モーパッサン 『昔がたり』

Histoire du vieux temps, 1879



(*翻訳者 足立 和彦)

『昔がたり』表紙 解説 1874年、ゲテ座の懸賞への応募を考えて執筆された一幕韻文喜劇。
 1879年2月19日に、フランス第三劇場(デジャゼ座)において初演され、3月に出版社トレスから、小冊子にて出版された。1880年刊行の『詩集』にも収録される。
 伯爵と侯爵夫人が、若かりし頃の恋愛体験についてお互いに打ち明けるという構成の会話劇。本作についてのより詳しい解説は「『昔がたり』について」をご覧頂きたい。


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昔がたり

一幕韻文喜劇

登場人物
伯爵
侯爵夫人


ルイ十五世様式の部屋。――暖炉に大きな火。――冬。年老いた侯爵夫人が肘掛け椅子に腰を下ろし、膝に本を乗せている。物憂さに捕われた様子。

召使、告げる声
「伯爵様がお見えです」

侯爵夫人
          愛しい伯爵様、やっといらしてくださったのね。
本当にいつも古い友人のことを思ってくださる――感謝いたしますわ。
ほとんど不安なほどの気持ちで、お待ち申し上げていました。
毎日あなたのお顔を見るのが、習慣になってしまったのですもの。
それに、何故だか分からないけれど、今晩は悲しいのですわ。
いらして、火の近くで一緒に座って、
お話いたしましょうよ。

伯爵、手に口づけた後、座りながら
          私も、同じように悲しいのですよ、侯爵夫人。
それに、年を取ってしまうと、気が弱くなるものです。
若い者たちは、心に陽気さの蓄えがあるもので、
彼らの空からは、雲もすぐに吹き払われますし、
それにいつでも、たくさんの目標、たくさんの愛を追いかけねば!
一方で我々は、生きてゆくためにこそ陽気さが必要なのです。
悲しみは人を殺してしまうし、私たちに張りつく様は、
まるで枯れ木に苔がまとうようなもの。お分かりでしょう、
こんな恐ろしい災いから、しっかり身を守らねばなりますまい。
加えて、先ほどのことですが、ダルモンが突然やって来たので、
昔の日々の燃え残った灰を、二人で掻き回し、
古い友人たち、古い愛について語り合ったのです。
そうして以来、はっきりしない影のように、
遠い青春時代の思い出が、動き出すかのような心持ちです。
そんな訳でやって来たのですよ、すっかり悲しみ、傷ついた姿で、
あなたのお傍に座り、過去の話をしようと思って。

侯爵夫人
私のほうは、朝から恐ろしいような寒気に襲われていますの。
風がうなるのが聞こえ、雪が降るのが見えますわね。
私たちの年ともなれば、冬は悩ましく、苦しみのもと。
あまりにも凍える時には、このまま死んでゆくような気になるわ。
そうね、お話しましょう。若い頃の素敵な思い出は
つかの間でも、寒々しい老いを活気づけてくれますもの。
わずかばかりの太陽……。

伯爵
            あくまで冬の日のではありますがな。
我が太陽はすっかり蒼ざめ、我が空は雲に覆われております。

侯爵夫人
さあ、なにかとんでもない馬鹿騒ぎの話をしてちょうだい。
話によれば、あなたは立派な軍人でいらしたとか、
かつては、伯爵様は、尊大で、美しい青年、
お金持ちで、見事な紳士、誇らかな身のこなし。
スキャンダルを起こしては、一人ならずの夫たちと、
剣を交わしたこともあるとか。ある美しいご婦人が、
ある晩、おしゃべりしている時に、小声で語ってくれましたわ、
あなたの足音を聞くだけで、女たちの心は飛び上がったものと。
もし嘘じゃなければ、あなたはお小姓でいらして、
閨房通いの放蕩者、騒ぎを起こしてばかりだった。
おまけに四ヶ月の間、牢屋で過ごしたこともあるそうね、
自分の家で首をつった、ある平民相手のために。
噂ではその男には、若くて可愛い奥さんがいたとか。
平民の妻相手なんて、伯爵、なんてきちがい沙汰でしょう!
そのために四ヶ月も牢獄に! それが
高貴な家の、厳かな美の持ち主の奥方であるとでも
いうのなら……。さあ、何か雅なお話をなすって
高貴な奥様相手の。物語のような愛、古風な
お屋敷で、忍び足で戻った夫が、
昔ながらの衣装の間で、凍える愛人を見つけるのですわ。

伯爵
だが一体どうしていつでも、いつでも高貴な奥方なのです?
なかなかどうして、他の女性も同じように好ましいものです。女性は
男性を魅了するために作られているもの、高貴であってもなくても。
優美さに祖先はなく、美には名前もありません。

侯爵夫人
それはどうも!――わたくし、平凡な愛には関心がありませんの。
あなたの年代記の底のほうには、他のものもおありでしょう。
愛しい伯爵、さあ、お聞きしますわ。――どうぞ!

伯爵
お言葉に従わねばなりますまい。あなたがお望みなのですからな。
ああ! 確かに、私の魂については、あの格言が言い得て妙、
神は、女性が望むものをお望みになるとか。
私が宮廷に来ました頃は、まだ感傷的なものでした。
やがて目を開くことになりますが、乱暴に目を覚まさせられた
ものですよ。私は愛しました、大変に美しい
ポーレ伯爵夫人をです。彼女が貞節だと信じていましたとも。
ある夜、私は、別の愛人に抱かれる彼女を見てしまったわけです。
心は打ち砕かれましたよ、侯爵夫人、そして愚かにも
二ヶ月もの間、泣き暮らしたのです! でも宮廷でも街でも
大変に笑ったものです。あの連中ときたら妬み深く、卑しげで、
不幸な者をはやしたて、浮気の成功を褒め称えるんです。
私は騙されていたんですな。それで訴訟にも負けました。
しかしながら、すぐ後に、別の愛人ができました。
だがまたしても、彼女の愛情の内には二人の男が住まっていましたよ。
もう一方の男は詩人でしたな。彼女相手に詩句をひねり、
彼女を呼ぶには、花よ、星よ、宇宙の星よ、
他の呼び名は忘れてしまいましたがね。――この変人を唆しました。
麗しき精神の持ち主でした、自分の役割に留まったのでして、
決闘するには臆病に過ぎ、平凡なソネットを作りましたっけ……。
人々はまた笑い、私はすっかりおめでたい奴ということに。
今回の教訓によって、私の疑いには終止符が打たれました。
一人だけを目にするのをやめ、皆を愛することにしたのです。
それから標語として、大昔の格言を掲げたものです。
「信じる者は愚かなり」――それで気分も良くなりましたよ。

侯爵夫人
でも、以前に、自分の胸の炎を打ち明けて、
どこかの美しい奥様の足元で吐息をついた時には、
彼女を愛と尊敬と心遣いで包みながら、
そんな風にお話になって?

伯爵
           違いますな。けれど少なくとも我々の間では、
女とは、気分を害した子どものようなものだとお認めなさい。
世間ではいささか誉めそやしすぎ、とりわけ歌に歌いすぎです。
魅惑に釘づけの追従者、ソネットの作り手たちは、
蛇口さながら、朝から晩まで、
詩の砂糖で蒸留させた、お世辞を注ぎかけて、
女たちを、夢想に膨れ上がった子どもに作りあげてしまうのです。
それでも女は愛するでしょうか?――いいえ。彼女に必要なのは、
二十歳の若者の愛情であはりません、その唯一の欠点といえば、
その年には誰もがするように、無垢なままに愛するということですが。
そうではなく、伊達男ですよ。通り過ぎて行くのを、
驚きと、ほとんど尊敬の気持ちさえ込めて眺めるような伊達ぶり、
その姿に、あらゆる女性は心動かされ、震え出しますが、
それというのもその者が、――確かに大変稀な美点ですが――
フランスで、ナヴァールで、最初の誘惑者だったというわけです!
若かったからでも、美しかったからでも、優れた性質が
あったからでもなく、……何もなくても、この男が気に入られたのは、
彼が生きてきたからです。全く奇妙なことですな。
だがそんな風にして、この天使は魅惑されるわけです!
たまたま、別の男がやって来て、
どんな貢物をもってすれば、一目、施しが得られるかと尋ねれば、
彼女は鼻で笑い、月を所望するという有様です!
そして、ご承知でしょうが、私が話しているのは一人の女ではなく、
多くの女についてですよ。

侯爵夫人
         大変雅びなことね、もう一度お礼申し上げますわ!
今度は私の番ですから、よくお聞きくださいまし。
体の利かなくなった年寄り狐が、それでも新鮮な肉に飢えて、
ある夜、悲しげに、お腹を空かせながらさ迷っていたのですわ。
昔のご馳走や、ある晩に森の隅で捕まえた雛鳥、
走って捕らえた、しなやかな兎の記憶を思い返しながら。
寄る年月が、そうした甘美な食べ物の泉を枯らしてしまった。
もう前のように敏捷でもなく、飢えを我慢することもしばしば。
風に運ばれた獲物の匂いに打たれた時に、
年老いた瞳に稲妻がきらめきました。
狐は目にしましたわ、頭を翼の下にして眠る、
古壁の上に止まる、何羽かの若鶏を。
けれども狐の体は重たく、足取りが確かではないものですから、
欲望と、空腹と、飢えにも関わらず、
狐は言いました。「まだ青すぎるし、……もっと若い奴向きだな」と。

伯爵
侯爵夫人、意地が悪いですな、今おっしゃったことは。
でも私はあなたにお答えしましょう。サムソンとデリラ、
アントニーとクレオパトラ、オムバレの足元に額ずくヘラクレスと。

侯爵夫人
あなたは愛について、悲しい道徳をお持ちなのね!

伯爵
いえ。人間とは、神が二つに分かちたもうた果物のようなもの。
世界中を経巡り、幸福になるためには、
その不確かな道行の中で、見つけなければならないのです、
自らの半身を。だが彼を連れ行くのは偶然、
偶然は盲目であり、ただ彼の足取りを導くだけ。
だから、ほとんどいつでも、それを見つけることは出来ないのです。
しかしながら、偶々にでも出会うことがあるなら……、彼は愛します。
私はそう信じるのですが、きっとあなたが、私の半身であったのです。
神が私にと定め、私が探していた、けれども
私はあなたに会うことがなく、だから決して愛しはしなかったのです。
それから、今になって、我々の道も行き着かんとする頃に、
宿命は、あまりにも遅くに、我々年老いた者の運命を結び合わせた。

侯爵夫人
やっと随分よくなりましたわ。でもあなたは間違ってらっしゃるし、
私は、そんなに安くは借りを返してはあげませんのよ。
ご存知かしら、愛しい伯爵、私があなたを何に喩えているか?
あなたの心は、まるで締まりやの家のように閉ざされている。
あなたはそこのご主人様。誰かが訪ねにやって来ると、
全部持って行かれるのではと想像なさって、
人にはがらくたの山しかお見せにならない。
さあ、もう回り道はたくさん、からかいはお休みにして!
どんな締まりやも、隅には金で一杯の小箱を隠しているもの。
どんなに貧しい心にだって、小さな宝がありますわ。
心の奥底に何を隠してらして? かつて愛した、十六歳の
少女の肖像。思い出すにも頬を染めるような、
大切に隠している、ささやかな田園恋愛詩。
そうではなくて? けれど後になって、時には、
その姿をじっと眺めたいと思う、遠く向こう、
背後に置いてきたその姿を。あの過ぎ去った物語、
それに苦しみながら、喜んで苦しもうとするもの。
夜、一人閉じ篭っては、何か古い本と、
自分の年取った心とを開くもの。ある美しい夜に
手渡された小さな花を眺めるように。その花は
昔の春のかすかな香りを留めているのだわ!
耳を澄まし、澄ましてみれば、古い思い出に
かろうじで運ばれてきた、その声を聞くことができる。
花に口づけすれば、その跡は、
本の上にと同じように、心の頁に残りつづける。
ああ! 老いが苦しみを運び来る時になって、
お前たちは、最後の日々をなお匂い立たせる、
古き花の、青春の月日の香りを!

伯爵
その通りですな! つかの間であれ、我が心の奥底に、
ある古い思い出の戻って来るのを感じましたよ。
今、そのお話をする準備が出来ました、侯爵夫人。
でもあなたにも、同じようにざっくばらんな態度を求めましょう。
気まぐれには気まぐれを、物語には物語を。
あなたからお始めなさい。

侯爵夫人
             私もそうしたいと思っていましたの。
けれども、私のお話はとても簡単な子どもじみたもの。
でも、どうしてかは分からないけれど、若い頃の物事は、
ワインのように、年とともに力を得てゆくものね。
年を経るごとに、大きくなってゆくのですわ。
こうした話をよくご存知でしょう。
どんな娘にもある最初のロマンスですわ。
一人一人が、少なくとも二つや三つは数えられるの。
私には一つしかないのです。それだからこそ、きっと、
心の内に、活き活きと根強く守りつづけてきたのでしょう。
私の人生において、それは大きな場所を占めていますわ。
その頃、私はとても若く、それというのも十八歳でした。
古い小説で、読むことを学んだものです。
古い庭の、古びた小道で、よく夢を
見ましたわ、夜には、柳の並木の下、
月明かりを眺め、風が枝々に愛を
語ってはいないかと耳を澄まし、夢に見たの、
少女が声低く呼びかける男性の姿、
待ち焦がれ、神が自分のためにお作りくださったと信じる相手を!
それから、私があんなにも夢に見た者が、
若く、自信に満ち、魅力的な男性が、ある日、やって来たのです。
少女らしい心が、胸の中で跳ね上がるのを感じたわ。
私は彼を愛した。彼は私を親切だと思った……。
我が麗しの美青年は、ああ! 翌日には発って行った。
それ以上のことは何も。一度の接吻、一度手を握り合い、
一度視線を交わしたけれど、彼はすぐに忘れてしまった。
彼は自分に言い聞かせた。「あの女の子は可愛らしかったな」
そんなことも心から消えた。でも神は、そんな風に
幼子の愛情をもて遊ぶことを禁じておられるのに!
ああ! あなたは女は冷淡だと思っていらっしゃる。女は、
気まぐれから気まぐれに飛び回るものだと。それはあなたの過り。
女も愛することができるでしょう。でもあなた方がそれを邪魔する。
最初に訪れた愛情を、あなた方が引き離してしまう!
かわいそうな少女! 私はとても馬鹿だったし、信じやすかった。
でもあなたは、それをひどく滑稽だと思い、
愛をあざ笑う……。長い間、私は彼を待ちました!……
彼が戻っては来なかったので、私は侯爵と結婚したのです。
でももう一人のほうこそを、もっと好きになったことでしょう!
自分の心をさらけ出しましたわ、あなたのを見せてちょうだい、
今度は。

伯爵、微笑して
    今のようなものは、告白というものですかな?

侯爵夫人
私から許しを得ることは出来ませんわよ
まだからかいになるのなら、意地悪い、冷徹な男性でいらっしゃる。

伯爵
ブルターニュにおいて、恐怖政治と人の呼ぶ、
恐ろしい時代のことでした。――至るところで争いがあり、
私といえばヴァンデにおり、ストッフレに仕えていました。
さて、そこで、私の物語は始まります。
その日、ロワール河を再び越えたところでした。
我々は留まり、遊撃兵として配置されました。
幾人かの勇敢な友人たち、何人かの年取った農民たちで、
全部で百人ばかり、私はその隊長でしたが、
平野を囲む茂みの中に隠れながら、
退却する軍を守りつつ、少しずつ後退して行ったのです。
我々の中の者が、最後に火を消したのでした。
規則通りに、散れ散れになった時に、
一人の兵が突然、共和派の者ですが、思うに
茂みに乗じて、我々のところまで進んで来ていたのでしょう、
道に飛び出してくるや、私に向けて二発、
拳銃を撃ちました。私はこの愚か者の頭を打ち割ってやりました。
しかし私のほうも、肩に二発の銃弾を受けていたのです。
我が軍は遠くにありました。慎重なる大将として、
私は馬の腹に拍車を立てました。
それから、戦場を横切って、頭を朦朧とさせつつ、
逃げ出す気狂いのように、手綱を打ち振って進んだのです。
だが遂には、疲れきり、打ちのめされ、どうすることも出来ずに、
傾斜の向こう側に、血まみれのまま倒れたのです。
だがすぐに、すぐ傍に、光が見えました。
そして声を聞いたのです。――そこは藁葺きの一軒の家でした。
そこで私は戸を叩き、叫びました。「王の名において、開けてくれ!」
それから、力尽き、寒さに凍え、
扉の前で、突然に倒れてしまいました。
そんな風に伸びたまま、長い間いたのでしょうか?
私には分かりません。感覚を取り戻した時には、
とても暖かいベッドの中でした。勇敢な者たちが、
心配そうに私の目覚めを待っていてくれ、
気遣いを込めて、世話をし、取り囲んでくれたのです。
そして、この動作の重々しいブルターニュ人たちの中に、
七面鳥に育てられた森の小鳥のような、
十六歳の娘を見たのです! ああ! 侯爵夫人、侯爵夫人!
なんと無垢な顔立ち、なんと甘美な優美さだったでしょう!
どれほど彼女は可愛らしかったか、ブロンドの髪は、
小さなボンネットの下で、とても滑らかで、大層長く、
女王ですらそれと引き換えに、自らの富を与えたことでしょう!
それから彼女は、公爵夫人のような手足をしていて、
あまりに素晴らしいので、彼女の太った母親の
貞操をひどく疑ったほどです。藁しべほどのものとも交換に、
私が父親であったら、親としての権利を売り飛ばしたでしょう。
ああ! なんと彼女は愛らしかったこと、厳粛で、
慎ましやかな面持ちをして!――それから四晩と三日の間、
彼女は私の枕元につきっきりでした。いつでも
傍にいる彼女を目にし、時には座り、
時には立ったまま、教会の本を読みながら、
祈っていました。誰のために?――この私、哀れな負傷兵のため?――
あるいは別の者のため? それから、小さな足を急がせ、
行ったり来たり、部屋の中を軽やかに歩き回っていました。
それから、明るく、琥珀のように黄金に輝く瞳で、
彼女は私を眺めました。彼女の瞳は、
鷹のように黄色をしていて、誇りに溢れていたのです。
そして、侯爵夫人、私が初めてあなたにお目に
かかった時に、大層驚いたことでした、
あの瞳、あれと同じ視線に再び出会ったからです、
太陽の光線に照らされているとでも言えたでしょう。
誓って申しますが、彼女は瑞々しく、愛らしく、
ほとんど我知らずの内に、私は彼女を愛し始めるという、
馬鹿なことをしてしまったのです。――けれどもある朝、
遠くで大砲が唸り声を上げるのが聞こえました。
突然、主人が入って来ると、すっかり蒼ざめ、息喘がせながら、
言いました。「共和軍! 共和軍です! 平野を包囲しています、
お逃げください!」――それまで、まだすっかり弱っていたのですが、
私は飛び出しました。時がとても迫っていたのです。
トランペットの音に震え出す馬のように、
戦いに対する興奮で、頭が一杯になりました。
けれど彼女が、全身黒ずくめ、まるで喪に服するような姿で、
目に幾らか涙を浮かべながら、敷居のところで待っていました。
私が鞍にまたがる時には、鐙を押さえてくれました。
雅びな騎士として、私は彼女のほうへ身を屈め、
彼女の額に、陽気に口づけ与えたのです。
侮辱を受けでもしたかのように、彼女は身を起こしました。
誇りに満ちた瞳に、獣のような稲妻が光り、
恥ずかしさに頬を染めました。「ああ! あなた」彼女は言いました。
確かに、彼女は、私が思っていたような女性ではなかったのです。
彼女はあまりにも尊厳に満ちており、不器用に、
みっともなくも、私は気高い少女を傷つけてしまいました。
どこかの古くからの、忠誠に満ちた家柄の娘を、
年老いた従者たちが、彼らの内に隠していたのですな、
私たちと一緒に、父親が共和派と戦っている間。
ああ! 私は初めから、すっかり愚かな態度を取っていました。
けれどもその当時、私は幾らかドン・キホーテ風のところがあり、
ありとあらゆる古めかしい小説が、頭の中で回っていました。
それで、すぐに馬から下りると、
彼女の前に、恭しく膝をついたのです。
そして言いました。「すみません、お許しください、お嬢様、
今の接吻は、信じてください、私は決して嘘をつきませんから、
放蕩者のものでも、軽薄者のものでもなく、
もしそうお望みであるならば、婚約の印となるでしょう。
もし戦が許すことがあれば、私は戻って来て、
あなたの元に残した、愛の抵当を探し出すことでしょう」
「いいわ!」彼女は笑って答えました。「さようなら! 私の許婚」
彼女は再び私を馬に乗せ、それから可愛らしい手でもって、
接吻を送りました。「さあ、許してさしあげますわ」
彼女は言いました。「早く戻って来てね。見知らぬ麗しのお方!」――
そして私は出発したのです。

侯爵夫人、悲しげに
            それであなたは戻らなかったのですわね?

伯爵
ああ! そうです。でもどうして? 私自身、よく分かりませぬ。
自分に言ったものです。彼女が俺を愛することなどあるだろうか、
つかの間目にしただけのあの子どもが? 俺の側としても
彼女を愛しているのか? 私はためらいました。私がやって来るのは、
恐らくはあまりに遅すぎ、我が美しき少女が誰か別の者を愛し、
愛され、母親になっているのを見るのでしょうか?
それから、通りすがりに口から漏れた、あの我を忘れた空虚な言葉は、
恐らくは、滑るように彼女を通り過ぎ、
可愛らしい思い出、甘い過去を残すことになるでしょう。
それに、彼女を置いて来た場所に、彼女を見つけられるでしょうか?
私は騙されているのではないでしょうか? この遠い記憶を、
新鮮で、楽しいもののままに保存し、
あの時思い描いたままに、いつでも彼女の姿を眺め、
決して戻らず、再会することもない、幻滅しか見出さないことを
恐れるのであれば、ああ! そのほうが良くはないでしょうか?
けれども、妄執のように私の内に留まりつづけたのは、
漠然とした心の悲しみと、かすかに触れながら、我が途上に
残して来たかもしれない、幸福への疑いのようなものでした。

侯爵夫人、声に嗚咽を交えながら
彼女は、恐らくは愛したのでしょう、その見知らぬ男性を?
神のみぞがご存知だわ! あなたは決して戻っては来なかった。

伯爵
侯爵夫人、一体、私はそんなに大きな罪を犯したのでしょうか?

侯爵夫人
先ほど、あなたはおっしゃったのではなくて。「私は思いますに
人間とは、神が二つに分かちたもうた果物のようなもの。
世界中を経巡り、幸福になるためには、
その不確かな道行の中で、見つけなければならないのです、
自らの半身を。だが彼を連れ行くのは偶然、
偶然は盲目であり、ただ彼の足取りを導くだけ。
だから、ほとんどいつでも、それを見つけることは出来ないのです。
しかしながら、偶々にでも出会うことがあるなら、彼は愛します。
私はそう信じるのですが、きっとあなたが、私の半身であったのです。
神が私にと定め、私が探していた、けれども
私はあなたに会うことがなく、だから決して愛しはしなかったのです。
それから、今になって、我々の道も行き着かんとする頃に、
宿命は、あまりにも遅くに、我々年老いた者の運命を結び合わせた」
遅すぎますわ。ああ、だってあなたは戻っては来なかった!

伯爵
侯爵夫人、泣いていらっしゃるのですね!……

侯爵夫人
                  なんでもありません。わたくし
今ほどお話しになった、可愛そうな少女を知っておりますの。
今のお話は悲しゅうございました。だから涙を流したのですわ。
なんでもありませんの。

伯爵
           かつて我が誓いを受け入れたのは、
侯爵夫人、あなただったのですね!

侯爵夫人
            ええ! そうです、私だったのです……。
(伯爵は跪き、手に接吻する。――彼はとても感動している。)

侯爵夫人、沈黙の後
さあ、もう考えるはやめましょう。薔薇色の時代があるものですわ。
私たちの蒼ざめた額は、もうそうしたものには向いていないの。
今の私たちを見る者があったら、さぞかし笑うことでしょう!
起きてくださいまし。この古いお話、私たちの年頃には
相応しくない過去の思い出を終わりにするために、
さあ、伯爵様、あなたに抵当をお返ししてさしあげます。
私はもう小娘ではないし、そうする権利があるでしょう。
(彼女は彼の額に口づけする。それから、悲しげな微笑とともに。)

けれど、すっかり年老いましたわね、可愛そうなあなたの接吻も。


『昔がたり』(トレス社、1879年)
Histoire du vieux temps (Paris, Tresse, 1879), dans Théâtre, éd. Noëlle Benhamou, Éditions du Sandre, 2011, p. 105-117.




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