第192信 レオン・エニック宛
Lettre 192 : À Léon Hennique
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1880年9月29日の書簡(部分)。9月にモーパッサンはコルシカへ旅行。アジャクシオで母に会った後、各地を訪れて『ゴーロワ』紙に記事を送っているが、本書簡にその背景が窺われる。
この頃、『メダンの夕べ』のグループを中心とした週刊誌『人間喜劇』La Comédie humaine 創刊の計画が持ち上がり(書簡では「新聞」と呼ばれている)、創刊号は10月15日刊行と予定された。その知らせを受けて、モーパッサンは旅行を切り上げてパリに戻ることを考える。アジャクシオに戻った後、ユイスマンス(編集長を務める予定だった)にも手紙を送っている(194信)。だが結果的に、この雑誌は日の目を見ることのないままに終る。
ジュリエット・アダン(1836-1936)は1879年に雑誌『ヌーヴエル・ルヴュ(新評論)』を創刊。モーパッサンは81年1月に「私生活のギュスターヴ・フロベール」、2月に小説「家庭」を寄稿するので、ここで話題になっている「小説」は「家庭」と推測される。
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[断片]
ヴィコ、1880年9月29日水曜日
……君の手紙は山間のヴィコという小村に届いた。この手紙には大いに困惑させられ、すっかり途方に暮れてしまった。以下がその理由だ。
ご存知の通り、僕がコルシカに旅行したのは母のそばでしばらく過ごすためだった。健康上の理由で母はフランスを離れなければならなかったんだ。こちらで会った彼女は幾らか調子がよくなっていたが、馬車で遠くから僕の遠出の後を追いかけてきて、僕がこちらで過ごす間、僕から離れたがらなかった。ところが母はヴィコですっかり病気になってしまった。恐らくは過労が原因だろう。それで先週から僕はこの地で母の世話をし、アジャクシオまで連れて帰ることもできないでいる。出発でき次第、旅行を終えずに船に乗るつもりだが、それは残念なことだ。それというのも僕がこの素晴らしい国に戻ってくることはもう二度とないだろうからね。母の健康状態のせいでまだ一度しか遠出をしていないので、たくさんの金を無駄にしたことになるだろうし、おまけに母は僕がこんなに早く発ってしまうことにがっかりしている。
……すぐにとても短い小説を渡すことができるし、完成間近で(『脂肪の塊』と同じくらいの長さ)、アダン夫人向けのつもりの小説を新聞のために取っておくこともできる。この〈共和国の女神〉にはコルシカ旅行記を渡すことにしよう。彼女の退屈な雑誌にはいつでもそれで十分だ。
いずれにせよ、新聞が11月1日まで発刊されなかったら僕にはよかったのだけれど。お蔭で素敵な旅行の機会を逃し、まだ一か月は僕を留めておくつもりだった母ともさっさと別れなければいけない。
君と友人たちをこの胸に抱こう……
モーパッサン
Guy de Maupassant, Correspondance, éd. Jacques Suffel, Évreux, Le Cercle du bibliophile, 1973, t. I, p. 294.
Guy de Maupassant, Correspondance, éd. Jacques Suffel, Évreux, Le Cercle du bibliophile, 1973, t. I, p. 294.