モーパッサン
『一年前の思い出』

Souvenirs d'un an, le 23 août 1880



(*翻訳者 足立 和彦
  著作権は執筆者に帰属します。無断転載を禁じます。)

アルフォンス・ドーデ 解説 1880年8月23日、日刊紙『ゴーロワ』 Le Gaulois に掲載された、一種の回想録。副題に「ギュスターヴ・フロベールの家でのある日の午後」とある。
 フロベールはクロワッセで執筆に勤しむ一方、しばしばパリに出て来たが、その際には毎日曜日に友人達をサロンに招くことにしていた。トゥルゲーネフ、ドーデ(右画像)、ゾラをはじめ、多くの人物がフロベールのサロンに顔を出す。モーパッサンの文章はそうしたある一日の様子を語ったもので、短い行数の中に、簡潔かつ鮮やかに各人物の肖像画を描くことに腕を見せていると言えよう。
 後に「小説論」に語られるように、モーパッサンは毎週のように、自分の習作を師フロベールに見てもらい、日曜の昼食をともにしながら、師の批評を聞くということを続けていた。そして午後になってフロベールの友人達がやって来ると、モーパッサンはおとなしく皆の話に耳を傾けていることが多かったという。その時、彼がしっかりと目を開いて先輩作家達の言動を観察していたということが、この文章から窺えるだろう。文中にこそ姿を現さないけれど、モーパッサンは確かにここに存在し、全てを見て、聞いていたのである。
 現在形で淡々と綴られてゆく叙述は、最後に至って半過去の記述に移り、今目の前にあるかのように語られていた情景が、既に失われた過去であることを印象づけて幕を閉じる(フロベールはこの年の5月8日に亡くなった)。二度と戻らない幸福な一日の回想を通して、モーパッサンの、褪せることないフロベールへの憧憬の思いが、感じ取られるのではないだろうか。
 あまり知られていない人物に限り、簡単な注釈を付した。

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ギュスターヴ・フロベールの家でのある日の午後

 それは1879年の七月、ある日曜日の午後一時頃、フォーブール=サン=トノレ通りの、あるアパルルトマンの五階の一室でのこと。
 暖炉の上には黄金の仏像が、永劫に神々しく不動のまま、その細長い目で眺めている。壁には何もなく、ただ、ラファエルの聖処女像の大変美しい写真と、白大理石の女性の胸像とがあるだけだ。枝葉模様と花の刺繍のある布地のカーテン越しに、夏の日の激しい太陽が、赤い絨毯の上に和らげられた重々しい光を届けている。一人の男性が丸いテーブルの上でものを書いている。
 背の高い樫で出来た肘掛椅子に、彼は埋まるように腰を下ろしており、頭は力強い肩の間に引っ込んでいる。そして黒い絹地の小さな縁なし帽は、聖職者の被るのに似ていて、頭頂を覆いながらも灰色の長い髪を覗かせており、髪は先の方で輪を作り、背中の上に広がっている。褐色のラシャ地の幅広い部屋着が全身を覆っているように見え、先の垂れた白い口髭が力強く横切っている顔が、紙の上にかしいでいる。その紙を凝視し、絶えず視線を巡らせている瞳は、鋭く、大変小さいが、いつも動いている黒点によって大きな青い両目を刺し、目は長く暗い睫毛の影になっている。
 彼は残忍なほどの執拗さで仕事をし、書いては消し、やり直し、行を加え、余白を埋め、横向きに文字を綴り、頭が疲れてくると、製材工のようにうめき声を上げる。
 時々、注意深く削られた鵞鳥の羽根ペンで一杯の東洋の銅製の大皿に、手にしていたペンを投げ出すと、彼は紙片を取り上げて目の高さへと持ち上げる。そして、肘をついたまま、よく響く大声で朗読を始める。彼は自分の散文のリズムを聴き、逃げ去る響きを捕まえるためのように止まると、調子を組み合わせ、半諧音を遠ざけ、知識に基づいてコンマを配置するが、それは長い途上の休止のようなものだ。それというのも、彼の思考の停止は、文章の部分部分と一致しながら、同時に、息継ぎに必要な休止でなければならないからだ。無数の注意に彼は悩まされている。彼は四頁の内容を十行に凝縮する。そして頬を膨らませ、額を赤くして、争いの最中の戦士のように筋肉を強張らせ、彼は絶望的なまでに思考と格闘し、それを捕え、締め付け、屈伏させ、超人間的な努力によって少しずつ、捕えた獣のごとくに、堅固で正確なフォルムの内に閉じ込めるのである。どんな伝説的な怪力の持主によっても、これ以上に巨大な仕事はかつて成し遂げられたことはなく、どんな英雄的な仕事人によっても、これ以上に不朽の作品が残されたことはない。それというのも、その作品とは、彼のものである作品の名とは、『マダム・ボヴァリー』、『サランボー』、『感情教育』、『聖アントワーヌの誘惑』、『三つの物語』、そして数か月の内にお目にかかるであろう『ブヴァールとペキュシェ』だからである。

***

 さて、玄関で呼び鈴が鳴った。彼は立ち上がって深いため息を一つ吐くと、テーブルに覆いをかける。そこには、文字で黒くなった二十枚の紙片の中に彼の思想が散らばっているのであるが、その上にテーブルクロスのように、深紅色の絹の軽い布を広げると、それは一度に彼の仕事道具全部を包みこむ。司祭にとっての祭具のように、彼にとっては神聖なものを。
 それから彼は控えの間へと赴く。
 立ったままの彼は巨人であり、画家達によって採用されたタイプに従うなら、老年のガリア人といった様相を呈している。首元から足先に向って、袖の広い大きな褐色の衣服がまっすぐに落ちている。彼が特別にあしらえた形なのだ。そして、同じ布地の半ズボンは、ベルトのところで赤い房のついた腰紐で締められていて、彼はそれをしばしば結び直す。その半ズボンの足の部分だけでも、普通の体格の男性のフロックコートを一着切り取ることができるだろう。
 扉を開けるやすぐに彼は喜びの声を発し、巨大な鳥が翼を広げるように腕を上げ、もう一人の巨人を抱擁する。相手は白い顎鬚の中でほほ笑んでいる。彼の頭はより優しげで雪のように白く、教会を飾る教父達のようだ。彼はさらに背が高く、その声は弱々しい鐘の音のように、愛撫するようで、ほとんど内気な様子、しばしば言葉を探してためらうのだが、続いて出てくる言葉は驚くほどに正確なものだ。彼はロシア人で、同じように有名で、讃嘆すべき力強い小説家、現代の大家の一人、すなわちイヴァン・トゥルゲーネフである。
 この二人の男性は互いに兄弟のような愛情で愛し合っており、才能ある者の共感から、お互いの普遍的な知のために、共有する精神的習慣、全く同じ称賛の念のために、そして恐らくは一種の身体的な調和の故にも互いを愛し合っている。それというのも、二人ともとても背が高いのである。
 一方が肘掛椅子に腰を下ろし、他方が赤革を張ったソファーに身を伸ばすと、二人は文学について話し始める。そして、人間が言葉を定めることができて以来の人類の頭脳の歴史というものが、少しずつ二人の間を流れ始める。彼等の会話においては、一つの語が一つの事柄を喚起し、事柄は思想を、思想は法則を呼び招き、絶えず(精神の能力の証である)ある逸話から一般的な概念へと到達するのである。そして、五分と経たない内に、最も他愛ないニュースが、演繹の連鎖を経ることで、何らかの深刻な問題を提起することになる。次いで二人は芸術と哲学、科学と歴史について語り、それぞれの驚くべき読書量が過去についての全体的な視野を与えてくれるので、二人は現在時を、過ぎ去った時代との比較対象としてしか捉えてはいない。そして山頂が雪に覆われているように、二人はいつでも思想に覆われたままなのである。

***

 さて、呼び鈴がもう一度響き、ジプシーのように小柄で色の黒い青年がやって来ると、この二人の巨人の間に腰を下ろす。可愛らしい頭は大変に繊細で、黒髪の波に覆われている。髪は肩の上に落ち、カールした顎鬚とも混ざり、彼はしばしばその鬚の尖った先を丸めている。目は切れ長だが細く、インクのように黒い瞳を行き来させ、極端に近視のために、視線は時折ぼんやりとしている。声は少しばかり歌うようだ。生き生きとした身振り、機敏な様子、すべて南仏の生まれの印である。彼は日光のように入って来て、その早口の言葉の下から笑いが弾ける。
 からかい好きで辛辣、数語で大変おかしな人物の姿を描き出し、あらゆるものに対し、魅惑的な、南仏風でまた個性的な皮肉を振り撒く、アルフォンス・ドーデは、パリの香りのようなものを運んで来る。それは生き生きとして、享楽的、活動的でエレガントなパリ、まさしく今のパリであって、それをこの二人の偉人へと届けるのであり、二人はと言えば、彼の雄弁な言葉の魅力、その姿と身振りの掻き立てる誘惑、一巻の短編小説のようにいつでも組み立てられた彼の物語の技法を、受け取るのである。
 さて、今度はゾラが、五階まで上るのに息を切らしつつ、ポール・アレクシを連れて現れたところだ。彼がこの部屋の主人に掻き立てる情愛の念は、その歓迎ぶりに見てとれる。それは力強い小説家に対しての尊敬ばかりではなく、心からの情熱、誠実で廉直な男への溌剌とした友情の念であり、それが、「よく来たねえ、君!」という言葉と、大きく広げられた腕の内に現れている。
 ずっと息を切らしたまま、彼は肘掛椅子へと倒れ込む。そして観察家たる彼の視線は、他の者達の顔の上に、思想のありようや会話の調子を追い求める。少しばかり脇に寄って座り、足を下に敷いて踝に手をやりながら、あまり話さずに、彼は注意深く聞いている。時折、文学的熱狂、芸術家的な陶酔が話し手達を駆り立て、1830年の男達に親しかった、あの極端で、魅力的で、逆説に富んだ理論へと彼等を押しやった時には、彼は不安そうに足を動かし、時折「しかし…」の一語を挟むけれど、それはフロベールの哄笑にかき消されてしまう。それから、これら友人達の抒情的な興奮が幾らか静まると、彼は穏やかに議論を再開し、そして静かに、処女林を切り開くのに斧を振うように自らの理性を用いて、簡潔に論を進めてゆく。「包装」を用いず、ほとんどいつでも賢明で正確な方法によって。
 他の者達がやって来る。エドモン・ド・ゴンクールは、脱色したような灰色がかった長髪で、幾らかより白い口髭、独特の目は大きな瞳に占領されている。情熱的に研究した18世紀の刻印を受けた気高さで、頭から足先まで繊細さに富み、自分の文体さながらに神経質、とても高貴な様子をしているので、召使なら本能的に彼に言うに違いない、「公爵様」と。しかしながら素朴で、簡素な着こなしのまま彼は入って来る。手には特別な煙草を一箱、いつでもそれを肌身離さずにいて、友人達にはもう一方の自由な手を差し出す。彼は遠くに住んでいるので、遅くにやって来る。そして彼の後からしばしば現れるのは、フィリップ・ビュルティー(1)、ゴンクール同様の収集家で、フランス最初の「ジャポニスト」、あらゆる芸術に知悉した大家であり、突き出たお腹の上に、愛らしくもずる賢そうな頭を乗せている。
 笑い声が控えの間に響いた。若々しい声が大声で話している。それを認めると、皆が笑みを浮かべるのである。扉が開き、彼が現われる。長い黒髪に混じった白髪がなければ、彼は青年と思われるだろう。細身の可愛らしい男で、幾らか尖った顎が、濃いけれども丹念に剃られた鬚の跡で青みがかっている。大変にエレガントで、「親しみがもてる」という語のために作られたよう、もっともその語が彼のために発明されたのでなければだが、その出版人シャルパンティエ(2)が前に進み出る。彼の登場はいつでもセンセーションを巻き起こす。皆が彼に話す用件を持っており、皆が彼に推薦すべきものを持っており、皆が彼の書店から本を出版しているからだ。彼は始終ほほ笑み、陽気な懐疑論者で、聞いている振りをして何でも約束し、一巻の本を引き受けながら実際には出版することなく、人の言葉に従いながら…客間の反対側まで行く。それから腰を下ろすと葉巻を吸い始め、やがてすっかりその虜になってしまう。けれども扉が新たに開くと、目を覚ましたかのように震えるのである。やって来たのはベルジェラ(3)、彼の「共犯者」、『ラ・ヴィ・モデルヌ(現代生活)』誌の主任編集者であるベルジェラ自身、偉大なるテオの婿である(訳注:テオフィール・ゴーチエ)。さて、彼のすぐ後ろには、義理の兄でもある、細見でブロンド、キリストのような相貌の、魅惑的な詩人カチュール・マンデス(4)であり、いつでも魅力的にほほ笑みを浮かべ、フロベールの両手を握る。それから彼は片隅へ行って、ある者と、また別のものとおしゃべりをする。もう片方の隅では、ある者と、また別の者と、義理の弟のベルジェラがおしゃべりをしている。
 アカデミー会員のテーヌ(5)、髪は頭にぴったり張り付いて、ためらいがちな様子で、視線は眼鏡の奥に隠れているが、それは、「内面で観察する」こと、物語を読み取ること、人間性そのものの内よりもむしろ書物の内で分析することに慣れた者の仕方であって、彼は掘り出された古文書、「未刊の書類」の匂いを運んで来る。それは「フランス社会」についての貴重な研究を補うために調べ上げたばかりのものなのだ。そして彼は未知の逸話を繰り広げ、微細な事実を語るのだが、そこでは革命時の全ての人間達、ある者によれば偉大で崇高、別の者によれば醜くいが、いずれにせよ常に偉大な者として見るのに我々が慣らされている者達が、あらゆる弱味、精神の狭隘さ、不十分な視野、けち臭く卑しい悪癖を持った者として現れてくるのである。そして彼は、広大な事件を無数の些細な細部によって再構成する。あたかも、モザイクによって組み立てられた装飾が大きな効果を生むように。
 次にはフロベールの古い仲間、フレデリック・ボードリー(6)だが、学士院会員、マザラン図書館の館長であり、異国の言語や比較文法で一杯で、博識に膨れ上がり、歴史上の人物についてのように言葉について語り、いつでも才気煥発である。
 次には親しい友人、ジョルジュ・プーシェ(7)、博物館の学識豊かな博士であるが、通りではむしろ、制服を着ていない騎兵士官と取り違えられよう。
 それから、みんな一緒になってやって来るのは、フロベールが若い友人達と呼び、恐らくは一番に彼を愛している者達であり、公衆はいつでも繊細なので、一纏めに「ナチュラリスト」の名札のもとに彼等を分類している。すなわち、セアール、ユイスマンス、レオン・エニックだ。それから、また別の小説家達で、マリウス・ルー(8)、ギュスターヴ・トゥードゥーズ(9)達である。
 小さな客間は溢れてしまう。幾つかのグループは食堂へと場所を移す。
 そしてとりわけこの瞬間にこそ、ギュスターヴ・フロベールを眺める必要があった。
 大きな身振りで、彼は飛び立つかのように見えるのだが、一人から別の一人へと一歩で部屋を横切り、長い部屋着は彼の後ろで荒々しい情熱に膨れ、さながら釣り船の褐色の帆のようで、興奮と憤慨と激しい炎と響き渡る饒舌に満ち溢れ、彼はその熱狂によって楽しませ、善良さによって魅了し、しばしば驚異的な博識ぶりで驚かせた。それには信じられないような記憶力が役立っている。そして明晰かつ深奥な一語でもって議論を終わらせ、思考の一飛びで数世紀を経巡っては、同類の二つの事柄、同種族の二人の人間、同じ性質の二つの教訓を結びつけ、そこから同種の二つの石をぶつけ合った時のように、光を発生させたものである。
 それから、一人、また一人と友人達は去って行った。彼は控えの間まで友人達に付いて行き、そこでしばし一人一人と言葉を交わしては、力を込めて握手し、肩を叩きながら親愛の念の籠った笑い声を上げたのだった。そして、最後にゾラが、いつでもポール・アレクシを従えて部屋を出ると、彼は幅広のソファーで一時間ばかり眠り、それから燕尾服を着て夕食に出かけるのだった。親しい高貴な友人である、マチルド公女(10)の館へと。

『ゴーロワ紙』、1880年8月23日付


訳注
(1) Philippe Burty (1830-1890) 美術批評家。1872年雑誌記事に「ジャポニスム」の語を初めて用いた。日本美術の普及に貢献すると同時に、マネ等の印象派美術を擁護した。
(2) Georges Charpentier (1846-1905) 出版者。ゾラと親しく、自然主義文学者の作品の出版を多く手掛けた。
(3) Émile Bergerat (1845-1923) 詩人、小説家、劇作家。Les Provinciales (1871) ; Enguerrande (1884) ; Le Viol (1885) ; Le Livre de Caliban (1887)等。1872年、Estelle Gautier (1848-1914)と結婚。
(4) Catulle Mendès (1841-1909) 詩人、小説家、劇作家。1860年、『ルヴュ・ファンテジスト』を創刊し、パルナス派の詩人として出発。詩集に Philoméla (1863)等。オペラ Gwendoline (1886) (Emmanuel Chabrier 音楽) ; Isoline (1888) (André Messager 音楽)でも成功を博した。ワグナーを擁護したことでも有名。1866年、Judith Gautier (1845-1917)と結婚。後に離婚。
(5) Hippolyte Taine (1828-1893) 思想家、歴史家。実証哲学を継承し、科学的手法を文芸研究に取り入れた。Histoire de la littérature anglaise (1864-1869) ; De l'intelligence (1870) ; Philosophie de l'art (1882) ; Les Origines de la France contemporaine (1875-1893).
(6) Frédéric Baudry (1818-1885) 言語学者。De la science du langage et de son état actuel (1864).
(7) Georges Pouchet (1833-1894) 比較解剖学者。
(8) Marius Roux (1838-1905) 小説家。ゾラの古くからの友人で、「プチ・ジュルナル」紙の編集に長く携わる。小説に Evariste Plauchu, mœurs vraies du Quartier latin (1869) ; L'Homme adultère (1875) ; Eugénie Lamour, mémoires d'une femme (1877) ; La Cornomanie (1888).
(9) Gustave Toudouze (1847-1904) 小説家。Octave, scènes de la vie parisienne au XIXe siècle (1873) ; Le Cécube de l'an 79 (1877) ; Madame Lambelle (1880) ; La Séductrice, roman parisien (1883) ; Le Père Froisset, moeurs modernes (1884) ; Péri en mer (1890) 他多数。評論に Albert Wolff, histoire d'un chroniqueur parisien (1883).
(10) La Princesse Mathilde (1820-1904) ナポレオン一世の弟ジェロームの娘。1841年に結婚するが早くに離婚。パリでサロンを開き多くの文人を招いた。




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