エドモン・ド・ゴンクール
「ギィ・ド・モーパッサン」
Edmond de Goncourt, « Guy de Maupassant », le 8 mars 1893
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1893年3月6日、コメディー・フランセーズでモーパッサンの戯曲『家庭の平和』が上演されたのに合わせて、8日、日刊紙『エコー・ド・パリ』は、別冊付録でモーパッサンの特集を組み、多数の作家がモーパッサンについてコメントを寄せた。以下にエドモン・ド・ゴンクールの回答を訳出する。
エドモン・ド・ゴンクール (1822-1896) は作家。ナンシー出身。1848年に遺産を相続し、弟ジュール (1830-1870) と共に芸術家として生きることを決め、共同で執筆した『西暦**年』(1851)で文壇にデビュー。歴史書『革命下のフランス社会史』(1854)、『総裁政府下のフランス社会史』(1855)、『18世紀の内面的肖像』(1857-58)、『18世紀美術』(1859-75)、『18世紀の女性』(1862) を執筆した。
1865年、ゴンクール家に仕えた女中をモデルにした小説『ジェルミニー・ラセルトゥー』を出版。『マネット・サロモン』(1867) 等とともに、自然主義文学の端緒を開いたとされる。
ジュールの死後、エドモンは一人で執筆を続けた。『娼婦エリザ』(1877)、『ザンガノ兄弟』(1879)、『フォスタン』(1882)、『愛しい人』(1884)。日本美術に傾倒し、『歌麿』(1891)、『北斎』(1896) 等の著作がある。長く続けた『日記』(1887-96に出版) でも名を残している(完全版は1935-36年に公開)。遺言により死後「アカデミー・ゴンクール」が創設される。
モーパッサンはフロベールとの繋がりから、1875年頃にゴンクールを知った。『19世紀のある芸術家の住まい』(1881) についての紹介記事「芸術家の住まい」 (1881) がある。しかしながら、1888年「小説論」の中ではゴンクール流の「芸術的文体」を批判。ゴンクールの側でも日記に度々モーパッサンを批判する言葉を残している。
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ギィ・ド・モーパッサン
ギィ・ド・モーパッサン
私にとって、モーパッサンの主要な特質は、女性についての誠実な真の「愛好家」であったということであり、だからこそ、実際的知見と、同僚の誰も持ち得ぬ権威とをもって、恋愛を扱ったということにある。――エドモン・ド・ゴンクール
エドモン・ド・ゴンクール「ギィ・ド・モーパッサン」、『エコー・ド・パリ』、1893年3月8日 付録モーパッサン特集
Edmond de Goncourt, « Guy de Maupassant », L'Écho de Paris, supplément « Guy de Maupassant », 8 mars 1893.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
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Edmond de Goncourt, « Guy de Maupassant », L'Écho de Paris, supplément « Guy de Maupassant », 8 mars 1893.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
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