モーパッサン 「文学的問題」
« Question littéraire », le 18 mars 1882
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1882年3月18日、『ゴーロワ』紙に掲載された評論。レアリスム文学を擁護する一文。
ジャーナリストのアンリ・フーキエは、3月11日付の『ジル・ブラース』紙にネストールの署名で「新しい小説」と題する記事を掲載、そのなかでモーパッサンの評論「読書つれづれ」(3月9日)に対して反論を述べた。それに対して答える形で自身の考えが述べられている。
創作においては観察力と想像力の両方が必要だが、それにも増して欠かせないのは「文学の技術」、「芸術的魂」であるとモーパッサンは言う。後世に残る作家にはそれが「ある」といい、古代ギリシャ・ローマから現代に至る多くの名前を挙げる一方、アレクサンドル・デュマやウジェーヌ・シューにはそれが「ない」と断じている。「芸術」に関する議論は「繊細さ」(1883) などにも見られる。
また、フーキエが自分の好みに従って作品を評価していることを批判し、作家独自の傾向を尊重する必要を説いているが、この議論は後の「小説論」 (1888) 冒頭でも繰り返されるだろう。
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文学的問題
文学的問題
『ジル・ブラース』紙でネストールと署名している注目すべき作家(1)が、私が前回の記事で述べた議論について長い記事を書いてくれた。記事のなかでは同僚J・K・ユイスマンス(2)の書物を評価したのだった。
評論のなかで私の反対者は、彼が新しい小説家と呼ぶ者たちをまとめて問題にし、彼らの方法を吟味し、その詩学について判断を下している。私はこの主題を再び取りあげよう。
初めに「原則」について言うなら、我が愛すべき同僚に向かって、文学に関するあらゆる「原則」は無用と考えていると告げよう。小説家の方法がどのようなものであれ、作品だけが何物かに価する。才能や天才を備えた者は、自分の資質や、欠点さえをも主義に仕立てあげる。そのようにしてあらゆる流派が形成されるのだ。だが、作家がライヴァルの書物を批判するのは、異なる気質を持つ自分が確立したり受け入れたりした規則に従ってなので、論争には固有の利点がある。すなわち、論争は作品を説明し、芸術的要求の正当性や、自分の見方を押しつけるだけの才能を備えている文学者には許される自分流に芸術を理解する権利というものを、理解させてくれるのである。
さて、私はデュマ・ペール(3)の小説について話し(そこにネストールの論争の理由があるのだが)、本当らしくない作り事が積み重なっている作品を読むと、抵抗し難い退屈に捕われると述べた。そして、『三銃士』の愛読者をどれほど怒らせるかよく分かっていたので、用心して、「これを読んだことに本当に腹が立ちます。こうして自分の時間を無駄にしてしまった自分に対する嫌悪感しか残っていません(4)」という、バルザックの文の背後に隠れたのだった。
するとその点について我が同僚は叫んで言うのだ。私は娯楽小説に対して高飛車な軽蔑を抱いており、すでに三世代に渡って人々を楽しませてきた優れた物語も、私の目には戯言と映っているのだと。
私は想像力を非常に高く評価しているし、その能力を観察力と同等に考えている(5)。しかし私の信じるところでは、どちらの能力を用いるにせよ、真の芸術家に「これこそ書物だ」と言わせるためには、第三の能力こそが必要であり、それは先の二つよりも上位に位置するのである。そして語り手としての驚くべき巧みさにかかわらず、その能力がデュマには欠けている。その能力とは、文学の技術である。私が言いたいのは、何か分からない永遠のもの、芸術家ごとに異なるがいつでもそれと識別できる忘れがたい色合いを作品に注ぐ、精神の特別な性質である。その何かとはつまりは芸術的魂であり、ホメロス(6)、アリストファネス(7) 、アイスキュロス(8)、ソフォクレス(9)、ウェルギリウス(10)、アプレイウス(11)、ラブレー(12)、モンテーニュ(13)、サン=シモン(14)、コルネイユ(15)、ラシーヌ(16)、モリエール(17)、ラ・ブリュイエール(18)、モンテスキュー(19)、ヴォルテール(20)、シャトーブリアン(21)、ミュッセ(22)、ユゴー(23)、バルザック(24)、ゴーティエ(25)、ボードレール(26)等々のうちに存在しているのである。しかしデュマ・ペールの小説にはないのであって、それは先日も名を挙げたシェルビュリエ氏(27)の小説にないのと同様である。スキュデリー嬢(28)、ダルランクール子爵(29)、ウジェーヌ・シュー(30)、フレデリック・スーリエ(31)は、彼らの同世代を熱狂させた。誰が残っているだろうか? 息子(32)が亡くなった後、デュマ・ペールについて残るものといえば、ただ思い出だけだろう。もっとも私の意見では、デュマは今名を挙げた者たちよりもはるかに優れているのではある。
『ドン・キホーテ(33)』、この小説のなかの小説は想像力の作品であり、翻訳されていても、評価を絶する芸術の傑作だという感興を我々に与える。『ジル・ブラース(34)』は想像力の作品であり、『ガルガンチュア』も同様である。そしてまたゴーティエの愛すべき書物『モーパン嬢』もしかりだ。
これらの作品は永遠に生きつづけるだろう。なぜなら生命の源たるあの息吹によって生きているからである。
芸術の外に救済はない。では芸術とは文体のことだろうか? そう人は尋ねるだろう。文体はその大きな部分を占めるとしても、そうではない。バルザックは下手に書いた。スタンダールは書いてさえいない(35)。翻訳されていてもシェークスピア(36)は我々を賞賛の念で一杯にする。
芸術は芸術である。私にはそれ以上は分からない。
「阿片が眠らせるのは、ナゼナラ眠ラセル力ガアルカラデス(37)」
芸術は本当らしくないものも信じさせ、それが触れたものに生命を与え、特別な現実を作り出す。それは本当でなければ信じられるものでもないのだが、才能の力によってその両方になるのだ。だがこの神と、運任せのピグマリオンたちとは区別しなければならない。
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我々の感覚は、存在する物の他に何かを我々に明かすことは出来ないし、我々の想像力が最大限努力して出来るのは、雑多な真実の切れ端を縫い合わせることでしかないという原則から出発し、新しい小説家たちは、真実を変形させようとやっきになる代わりに、ただ単に真実の再現に努めるほうがよいと結論づけた。この方法にはそれ固有の論理がある。我が同僚のネストールもそれは完全に認めている。だが、ユイスマンスの主人公であるフォランタン、まずまずの夕食を探し求めるこの哀れな役人には痛ましい真実があると私が主張すると、『ジル・ブラース』の編集者は答えるのだ。「とんでもない! 彼はまったくの空想によるもので、私は感動しない。」そしてネストールは直ちに次のようなもっともらしい理由を挙げている。「天のお蔭で私には素晴らしい料理女がいるので、このような苦悩はまったく私の興味を引かないのである。」ところが、我が親愛なる同僚よ、私の料理女はあなたのよりもずっと腕が悪いので、彼女が上達するまでは、もっともそれも遠い先ではないだろうが――少なくとも私はそう願っている――栄養不足の人たちが感じる胃腸の不快に私は感動しつづけるだろうと、私はあなたに告げよう。
打ち明けて言えば、この種の批評には大いに困惑させられる。もしも読者の一人ひとりが、彼を彼自身のベッドに寝かせ、彼のいつもの食事を食べさせ、彼が飲み慣れているワインを飲ませ、彼と同じ色の髪の女を愛させ、彼の息子や娘と同じ名前を持つ子どもに興味を抱かせることを私に要求し、感じたことのない不安、苦しみ、喜びを理解することを拒み、「私は『私』、『この私』以外の誰にもまったく関心はない」と主張するに至ったら、小説を書くのを断念せねばならないだろう。
もしも私の人物の一人が辻馬車に乗る時にひっくり返って腕を骨折したら、あなたは私に答えるだろう。「関係ないね。私の御者は完璧だから。」もし一人の若い女性に難産を体験させたら、あなたは答えるだろう。「知ったことじゃない。女性ではないからね。」
もしも青年をセーヌ川の岸辺に散歩させたら、「どうでもいいさ、水辺には決して行かないから」とおっしゃるだろうか?
確かに、我が同僚のネストールは付け加えている。「ああ! もしも役人の人生における失望を、彼の野心、恋愛、将来の不安を語ってくれたなら、私の野心、恋愛、不安は別の性質のものだとしても、接点は見つけられるだろうに。」
私はいささか疑問である。役人の野心とは、三年ごとの三百フランの昇給である。彼の失望は賞与の削減が原因だ。彼の恋愛は我々には安物過ぎる。彼の将来の不安は年金の最高額に到達しないこと。これがすべてである(38)。
私がこのような人生を描いたら、あなたは満足したと言うだろうか? それなのに、哲学的で諦観した役人を選び、「私には希望がないし将来もない。ずっと同じ円のなかを回るばかりだろう。それは分かっているし、どうしようもない。せめてこの貧困のなかで物理的に苦しみ過ぎないように努めよう」と彼に言わせるような権利を、あなたは私に認めないのである。
この役人は物質的生活を耐えられるものにしようと空しい努力をする。彼は「流れのまま」であり、そのことを知っていて、抵抗はしない。それでも他の時間はあまりに悪いので、少なくとも食事の時間はよいものにしたいのだ。あなたはそうしたことは正確ではないし、人間的でも、正当でもないと言うのだろうか?
作家の意図に異議を唱え、傾向について作家たちを訴え、彼ら自身の方法に背いていると作家たちを咎め、彼らが採用し要求している文学的慣習に対して彼らが犯しえた過ちを非難するといったことを、一体いつになったら人はやめるのだろうか?
『ゴーロワ』紙、1882年3月18日付
Le Gaulois, 18 mars 1882.
Guy de Maupassant, Chroniques, éd. Gérard Delaisement, Rvie Droite, 2003, t. I, p. 476-479.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
Le Gaulois, 18 mars 1882.
Guy de Maupassant, Chroniques, éd. Gérard Delaisement, Rvie Droite, 2003, t. I, p. 476-479.
(画像:Source gallica.bnf.fr / BnF)
訳注
(1) Nestorはアンリ・フーキエのペンネーム。Henry Fouquier (1838-1901) はジャーナリスト、作家。生涯にわたって多数の新聞に寄稿した。『ジル・ブラース』ではネストールおよびコロンビーヌの筆名を使用していた。モーパッサンは「時評文執筆家諸氏」(『ジル・ブラース』、1884年11月11日)のなかでフーキエに触れている。
(2) J.-K. Huysmans (1848-1907):作家。『メダンの夕べ』共作者の一人。『マルト』(1876)、『ヴァタール姉妹』(1879)、『世帯』(1881) などの自然主義的小説を執筆。1884年『さかしま』で人工美の世界に転身、『彼方』(1891) 以降、神秘主義からカトリックへと向かい、『出発』(1895) 等の作品を残した。モーパッサンは評論「読書つれづれ」(3月9日)で『流れのままに』について論じた。1884年には「彼方へ」で『さかしま』の書評も執筆する。
(3) Alexandre Dumas père (1802-1870):劇作家・小説家。新聞連載小説で人気を博した。『三銃士』(1844)、『モンテ・クリスト伯』(1844-1845) など。
(4) バルザックによるハンスカ夫人宛書簡、1845年12月21日。「読書つれづれ」に引用。
(5) 『ジル・ブラース』の記事において、フーキエは次のように記していた。「ああ! モーパッサン氏が想像力とそれから生まれた作品を幼い頃から憎んでいたとは信じたくないし、もしそうだとすればどれほど彼を哀れに思うだろうか!」
(6) Homère:古代ギリシャの詩人。紀元前8世紀頃の人物で、『イリアス』、『オデュッセイア』の作者とされる。
(7) Aristophane (前446-前385頃):古代ギリシャの喜劇詩人。ペロポネソス戦争前後のアテネを諷刺した。『雲』、『平和』、『女の平和』など。
(8) Eschyle (前525頃-前456):古代ギリシャの三大悲劇詩人の一人。紀元前6~5世紀に活動。『縛られたプロメテウス』、三部作『オレステイア』など。
(9) Sophocle (前496頃-前406):古代ギリシャの三大悲劇詩人の一人。紀元前5世紀に活動。古典悲劇の完成者とされる。『アンティゴネ』、『エレクトラ』、『オイディプス王』など。
(10) Virgile (前70-前19):古代ローマの詩人。ローマ文学の黄金時代を代表する。『牧歌』、『農耕詩』など。
(11) Apulée:2世紀のローマの作家。『変身物語(黄金のろば)』は、古典ラテン語による唯一の完全な小説として知られる。
(12) François Rabelais (1483頃-1553):作家。『パンタグリュエル』(1532)、『ガルガンチュア』(1534) 等の小説において、古典に基づく該博な知識と言葉遊び、造語、スカトロジーとを混ぜ合わせた一大世界を創造、その作品はユマニスム文学最大の成果と言える。
(13) Michel Eyquem de Montaigne (1533-1592):思想家。人間性について深い洞察を示した『エセー』(1580-1588) が名高い。
(14) Louis de Rouvroy, duc de Saint-Simon (1675-1755):作家、政治家。1694年から1752年にかけて書かれた『回想録』が名高く、ルイ14世時代の末期および摂政時代についての貴重な証言となっている。
(15) Corneille (1606-1684):フランス古典劇の確立者。『ル・シッド』(1637)、『オラース』(1640) など。
(16) Racine (1639-1699):劇作家。三一致の法則に則る厳格な構成、優れた心理分析によってフランス古典悲劇を完成させた。『アンドロマック』(1667)、『フェードル』(1677) など。
(17) Molière (1622-1673):劇作家。フランス古典喜劇の確立者。『タルチュフ』(1664)、『ドン・ジュアン』(1665)、『人間嫌い』(1666) など。
(18) Jean de La Bruyère (1645-1696):モラリスト。『人さまざま』(1688) で時代の風俗や人物を鋭く批判した。
(19) Charles Louis de Secondat, baron de la Brède et de Montesquieu (1689-1755):啓蒙思想家。異国人の視点でフランス社会を批判する『ぺルシア人の手紙』(1721) で成功を収めた。長年をかけて『法の精神』(1748) を完成させた。
(20) Voltaire (1694-1778):啓蒙思想家。百科全書派の一人。『カンディード』(1759) などの哲学コントを著した。
(21) François René de Chateaubriand (1768-1848):作家。『キリスト教真髄』(1802) 中の小説『アタラ』、『ルネ』が名高く、ロマン主義世代に大きな影響を与えた。
(22) Alfred de Musset (1810-1857):ロマン派の詩人・小説家。繊細な感性と憂鬱な気分に満ちた抒情詩は、後代の青年たちに大きな影響を及ぼした。モーパッサンも十代の一時期にミュッセの詩に傾倒した。ただし、「繊細さ」(『ジル・ブラース』、1883年12月25日)においては、ミュッセは「芸術家」ではなかったとされている。
(23) Victor Hugo (1802-1885):詩人・劇作家・小説家。戯曲『クロムウェル』(1827) や『エルナニ』(1830)、『東方詩集』(1829) などによってロマン主義を主導した。第二帝政期には国外に亡命、小説『レ・ミゼラブル』(1862) を発表した。
(24) Honoré de Balzac (1799-1850):小説家。人物再登場法を駆使し、自作の小説を『人間喜劇』の総題のもとにまとめあげ、七月王政下のフランス社会全体を描きあげることを試みた。近代リアリズム小説の代表者。
(25) Théophile Gautier (1811-1872) : 詩人・小説家。ロマン主義を代表する作家の一人。唯美主義を掲げた『モーパン嬢』(1835) 序文が名高い。ボードレールら後世の詩人に大きな影響を与えた。
(26) Charles Baudelaire (1821-1867):詩人。『悪の花』(1857) でフランス近代詩に革新をもたらした。また、未完の散文詩集『パリの憂鬱』を遺し、象徴派以降の世代に大きな影響を与えた。
(27) Victor Cherbuliez (1829-1899):小説家・劇作家。1881年にアカデミー・フランセーズ入会。モーパッサンは1883年5月1日の記事「ヴィクトル・シェルビュリエ氏」(『ジル・ブラース』)で辛辣な批判を述べている。
(28) Madeleine de Scudéry, connue comme Mlle de Scudéry (1607-1701):小説家。独特の語法や恋愛談義により「才女précieuse」の風潮をもたらした。『クレリ』10巻(1654-1660)。
(29) Charles-Victor Prévost d'Arlincourt, dit vicomte d’Arlincourt (1788-1856):小説家。小説『孤独者』(1821) で成功を収めた。『裏切り者』(1822)、『異国の女』(1825)。
(30) Eugène Sue (1804-1857):小説家。七月王政時代に新聞連載小説で成功を収めた。『パリの秘密』(1842-1843)、『さまよえるユダヤ人』(1844-1845)など。
(31) Frédéric Soulié (1800-1847):小説家、劇作家。シュー同様、七月王政下に新聞連載小説で成功を収めた。『悪魔の回想録』(1837)、戯曲『エニシダの小耕地』(1846)。
(32) Alexandre Dumas fils (1824-1895):デュマ・フィス。デュマ・ペールの息子で、小説家・劇作家。小説『椿姫』(1848) など。第二帝政下に風俗劇が大いに持てはやされた。1875年、アカデミー・フランセーズ会員。
(33) Don Quichotte (1605-1615):スペインの小説家セルバンテス(1547-1616)の小説。騎士道の妄想に取り憑かれたドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの冒険を描く。近代文学の先駆的作品として名高い。
(34) Gil Blas (1715-1735):ルサージュ (1668-1747) の小説。スペインを舞台に主人公ジル・ブラースの冒険を語る。
(35) 「ギュスターヴ・フロベール」(1876)においては、フロベールとの対比でバルザック、スタンダールの文章が批判されている。スタンダールが「書いてさえいない」というのは、『パルムの僧院』が口述筆記による事実を指したものか。
(36) William Shakespeare (1564-1616):イギリスの劇作家・詩人。その作品はイギリス・ルネサンス文学の最高峰とされる。『ハムレット』(1602頃)、『オセロ』(1604頃)、『リア王』(1605-06)、『マクベス』(1604-06)の四大悲劇の他、『ロミオとジュリエット』(1594頃)、『真夏の夜の夢』(1595頃)、『ヴェニスの商人』(1596頃) など。
(37) モリエール『病は気から』(1673)第3幕間より。原文の後半はラテン語 « Quia habet virtutem dormitivam »。ただしモーパッサンの引用は正確ではない。「スティリアーナ」(『ゴーロワ』、1881年11月29日)にも同様の引用が見られる。
(38) 「役人」(『ゴーロワ』、1882年1月4日)において、モーパッサンは役人生活の貧窮について詳しく語っている。