『リュヌ伯爵夫人の裏切り』について

Sur La Trahison de la Comtesse de Rhune



 ギ・ド・モーパッサンが二十代に執筆した、三幕、韻文歴史劇。後に改変し、『レチュヌ伯爵夫人』 La Comtesse de Rhétune に題名も変更される。初出版は、ピエール・ボレル『ギ・ド・モーパッサンの悲劇的運命』 Pierre Borel, Le Destin tragique de Guy de Maupassant, Paris, Editions de France, 1927 において。
 (従来、『レチュヌ伯爵夫人』の方が前の段階と思われていたが、事実は逆であった。 Cf. Madame Thomassin, éd. de Marlo Johnston, Publications des Universités de Rouen et du Havre, 2005, p. 64.)
 1876年から78年にかけての書簡に何度かその存在が窺われる。
 「私は今、ゾラの「自然主義演劇」についての考えに反して歴史劇を書いています。――それも際どいのを!!!」(1876年11月17日フロベール宛)
 1877年2月、ロベール・パンションに宛てて三幕目を執筆中と告げる。3月、原稿を読んだフロベールは次のように弟子に書き送る。
 「つまるところ大変結構で、優れた作品だと思う。けれどこのままでは上演出来ないだろう。――あまりに淫らすぎるので。もっとも修正は大変ではないと思う。」
 恐らくこの時フロベールの目にした原稿が、友人レオン・フォンテーヌの手に渡り、上記ボレルの書に掲載されたものである。(1998年競売。売却先は不明。)
 この時点でフロベールはオデオン座への紹介を勧めているが、その詳細は分からない。次の言及は77年12月10日付フロベール宛書簡。
 「しかしながら劇の書き直し(すっかり改めたもの)は――1月15日頃には終わりそうです。」
 そして78年1月21日、母親宛。
 「僕の劇については、フロベールは読んで、十分上演可能だと思っている。でも彼はそんなに情熱を持っているようには見えない。」
 そしてこの時期、フロベール、ゾラの援助を受けてコメディー・フランセーズでの上演を画策するが(なおこの時、モーパッサンはサラ・ベルナールにも面会している)、結局、上演には至らなかった。
 『レチュヌ伯爵夫人』の原稿は現在ルーアン市立図書館に保管されている。清書原稿であることから、ゾラ・フロベールに託した原稿のどちらかであると推定される。従ってこの時点で既に『レチュヌ伯爵夫人』に改変されていたことになろう。
 友人ロベール・パンションの証言によれば、コメディー・フランセーズ拒絶の後、デジャゼ劇場(当時「第三フランス座」と名乗る)に持ちかけたが、費用が嵩むという理由で拒否、代わりに『昔がたり』が上演されることになった。
 79年、『昔がたり』上演に乗じて、『レチュヌ伯爵夫人』をオデオン座に持ち込むが、やはり上演には至らなかった。
 以上がやや煩瑣であるが、本戯曲の辿った経緯である。(なお81年春にツルゲーネフに原稿を見せたらしいことがツルゲーネフの書簡に窺われるが、彼はコメントを差し控えている。以後、モーパッサンはこの作品に完全に見切りをつけたようだ。)

 百年戦争当時のブルターニュの一領主の館を舞台に、敵方の大将を愛する女主人の陰謀を語る本作品は、韻文であること、歴史劇であること等をはじめとし、多くの点で後の、小説家モーパッサンと作風を異にする。
 一方、男性を破滅させるものとしての女性像、あるいは欲望の次元で捉えられた恋愛の様相、そしてコキュとしての夫と美貌の愛人という人物関係など、後の小説作品に共通する要素を見出すことも可能である。
 テーマ的関連において本作の特色と思われるのは、この作品においては主人公の伯爵夫人が、自らの恋愛を成就させるべく、主体的・積極的に行動し、あるいは罪さえも犯す点にあるだろう。『女の一生』に端的に表れているように、とりわけ80年代前半における作品群の中で、モーパッサンの描く女性は受動的である。そこに作者個人の女性観を見るか、あるいは時代状況下の女性のあり方をレアリスムに則って描き出したと見るか、意見が分かれる点ではあるが、いずれにせよ、リュヌ伯爵夫人の像は、モーパッサン作品の中で異彩を放つものである(後年、作者は『マノン・レスコー』を高く評価するようになるが、この点とあわせて興味深い)。

 歴史劇というジャンル自体から、本作品にはロマン主義の影響の残滓を見て取ることができる。(兵の語る戦の場面には『マクベス』の影響も窺える。)封建制度下において、自らの主体的自己を貫こうとする主人公の存在にも同じことが言える。
 だが自然主義の時代においてモーパッサンは、恋愛を精神的次元から、身体的次元に還元させて語ってみせる。そこに作者特有のレアリスム的姿勢を窺うことが出来る。同時に、古典的レトリックを駆使して恋愛を歌いながらも、ここでは、恋愛は決して崇高な次元に達することがない。最終場、主人公の遺骸を窓から投げ捨てるという行為は、もしこれが実際の舞台に乗せられたなら、その極端な卑俗さ故に顰蹙、非難を買ったと想像するに難くない。そこには確かにレアリスム的姿勢が貫かれているのである。
 この時期、モーパッサンは脱ロマン主義を志向すると同時に、ゾラをはじめとする自然主義運動からも一定の距離を置くことを心がけていた。結果的に本作品に、我々はロマン主義の名残と、自然主義的ヴィジョンとの混交形態を見て取ることになる。今日まで、本作品が陽の目を見ることなく、習作として十分に検討・研究されることがなかったのも、故ないことではない。
 実際のところ、ここに窺われるのは自らの道を模索する、若い文学青年の姿である。ロマン主義的枠組みの中に、自然主義的ヴィジョンを投影させることによって、恐らく若きモーパッサンは、彼独自の道を見出そうとしたに違いない。だがその試みは結局、折衷案に留まった。一種の妥協と呼ぶことができるのかもしれない。

 一方で、韻文歴史劇という、当時既に流行を過ぎんとしていたジャンルへの挑戦には、劇界における伝統・因習を踏襲することによって、容易に上演を実現しようという目論見の隠されている点を見逃すわけにはいかない。前衛である以上に、「売れる」ことを優先させたのだとさえ、結果はともかくとして、考えることは誤りではないだろう。小役人生活に辟易としていたモーパッサンは、文学者として身を立てる野心を熱烈に抱いていたのである。そして劇の成功は、それを最も確実に約束する道であった。
 ロマン主義と自然主義との折衷のような様相を示す本作、『リュヌ伯爵夫人の裏切り』は、その限りで作者の才能の十全たる開花と考えるわけにはゆかない作品である。

 だがしかし、『脂肪の塊』以降のモーパッサン作品にこそ彼の本領があるからと、本作をそこへ至る通過点としてのみ考えることには、注意が必要である。『脂肪の塊』の成功は、その時点において初めて、作者自身に、自らの才能を表明する最適な手段としての、レアリスム、自然主義的手法に則った短中編小説を見出させたのであり、それ以前の時点において、まだ彼の進むべき道は未定であった。今日、モーパッサンが優れた短編小説家として認知されているのは、あくまで彼の生涯の到達点から、総括的・回顧的な俯瞰による評価による。『リュヌ伯爵夫人』執筆当時の作者に、将来自分が短編作家として名を挙げることになるというヴィジョンが、どれほど明確であったかは極めて疑わしい。
 従って『リュヌ伯爵夫人』は独創性の模索の跡であり、若い文学青年の習作ではあるが、そこに将来の優れた小説作品の萌芽を見て取るだけでは十分ではない。遡及的にではなく、時間的経緯において見るならば、『リュヌ伯爵夫人』の上演失敗の後、『女の一生』の構想、そして『脂肪の塊』の執筆へと、作者は自らの創作の対象を限定・固定化させるのである。そこに作者の、自らの資質と、現代文学のあり方への内省がある。

 1880年、『脂肪の塊』の突然の成功は、モーパッサン研究の専門家の間でも、一種の奇跡、「謎」として見られてきた。だが一人の作家の天性が突然に開花するというのは、ロマン主義以来の天才像に関わる、一種の「神話」ではないか。ことモーパッサンに関しては、七年に渡るフロベールの文学指導について、広くその意義を認められながら、その実質は(多くが口頭によって行われ、資料が乏しいが故に)これも闇の中に眠るものであった。
 だが全てはまさしくそこにあった。現在、モーパッサンの習作として残される数本の戯曲、短編、そして『エラクリユス・グロス博士』という中編小説は、全て後の小説作品と多かれ少なかれ性質を異にするという、まさにその点にこそ意味があるのであり、全てこれらを未完成の習作と等閑視してきた従来の研究は、それ故にこそ『脂肪の塊』の「突然の」成功の理由を確定することができなかったのである。

 『リュヌ伯爵夫人』は七十年代のモーパッサンが残した最大の「習作」である。だがこの作品を習作として、後の作品の準備としてでは「ない」形で検討し直すことによってのみ、モーパッサン文学の根源を追求することができるに違いない。
 天才の証を才能に帰し、これを崇めるだけでは得るところはない。また、彼の努力の跡を辿ることによって、彼を普通の人間の次元に引き下ろすことを試みるのは傲慢の所作である。そうではなく、彼の成しえたことを幻影を挟まずに、出来るだけ正確に測定することによってのみ、我々は彼の営為の意義を正当に評価することが出来るだろう。
 御託を並べながら矛盾するようだが、ここでは先入見を抜きに、虚心に本作、『リュヌ伯爵夫人の裏切り』を読み返したいと思う。








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