも怖くありませんでしたわ、
奥様。

ジャンヌ・ド・ブロワ、微笑しながら
   それは大変結構ね。

伯爵夫人
            でも、どうかおっしゃってください、
どうしてそんなに早くここへ入ってこられたのです
敵が囲っているというのに?

ジャンヌ・ド・ブロワ
             とても簡単なことよ。やっつけたの。

伯爵夫人
戦いの中でも、あなたは少しも怖くはありませんでしたの?

ジャンヌ・ド・ブロワ
私どもは決して恐れませんのよ、奥様、何故って私どもは
こちらの貴族の方々の真ん中で、十分に守られているのですもの。
彼らを指し示しながら
サン・ヴナン殿、モンモランシー殿、
フランス元帥でいらっしゃる。クーシー殿は
一日に二十人もイギリス人を殺しました。シュリー卿。
彼が掻き立てる恐怖はとても大きいので
名前を聞くだけで敵は隠れてしまいますの。
ポンチユー伯爵、クラオン卿、
身分も高く、勇敢でいらっしゃる。それから、この鎧を着られたのは、
古い家柄の出の若い待臣、
ベルトラン・デュ・ゲクラン。彼を前にしては、
一日でも長く生きたいと思う者は皆逃げ出します。
先ほども、大変残酷なほどに敵を倒すので、
怒りに駆られた悪魔かと見まがうほどでした。
死者に溢れる平原の中で、
イギリス人の首領と一対一で戦いました。
それがあのロマとかいう男、綺麗な顔立ちをして、
刺繍した服の方が重たい甲冑よりも似合いそう。
そこで、ベルトラン殿は、腕で彼を捕まえ、
馬から引き離し、地面に投げつけたの。
もしイギリス人が大勢やって来なければ、
一撃で闇夜の国に送り出したでしょう。
ああ! ベルトラン殿、あなたについて皆が
話すでしょう。あなたの攻撃を受ける人が可愛そうですわ。

伯爵夫人、興奮して
その……ロマは……それでも死んではいませんの?

ジャンヌ・ド・ブロワ
                       まだですわ。
でも大して違いはありませんわ。明日になれば、夜明けから、
彼は私どもの友人、デュ・ゲクランと戦うことでしょう。
この者は、寛大というものをほとんど知らず、
パンもチーズも麦も食べないと誓いました
相手の喉に自分の剣を突き刺すまでは。

伯爵夫人、特別な調子で
ああ! そうなることでしょう。

ジャンヌ・ド・ブロワ
               確かに、そうなるでしょう。
伯爵夫人――高貴な方々皆の額が、
高貴な方の唇からの口づけを受けるのに相応しいのですから、
私たちで彼に与え……。
伯爵夫人は荒々しい動作をする。
              どうしたのです? 彼の残忍な様子が
恐ろしいとでも? 私は少しばかり黒い顔のほうが
鏡で自分の顔に見とれるような、白すぎる顔よりもいいと思いますわ。
一言で言えば、表よりも底のほうを、
それに顔の美しさよりも、心の美しさのほうが好ましいのです。
彼が優美さの点で、弱々しい青年に値しないとしても、
勇気の点では、少なくとも、奥様、百倍もの価値があります。
少なくとも、明日にはお分かりでしょう、闘技場において。
さあ今晩は、わたくし、女王のような食欲を感じますのよ。
一日中道を走りつづけ、
剣を手に、王国を支配した女王のね。
殿方も、お腹がおすき? さあ、ポンティエーヴルについて来なさい
心には希望、唇には喜びを伴って、
全て善良なる騎士には、満足する権利があります、
扉の外に敵が待っているのを知っている時には。
皆が退出、残ったヴァルドローズは舞台前に進み、最後まで残ったシュザンヌ・デグロンが立ち止まり、よそを向いたヴァルドローズを眺める。


十一場

ヴァルドローズ、シュザンヌ・デグロン

ジャック・ド・ヴァルドローズ
あれほどの希望の後に、残ったのがこれだ!
あまりにも短い希望の後には苦しみがあり、
夢に見た一切は、傷つき、そして消え去った。
おお! どうすれば? どうしたら?……罪を……準備は出来ている。
獣のような猛々しさ、ヘラクレスの力が俺にはある。
そう、準備はすっかり出来ている……尻込みするような奴は嫌いだ。
両腕で胸を抱きしめる。
今の俺のように苦しんだ者がかつてあっただろうか、
俺のように愛したことのある者が?

シュザンヌ・デグロン、動かずに
                そう、いつでも同じこと。
どんな穀物を粉にするのも、同じひき臼。
私たちの心は喜びを包んでおけるようには、
苦しみを抱えることは出来ないもの。

ジャック・ド・ヴァルドローズ、彼女のもとに走り寄り、彼女に逆らって、手を握り締めながら
おお、助けてください、哀れんでください!――不幸のための涙も
あなたの傍では、いくらか苦味をやわらげてくれます。
女性たちよ! あなた方は慰めてくれる。我々の心を支えてくれる
つかの間の幻です。――助けてください。――あなた方の手は
人間の受ける苦しみに対する、天使の愛撫ようなものです。
あなた方の視線は、眠らせるようで、揺すりもしないままに、
叫び立てる体を宥めてくれる。あなた方の言葉はとても優しく、
その上に横たわりたいと思うほど。おお! 恐ろしい一撃、
それというのも私は彼女を愛している、そう、まるで狂ったように。
この身を滅ぼしてもいいほど、誰かを殺しさえするほどに愛している、
もし、それが必要なのならば。

シュザンヌ・デグロン
(彼女はとても驚き、とても蒼ざめている。)
              お黙りなさい。

ジャック・ド・ヴァルドローズ
                   確かに、彼女を愛している、
誰も愛したことがないほどに。

シュザンヌ・デグロン、片手を彼の唇にあて、身を離し、逃げようとしながら
              いいから黙って!

ジャック・ド・ヴァルドローズ
                      この胸に感じるのは、
全ての希望が消え去った後の空白です。

シュザンヌ・デグロン、苦しみに喘ぎながら
私、私がちゃんと耳にしましたわ、だから黙って!

ジャック・ド・ヴァルドローズ
                     どうでもいいでしょう!
哀れんでください。僕はあまりに弱く、あなたはとても強い。

シュザンヌ・デグロン、我を忘れ、もがく一方で、ヴァルドローズは膝をつき、手を握っている。
彼には分かっていない!

ジャック・ド・ヴァルドローズ
           もしあなたが僕を捨てるなら、
僕はもう死ぬしかない。助けてください。さあ、
あなたの甘く優しい心に触れられた気がします。
おお! 慈悲を!

シュザンヌ・デグロン、絶望し、身を離しながら
        離して。もうあなたの言葉を聞いていられないの。
彼女は逃げ去る。跪き、泣き声をあげるヴァルドローズを残して。








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